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序章

お迎え

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 私の名前はいつの間にか正式に「紫音」となっていた。

 私は2週間後に病院を退院し、児童養護施設に保護された。

 私は何一つ私物を持っていなかったので、私は養護施設の人が用意してくれた服に着替えて病院を退院した。

前に過ごした児童養護施設とは違っていたが、似たような造りとなっていた。

 2階が居室となっており、私にあてがわれた部屋は4人部屋だった。私の勉強机やベッドはガランとしていたが、同室のほかの3人の机には家族の写真やぬいぐるみなどの可愛らしいものが飾られている。

 何となく部屋に居づらかった私は、養護施設で過ごす時間の大半をピアノが置かれている体育館で過ごしていた。

 体育館に置かれたピアノの型は古いものだったが有名ブランドのピアノで、職員の一人が近所の人から寄付されたものだと説明してくれた。

 そのピアノは日差しがさす場所に置かれ、上には花が活けられた花瓶が置かれていた。

 私はその花瓶を体育館の床の上にそっと置き、ピアノを日差しが当たらない場所へと移動させる。

 ピアノの鍵盤は湿気を吸ったからか少し重たく、鍵盤が戻るのが少し遅く感じる。調律も少し外れているが、久しぶりにピアノに思わず頬が緩む。

 しかも、母親の存在を気にしなくていいおまけ付きだ。

 私は訛っている指の運動と、このピアノに慣れるためにツェルニーの練習曲を順番に弾いていく。

 指慣らしの曲としてはハノンが有名だが、曲として指をならしたい私はいつもツェルニーを弾いて指を慣らしていく方が好きだった。

 50番台まで弾いたところで、右肩に重さを感じて視線を向ける。

 笙真くんが私の肩に頭を預けるようにして、目を瞑っている。

 私はピアノを弾きながら、「笙真くん?」と話しかける。

 笙真くんは小さな声で「続けて」と言ったきり、目を開けようともしなかった。

 私は大きくため息を吐く。

笙真くんの目には濃い隈が浮かんでいて、疲れ切っているようだった。

それでも肩まで伸びた綺麗な髪の毛はきちんと整えられ、黒のベストに白いワイシャツ、紫のチェックのカジュアルタイ、黒いズボンを身に着けた笙真くんはまるで結婚式に出席する新郎のようだ。

少し弾きにくかったが、笙真くんのために落ち着いた曲を選んで弾いていく。

大好きなリストの日本語で「慰め」という意味の『コンソレーション』全6曲、ショパン唯一の『子守歌』、鉄板のベートーヴェン『月光』も忘れない。

一通り曲が弾き終わったところで、笙真君が頭を上げていてじっとこちらを見ていることに気が付く。

あまりにもじっと見つめるので、私は思わず手を止める。

私たちは少しの間、見つめ合う。

「ねぇ、紫音」

ニコリと笙真くんが笑う。

 笙真くんの笑顔はあのボロアパートで見た時よりも傷ついているように思え、私は首を傾げる。

「何?」

「僕と一緒に暮らそう」

 再び笑った笙真くんの笑顔は公泰の無理して笑った顔にそっくりで、ぎゅっと心が締め付けられる。

 昔からその笑顔に弱かった私は、笙真くんの頼みを断ることができなかった。だって、私が断ったらもっと笙真くんは傷つくから。

 ふと笙真君から視線を外せば、体育館の入り口には磐井夫妻の姿があり、その後ろには胸にひまわりと天秤のバッジをつけた弁護士が三人立っていた。

磐井夫君の手にはここの養護施設の名前が書かれた書類が握られている。

私はこうして、磐井家に里子として過ごすこととなった。

緊張している私とは違い、ウキウキとして私の手を引く笙真くんはとても幸せそうだ。

誰もが知っている高級車の中には、笙真くんと同じ年ごろの男の子が二人ちょこんと座っていた。

二人のうちどちらが公泰くんなのかすぐに分かった。

七歳の公泰くんはとても可愛らしくて、緊張がほぐれていくのを感じた。

公泰くんは笙真くんとは違いラフな格好をしていて、薄いベージュのセーターにデニムシャツを中に着込んでいて焦げ茶色のズボンを着込んでいた。

顔には私に対する好奇心が浮かんでいる。

公泰と笙真くんは一卵性だからかそっくりでハンサムな父親に似ていた。

その二人に比べたら母親に似た侑大くんは不貞腐れた表情を浮かべており、私の方を見ようとはしなかった。

侑大くんもラフな格好で、デニムのジャケットにホライズンブルーのロングティー、公泰くんと同じ焦げ茶色のズボンを着込んでいた。

ボーダーシャツにデニム姿の磐井夫人に、クリーム色のセーターにデニムの磐井夫君。

ラフな磐井一家の中で笙真君のファッションは浮いており、私はそのことがおかしかった。

「笙真くんって、いつもそんなにかっちりとした服装してるの?」

 私の笑顔に、安心したように笙真くんは心外だと言わんばかりに目尻を下げる。

「いつもは違うよ」

 首を傾げる私に笙真くんはとてもきれいな笑顔を浮かべる。

「紫音を迎えに来たからだよ」 

笑顔にどきりと胸が弾み、セリフに顔が赤くなるのを感じた。

立派な車に乗せられ到着した磐井邸は白亜の豪邸でまるでヨーロッパのお城のようだった。
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