上 下
5 / 31
序章

抵抗

しおりを挟む
 階段を登る足音が近づくたびに、笙真君が私の手を握る力が強くなる。

「大丈夫、絶対私が助けてあげるからね」

 私は笙真君と玄関の間に立つ。

「私があいつの気を引くから、笙真君は振り返らずに逃げてね」

「…君はどうするの?」

「笙真君はお母さんに、家族に会いたいんでしょ?」

 笙真君が押し入れの中で、静かに家族の名前を呼びながら泣いているのを私は知っていた。

 絶対笙真君を家族のもとに、公泰のもとに帰すんだ。

「うん、会いたい」

「だったら、私のことは気にしないで階段を一気に駆け下りてできるだけ遠くに逃げて!そして、助けてくれそうな人に助けを求めてね」

「でも…」

「大丈夫、私が死んでも誰も悲しまないから」

 鍵が鍵穴に差し込まれ、ゆっくりと鍵が廻される。

 笙真君がなにか言ったが、私の意識は誘拐犯に飛び掛かることしか頭になかった。

 扉が開いたとともに私は誘拐犯の足元にタックルをぶちかます。

「うわぁ!」

バランスを崩した誘拐犯に馬乗りになり、包丁を突きつける。包丁を持つ手が震えてどうしようもないが、笙真君が逃げる時間が稼げればいいのだ。

「笙真君!」

 笙真君は動かない。

「早く!」

 そう私が怒鳴ると、笙真君は何度も振り返りながら階段を駆け下りてゆく。

「なんだてめぇ!どけよ」

「動かないで、動いたら…」
 男は私が思っていたよりもだいぶ若く、まだ大学生の様にも見えた。流行りのファッションに身を包んだ男は、とても誘拐殺人犯には見えなかった。

「動いたらなんだっていうんだ?そんな震えた手で人を刺せると思ってるのかよ!」

 誘拐犯は私の腕を軽々と掴むと、腕をひねり上げる。

 あまりの痛みに声すらも出ない。

「痩せたガキが大人に叶うと思ったのか?お前、隣の女のガキだろう?」

 手が痺れてきて私は包丁を地面に落としてしまった。

 包丁を落とした私を満足そうに眺め、包丁に手を伸ばした私の手を足で踏みつける。和反対の足で包丁を遠くに転がしたため、私の手に男の全体重が乗る。

あまりの痛さで悲鳴を上げる私を、男は蹴り飛ばす。

「ガキに逃げられたが、まぁ、いい。もうすぐ飛行機の時間だからな。警察が動くころには終えはもう飛行機の中だ」

 お前をどうしてやろうか?可笑しくてたまらないというように男は笑った。

「このまま首を絞めるのも楽しそうだな」

 男の手が首に回され、私の首を絞める手に力を籠める。私に馬乗りになった男性は楽しそうに力を籠めたり緩めたりと、私の反応を楽しんでいるようだった。

 必死になってもがき男の手にありったけの力で爪を立てるが、男の力は強く苦しさと痛みで意識が朦朧なる。

「その子を放せ!」

 男の力が緩み、涙でぼやける視界に男を殴る笙真くんが映し出される。

 笙真くんの綺麗な顔は鼻水や涙でぐちょぐちょに汚れていて、勇気を振り絞って私のために戻ってきたんだとわかった。

「どう…し、て?」

「バカな奴だな。助けも求めずに戻ってきたのか?」

 男は私の首から手を放し、笙真くんの頭を掴む。

「お前を誘拐してからずっと、どうやって殺してやろうか考えてたんだ。お前は。どうやって殺されたい?まぁ、お前は簡単には殺してやらないけどな」

 気が付くと私の手は包丁を握り男の背中を刺していた。

 ダウンジャケットから羽毛が飛び散り、ダウンジャケットのシルバーがゆっくりと血の色の変わっていく。

「てめぇ!」

 男が怒鳴り、私を掴もうとする。

 私は包丁を男から抜き取り、男がそれ以上近寄れないように包丁を前に突き出す。

「お前から先に殺してやる!」

 男が私に飛び掛かろうとした時だった。

 笙真くんが男に体当たりし、男は階段に突き飛ばされ、転げ落ちるように階段から転がり落ちていった。

 私たちは再び互いに手を取り、ゆっくりと階段下を見下ろす。

 男は階段下にうずくまって動かない。

「どうしよう、私、人を殺しちゃった」

 震える私の体を笙真くんが抱きしめる。

 笙真くんの体も冷え切っていたのに、抱きしめられたところから徐々に熱を取り戻していく。

 私の顔も笙真くんと同じように、涙や鼻水まみれになっているに違いない。

 笙真くんに触れようとして、私は自分の手が血まみれだということに気が付く。私は抱きしめようとした手をそっと戻す。

「どうして、戻ってきたの?」

「君が死んだらボクが悲しいからだよ」

 私は笙真くんの首に頭をうずめ目を瞑る。

「…ありがとう」

 私たちは長い間話さなかった。

 黙って互いの鼓動と呼吸、そして体温をただ感じていた。

「僕ね、君の名前を考えたんだ」

「名前?」

「うん、名前。しおんってどうかな?紫に音って書いて、しおん」

「しおん?」

「うん、紫音」

「どうして、紫音?」

 そう尋ねても笙真くんは答えてくれなくて、ただもっときつく抱きしめられただけだった。

 紫音。

 笙真くんが私のために考えてくれた名前。私だけの名前。

 以前の預けられた施設から単純に決められた名前ではない。私のために考えられた名前。

 私は笙真くんの肩に顔を預けたまま、いつの間にか気を失っていたようだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢なお姉様に王子様との婚約を押し付けられました

林優子
恋愛
前世を思い出した悪役令嬢なジョゼフィーヌは妹エリザベートに王子の婚約者役を押し付けることにした。 果たしてエリザベート(エリリン)は断罪処刑を回避出来るのか? コメディです。本当は仲良し姉妹です。高飛車お姉様が手下の妹と執事見習いのクルトをこき使って運命を変えていきます。

【R18】ファンタジー陵辱エロゲ世界にTS転生してしまった狐娘の冒険譚

みやび
ファンタジー
エロゲの世界に転生してしまった狐娘ちゃんが犯されたり犯されたりする話。

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

アルファ喪女は発情中のオメガ男子に子種を求められています

M
恋愛
私はアルファとして生まれた貴腐寺院 喪子(きふじいん もこ)。 オメガ男が発する強烈なフェロモンのせいで私は常時発情中だった。強すぎる性欲に毎日悶々としていた私の前に突然、天使のようなオメガ美少年である処田 尾芽牙(しょた おめが)が現れる。彼は番のいないフリーのアルファやベータを性別問わず強く惹き付けるフェロモンを常に出してしまうため、アルファである私と番になることを要求してきた。オメガはアルファと番になることでフェロモンを放出しなくなる。だからアルファと番になりたいのは分かるけど、どうして私なの⁉︎ アルファ喪女×オメガ男子の変態劇がここに開幕! ※オメガバースという性別設定を使用しています。逆アナル、喪女×男の子、男がアンアン喘ぐ、男性妊娠などの各種特殊性癖要素を含みます。ムーンライトノベルズにも同作を公開中。

気高く頼りがいのある馬の王族たちがまさか快楽堕ちしてしまっているなんて…

あるのーる
BL
数多の種族が存在する世界で、国を治めるケンタウロスの王族たちがそれぞれ罠に嵌められて快楽堕ちしていく話です。短編集となっています。 前の3話はそれほど繋がりがなく、後の話はそれぞれの後日談などとなります。 前4話はpixivに投稿したものの修正版となります。

【完結】令嬢が壁穴にハマったら、見習い騎士達に見つかっていいようにされてしまいました

雑煮
恋愛
おマヌケご令嬢が壁穴にハマったら、騎士たちにパンパンされました

悪役令嬢は、あの日にかえりたい

桃千あかり
恋愛
婚約破棄され、冤罪により断頭台へ乗せられた侯爵令嬢シルヴィアーナ。死を目前に、彼女は願う。「あの日にかえりたい」と。 ■別名で小説家になろうへ投稿しています。 ■恋愛色は薄め。失恋+家族愛。胸糞やメリバが平気な読者様向け。 ■逆行転生の悪役令嬢もの。ざまぁ亜種。厳密にはざまぁじゃないです。王国全体に地獄を見せたりする系統の話ではありません。 ■覚悟完了済みシルヴィアーナ様のハイスピード解決法は、ひとによっては本当に胸糞なので、苦手な方は読まないでください。苛烈なざまぁが平気な読者様だと、わりとスッとするらしいです。メリバ好きだと、モヤり具合がナイスっぽいです。 ■悪役令嬢の逆行転生テンプレを使用した、オチがすべてのイロモノ短編につき、設定はゆるゆるですし続きません。文章外の出来事については、各自のご想像にお任せします。 ※表紙イラストはフリーアイコンをお借りしました。 ■あままつ様(https://ama-mt.tumblr.com/about)

西谷夫妻の新婚事情~元教え子は元担任教師に溺愛される~

雪宮凛
恋愛
結婚し、西谷明人の姓を名乗り始めて三か月。舞香は今日も、新妻としての役目を果たそうと必死になる。 元高校の担任教師×元不良女子高生の、とある新婚生活の一幕。 ※ムーンライトノベルズ様にも、同じ作品を転載しています。

処理中です...