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エングラントの槍編

給仕契約

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 その家、シュバルツ家に生まれた女子はある魔法探究者に仕えるために代々育てられている。魔法探究者とは一般的には魔法使いと呼ばれている者だ。魔法の研究をしている者の事を魔法使いと呼ぶが、当の魔法の研究者は自分達の事を魔法探究者と呼んでいた。
 シュバルツ家の娘は二十歳になるとその魔法探究者の元に送られる。そして身の回りの世話をするのであった。
 しかしここ数十年、その魔法探究者はシュバルツ家の女子を連れて行く事は無かった。だから今の代のシュバルツ家では過去に娘を一人授かったが、その娘も魔法探究者の所に送る事は無かった。
 ミカがシュバルツ家に生まれた時、やはり魔法探究者に仕えるべく儀式を行った。しかし父も母もそれは単なる儀式でしかないと思っていた。
 魔法探究者の給仕としての修行は、一般的な家事や炊事などの躾の他に精神力を鍛える訓練が行われる。強い精神集中を行うことで、魔法に対する耐性を付けていくのである。
 ミカもその姉と同様魔法探究者に仕えるために、精神力の鍛錬も行われた。もちろん異性との恋愛はご法度。決められた主人に仕える事が第一条件だった。
 ミカが二十歳になる前日の深夜。
 ミカは旅支度を済ませてダイニングにいた。家族も揃って食卓に座っていた。
 慣わしでは二十歳の日を迎えると魔法探究者が現れてそのまま娘を連れて行くと言う。代わりにシュバルツ家には十分な財宝を置いていく。
 今の代になって、つまりミカの父が家長になってから、ここで魔法探究者は現れず、ミカの姉はその後幸せな結婚をして暮らしていた。ミカの十歳上の姉だ。その事から、いつしかシュバルツ家ではこの最後の儀式を"解放の儀式"と呼んでいた。
 時計の針が深夜零時を迎え壁掛時計の鐘が鳴る。ふと風が舞い込んで燭台のロウソクが数本消えた。慌てて使用人が灯りを灯す。
 その時窓の方から声がした。
「ミカ・シュバルツ様。主人の命によりお迎えにあがりました」
 皆は一斉に声の方を見る。窓枠にワインボトル程の大きさの羽の生えた生き物が立っていた。深くお辞儀をしている。
 家の者達は驚いた。まさか迎えが来るとは思いもよらなかったからだ。
 ミカの父親がやっと声を出す。
「お前は誰だ?」
「私はシュタイン様の使い魔リートでございます」
 使い魔とは主に魔法探究者などが何かの仕事を手伝わせる為に使役させる精霊などの事だ。主従関係があるが対等な態度を取る事も多い。
「シュタインだと? まさか、本当に魔法使いがいたのか」
「はい。では行きましょう、ミカ様」
「ま、待ってくれ。ミカを連れて行かないでくれ」
 基本的に魔法探究者の元に連れて行かれた者とはその後会う事がない。しかしそれは物理的に会えないのではなく居場所が分からないと言う意味であり、契約的に縛られているわけではない。
「それは出来ません。私の今宵の仕事はミカ様をシュタイン様の元へ連れて行く事」
 ミカは驚きのあまり声が出せなかった。リートと名乗った使い魔はミカの所へパタパタと飛んで行き言った。
「さ、参りましょう」
 そう言うとミカの手を取った。ミカは両親の方を見て目で助けを求めた。
「待ってくれ!」
 父親はリートの体に触ろうと動いた。咄嗟にリートは言った。
「私の体に触れると言うなら大変な目にあいますよ」
 そして父親の方を向いて口をニヤリと開いて笑ってみせた。
「ご理解されてないのか失念されているのか、シュバルツ家は今より百八十六年前、とある事情で我が主シュタイン様と契約を結びました。シュバルツ家の問題を解決してあげる代わりに給仕契約を結びました」
 何代か前のシュバルツ家の当主がシュタインと呼ばれる魔法使いと何かの事情で給仕契約を結んだのだ。
「つまりシュバルツ家当主が約束した事なのですよ。言わば義務。ミカ様を家に留めておきたいと言うのなら契約の不履行で、この家に関わる者を皆殺しにする事になりますが、よろしいですか?」
 そう言うとリートは左手の手のひらを上にして前に差し出すと、手のひらの上に紫色の小さな炎を発生させた。
「精霊と言うのは人間と違って霊力が強いですから、呪文の詠唱なしで魔法が使えるのでございます」
 父親はどうして良いのか分からなくなった。しかし他の家族の命と引き換えならミカを差し出すより選択肢はない。
「お父様……私行きます。結局私達のご先祖様がしてしまった事。約束を破るのは私達の汚点となります」
 父親は悲しそうな目でミカを見た。
「でもリート、契約の改定を要求するわ。もうこの馬鹿らしい契約を私の番で終わりにしたいの」
「それは私には決められない事でございます」
「ではその話が出来る所へ連れて行きなさい。話をしてみましょう」
「それは私が受けている命と同じ事なので構いません」
 ミカは自分がこの馬鹿げた儀式の最後の一人になろうとしてるのだった。徐ろに家族の元に歩いて行き抱きしめ合った。
「お父様お母様、お別れです。でももうこの馬鹿げた儀式が繰り返されないように話し合ってみます」
「私がふがない父親であるばっかりにかたじけない。頼んだよミカ」
「元気で暮らすのよ」
 一通り別れの言葉を交わし合うとミカはリートの所へ進み出た。
「さあ行きましょう」
「はい。では門の前に停めてある馬車の所まで飛びますよ」
 ミカは、馬車で行くのかと思った。だったら普通に門から入ってくればいいのに、と。
 リートはミカの手を軽く握り窓辺に誘い、空を見た。
 月には流れる雲がかかっていた。
「行きますよ、ミカ様」
 すると徐ろにリートがジャンプした。ミカはそのリートの手に引っ張られるように一緒に飛び上がった。
「これは現代魔法学では浮遊と言われてる魔法でございます。私の翼で飛んでいるのではありませんよ」
 二人の体はグングン上空へと上がっていく。
「私の翼で飛ぶには人間の体は重すぎますのでね」
 ある高さまで上るとそこで上昇は止まった。屋敷が一望できる程度の高さだった。
 雲が月から離れて辺りが明るくみえてきた。
 そして今度は正門の前に停まっている馬車めがけて降りて行った。スーッと加速して降りて行き地面が近くになると減速してふわっと馬車の前に降り立った。
 馬車は二台あり、片方は荷車だけで馬は繋がれていない。もう片方は二頭立ての馬車だ。
「荷車はシュバルツ家への贈り物です」
 リートが馬車のドアを開ける。
「ちょっと待ってリート。この馬車には御者がいないの?」
「はい。御者がいなくてもウェザーとリーは道を知っていますし、そもそも道など必要ありませんゆえ」
 それは馬車に繋がれた馬の事だった。
「馬が道を知っている? 道が必要ない?」
「はい。さ、馬車の中へ」
 ミカは少し不安だったが馬車に乗り込んだ。
「私は二頭を監視しますので外におります。何かありましたらお呼びください」
 なんだ。結局リートが御者の役もやると言う事か。ミカはそう思った。
「私が御者の役をやる訳ではないですよ。あくまで道が正しいか仕事をサボって水を飲んだり草を食べたりしないか、そう言った事を監視します。では出発致します」
 ミカは自分の心が見透かされたようで驚き不気味に思った。外で声がする。
「ウェザー、リー、行くよ」
 すると馬車はゆっくり動き始めた。
 暫くはミカも知ってる道を走っていた。やがて街道に出てそこを南に向かって馬車は走った。そして畑が続く道になった。月が蒼く辺りを満遍なく照らしていた。
「このまま南の道を行くのかしら」
 すると馬車は徐ろに街道から逸れて畑の中に入っていった。ミカは驚いた。更に馬車は右へ左へと道なき道を進んだり、そうこうしているうちに違う街道まで出てきてしまったりした。
 一体何で道なき道を行くのか分からずミカはただ外を見ていた。
「あれ? この辺りはさっき通った所だわ」
 ミカは馬車がクネクネと進みながら、実は同じ所をあっちへ行ったりこっちへ来たりを繰り返してるだけだと言う事に気付いた。
 道を知ってるとか言って、あの馬たち適当に走ってるだけなんだわ。そしてそれを監視すると言ってたリートは何をしてるのかしら。
 いい加減同じ道を行ったり来たりするのに嫌気がさして、ミカは小窓を開けてリートに言った。
「リート、まさか寝てるんじゃないわよね。さっきから同じ所を行ったり来たりよ」
「起きてますよ。今"転送型魔法陣"を描いてるんですよ」
「転送型魔法陣?」
 リートはそれ以上語らず馬車を進めた。暫くして馬車は止まった。
「今度は何?」
「今描いた魔法陣の真ん中にいます。これから主のいる屋敷に繋がる道を作ります」
 そう言うとリートは少し上に浮かんで何やら呪文を唱え始めた。
「エリムナード ガラドヤート サルサナ 光の草原より誘いたまえ。ふぅ、人間の呪文は唱えにくい。開け門、示せ道!」
 魔法探究者は魔法を使う時に呪文の詠唱を行う。しかし本来精霊や天使のような超生物は持っている霊力も強いので呪文の詠唱無しに魔法を発動する事が出来る。
 今回のように精霊も人間が使う魔法を真似して使うこともできる。その際は人間と同じように呪文の詠唱が必要になる。
 リートが呪文を唱え終わると辺りの道が薄緑色に光り出した。そして馬車はゆっくりと上空へ上がり始める。
 ミカは窓の外を見てみた。するとこの辺りの土地周辺に何やら模様が描かれている。それが薄緑色に輝いていた。
「これは転送の魔法陣ですよ。主の住処は基本的に結界に守られているんです。その結界の中に入るには、いくつかの方法があってその一つが転送型魔法陣なんですよ」
「魔法陣って何よ?」
「地面などにある模様を描くのです。それが魔力の増幅を促す形になっているのです。強力な魔法を使う時に描くんですよ」
 魔法陣は現代魔法学では賛否があるが符呪魔法に分類されている。ある特殊な模様を描くことで地霊を呼び魔力を増幅することが出来る。増幅された魔力を利用してより強力な魔法を唱えたり、超生物を召喚したりできる。
「良く分からないわ。で、今はなんで飛んでいるの? さっき家から出る時そのまま飛んで行けば良かったのに」
「言ったでしょう。主の屋敷は結界で覆われているんです。そこに魔法的な道を接続しなければ中には入れません。それには多くの魔力が必要になるんです。私の魔力では足りない。だから魔法陣を使って魔法の増幅をしたんです。さ、もうすぐ上昇点ですから亜空間に入りますよ」
 すると馬車の周りがすうーっと真っ暗になり、続けて光の粒が前方からいくつも流れてきた。まるで流れ星がたくさん流れてきているようだ。それはほんの数秒続いた。流れ星が全て流れ去り真っ暗な空間になった。そして少しずつ景色が戻った。
 辺りは再びどこかの上空。空には雲一つなく青い月が浮かんでいた。
「降りますよ」
 今度は馬車はゆっくりと降下していった。そのまま大きな屋敷の庭に降りた。
「大きなお屋敷ね。ここに魔法使いがいるの?」
「はい。主人のシュタイン様のお屋敷でございます。シュタイン様! シュタイン様! ミカ様をお連れしましたよ」
 リートは馬車を降りドアを開けてミカを外へ誘った。ミカが降りると屋敷の屋根の方から声がした。
「ここで一部始終を見てたよ、リート」
 屋根の上には月明かりに照らされた細身の男が立っていた。ミカはすぐにそれがシュタインだと分かった。これから自分が務める主人だ。本来ならば礼儀正しく挨拶をしなければならない所だが。
「……」
「今そっちに行くから待っててくれ」
 するとその男は徐ろに空中へとジャンプした。
「オブザード マ ザード 解き放て」
 男は何やら呪文を唱えた。男の体はゆっくりと地面に落ちて行く。
 そしてミカ達のいる馬車より十メートルくらいの所に降りた。そこからは歩いてミカの所に近づいて来た。
 近くで見ると魔法使いと言うより冒険家の様な出で立ちだ。中折れ帽を被り腰までの短い外套を着けている。足には何故か女性が履くようなロングの巻きスカートをズボンの上に巻いている。何か違和感のある格好だ。
「ようこそ我が家へ。ミカ」
「あ、あなたがシュタイン?」
 リートがすかさず口を挟む。
「ミカ様、お言葉遣いをお気にして下さいませ」
「構わないよ。話しやすい話し方でいい」
「しかし他のものに示しがつきません。ミカ様はこのお屋敷で一番下の女中になるのですから」
「悪いけど、僕が今回シュバルツ家から娘を連れて来たのは給仕を増やすためじゃない、弟子を作るためだよ」
「弟子ですと⁉︎」
 どうやらリートも初めて聞いた話のようだ。そもそも使い魔にはそのような事は話すはずもなかったが。
「シュタイン様は今まで弟子など取らない主義でしたよね。それが何故また」
 魔法探究者にも色々いるが、基本的には何人かの弟子を取るのが普通である。弟子は身の回りの事をしながら魔法学について勉強して行くのである。
 シュタインは過去に何人かの女子をシュバルツ家から連れてきているので身の回りのことは大丈夫と言う事だろうか。
「まあ僕ももう歳だからね。そろそろ研究成果を次の世代に引き継ぎたいのさ」
 リートはとても驚いていた。ミカは不思議に思った。シュタインはどう見ても三十歳くらいにしか見えない。
「弟子としてミカ様を連れて来たとなると、契約違反に」
 その言葉を聞いてミカが思い出して言った。
「契約と言えば、シュタイン。この馬鹿げた契約を私で最後にしてもらえないかしら? 契約違反?」
 リートは気まずそうに言った。
「ミカ様は給仕としてこの屋敷に連れて来られる契約です。弟子となればまた話が変わってきます」
「そうなの?」
「それよりもミカ、自分が最後とはどう言う事かな?」
 ミカは給仕契約などと言う馬鹿げた契約は自分の代で止めて欲しいと訴えた。
「ふむ。ならばこうしよう。君が弟子として我が屋敷に来てくれるなら、給仕契約は君で最後だ」
「構わないわ」
「話は決まったね。リート。ミカを部屋に連れて行っておくれ。今夜は遅い。もう寝るがいい」
 リートはミカをとある部屋に連れてきた。燭台の火を部屋の燭台に移しながら言った。
「お弟子さん用の部屋ですよ。窓も付いてます。ここであなたはこれからの生活を始めます。家具は使って構いません。何かあれば言ってください。給仕の者なれば誰でも構いません」
 そう言うとリートは部屋を去った。
 ミカは落ち着いて今夜の出来事を思い返した。自分がまさか本当に魔法使いの所へ連れてこられてしまうとは。そして魔法使いの弟子にされてしまうとは。家族や友達の事を思うと胸が苦しめられた。
 まさか本気じゃないだろう。もし本気だとしても寂しくなったら家に帰ればいい。ミカは簡単に考えていた。
 シュタインの言う通り今夜はもう遅い。とにかく寝よう。ミカは燭台の火を消してベッドに横になるのだった。
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