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第六章 狂気は恐ろしくも時に甘く
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話が一段落したところで、部屋が沈黙に包まれる。
眉を八の字にし、口元をきつく引き結んだ孝之さんの固い表情は、まるで余命宣告をされるんじゃないかというくらい悲壮だ。
その気持ちが判らないではない。
詳しくは明かせないもののうちの会社から法律事務所に何かしらの依頼があって、たぶん事実確認か何かのために孝之さんがブロンシェの新入社員だと偽ってやって来たんだろう。
事情を知っていたのは社長、支配人、……吉田課長は微妙だな。
調査対象は藤倉部長で、眠らされたり盗聴器の件を考えると俺に危害を加えようとしていることが推測されたから孝之さんが護衛代わりに傍にいた、というのが現時点での俺の理解。
なるほど、身分を偽っていたという点では「嘘を吐いていた」ことに違いはないのだろうが、六年半前に出会っているのは紛れもない事実で、ブロンシェに俺がいるとは知らなかったのも事実で、護衛対象が俺だと知って守ろうとしてくれたのも彼の本心だったと思う。
だから、嘘を吐いていたことを彼が気に病むのを否定する気はないが、そのことで俺の気持ちが変化したわけでもなし、責めるつもりは毛頭ないのだ。
なのに。
孝之さんはしばらくの沈黙を経てどう俺の気持ちを推し量ったのか、苦しそうな声音で告げる。
「いまからでも、家に帰るか?」
考えてもみなかった提案に目を丸くしている間にも彼は言葉を繋ぐ。
「……こんな、いま一番被害を受けているのは君なのに、会社は名前に傷が付くのを恐れて穏便に事を済ませたいと思っているし……俺も、それに協力している」
「――」
「騙すつもりなどなかった。……が、結果的には同じだろう。君の嫌がることはしないが、一緒にいるのも苦痛ならすぐに」
「待っ……てください」
「もちろんだ。ゆっくり考えてくれていい」
孝之さんは気遣うような優しい声で応じてくれるけど、……違うよ、そうじゃない。
なんでだろう。
俺がおかしいのかな。
まぁそうだね。童貞だし、付き合うどころか今まで告白だって経験のないお子様だ。あんな熱烈な告白を……告白で間違いないと思っているんだが、あれも経験が乏し過ぎるが故の勘違いだとしたら辛いのだけど。
……えー……と、とりあえずどうしたらいいかな。
大胆に迫っても大丈夫だろうか。
それくらいには好かれてるって……さっきの話を聞いたら、少しくらい自惚れても良いと思うんだ。
「……孝之さん」
呼び掛けると、遠慮がちに顔が上がり、視線が絡む。
「実はずっと我慢していることがあるんですけど、言っても良いですか」
「っ、ああ、当然だ。君にはいろいろと言う権利があると思う」
まるで悲壮な覚悟を決めたような顔をされて、悪いと思いつつも吹き出しそうになってしまった。本当は弁護士なんていう、ものすごく頭が良くなきゃなれない仕事をしている人で、しかもカッコ良くて、凛々しくて。
もっと偉そうにしていたって良いのに、俺の言葉一つで顔色を変えてしまう。
ずっと俺に会いたかったって。
攫いたかったって。
それは、気が狂いそうなほどに。
「孝之さん、……あなたとキスがしたいです」
「――」
「いまの、この距離が」
スクエア型の小さなテーブル一つ分の距離が。
「すごく寂しいです」
「……奏介」
躊躇うように伸ばされた手が頬に触れるのを素直に受け入れて、目を閉じる。
ふに、と。
触れるだけの軽い口付け。
「……寮じゃないし、ここは盗聴されていないし」
「っ」
俺は孝之さんの胸倉を掴んで立ち上がった。
バランスを崩し倒れるようにソファに戻った彼に迫るべくスクエア型のテーブルに膝から乗り上げて、襲う。置いてあったペットボトルが倒れて落ちるが蓋を開けてないから問題ない。
証拠の盗聴器も、まぁ壊れる事はないだろう。
それより押し倒すなんて真似は初めてで心臓が今にも爆発しそうなくらい騒がしいし、なのに「もっと、もっと」って心が騒ぐ。
おかしいよね。
けど、欲しいんだ、この人が。
テーブル一つ分の距離なんて蹴飛ばしたくなるくらい、いますぐに。
「奏……!」
「バスで眠ってる孝之さんとか、シャンプー、さっきの、匂いの話も、ずっと、ずっと……あなたに触りたくて、ずっと」
ムラムラしていた、とはさすがに言い難くて躊躇ったら、その隙に口を塞がれた。
「んっ……」
深く重なるだけで一度は離れるも、すぐに肉厚の舌が俺の唇を舐めてから奥へ侵入して来た。
「ん……ふ……んぅっ」
孝之さんはキスしたまま立ち上がると同時に俺の腿の後ろに腕を回してあっさりと抱え上げたかと思うと、向きを変えてすぐ横のベッドに投げ出した。
「いっ……」
「……人の気も知らないで……煽るなと言っただろう」
「っ……俺を、家に帰そうとする人ですからっ、はしたなくたって、誘惑しないと、いま、此処にこうして二人きりになったって手を出すつもりないんでしょう……!」
「それは……君が、怖い思いをしたばかりだから」
「全っ然、これっぽっちも、気にしてませんけど⁈」
「は……」
「俺は寝ていただけで、孝之さんに守ってもらいました!」
あの人が社会人としていろいろ足りてないのはとっくに知っている。
詳しいことは教えられなくたって、あの人が犯罪めいたことに手を出していても「やっぱりな」という感想しか出て来ない。
ホテルが対面を気にするのは当然だし。
仕事がなくなったらあのホテルに居る人全員が死活問題だよ。
それは俺も同じだ。
そもそも孝之さんのおかげでほぼ無傷の俺が、なんの文句を言えって?
「夜中に部屋に忍び込んで何をしようとしてたとか、盗聴器で何を聞いてたかとか、考えればそりゃあ気持ち悪いですけど、でも……そんなことより、孝之さんがこの六年半どういう気持ちでいたのかって……それを聞かされて、もう、自分じゃどうしようもないくらいぐちゃぐちゃになってるの、責任取ってもらわないと、辛い……!」
「奏介……」
「孝之さんがしてくれないならトイレ籠って一人で処理します、孝之さんの名前呼びながら一人でイキまくってもう二度と本人には触らせません……!」
「なっ」
絶句した孝之さんが固まるのを見て、このままじゃ埒が明かないと思い彼の下から出ようとした。と、腕を掴まれて完全に組み敷かれる態勢に。
「……君は、なんて脅し文句を」
「孝之さんが悪いんですよ……っ、俺は、ここまで言っても、我慢されちゃうくらい魅力ないですか……好きって、そういうことしたいって気持ちは含まないですか? 恋人じゃなくて友達の好きでしたかっ?」
「っ……逆だ……この六年半、俺が、君でどんな想像をして来たか知らないからそんな事が言えるんだ」
「だったら……教えてくれればいいじゃないですか……っ、全部、ここに、本人がいるんだから!」
言い放ったら、孝之さんはしばらく驚いた顔で此方を凝視していたけれど、いつしかくしゃりと顔を歪めて、微笑った。
やっと笑ってくれた。
眉を八の字にし、口元をきつく引き結んだ孝之さんの固い表情は、まるで余命宣告をされるんじゃないかというくらい悲壮だ。
その気持ちが判らないではない。
詳しくは明かせないもののうちの会社から法律事務所に何かしらの依頼があって、たぶん事実確認か何かのために孝之さんがブロンシェの新入社員だと偽ってやって来たんだろう。
事情を知っていたのは社長、支配人、……吉田課長は微妙だな。
調査対象は藤倉部長で、眠らされたり盗聴器の件を考えると俺に危害を加えようとしていることが推測されたから孝之さんが護衛代わりに傍にいた、というのが現時点での俺の理解。
なるほど、身分を偽っていたという点では「嘘を吐いていた」ことに違いはないのだろうが、六年半前に出会っているのは紛れもない事実で、ブロンシェに俺がいるとは知らなかったのも事実で、護衛対象が俺だと知って守ろうとしてくれたのも彼の本心だったと思う。
だから、嘘を吐いていたことを彼が気に病むのを否定する気はないが、そのことで俺の気持ちが変化したわけでもなし、責めるつもりは毛頭ないのだ。
なのに。
孝之さんはしばらくの沈黙を経てどう俺の気持ちを推し量ったのか、苦しそうな声音で告げる。
「いまからでも、家に帰るか?」
考えてもみなかった提案に目を丸くしている間にも彼は言葉を繋ぐ。
「……こんな、いま一番被害を受けているのは君なのに、会社は名前に傷が付くのを恐れて穏便に事を済ませたいと思っているし……俺も、それに協力している」
「――」
「騙すつもりなどなかった。……が、結果的には同じだろう。君の嫌がることはしないが、一緒にいるのも苦痛ならすぐに」
「待っ……てください」
「もちろんだ。ゆっくり考えてくれていい」
孝之さんは気遣うような優しい声で応じてくれるけど、……違うよ、そうじゃない。
なんでだろう。
俺がおかしいのかな。
まぁそうだね。童貞だし、付き合うどころか今まで告白だって経験のないお子様だ。あんな熱烈な告白を……告白で間違いないと思っているんだが、あれも経験が乏し過ぎるが故の勘違いだとしたら辛いのだけど。
……えー……と、とりあえずどうしたらいいかな。
大胆に迫っても大丈夫だろうか。
それくらいには好かれてるって……さっきの話を聞いたら、少しくらい自惚れても良いと思うんだ。
「……孝之さん」
呼び掛けると、遠慮がちに顔が上がり、視線が絡む。
「実はずっと我慢していることがあるんですけど、言っても良いですか」
「っ、ああ、当然だ。君にはいろいろと言う権利があると思う」
まるで悲壮な覚悟を決めたような顔をされて、悪いと思いつつも吹き出しそうになってしまった。本当は弁護士なんていう、ものすごく頭が良くなきゃなれない仕事をしている人で、しかもカッコ良くて、凛々しくて。
もっと偉そうにしていたって良いのに、俺の言葉一つで顔色を変えてしまう。
ずっと俺に会いたかったって。
攫いたかったって。
それは、気が狂いそうなほどに。
「孝之さん、……あなたとキスがしたいです」
「――」
「いまの、この距離が」
スクエア型の小さなテーブル一つ分の距離が。
「すごく寂しいです」
「……奏介」
躊躇うように伸ばされた手が頬に触れるのを素直に受け入れて、目を閉じる。
ふに、と。
触れるだけの軽い口付け。
「……寮じゃないし、ここは盗聴されていないし」
「っ」
俺は孝之さんの胸倉を掴んで立ち上がった。
バランスを崩し倒れるようにソファに戻った彼に迫るべくスクエア型のテーブルに膝から乗り上げて、襲う。置いてあったペットボトルが倒れて落ちるが蓋を開けてないから問題ない。
証拠の盗聴器も、まぁ壊れる事はないだろう。
それより押し倒すなんて真似は初めてで心臓が今にも爆発しそうなくらい騒がしいし、なのに「もっと、もっと」って心が騒ぐ。
おかしいよね。
けど、欲しいんだ、この人が。
テーブル一つ分の距離なんて蹴飛ばしたくなるくらい、いますぐに。
「奏……!」
「バスで眠ってる孝之さんとか、シャンプー、さっきの、匂いの話も、ずっと、ずっと……あなたに触りたくて、ずっと」
ムラムラしていた、とはさすがに言い難くて躊躇ったら、その隙に口を塞がれた。
「んっ……」
深く重なるだけで一度は離れるも、すぐに肉厚の舌が俺の唇を舐めてから奥へ侵入して来た。
「ん……ふ……んぅっ」
孝之さんはキスしたまま立ち上がると同時に俺の腿の後ろに腕を回してあっさりと抱え上げたかと思うと、向きを変えてすぐ横のベッドに投げ出した。
「いっ……」
「……人の気も知らないで……煽るなと言っただろう」
「っ……俺を、家に帰そうとする人ですからっ、はしたなくたって、誘惑しないと、いま、此処にこうして二人きりになったって手を出すつもりないんでしょう……!」
「それは……君が、怖い思いをしたばかりだから」
「全っ然、これっぽっちも、気にしてませんけど⁈」
「は……」
「俺は寝ていただけで、孝之さんに守ってもらいました!」
あの人が社会人としていろいろ足りてないのはとっくに知っている。
詳しいことは教えられなくたって、あの人が犯罪めいたことに手を出していても「やっぱりな」という感想しか出て来ない。
ホテルが対面を気にするのは当然だし。
仕事がなくなったらあのホテルに居る人全員が死活問題だよ。
それは俺も同じだ。
そもそも孝之さんのおかげでほぼ無傷の俺が、なんの文句を言えって?
「夜中に部屋に忍び込んで何をしようとしてたとか、盗聴器で何を聞いてたかとか、考えればそりゃあ気持ち悪いですけど、でも……そんなことより、孝之さんがこの六年半どういう気持ちでいたのかって……それを聞かされて、もう、自分じゃどうしようもないくらいぐちゃぐちゃになってるの、責任取ってもらわないと、辛い……!」
「奏介……」
「孝之さんがしてくれないならトイレ籠って一人で処理します、孝之さんの名前呼びながら一人でイキまくってもう二度と本人には触らせません……!」
「なっ」
絶句した孝之さんが固まるのを見て、このままじゃ埒が明かないと思い彼の下から出ようとした。と、腕を掴まれて完全に組み敷かれる態勢に。
「……君は、なんて脅し文句を」
「孝之さんが悪いんですよ……っ、俺は、ここまで言っても、我慢されちゃうくらい魅力ないですか……好きって、そういうことしたいって気持ちは含まないですか? 恋人じゃなくて友達の好きでしたかっ?」
「っ……逆だ……この六年半、俺が、君でどんな想像をして来たか知らないからそんな事が言えるんだ」
「だったら……教えてくれればいいじゃないですか……っ、全部、ここに、本人がいるんだから!」
言い放ったら、孝之さんはしばらく驚いた顔で此方を凝視していたけれど、いつしかくしゃりと顔を歪めて、微笑った。
やっと笑ってくれた。
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