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第8話

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 ぐらりと傾ぐ体をしっかりと抱き留められて、ものすごく、ホッとした。
 温もりが心地良いのはいまも体温調節をしてくれているからだろう。

「急に君が大量の魔力を消費したので驚いた」
「……なんで、ここに……、勇者、は……」
「彼らが魔大陸に来るまでは特にすることなどない」
「そ、う……」

 間近で囁くように告げられる声が心地いい。
 だが、続く彼の言葉は謎だった。

「……神域にも迫るような浄化だが、ここで何をするつもりなんだ?」
「……?」

 質問の意図が伝わっていない事が明らかだったんだろう。フォラスは呆れたように息を吐く。

「これは、さすがに目立ちすぎだ」

 言いながら確認したのは、俺の手首についている腕輪の魔力調節ダイヤル。

「『微少』でとは恐れ入るが……まぁいい」

 力が入らなくて何も言えない俺を抱き留めたまま、フォラスは左手の指で不思議な形を作り、その上部に魔法陣を顕現する。

「八番地区の端から外壁の向こう……向こうはまぁよかろう。『設置』」

 彼が唱えた途端に魔法陣が一気に拡大され、これも後で確認した事だけど、九番地区一帯を覆う。

「……いまの、なに……?」
「ディープカバーといって、隠したいものに施す結界術の一種だ。君の浄化魔法が及んだ範囲を人々の目から隠すために敷いた……と言っても自覚がないのだったか」
「ぉ……俺、なにしたの……」
「私にもよく判らぬが、複数の回復魔法を何度も連続して重ね掛けしていたぞ」
「へぇ……」

 フォラスの目元が少しだけ吊り上がった。
 ごめん。
 でも本当に、よく覚えていないのだ。

「ならば、回復してからでいい。どうして棄てられた区域にいるのかを話せ」
「棄て……?」
「棄てられた区域。棄てられた街とも言うが、不治の病や四肢の欠損などで生活出来なくなった者が捨てられ、死を待つ場所のことだ」

 一瞬、頭が真っ白になった。
 驚いて、次に湧き上がってきた感情は、怒り。

「棄て、って、人、を……っ」
「貴族にはよくある話だと聞く」
「そ、な……真似……っ」
「怒るな、いまは回復に集中せよ」

 そんなことを言われても無理だ、と思ったのに、どうやら眠りの魔法を使われたらしく、あっという間に意識が沈んでいく。
 次に目を覚ますと一時間くらい経っていて、フォラスはずっと傍にいてくれた。


 ***


 回復前に言われていた通り、目が覚めた後で俺がこの九番地区にいた理由を話すと、フォラスは「ふむ、では買おう」と即答した。
 曰く、

「金貨一枚で好きにして良いのだろう?」
「そう言われた、けど」
「先ほどのディープカバーで大概の変化は見逃されるし、これほどの清浄な気に満ちた土地だ。君が購入しておかなければかえって問題を引き起こす可能性もあるし、君の帰還後はアドがどうとでもするだろう」

 キレイにし過ぎるのも問題になるらしい。
 それに、八番地区が無人なのも好条件だと彼は言う。

「私も手が出しやすい」
「フォラスが?」
「ああ。誰も魔王の顔など知らないだろうが、かと言って勇者の行軍が始まる前だからな。この国から最前線に赴くハンターが居ないとも限らない。なるべく人目に触れない方が良い」
「それもそっか……。え、いや、そうじゃないし!」

 うっかり納得させられそうだったが、そうじゃない。

「俺が金貨一枚で買ったとして、ここに居る人達に出ていけとか言えないだろ?」
「その者達なら、先ほどから君が目を覚ますのを待っていたぞ」
「え?」
「ほら」

 促されて視線を転じると、少し離れた場所で、三〇人近い人々がじぃっっとこちらの様子を伺っていた。

「……っ!?」

 フォラスに抱えられていたこともあり、彼の事しか見えていなかったが、そういえば此処って外じゃん。
 え。
 もしかしてフォラスは俺に土がつかないようにずっとこうしてたってこと!?

「ちょっ、待っ……」
「タクト?」

 そんな不思議そうな顔をしないで欲しい。
 俺は一気に恥ずかしくなってきて、フォラスの腕から抜け出し、一歩下がった。

「えっと、その、……ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございます」

 大人なら礼は尽くすべきだと考えての言葉選びだったが、フォラスには気に食わなかったらしく、眉間の皺が今までより深く刻まれ、表情からも怒っているような感じがする。

「なぜそう他人行儀なのだ」

 他人ですし? とは言い出せない雰囲気で、返答に詰まっていると、それまで無言で此方の様子を伺うだけだった人達の方から声が掛かる。
 しまった、またこの人達の事を忘れていた。

「ぁ、あの……」
「はいっ。えっと、すみません。いきなり訳の分からないことを仕出かして、驚かせたみたいでっ」
「いえっそんなっ、むしろ、その、お礼を言うべきは私の、私達の、方で」
「お礼?」

 相手の言葉が巧く理解出来なくて聞き返す。
 声を掛けて来たのはまだ若い女の子で、髪は伸びっぱなし、服はボロボロなのに、生地や肌質は不自然なほど艶々で光り輝いている。彼女だけじゃなく、其処に集まっていた誰もがそんな感じだ。
 ……ん?
 さっき、フォラスは此処を何て言ってたっけ。

「わ、私は、シーナと言います。北の、貴族街の御屋敷で奴隷として……その、はた、働いて、いて。右足が……なく、なって……ここに、棄てられました」
「棄て……え、右足?」

 やっぱり棄てられた人だったのかと忘れていた怒りが復活しそうになるも、ちょっと待てと頭の中でブレーキが掛かった。
 だって失くなったって言った右足が、いま、あるし。

「足……」
「そう、ですっ。あなたがピカピカしている間に、あっという間に戻ってました! しかも奴隷紋まで消えていて……」
「僕もっ、ぼ、僕もです! クルトって言います! 目が、目が見えなかったの、いま、見えるようになってて!」
「俺もだ……もう治らないって言われて、死ぬつもりでここに来たのに、いま、普通に呼吸が出来るようになっていて……」

 え。
 ……えぇ?
 彼らが何を言っているのか理解出来ず、なんとなくフォラスを見ると、彼は肩を竦めて見せる。

「君の回復魔法の連続重ね掛けの結果だ」
「俺そんなつもり全然なかったし魔法を使った覚えも……!」

 何かを踏んだ。
 その衝撃を思い出した俺は周囲に視線を向け、……真っ白な骨を、見た。

「ぁ……」

 恐る恐る足の裏を確認したけど、何かを踏んだ形跡などまるでなく、新品同様の綺麗な靴底だった。
 俺はもっと周りを見る。
 息をする。

「……全然違う……」

 最初のあの匂いも。
 一帯を覆って見えた死の影も、灰色に見えた空の色さえも、違う。

「だから言ったであろう。ここは神域にも迫る清浄な空間となっている。微少の魔力でこれなら、君は想定以上の規格外だ。君がこの土地の所有者になれるならば、なってしまった方が世界のためだ」
「え、や、でもあの店主、明らかに俺への嫌がらせ目的だったって言うか、実際に売る気があるとはとても……」
「私がいるのだ、問題ない」
「脅すってこと?」
「発言に責任を持たせるだけだ。それに君が所有してしまえば、あの者達が住んでいたところで誰も文句を言うまい」
「なにを言い出すのさ。俺にはあの全員を養うなんて無理だよ?」
「君こそ何を言っている。君の住居として必要な建物を幾つか占有し」
「一つで充分だけど!?」

 思わず言い返すと、フォラスはまた肩を竦めて見せる。

「ならば、それ以外の建物に彼らが居座っていても問題なかろう? 体は完全に健康そのものなのだ、生きようと思えば彼らは自ら働ける。君が養う必要などない」
「そ――……そう、なの?」
「当然だ」

 断言されて、そういうものなのか、と理解する。
 いや、確かに、言われてみるとその通りだし。
 所有する土地に住まわせるってことは、家賃とか、支払ってもらう側になるってことで、……確かに、養うなんて全然考えなくて良い事、だ。
 ……でも。

「……あの、俺……ここに住む……っていうか、この九番地区を購入するかもしれないんですけど、皆さん、ここに……」

 住んでいるのか、と聞くのは違うと思ったら言葉が途切れてしまった。
 棄てられた人。
 死ぬために此処に来た人。
 どう尋ねるのが正しいのか全く思い付かなくて、結局、選んだ言葉は。

「その……俺も、お邪魔してもいいですか……?」

 俺の言葉に皆がざわつく。
 最初に応えてくれたのは、先ほどのシーナだ。

「わ、私、たち、このまま……ここに居て、良いんですか?」

 フォラスと俺の会話は小声だったし、離れている彼女達には聞こえていないのだろう。
 だから頷く。

「構いません。これから自分の家を選ぶので、そこ以外なら、好きにしてください」

 言うと、複数の安堵の息が聞こえて来た。

「でも、それだけです」
「え……?」
「食べるものとか、仕事までは、俺には用意出来ないので……各自で、どうにか……」

 どうにかして、と。
 それがひどく突き放す言葉に思えて、口に出来なかったが、自分の足で歩けるようになった彼女も、目が見えるようになった子どもも、呼吸できるようになった男も、それぞれに頷く。

「なんとか、します」
「奇跡みたいな幸運で生き延びたんですから、きっと、出来ます」
「……そうですか」

 皆の表情が明るかったから、俺も自分自身を納得させた。
 喉の奥にひどく苦いものが広がった気がしたけれど、それが自分の甘さや、弱さだって、何となく気付いたから。
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