伊十郎、参る!

よしだひろ

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第一章 拙者、伊十郎にござる

其の七 令和の皆さん、よろしくね

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 無意識の守り神のメンバーは暴力団蓮華商事の構成員一人一人の身元を洗っていた。事務所近くの監視カメラにハッキングして構成員の写真付きのリストを作ってみた。
 すると事務所に出入りする人間の内六名は身元が分からない事が判明した。
 高橋はその六名の顔写真をまとめて美香のスマホに送信し、その中に俊介はいないか確認した。
 美香は一度だけ俊介を見ている。その記憶と照らし合わせると六名の内一人、間違いなく俊介である人物がいた。
 美香は伊十郎にも確認したかったのだが、二人は軟禁状態。伊十郎がどこにいるかも分からない。前のように会いに来てくれれば良いのだがそれはなかった。
 仕方なく美香は高橋にそのように連絡した。
 無意識の守り神のメンバーはそれを受けてAIを使って街の各地点の監視カメラにハッキングして俊介の姿を探した。そして俊介の居場所はすぐに分かった。そこは何と美香と高橋の住むマンションから車で五分程のところにある港だった。
 港に停泊してあるクルーザーに俊介は出入りしていた。恐らく伊十郎の住むマンションの場所を知って、その近くに潜伏しているのだろう。
 無意識の守り神のメンバーはそのクルーザーの写真や地図情報などをファイリングして美香に送った。伊十郎にそれを伝えると一人で乗り込みかねないので危険だから伊十郎には内緒にしておく事にした。
 一方、伊十郎の繊維片の鑑定結果は警察を驚かす結果だった。繊維片は西暦一八〇〇年頃に作られてまだ三十年ほどしか経っていない物だったのだ。
 警察はどう対応するべきか悩んだ。
 丁度その頃、無意識の守り神のメンバーは俊介に関する情報を警察にリークする事に決めていた。
 ある日浦安警察署の全端末に一斉にメールが送信された。俊介とその一味に関する知りうる限りの情報だった。それと蓮華商事が起こした裏取引の内容や誘拐事件に使われた車両の購入履歴なども送られてきていた。
 担当刑事は不審に思った。
「メールの送信者は誰になってる? 送信者を洗え!」
「送信者は署長です」
「何だと!?」
「何者かが署長の端末にハッキングして送信したものと思われます」
 実際には署長の端末をハッキングしたわけではなく、メールの送信元を自由に変更できるアプリを使って送信元を変更しただけなのだが、ITの知識が低い一般署員には区別できなかった。
 出所は分からないものの俊介に関する詳細な情報なので警察は裏を取る事にした。
 謹慎の解けた尾関巡査部長と中島巡査は港の近くで聞き込みを始めた。港やその周辺の監視カメラの映像も分析された。ハーバーの監視カメラには橘俊介が何度も映っていた。
 その結果謎のメールの情報通り橘俊介が港のクルーザーに潜伏しいると結論付けられた。
 警察は同時進行で蓮華商事の方も調べ始めた。
 橘俊介の立ち位置は微妙だった。何の証拠もない殺人事件と思われる事件の容疑者ではあるが、事件そのものが成立していないのであくまでも最重要参考人でしかない。
 また金井美香誘拐事件においてもその主犯と思われている。しかしこれも逮捕者の自白だけで何の証拠もなかった。
 今のままでは任意でしか引っ張ってこれない。
 警察では送信元不明のメールに添付されていた大量の監視カメラのデータを解析していた。しかし出どころ不明のデータには証拠能力はない。それでも何かのきっかけが掴めないかと調べるのだった。
 俊介は殺人事件の容疑者だ。拳銃で仲間を撃ち殺している。その凶器をどこへ捨てたのか。あるいは未だに所持しているのか。
 もし所持しているのなら銃刀法違反で取り敢えず逮捕できるのだがその証拠はまだない。
 尾関巡査部長と中島巡査は橘俊介が潜伏しているであろうハーバーに何度か出向いていき、パトロールした。
 その日もハーバーへ向かっていた時だった。
 ハーバーの管理棟から橘俊介が出てきた。二人は慌てて身を隠し俊介を尾行した。
(これは、使えるかもしれない)
 尾関巡査部長は俊介が腰に挿している棒状のものを見て、伊十郎のそれとは違うことに直ぐに気が付いた。
 俊介は人通りの少ない路地に入っていった。尾関巡査部長と中島巡査は慌てて路地の角まで走り、角からそっと路地を覗いた。しかしそこには俊介の姿は無かった。
「尾行に気付かれたんだ」
「やっぱり制服では目立ちますからね」
 二人は交番ではなく本署に戻った。特捜本部に入ると課長に言った。
「課長。たった今橘俊介を発見し尾行しました」
「で、どうだった?」
「巻かれました」
「どの辺りからどの辺りまでつけたんだ?」
「いや、それよりも奴は腰に棒状の物を挿していました」
「棒状の物?」
「あれは日本刀に違いありません」
 課長は立ち上がった。
「拳銃の次は日本刀か!」
「はい。ただ、それが本物なら銃刀法違反です」
「なるほど。それで橘を引っ張って来れそうだな」
 すぐに裁判所に逮捕状が申請された。
 蓮華商事を洗っている捜査員たちも謎のメールにあった情報の裏が取れて家宅捜索の準備をしていた。
 逮捕状が取れると浦安署から二人の警部が五人の警察官を連れて港のクルーザーに向かった。予めクルーザーを張っていた警官が中に俊介がいる事を確認している。
 捜査員達はハーバーへ着くと施設の関係者や一般人に避難命令を出した。俊介は拳銃を所持している可能性があったからだ。
 ハーバーの建物から出ると作業用のスペースが広くとられている。右手には沢山の陸揚げされた船が置かれている。
 広場の端まで行くと海だ。海には浮桟橋が浮かんでいる。広場の端と浮桟橋は狭い通路状の橋で繋がっている。
 捜査員達はその狭い通路を降りていく。そして浮桟橋に係留されている一隻のクルーザーの前に集合した。
「橘俊介さん! 居たら返事をして下さい」
 しかし何も返事は無かった。中にいる事は分かっていた。
「中にいるのは分かっています。捜索令状もあります。返事がないのなら中に入りますよ」
 しかしそれでも中からは何も聞こえなかった。二人の警部の内一人が捜査員に顎で指示を出す。
 一人の警官が船に乗り込んだ。指示を出した方の警部がそれに続く。コクピット(舵などを操作する船の後方のスペース)から船内に通じる通路がありそこにドアがあった。試すとドアは空いている。
「中に入るぞ」
 警官はドアを開けて中に入った。下に降りる梯子状の階段になっている。階段は3段程で居住スペースになっていた。そこに俊介が立っていた。腰には日本刀を携えていた。
「橘俊介さんですね」
 俊介は答える代わりに懐に手を入れてそこから拳銃を取り出して警官に向けた。
「た、退避だ! 退避しろ!」
 二人はドアを閉めて船から飛び降りた。
「浮桟橋から離れろ! 全員シールド用意。署に連絡して応援を呼べ」
 全員は一旦浮桟橋から離れてハーバー前の広場に逃げた。二人の警部は警察官に指示を出してクルーザーを遠くから監視する体制を整えた。警察官達はパトカーに戻り全員シールドを持ってきた。クルーザーが見える位置まで移動してシールドで壁を作った。
「本署から応援が来るまではこれで待機だ」
 富士見交番に詰めていた尾関巡査部長と中島巡査は真っ先に現場に急行した。本署から四人の警察官が現場にやってきた。
 捜査員達は浮桟橋と広場の端を繋いでいる橋を中心に、クルーザーが見える位置で円陣を組んだ。
「橘俊介! クルーザーは包囲したぞ。大人しく武器を捨てて投降しなさい」
 するとクルーザーの中から俊介がゆっくり出てきた。そして警官隊を見るとそっちに向かって銃を構えた。そしてゆっくりと浮桟橋の上を歩き、橋を上り始めた。
「お前らもっと後ろに下がれ! でないと撃ち殺すぞ!」
「全員そのまま後退」
 円陣はハーバーの方へ少しずつ下がって行った。俊介が広場の中央辺りに来た時俊介は徐ろに銃を懐にしまった。
「お前ら如きに銃の弾を使うのは勿体無いか」
 そう言ってゆっくりと刀を抜いた。
「橘! 大人しく武器を捨てて投降しなさい!」
 次の瞬間俊介は目の前にいる警官に向かって走り込んだ。警官は咄嗟にシールドを持ち上げた。
 そのシールドに向かって俊介は刀を横に薙ぎ払った。ポリカーボネート製のシールドが真っ二つに切れた。
「ひい!」
 それを保持していた警察官は思わず尻餅をついて転んだ。
「落ち着け! 防弾チョッキを着ている。銃や刃物は効かない!」
 俊介は防弾チョッキが何だか分からなかった。目の前に転んでいる警察官の腹を目掛けて再び刀を下から上に薙いだ。
 肉が切れる感触はなく何かギザギザした感触だった。
「うわあ!」
 切られた警察官は尻餅を突いたままズルズルと後ろに下がった。
「なるほどな。鎖帷子くさりかたびらか何かそれの類をまとっているって訳か」
 すると俊介はその尻餅を突いた警察官の胸ぐらを掴んで立たせて広場の中央まで連れてきた。
鎖帷子くさりかたびらとて頭はガラ空きだよなぁ」
 俊介はその捜査員の頭に刀のきっさきを突きつけた。そのまま勢いを付ける。
 しかし尾関巡査部長は咄嗟に立ち上がって叫んだ。
「辞めろ! 橘」
 すると俊介は刀を止めた。
「貴様の要求は何だ!」
 すると俊介はその捜査員を突き倒して腹に左足を乗せて押さえつけた。
「要求? そんなもの決まってる。伊十郎の命だよ」
 捜査員達はざわついた。
「取り敢えず伊十郎をここに連れてこい。でないとこの男の頭を突き刺すぞ。ああ、それとあの女も一緒に呼べ。弱みは握っておきたい」
 と言うと、俊介は刀のきっさきを倒れている警察官の頭に当てた。それを見て中島巡査が言った。
「あの橘とか言う男、化け物ですよ。射殺するしかありませんよ」
「馬鹿な事を言うんじゃない」
「でなければ佐々木さんの力を借りるしかないんじゃないですか? 佐々木さんに叩き切ってもらうしか」
 空には雲が立ち込めて辺りは薄暗くなりつつあった。
 俊介は刀をしまうと銃を取り出した。倒れている捜査員を起き上がらせて頭に銃を突きつけた。
「早く連れてこないとこいつの頭に風穴が空く事になるぜ」
 警部は尾関巡査部長に美香に連絡するように伝えた。あくまでも保険として伊十郎と美香を呼ぶ事にした。
「全員拳銃を用意しろ。最悪の場合橘を撃つ」
 と言っても警官隊は撃つ事はできない。人質(仲間の警官)に当たる可能性があるからだ。暫く睨み合いが続いた。警察は時間を引き延ばしたかった。尾関巡査部長と中島巡査は伊十郎と美香を迎えに行く事になった。
 ホテルまでは数十分で着いた。すぐに二人を連れて引き返す。パトカーの中で尾関巡査部長は二人に詳しい事情を伝えた。
「お二人はあくまでも保険です。危険ですから後方で待機していて下さい」
「拙者が説得してみても良いぞ」
「伊十郎は黙ってて。日本の警察は優秀なんだから任せておけば大丈夫よ」
 伊十郎は納得できなかったが、取り敢えず美香の言う事を聞く事にした。
 その時警察の無線が、蓮華商事の家宅捜索に入った事を告げた。無意識の守り神がリークした内容の裏を取り証拠が固まったのだった。
 伊十郎達がハーバーに着くと規制線が張られていた。
「橘! 佐々木さんと金井さんを連れてきたぞ。人質を放せ」
「欲しいのは伊十郎の命と言っただろう。奴をここへ連れてこい。女も一緒にな!」
 包囲網の後ろで中島巡査が伊十郎と美香に説明していた。
「橘が持っている銃はベレッタ九〇トゥーと言う自動拳銃です。奴が持ってるタイプは十二連装ですね」
「十二連装とは? 干支でも連想するのか?」
「違いますよ。弾が十二発入ってるって意味です」
「すると何か? 十二発放った後はもう使い物にならぬのか?」
「橘が他に替えの弾を持っていなければ使い物になりません」
「奴は他に弾を持っているのか?」
「分かりません。ですが、もし持ってたとしても十二発撃ったら弾の詰め替えが必要になります」
「なるほどのう」
 そう言うと伊十郎は俊介に向かって大声で叫んだ。
「俊介! 人質を取るなどと卑怯な手は使わずに正々堂々と戦ったらどうじゃ!」
「うるせえ! 勝負なんてもんはなあ、どんな手を使っても勝ちゃあいいんだよ! 伊十郎! さっさとここへ来て腹を切れ!」
「切ろうにも拙者は木刀しか持っておらん!」
 美香はしゃがんだ体勢のまま尾関巡査部長に耳打ちした。
「ウチに秘密兵器があるので取りに行きたいのですが」
「ひ、秘密兵器!?」
 美香は尾関巡査部長にマンションまで送ってもらう事にした。
 現場を取り仕切る警部はとにかく時間を稼ぐしかないと思っていた。マニュアルではこのような時はとにかく時間を稼ぎ犯人を疲れさせる事が必要だった。
 警部はそれを考えていたのだが、俊介は全く疲れを見せていないのだった。しかし強硬な手段に出るわけには行かなかった。
 伊十郎はチャンスを伺っていた。やはり俊介を捕らえるのは自分の本来の仕事だ。何とか捕縛したいと考えていた。美香が居ない今、後ろで待機している必要はない。伊十郎は取り巻く警官隊に合流した。
「さ、佐々木さん!? 後方で控えてて下さい」
 しかしその時俊介が言った。
「貴様らの魂胆は分かったぞ。いたずらに時を稼いで俺の隙を突こうって手だな? そうは問屋が下ろさないぜ」
 そう言うと俊介は銃を左手に持ち替えた。そして立たせた捜査員を背後から蹴り倒した。と同時に刀を抜いて捜査員の頭を突き刺しに行く。
 伊十郎はジャンプ一番、警官隊を飛び越えてその前に飛び出しながら叫ぶ。
「辞めるでござる!」
 俊介は動きを止めた。
「拳銃を持っているからと言ってもお前の筋は読めておる。もはや勝ち目はないぞ。諦めよ」
「佐々木さん! 危険です。盾の後ろに下がって!」
「お巡りさん方! 危険じゃからしっかり隠れておくのじゃぞ」
「危険なのはおめえだろ!」
 そう言うと俊介は伊十郎に銃口を向けて撃った。しかし伊十郎はそれを読んでいて右に動いていた。
「一発目……」
 俊介が放った弾は伊十郎から逸れ後ろの警官のシールドに当たり跳ね返って何処かへ消えた。
 伊十郎は俊介に向かって走り込む。と、見せかけて重心を落としてそのまま前周りに回った。破裂音。
 弾はそれまで伊十郎の上半身があった空間を走り抜けた。
「二発目……」
「おいおい。全部かわす気かよ」
 伊十郎は回転しながら両手で地面を蹴り上げて上に跳んだ。俊介は伊十郎の着地点を狙って撃った。
 伊十郎はそれも読んでいて、俊介が放つより早く足を屈伸して身体を前に折り曲げていた。そして背中から着地する。
「三発目……」
 その勢いを殺さずに素早く立ち上がった。囲いの後ろから中島巡査が言った。
「佐々木さん! その調子で全部かわしちゃって下さい!」
 伊十郎は俊介と対峙する。
 地面に倒れていた警官は俊介に気付かれないようにそっと向きを変えてそのまま俊介の左足首を掴みにいった。
 しかし俊介はそんな事には気付いていた。伊十郎から視線を外す事なく左足を上げ、そのまま足首を取りに来た警官の掌を踏みつけた。
「折角生かしてやってるんだ、大人しくしてろ」
 そう言うと俊介は素早く刀を鞘に収めた。そして銃を右手に持ち替えた。
「伊十郎、ウロチョロせずに俺を取りに来い! 近付けば的がデカくなって弾も当たりやすくなる」
「良かろう。当てられるものならな」
 しかし伊十郎は俊介が殺気を消してきた事に気付いた。これは厄介だった。今までは俊介の殺気の動きで銃を放つ瞬間を読めていたからだ。
 伊十郎はジリジリと間合いを詰めていった。その瞬間伊十郎は体の力を抜いて重心を左へずらした。と同時に発砲音がして伊十郎の羽織りの袖口に穴が空いた。弾は伊十郎の体ギリギリの所をかすめていった。
「四発目……」
 伊十郎はたいをずらした事でバランスを崩し地面に倒れた。
「今のはやばかったよな」
 動きを止めればやられる。伊十郎は回転しつつ立ち上がり俊介から離れるように走った。しかしそちらは広場の端でその先は海。浮桟橋に向かってジャンプした。
 俊介は伊十郎を視界から外す事を嫌い、瞬間広場の端に向かい走り込んだ。浮桟橋から橋を上ってくる気配が感じられた。
「死ね! 伊十郎!」
 俊介は橋の上にいる伊十郎に向けて銃を撃った。
「五発目……」
 気配を感じていたのは伊十郎も同じだった。橋を上ってきた伊十郎は俊介の気配を察知し橋からその横の桟橋の壁に飛び移っていた。俊介は苛立ちながら銃口を伊十郎に向けて、即座に撃った。
 伊十郎は素早く壁を駆け上がりそれを避けた。
「六発目……」
 俊介は落ち着いて銃口を伊十郎に合わせていった。
「的を大きくしたくば、お主が近付けば良かろう」
 伊十郎は俊介の周りを弧を描くように走っていた。
「伊十郎おおお!」
 俊介は走る伊十郎に向けて一発発射した。そして走り込んで伊十郎に近付きながらもう一発撃った。再びその弾が警察官の構えるシールドに当たり跳ね返る。
「八発目……」
 目の前まで近付いてきた俊介を見て伊十郎は急停止し、木刀を抜いて構えた。俊介はすぐ目の前にいる伊十郎の頭へ向けて銃口を動かした。
 伊十郎は俊介の小手を取りに行く。それを察知した俊介は無意識にそれをかわすように右手を少し外側に動かしてしまった。そして発砲。伊十郎の木刀をギリギリでかわした。
 俊介の放った弾は警官隊のシールドに当たり何処かへ消えた。
「九発目でござる」
「貴様あ」
「頭に血を上らせると見えるものも見えなくなるでござるよ」
 地面に倒れていた警察官が瞬時に俊介に向かって跳んだ。そして再び俊介の足首を取りに行き、今度は掴んだ。
「クッ」
 俊介は反射的に掴まれた足を上げようとしたのだが、掴まれているので上げられずバランスを崩した。
 伊十郎はその隙を突いて俊介の軸足を払った。俊介は完全にバランスを崩して尻餅を突いた。伊十郎は後ろに下がった。
「屑共ぉ」
 俊介は怒りに任せて足首を握っている警官の手を撃ち抜いた。
「十発目!」
 俊介は伊十郎に向けて躊躇わず発射したが、伊十郎は既に俊介に向かって飛び上がっていた。
 俊介は飛んでくる伊十郎に向けて慌てて銃を撃った。その弾は振り下ろした木刀の中程に当たり木刀は破裂した。そしてその弾はそのまま伊十郎の太ももを貫通した。
「ぐはっ!」
 伊十郎はバランスを崩して俊介のすぐ横を転がった。太ももに激痛が走る。しかし伊十郎は痛みに耐えて立ち上がった。撃たれた警官もうめいていた。
「これで弾は全て放ったでござる」
「だが獲物はある」
 俊介は銃を捨てるとゆっくりと腰の刀を抜いた。
「これで終えだな」
 伊十郎は俊介の動きを注視した。しかしその時俊介の向こう、警官隊の包囲網の後ろに美香が見えた。何かを振って見せている。
「よそ見してる余裕、あんのかよ!」
 俊介は伊十郎の隙を見逃さなかった。上段から振り下ろしてくる。
 伊十郎は左へたいをずらしつつ折れた木刀を俊介に向かい投げた。
 俊介は反射的にそれを真っ二つに切った。その刃筋のすぐ横を、倒れ込むように伊十郎が流れていった。
 伊十郎は前に転がり俊介の横を抜け俊介の後ろに回り込む。美香は伊十郎に向けて何かを放り投げた。
 俊介はすぐに振り向いた。伊十郎は背中を向けている。俊介は全く躊躇わず刀を振り上げた。
 伊十郎は美香が投げた物、ベッドの下に隠しておいた伊十郎の真剣を受け取る。背後に俊介の強い殺気を感じる。
 振り向きつつ地面に倒れ込み時間を稼ぎ、俊介の刀を手に取った自分の刀で受けた。
 地面に背中から倒れると同時に太ももに強い痛みを感じた。刀の鞘が割れた。
「ふ、これで振り出しか。だが貴様は足を失っている」
「足は失っておるが寝ていれば関係あるまい」
「おいおい。俺を相手に寝てても勝てるとでも言うのかよ」
「お主ごときこれで十分だ」
「こしゃくな!」
 俊介は伊十郎に向かって連続して刀を振り下ろし続ける。伊十郎は隙を作らずにそれを全て受けて行った。
 俊介は立て続けに刀を振り下ろしたが、息が続かず一瞬動きが止まった。その隙に伊十郎は横に転がり俊介の間合いから離れた。そしてゆっくりと立ち上がり刀を構えた。
「やはりお主とは正面から向き合いたい」
「ふ、どこまでも真面目な野郎だな」
 俊介は刀を右横に構えて伊十郎に向かって走り込む。そして間合いに入るとその刀を横に薙ぐ素振りを見せた。
 伊十郎はその動きに反応し刀を上段に構えた。俊介は次の瞬間、左足で伊十郎の右足を突き蹴った。
「くお!」
 激痛に思わず伊十郎は叫んだ。少しバランスを崩す。俊介はその隙に刀を横に薙いだ。
 伊十郎は痛みに耐えながら刀を縦に下ろし俊介の刀を受けると同時に、負傷した右足を踏み込んで右肩から俊介に体当たりした。
 俊介は思わず後ずさる。しかし伊十郎はそれについて行き刀の柄の裏で俊介の鳩尾みぞおちを殴った。
「ぐぶっ」
 しかし俊介は伊十郎の腹を足で蹴った。伊十郎はバランスを崩して再び仰向けに倒れた。俊介は倒れた伊十郎の腹を片足で踏み付け刀を突き刺そうと構えた。
「これで本当に終いだな」
「さて、それはどうかな」
 その時取り巻いている警官隊から警告が発せられた。
「橘! 無駄な抵抗は止めるんだ。大人しく武器を捨てて投降しろ」
「ふ、あんな奴ら瞬きしてる間に全員ぶっ殺してやるよ」
「お主の腕が立つと言えどもここにいるお巡りさんはざっと十人はおる。拙者はお主の十二発の弾の内一発を食らっている。お主は拙者より上手くお巡りさんの弾を避けられるかな?」
 それを聞いて俊介は少し考え込んだ。それが隙となり伊十郎を踏みつけている足の力が緩んだ。
 伊十郎はその隙を逃さず俊介の足を払い除けた。そして自分の刀を杖代わりに地面に付いて立ち上がる。
 後方へ飛ばされた俊介は足を出して踏み止まり、反射的に伊十郎に斬りかかった。
「捕まるくらいなら死んだ方がマシだぜ」
 俊介は何度も何度も打ち込んだ。伊十郎は太ももの傷のせいで俊介の刀を受け流すのがやっとだった。
 バリケードの内側でそれを見ていた中島巡査が心配そうに言った。
「佐々木さん、太ももを撃たれたせいで本気を出せずにいるんだ」
 伊十郎は俊介の力をうまく受け流していた。怒りに任せて打ち込んでくる俊介の攻撃の形態が一様になっている事に気付いた。
「死ね! 伊十郎!」
 俊介は大きく刀を振り上げた。そして力の限り振り下ろした。
 伊十郎は負傷した右足を後ろに引き、俊介の刀を受けに行った。刀は大きな金属音を上げて交わった。俊介の力は強く、伊十郎は右足に強い痛みを感じた。
 二人の刀はツバとツバが当たり力が拮抗した。
 雨がポツポツ降り始めた。
「濡れたくはねえ」
「なに、すぐに済むでござる」
「そんな足じゃ、お前の方がすぐにこの世とおさらばだぜ」
「明日は美香殿とスパゲチーを食べに行く予定じゃ」
 二人はジリジリと力を入れてゆく。刀が小刻みに揺れカチカチと音が鳴った。
「き、貴様は、拙者には、勝てんぞ! 俊介ーっ!」
 伊十郎は痛む足に、より力を入れて俊介を押し返した。俊介はよろめき、堪らず後ろに転んでしまった。
 伊十郎は素早く詰め寄り俊介の喉元に刀のきっさきを突きつけてそのまま刺し殺そうとした。しかしすんでの所で力を緩めた。俊介の喉から細く血が流れた。
「何故刺さねえ?」
「……この時代は司法社会と言うて簡単に人を殺めてはならんのじゃ」
 その時警官隊から警告があった。
「橘! お前が頼りにしてる暴力団はたった今ボスもろとも逮捕した! もう拠り所はないぞ」
 俊介は伊十郎の刀を手でゆっくりと払う。そしてゆっくりと立ち上がった。
 伊十郎はきっさきを俊介に向けたまま様子を伺った。
 俊介は刀を納めた。
「今回はお前の勝ちだ」
「どうやら頭に上った血が下がったようじゃな」
「だが次に会った時はお前が負ける時だ」
「何!?」
 そう言うと俊介は伊十郎の右太ももを蹴った。
「うぐっ!」
 そしてそのまま振り返り浮桟橋の方へ走り出した。
「待て!」
 しかし俊介は浮桟橋の端まで走り込むとそのまま海に飛び込んだ。伊十郎は警官隊に叫んだ。
「俊介が海に逃げたぞ!」
 警官隊は一斉に駆け寄ってきた。警部が指示を出す。
 美香は伊十郎に駆け寄った。
「伊十郎! 大丈夫?」
「拳銃の弾の衝撃は言葉には出来ぬでござる」
 尾関巡査部長と中島巡査が駆け寄ってきた。
「すぐに救急車が来ます。応急処置をします!」
 程なくして伊十郎は救急車で病院へ運ばれて手当てされた。
     *
 伊十郎は全治六ヶ月の大怪我だった。撃たれた警官も手のひらに穴が開く大怪我を負ったが、どちらも意識があり命に別状はなかった。
 伊十郎を取り巻く人々は、伊十郎を元の時代に戻す方法を模索したり、このままこの時代で生きていく方法を考えたりした。
 無意識の守り神は伊十郎が過去から来た事をネットに流した。その内容については信じる者信じない者それぞれだった。しかし警察の鑑定の結果、伊十郎の衣服が一八〇〇年頃のものである事は揺るぎない事実だった。
 警察はタイムスリップは認めないものの、伊十郎が過去から来たと主張していると発表した。ただ、実際には伊十郎は主張している訳ではないのだが。
 しかし、それを受けて専門家による調査が始まった。精神鑑定や毛髪の検査などが試みられた。
 警察による俊介の捜索は捗らず、俊介の行方は不明のままだった。海へ逃げたのだから何処かで上陸していると見込み、それらしい場所を絞り込んでは防犯カメラなどのチェックをしていたのだが、俊介の影は見えなかった。
 伊十郎は様々な調査を受けたのだが過去から来た事を示す確固たる証拠はなかった。しかし髪の毛による年代測定やMRIによる骨格の調査は江戸時代の人と酷似していた。
 結果として、仮に伊十郎が過去から来たとしても伊十郎を過去に戻す術はない、ならば難民的な扱いとして生活させようと言うことになった。
 伊十郎は超法規的措置により戸籍を得ることになった。このニュースは一時日本中を巻き込んで話題になった。
     *
 伊十郎は国から与えられたアパートから出てきた。今日は久しぶりに美香と会う日だ。この時代の事はケースワーカーに色々教えてもらいだいぶこの時代に慣れてきていた。
 地下鉄に乗って美香の住む浦安へ向かう事も造作もない事となっていた。
 地下鉄が大きな川を渡る。
「おお。江戸川じゃ。今日もいい天気じゃ」
 浦安駅に着くと改札には美香の姿があった。伊十郎に気付き手を振った。
「伊十郎。怪我はどう?」
「お医者様の言うことでは多少痛いが運動した方が治りが早いとの事でござる」
「そう。それは良かった。所で今日はどこへ行く? 何か希望はあるかしら?」
「拙者、スパゲチーが食べとうござる」
「スパゲティー? そんなもんでいいの?」
「うむ。スパゲチーが食べたいでござるよ」
 二人は近くのイタリアンレストランへ向かうのだった。
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