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序章 前日譚

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 フロント業務の同僚となる長谷川さんが合流した翌日には更に三名の女性が。
 名前だけはよく聞いた西田さんは、その二日後に到着した。
 人が集まる度に充実していくホテルの変化にはわくわくが止まらなかったし、あんなに淋しかった外の景色もたった一夜を境に真っ白に変わった。スキー場をオープンするにはまだ足りないが、12月を前にして雪化粧した町はただそれだけで美しい。
 羊蹄山も日に日に白く色づき、晴れの日の青空と重なる姿は圧倒されてため息がこぼれるほどだ。
 付近の飲食店は本格営業に向けて忙しなく人が出入りするようになり、イルミネーションも日ごと増えていく。初日は真っ暗と言っても良かった夜道も気付けばキラキラしていた。


 そうして迎えた11月30日には今年のスタッフ全員が集結。
 館内はすぐにでもオープン出来る状態に整った。
 そのため夜にはレストランで提供される今年のメニューの試食も兼ねて親睦会……決起集会? 名称はともかく全員参加の飲み会が催されることになった。
 会場はホテル本館一階のレストランホールである。

「うわーっ、清水さん久しぶりー!」
「今年も来てくれてありがとうね」

 レストラン勤務の女性アルバイトが清水さんを見つけた途端に駆け寄って抱きついた。同じ寮に暮らしているとはいえ社員とアルバイトでは階が違うし、担当も違えば会う機会はほとんどない。
 俺は寮の案内を担当したから全員と交流する機会があったが、おかげで新入りの挨拶も出来たのは幸いだった。

「ほら乾杯するぞ! 酒持ってけ!」

 ホール全体に響き渡る大きな声は冬のレストランを統括する奥寺部長だ。
 この人も違うゴルフ場にいた人だから詳しくは知らないのだが、うちの藤倉部長とは同期で、ものすごく仲が悪く、顔を合わせば口論をしているイメージが強い。
 俺が部長から迷惑を掛けられているのも確信しているようで、会うたびにお菓子をくれては「冬は多少マシになると思うから頼むな」「辞めないでくれな、期待してんだ」と励ましてくれる人だ。

「手伝います」

 夏場は自分もレストランのスタッフだ。
 次々とジョッキに注がれていくビールを片手に四つずつ持つと、俺に気付いた奥寺部長は「おおっ」て満面の笑顔になる。

「冬はフロント勤務だろ」
「レストランが忙しいときはいつでも呼んでください」
「頼りになるなぁ! ほらホール、動けー!」

 この飲み会が半年振りの再会になるスタッフは思っていたより多いらしく、始まる前から会話が盛り上がっているグループがいくつもある。
 寮に人が集まり出したのは二週間も前なのに、同じフロアでも会う機会はなかったらしい。

「動けー!」

 奥寺課長が吼えた。
 ジョッキを配っていた俺と、本田課長は声を上げて笑った。

「仕方ないですよ、再会して嬉しくなっちゃってるんですし」
「毎年会ってんのに再会なんて大袈裟だ! そもそも冬はいつでも会えんだろうが!」
「まぁまぁ、運ぶのなんて最初の一杯だけであとはセルフでしょ」
「部長にはあとで美味しい一杯をご用意しますから」

 ジョッキにビールを注ぎながら美味しい泡を適量作るのにはコツがいる。俺は今年の夏にたくさん練習してようやく慣れてきたところだ。この機会に奥寺課長にテストしてもらうのもいいと思ったのだが、なぜか本田課長が便乗。

「あ、じゃあ俺は美味しい枝豆を」
「今日のは俺が持ってきた冷凍だ!」
「あははっ」

 その通りだったらしい本田課長が大笑いする。
 奥寺部長と本田課長は夏の職場が一緒で気心が知れているからこそのやり取りだった。
 ちなみに俺が一緒だった社員は清水さんと、藤倉部長と、調理師の佐々木さん、松本さん。
 その他のスタッフは現地のパートさんやアルバイトさんだから、旅行にでも来ない限り山で会うことはないだろう。

「再会、か」

 思わず溢してしまったのは楽しく語らう彼らが羨ましくなったから。
 おしりのポケットに入れたスマホ……そこに付けている匂袋。いつかまた会えたらと願って、もう六年以上経ってしまった。俺はあの人の顔も、声も、ふわりと薫ったユーカリの匂いも覚えているが、当時高校生だった自分は成長してずいぶん変わってしまった。
 いまさら再会したところで判ってもらえないならーー。

「えっ、相田くん大卒なの? 高卒じゃなくて?」

 いきなり声が掛かって思考が中断される。
 っていうか高卒って言われた?

「大卒です、もう22です!」
「うっそ、10代かと思ってた!」
「わかるー、めっちゃ可愛いもん」

 レストランの子達がきゃっきゃ騒ぐ。
 非常に不本意だ。

「可愛くはないです」
「敬語で話してくれる時点で可愛いから」
「……皆さんの方が可愛いと思いますよ」
「やーん口説かれちゃった!」
「かーわいー!」

 口説いてないし!
 可愛くないし!
 イラッとしていたら、それを更に増幅させる声が聞こえてくる。

「やーやーやー、みんな、お疲れさま。今年もよろしく頼むよー!」

 まるで主役は最後に登場するものだと言いたげに両腕を広げ舞台俳優よろしく登場したのは夏も職場が一緒だった藤倉部長である。
 背丈は俺より頭ひとつ小さく、体格も小柄だが、仕立てのよい背広を着こなしているから品がある。が、品があるのは見た目だけで中身は曲者だ。
 
「お疲れさまでーす」
「おー、お疲れ、お疲れ。今夜のメニュー試食、期待してるよー」

 レストランのバイトの子達に声を掛けられた藤倉部長は片手をひらひらさせ笑顔で応じながらホールを進んでいく。すれ違う相手一人一人に気さくに声を掛け、気付けばこちら側に。

「部長お疲れさまです!」
「今年もカニ鍋楽しみにしてますね」
「ふふっ、今年もするからねー。期待してくれていいよ」

 どうやらこの人はアルバイトの子達とシーズン中にカニ鍋パーティするのが恒例らしい。
 俺を巻き込まないなら好きにしてくれればいい、のに。

「やー、相田ちゃん。ご無沙汰だね」
「お疲れさまです。いま到着されたんですか?」
「そう。妻がぎりぎりまで放してくれなくて」
「そうですか」

 顔はひきつっていないだろうか。
 口許がひくひくする。

「で、なに。相田ちゃんは早速ゲレンデのお姉さまたちに可愛がられてるの」
「違います」
「社員の新人さんって2年振りでしたっけ? 良い子捕まえましたね」
「でしょー。俺が可愛がってる子なんだから虐めちゃダメよ」
「いじめませんよー」
「あははは……」

 あーーーーもーーーーーほんと禿げろ!


 部長が前髪の生え際を気にしているのは知っているので、悪態を吐くときには必ず禿げろと言うようにしている。いつか積もりに積もった念が本当に禿げさせてくれたらいいと思ってる。
 ただ、どうしてそこまで嫌がるのか。
 この藤倉部長という人に何か嫌なことをされたのかと聞かれると、答えに困ってしまう。
 いつだって何となくなのだ。
 気付いたらぶつかりそうなくらい近くに立っているとか、食事の時に隣に座る、仕事が終わった後に何をしているのか聞かれる、仕事中に見られている、など、など、など……。
 一つ一つは気にし過ぎかもしれないが、それが何度も重なれば苦手意識が強まるというか、たぶんもう生理的に受け付けないのだ。
 そうなると部長が悪いと一概には言えないから俺も差し障りのない態度を心掛けるしかない。
 ただ、部長に絡まれていると清水さんやパートの人たちが必ずと言っていいくらい助けに来てくれる。
 家まで送ってやるからと助手席に乗せられそうになった時なんて颯爽と清水さんが現れ、
「助手席は事故った時の死亡率が高いんだから私みたいなが座るべきでしょ」って。
 普段はゴルフ場が運行しているキャディさんたち用の送迎バスで行き来しているパートの女性たちまで「ありがとうございます」なんて笑顔で部長の車に乗り込んだものだから、その日は結局全員を部長が送ることになった。
 俺は座る場所がなくなったから歩いて帰ったけどね。
 もともと徒歩通勤だし。
 更に、ホテルの事務所で久々に会った長岡支配人には「こっちで会えて良かったよ」と感慨深く言われてしまったので、社員の間には何かしらの共通認識があるのかもしれない。
 なんせあの人、うちの会社の創業者の息子なんだから。

「っとに、人のこと可愛い可愛いって……22の男捕まえて使う言葉じゃないだろうに」

 黙って飲み会に参加していたらイヤなのに絡まれそうだったから、積極的に空いたジョッキや皿を片付けるためホールとパントリーを行き来する。
 ホテルの洗い場は初めてだが基本の設備はゴルフ場のそれと変わらない。
 なんなら洗浄機に食器を突っ込んで動かし、取り出して拭いて仕舞うまでするから此処に居座りたい。
 いや、いっそ部屋に帰りたい。

「はぁ……」

 ポケットからスマホを取り出し、ぶら下がる匂袋に触れた。

「……高卒に見えるんだって。それなら、もしかしたら」
 
 気付いてもらえるかなと期待しそうになって、再会する可能性さえないことを思い出す。
 失笑。
 結局自分はあの頃から成長していないのかもしれない。

「あれ?」
「っ」

 突然の声に驚いてスマホを、匂袋を隠した。
 空のジョッキを運んで来たのはレストランへの配属が決まっているアルバイトの江良さん。藤倉部長にカニ鍋を楽しみにしているとねだっていた彼女だ。
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