1 / 15
プロローグ
しおりを挟む
此処は異世界アディプワヌ。
創造神アドを唯一神とし、四つの大陸、七二の国、総人口約八億人という、地球に比べれば控え目な規模だが、俺個人の感想は「異世界って大きいな!」だった。
北大陸ウルフレムの南東に位置するルーヴァ王国の首都ルヴァストブルクに居を……と言うか、店を構えて、そろそろ一年が経つ。
俺を巻き込んだ勇者召喚で此方に来た三人の『魔王討伐を目的とした旅路』は順調らしい。
……まあ、俺の生活ほどではないと思うが。
首都の西――商業区の奥に広がる、夜にこそ盛り上がりを見せる大人たちの娯楽通り。
色街とも、花街とも呼ばれる、性を商売道具にした艶めいた景色の、更に奥の奥。
正式名称は九番地区。
かつては「掃溜め」「ゴミ捨て場」「捨てられた街」とも呼ばれていたこの場所で、花束を描いた看板を掛けた店、それが俺の経営するタクト施術所だ。
木造二階建で、壁は白。
街の人たちに手伝ってもらいながら塗ったのがもう一年も前の話だなんて、改めて思い出すと少し驚いてしまう。
一階は全面が施術所になっていて、それらしく受付と待合室、施術室、そして来所者用の水回りといった具合に間仕切りしているが、受付に関しては来客がいない時間帯の休憩スペースも同然だ。今こうしてコーヒーで一服しているみたいに。
ただの美容専門学校生だった俺が施術所経営なんて自分でも信じられないが、俺を巻き込んだ神がお詫びにって回復魔法を持たせたせいで実現してしまった。
いや、せいっていうと責めてるみたいだけど……うーん、まぁ、してやられた感はあるし、後で振り返ってみるとここに誘導されたような気がしないでもないので、最初から全部があいつの計画だったのではと疑った方が良いのかもしれない。
それくらい、最初に見たこの街はひどい状態だったので、無免許で施術所を開いた件については異世界ってことで許して欲しい。
「タクトさーん」
一年前の光景を思い出して溜息を吐いていた俺を呼ぶのは、七番地区で娼館を経営している女将だ。
出入口から顔だけ覗かせて声を掛けてくる。
「休憩中にごめんよ、今日も頼めるかい?」
「ああ。どうぞ」
許可を出すと、女将は後方に待機させていた若い男達に中へ入るよう促す。俺は施術室に向かうと、扉を開けたまま奥の机に近付いた。
ここにも間仕切りがあって、奥の方には事務机と、施術用の大量のアイテムが保管してある。
「ピンスラ、準備」
声をかけた途端に、俺の左上に嵌められた取り外し不可の腕輪から小指の爪くらいの大きさの飾りが一つ弾け、机の上で巨大化した。といっても両腕にちょうど良く収まる可愛いサイズだが、パステルピンクのアメーバみたいなスライムだ。一応は従魔という扱いだが、実際にはこいつも神からの詫びの一つで、言葉は喋れないのに意思の疎通が完璧な頼りになる相棒だ。
ちなみに神のお詫びこと腕輪の飾り石はもう二つあって、一つは【異世界ショッピング】といい、もう一つは【アディグルさん】だ。……うん、説明はまた後で。
「さて、……一人ずつ入っておいで」
開けたままにしている扉の向こうに声を掛けると、少しして戸惑い気味の青年が入ってくる。
俺は石鹸で手を洗い、手にフィットするゴム手袋――ドラマなんかで手術中の医師が手にはいているあれを、同じようにはめていく。どこでこれを手に入れたかって言ったら【異世界ショッピング】だ。
「……ん?」
扉の方を見ると、不安そうな顔をした初めて見る若い男が所在なさげに立っている。女将と来るぐらいだから花街勤務は今日が初日なんだろうけど大丈夫だろうか。
「おいでおいで。下は全部脱いで施術台にうつ伏せ。尻は上げて」
「っ、はっ、はいっ」
「ピンスラ、分体」
男が施術台で準備している間に、ピンスラからぽんっと弾け飛んだ小さな分体を右手で受け止める。五ミリ幅の球体は指で摘まみ上げるのも躊躇われるサイズだ。尻の穴から体内に入ることを考えれば無難なのだろうが。
「女将さんからは何て?」
「洗浄と自衛で契約して来いって言われました」
「はいよ。――『展開』『契約更新』」
日本語で唱えると、右手の中央で丸まっている分体、その上空に金色の魔法陣が浮かび上がり、時計回りにゆっくりと旋回している。
そこに『洗浄』『自衛』と予め設定済みの呪を音から文字に変換して埋め込み、ピンスラ本体と同じだった契約内容が、分体固有の契約内容に上書きされたのを確認してから『閉じる』と唱えて陣を消した。
本人に確認が済めば、あとは手早く処置を済ますのみ。同性とはいえ剥き出しの尻を突き出させておくのも気の毒だ。
「さ、今日からはこの人がおまえの宿主だ。しっかり守れよ」
声を掛けると、それが指の上でぽよんぽよんと跳ねた。やる気になっているのを微笑ましく思いつつ施術台の上の彼の尻に近づけてやると――。
「っ」
「大丈夫、スライムは直に馴染むよ」
小さいとはいえ尻から入り込んだ異物に息を詰めた彼に、そう声を掛けた。
「もう起き上がっていいよ。女将さんから説明は受けているかもしれないけど、大事なことなので俺からも説明させてもらう」
そう前置いて、いま体内に入ったのがピンクスライムの亜種で俺の従魔の分体だってこと。
いまこの瞬間から主が君に変わったこと。
とはいえ体内に蓄積される排泄物が食事代わりなので主なんて意識せず普段通りの生活をしていれば、腸内はいつでも清潔、潤いたっぷり。急な仕事にも対応可能だということを伝えていく。
「仕事中は膜になるし、中出しされた精液も綺麗に吸収するから健康被害もほぼないと思うけど、ルールを守らない客は断固拒否で構わない。女将への報告も忘れないようにね。あぁ、あと宿主が本気で嫌がった場合は麻痺効果のある攻撃が可能だし、尻穴から入って来る指やチンコは融かすよう教えているんで、危なくなったら心ン中でも構わないから助けてって叫ぶ事。この辺は治安悪いから防犯対策もしっかりとね」
「とかす……ですか?」
「そう、もうドロドロに」
「ひっ……」
「宿主は絶対に傷つけないから大丈夫だよ」
有り体に言えば繰り返し使える自浄作用付きの伸縮自在コンドームなんだけど、その単語が伝わらないし、そもそもがスライムなので従魔と言うしかないのは少しばかり心苦しい。魔物が体内にいるなんて普通に考えたら恐怖だろう。
だが、奥に進むほど無法地帯と化していた花街は、暴力による支配、正しい知識を持たない性行為による病気の蔓延、望まぬ妊娠などで問題が山積みだった。
それを改善していったのは間違いなくうちのピンスラなので、これはもう慣れてもらうしかない。
そんなふうに説明を終え、次の男、そして次の……と対応している間に、待合室には施術を待つ花街の住人が増えていく。
さっきみたいな施術や、怪我にヒール、病気にキュアといったヒーラー的な役割の他、以前はヘアカットやメイク、エステなんかの外見磨きも担当していた。
というか美容専門学校生としては今でもそちらを担当にしたいのが本音である。
でも、此処に棄てられていた女の子や、子ども達の手に職を持たせてあげようって思ったのがきっかけで、何人かの弟子が出来た。
いまはその子達が立派な職人になっていたりするので、まぁ、適材適所で、お任せだ。
現在は、俺は俺にしか出来ない事に労力を費やすべき時だと思っている。
毎日のように何かしらの問題は起きているが、一年という時間をかけて築き上げた花街の人々との信頼関係はこれからも大事にしていきたいと思うし、ね。
「ありがとうタクトさん!」
告げられる言葉。
街に溢れる笑顔。
風に乗って運ばれてくる食欲を刺激する香りは、少し早い花街の住人のための夕飯で、それを食する誰もが「今日も頑張ろう」と活気に満ちている。
だから俺は、この街の平穏が一日でも長く続く事を祈る。
自分がいつまで此処に居られるのか、自分自身が知らなくても。
――深夜二時。
夜にこそ盛り上がると言われる花街にもひと時の静寂が訪れる頃。
唐突に耳元で囁かれた甘い声。
「待ったか、タクト」
三階の、自分の寝室。
外からだと二階建てに見えるこの建物だが、実際には魔法で細工された三階が存在する。
先ほどの、耳元に囁かれた甘い声の主が持ち込んだキングサイズの天蓋付きベッドと、座り心地最高のソファと、男二人で浸かってもまったりと足を伸ばせる大理石の広い風呂。
それらが揃った、この場所で、彼と過ごす時間が俺の癒し。
「タクト?」
返事をしない俺を怪しんだのか、彼の赤い瞳が悲しそうに揺らぐ。
漆黒のマントに漆黒のスーツ。
背中の半分を越える長い髪も美しい黒色で、対照的に白い肌は、その美貌を人形めいたものに見せる、……って、一年前の俺は思ったっけ。
彼は、魔王。
この世界を、勇者に倒される存在として支えている一柱。
「……別に待っちゃいないけど、忙しかったのか?」
「勇者一行がいよいよ魔大陸に到達したのでな。少し遊んでやった」
「へぇ……」
内心の動揺に気付かれたくなくて淡々と答えたら、男の赤い瞳が愉快そうに弧を描く。
「心配しないでいい。アレはまだしばらく掛かる」
「別に心配もしてないし……」
言いつつも目を逸らせば、そっと顎を抑えられて目線を重ねられた。
真っ直ぐに見つめらてしまったら、もう、誤魔化しが効かない。
「気に病むな。勇者に倒されることが私の定められた役目。君も承知した上で此処にいる、……そうだろう?」
「それは……」
「だからその日までは、な」
「ん……」
啄むようなキスをされる。
二度、三度と繰り返すうちに舌が絡み、呼吸は短く、吐息は熱く変化する。
「……もっとしよ、フォラス……」
「今日も可愛いな、タクト」
ベッドで重なるように抱き合い、キスを繰り返し、僅かな隙間さえ苦しくて縋りついた。
判っている。
これは定められたその日までの有限の逢瀬。
全部承知した上で始めた関係。
……あぁ、なのに。
「愛している、タクト」
「……っ」
判っている。
彼は。
魔王は、遠からず勇者に敗れて世界から失われる。
それ、なのに。
判っていたのに。
……どうして、好きに、なっちゃったかな――。
創造神アドを唯一神とし、四つの大陸、七二の国、総人口約八億人という、地球に比べれば控え目な規模だが、俺個人の感想は「異世界って大きいな!」だった。
北大陸ウルフレムの南東に位置するルーヴァ王国の首都ルヴァストブルクに居を……と言うか、店を構えて、そろそろ一年が経つ。
俺を巻き込んだ勇者召喚で此方に来た三人の『魔王討伐を目的とした旅路』は順調らしい。
……まあ、俺の生活ほどではないと思うが。
首都の西――商業区の奥に広がる、夜にこそ盛り上がりを見せる大人たちの娯楽通り。
色街とも、花街とも呼ばれる、性を商売道具にした艶めいた景色の、更に奥の奥。
正式名称は九番地区。
かつては「掃溜め」「ゴミ捨て場」「捨てられた街」とも呼ばれていたこの場所で、花束を描いた看板を掛けた店、それが俺の経営するタクト施術所だ。
木造二階建で、壁は白。
街の人たちに手伝ってもらいながら塗ったのがもう一年も前の話だなんて、改めて思い出すと少し驚いてしまう。
一階は全面が施術所になっていて、それらしく受付と待合室、施術室、そして来所者用の水回りといった具合に間仕切りしているが、受付に関しては来客がいない時間帯の休憩スペースも同然だ。今こうしてコーヒーで一服しているみたいに。
ただの美容専門学校生だった俺が施術所経営なんて自分でも信じられないが、俺を巻き込んだ神がお詫びにって回復魔法を持たせたせいで実現してしまった。
いや、せいっていうと責めてるみたいだけど……うーん、まぁ、してやられた感はあるし、後で振り返ってみるとここに誘導されたような気がしないでもないので、最初から全部があいつの計画だったのではと疑った方が良いのかもしれない。
それくらい、最初に見たこの街はひどい状態だったので、無免許で施術所を開いた件については異世界ってことで許して欲しい。
「タクトさーん」
一年前の光景を思い出して溜息を吐いていた俺を呼ぶのは、七番地区で娼館を経営している女将だ。
出入口から顔だけ覗かせて声を掛けてくる。
「休憩中にごめんよ、今日も頼めるかい?」
「ああ。どうぞ」
許可を出すと、女将は後方に待機させていた若い男達に中へ入るよう促す。俺は施術室に向かうと、扉を開けたまま奥の机に近付いた。
ここにも間仕切りがあって、奥の方には事務机と、施術用の大量のアイテムが保管してある。
「ピンスラ、準備」
声をかけた途端に、俺の左上に嵌められた取り外し不可の腕輪から小指の爪くらいの大きさの飾りが一つ弾け、机の上で巨大化した。といっても両腕にちょうど良く収まる可愛いサイズだが、パステルピンクのアメーバみたいなスライムだ。一応は従魔という扱いだが、実際にはこいつも神からの詫びの一つで、言葉は喋れないのに意思の疎通が完璧な頼りになる相棒だ。
ちなみに神のお詫びこと腕輪の飾り石はもう二つあって、一つは【異世界ショッピング】といい、もう一つは【アディグルさん】だ。……うん、説明はまた後で。
「さて、……一人ずつ入っておいで」
開けたままにしている扉の向こうに声を掛けると、少しして戸惑い気味の青年が入ってくる。
俺は石鹸で手を洗い、手にフィットするゴム手袋――ドラマなんかで手術中の医師が手にはいているあれを、同じようにはめていく。どこでこれを手に入れたかって言ったら【異世界ショッピング】だ。
「……ん?」
扉の方を見ると、不安そうな顔をした初めて見る若い男が所在なさげに立っている。女将と来るぐらいだから花街勤務は今日が初日なんだろうけど大丈夫だろうか。
「おいでおいで。下は全部脱いで施術台にうつ伏せ。尻は上げて」
「っ、はっ、はいっ」
「ピンスラ、分体」
男が施術台で準備している間に、ピンスラからぽんっと弾け飛んだ小さな分体を右手で受け止める。五ミリ幅の球体は指で摘まみ上げるのも躊躇われるサイズだ。尻の穴から体内に入ることを考えれば無難なのだろうが。
「女将さんからは何て?」
「洗浄と自衛で契約して来いって言われました」
「はいよ。――『展開』『契約更新』」
日本語で唱えると、右手の中央で丸まっている分体、その上空に金色の魔法陣が浮かび上がり、時計回りにゆっくりと旋回している。
そこに『洗浄』『自衛』と予め設定済みの呪を音から文字に変換して埋め込み、ピンスラ本体と同じだった契約内容が、分体固有の契約内容に上書きされたのを確認してから『閉じる』と唱えて陣を消した。
本人に確認が済めば、あとは手早く処置を済ますのみ。同性とはいえ剥き出しの尻を突き出させておくのも気の毒だ。
「さ、今日からはこの人がおまえの宿主だ。しっかり守れよ」
声を掛けると、それが指の上でぽよんぽよんと跳ねた。やる気になっているのを微笑ましく思いつつ施術台の上の彼の尻に近づけてやると――。
「っ」
「大丈夫、スライムは直に馴染むよ」
小さいとはいえ尻から入り込んだ異物に息を詰めた彼に、そう声を掛けた。
「もう起き上がっていいよ。女将さんから説明は受けているかもしれないけど、大事なことなので俺からも説明させてもらう」
そう前置いて、いま体内に入ったのがピンクスライムの亜種で俺の従魔の分体だってこと。
いまこの瞬間から主が君に変わったこと。
とはいえ体内に蓄積される排泄物が食事代わりなので主なんて意識せず普段通りの生活をしていれば、腸内はいつでも清潔、潤いたっぷり。急な仕事にも対応可能だということを伝えていく。
「仕事中は膜になるし、中出しされた精液も綺麗に吸収するから健康被害もほぼないと思うけど、ルールを守らない客は断固拒否で構わない。女将への報告も忘れないようにね。あぁ、あと宿主が本気で嫌がった場合は麻痺効果のある攻撃が可能だし、尻穴から入って来る指やチンコは融かすよう教えているんで、危なくなったら心ン中でも構わないから助けてって叫ぶ事。この辺は治安悪いから防犯対策もしっかりとね」
「とかす……ですか?」
「そう、もうドロドロに」
「ひっ……」
「宿主は絶対に傷つけないから大丈夫だよ」
有り体に言えば繰り返し使える自浄作用付きの伸縮自在コンドームなんだけど、その単語が伝わらないし、そもそもがスライムなので従魔と言うしかないのは少しばかり心苦しい。魔物が体内にいるなんて普通に考えたら恐怖だろう。
だが、奥に進むほど無法地帯と化していた花街は、暴力による支配、正しい知識を持たない性行為による病気の蔓延、望まぬ妊娠などで問題が山積みだった。
それを改善していったのは間違いなくうちのピンスラなので、これはもう慣れてもらうしかない。
そんなふうに説明を終え、次の男、そして次の……と対応している間に、待合室には施術を待つ花街の住人が増えていく。
さっきみたいな施術や、怪我にヒール、病気にキュアといったヒーラー的な役割の他、以前はヘアカットやメイク、エステなんかの外見磨きも担当していた。
というか美容専門学校生としては今でもそちらを担当にしたいのが本音である。
でも、此処に棄てられていた女の子や、子ども達の手に職を持たせてあげようって思ったのがきっかけで、何人かの弟子が出来た。
いまはその子達が立派な職人になっていたりするので、まぁ、適材適所で、お任せだ。
現在は、俺は俺にしか出来ない事に労力を費やすべき時だと思っている。
毎日のように何かしらの問題は起きているが、一年という時間をかけて築き上げた花街の人々との信頼関係はこれからも大事にしていきたいと思うし、ね。
「ありがとうタクトさん!」
告げられる言葉。
街に溢れる笑顔。
風に乗って運ばれてくる食欲を刺激する香りは、少し早い花街の住人のための夕飯で、それを食する誰もが「今日も頑張ろう」と活気に満ちている。
だから俺は、この街の平穏が一日でも長く続く事を祈る。
自分がいつまで此処に居られるのか、自分自身が知らなくても。
――深夜二時。
夜にこそ盛り上がると言われる花街にもひと時の静寂が訪れる頃。
唐突に耳元で囁かれた甘い声。
「待ったか、タクト」
三階の、自分の寝室。
外からだと二階建てに見えるこの建物だが、実際には魔法で細工された三階が存在する。
先ほどの、耳元に囁かれた甘い声の主が持ち込んだキングサイズの天蓋付きベッドと、座り心地最高のソファと、男二人で浸かってもまったりと足を伸ばせる大理石の広い風呂。
それらが揃った、この場所で、彼と過ごす時間が俺の癒し。
「タクト?」
返事をしない俺を怪しんだのか、彼の赤い瞳が悲しそうに揺らぐ。
漆黒のマントに漆黒のスーツ。
背中の半分を越える長い髪も美しい黒色で、対照的に白い肌は、その美貌を人形めいたものに見せる、……って、一年前の俺は思ったっけ。
彼は、魔王。
この世界を、勇者に倒される存在として支えている一柱。
「……別に待っちゃいないけど、忙しかったのか?」
「勇者一行がいよいよ魔大陸に到達したのでな。少し遊んでやった」
「へぇ……」
内心の動揺に気付かれたくなくて淡々と答えたら、男の赤い瞳が愉快そうに弧を描く。
「心配しないでいい。アレはまだしばらく掛かる」
「別に心配もしてないし……」
言いつつも目を逸らせば、そっと顎を抑えられて目線を重ねられた。
真っ直ぐに見つめらてしまったら、もう、誤魔化しが効かない。
「気に病むな。勇者に倒されることが私の定められた役目。君も承知した上で此処にいる、……そうだろう?」
「それは……」
「だからその日までは、な」
「ん……」
啄むようなキスをされる。
二度、三度と繰り返すうちに舌が絡み、呼吸は短く、吐息は熱く変化する。
「……もっとしよ、フォラス……」
「今日も可愛いな、タクト」
ベッドで重なるように抱き合い、キスを繰り返し、僅かな隙間さえ苦しくて縋りついた。
判っている。
これは定められたその日までの有限の逢瀬。
全部承知した上で始めた関係。
……あぁ、なのに。
「愛している、タクト」
「……っ」
判っている。
彼は。
魔王は、遠からず勇者に敗れて世界から失われる。
それ、なのに。
判っていたのに。
……どうして、好きに、なっちゃったかな――。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
【BL】異世界転生したら、初めから職業が魔王の花嫁のおじさんの話
ハヤイもち
BL
精神科医だった桜幸雄は、ある日突然、自らの患者によって撲殺される。
再び目覚めて気づいたのは、RPGのような世界の王国国家。
王国の魔法使いによって魔王討伐のメンバーとしてほかの人間とともに召喚されたようだ。
しかし、バグか、障害か、桜の職業は【魔王の花嫁】と記されていた。
桜は裏切り者として、過酷な世界を生き残り、元の世界に帰ることができるのか。
ホラー要素アリです。 不定期に更新予定です。
エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!
たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった!
せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。
失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。
「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」
アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。
でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。
ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!?
完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ!
※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※
pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。
https://www.pixiv.net/artworks/105819552
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
4人の人類国王子は他種族に孕まされ花嫁となる
クズ惚れつ
BL
遥か未来、この世界には人類、獣類、爬虫類、鳥類、軟体類の5つの種族がいた。
人類は王族から国民までほとんどが、他種族に対し「低知能」だと差別思想を持っていた。
獣類、爬虫類、鳥類、軟体類のトップである4人の王は、人類の独占状態と差別的な態度に不満を抱いていた。そこで一つの恐ろしい計画を立てる。
人類の王子である4人の王の息子をそれぞれ誘拐し、王や王子、要人の花嫁として孕ませて、人類の血(中でも王族という優秀な血)を持った強い同族を増やし、ついでに跡取りを一気に失った人類も衰退させようという計画。
他種族の国に誘拐された王子たちは、孕まされ、花嫁とされてしまうのであった…。
※淫語、♡喘ぎなどを含む過激エロです、R18には*つけます。
※毎日18時投稿予定です
※一章ずつ書き終えてから投稿するので、間が空くかもです
愛人オメガは運命の恋に拾われる
リミル
BL
訳ありでオメガ嫌いのα(28)×愛人に捨てられた幸薄Ω(25)
(輸入雑貨屋の外国人オーナーα×税理士の卵Ω)
──運命なんか、信じない。
運命の番である両親の間に生まれた和泉 千歳は、アルファの誕生を望んでいた父親に、酷く嫌われていた。
オメガの千歳だけでなく、母親にも暴力を振るうようになり、二人は逃げ出した。アルファに恐怖を覚えるようになった千歳に、番になろうとプロポーズしてくれたのは、園田 拓海という男だった。
彼の秘書として、そして伴侶として愛を誓い合うものの、ある日、一方的に婚約解消を告げられる。
家もお金もない……行き倒れた千歳を救ったのは、五歳のユキ、そして親(?)であるレグルシュ ラドクリフというアルファだった。
とある過去がきっかけで、オメガ嫌いになったレグルシュは、千歳に嫌悪感を抱いているようで──。
運命を信じない二人が結ばれるまで。
※攻め受けともに過去あり
※物語に暴行・虐待行為を含みます
※上記の項目が苦手な方は、閲覧をお控えください。
傾国のΩと呼ばれて破滅したと思えば人生をやり直すことになったので、今度は遠くから前世の番を見守ることにします
槿 資紀
BL
傾国のΩと呼ばれた伯爵令息、リシャール・ロスフィードは、最愛の番である侯爵家嫡男ヨハネス・ケインを洗脳魔術によって不当に略奪され、無理やり番を解消させられた。
自らの半身にも等しいパートナーを失い狂気に堕ちたリシャールは、復讐の鬼と化し、自らを忘れてしまったヨハネスもろとも、ことを仕組んだ黒幕を一族郎党血祭りに上げた。そして、間もなく、その咎によって処刑される。
そんな彼の正気を呼び戻したのは、ヨハネスと出会う前の、9歳の自分として再び目覚めたという、にわかには信じがたい状況だった。
しかも、生まれ変わる前と違い、彼のすぐそばには、存在しなかったはずの双子の妹、ルトリューゼとかいうケッタイな娘までいるじゃないか。
さて、ルトリューゼはとかく奇妙な娘だった。何やら自分には前世の記憶があるだの、この世界は自分が前世で愛読していた小説の舞台であるだの、このままでは一族郎党処刑されて死んでしまうだの、そんな支離滅裂なことを口走るのである。ちらほらと心あたりがあるのがまた始末に負えない。
リシャールはそんな妹の話を聞き出すうちに、自らの価値観をまるきり塗り替える概念と出会う。
それこそ、『推し活』。愛する者を遠くから見守り、ただその者が幸せになることだけを一身に願って、まったくの赤の他人として尽くす、という営みである。
リシャールは正直なところ、もうあんな目に遭うのは懲り懲りだった。番だのΩだの傾国だのと鬱陶しく持て囃され、邪な欲望の的になるのも、愛する者を不当に奪われて、周囲の者もろとも人生を棒に振るのも。
愛する人を、自分の破滅に巻き込むのも、全部たくさんだった。
今もなお、ヨハネスのことを愛おしく思う気持ちに変わりはない。しかし、惨憺たる結末を変えるなら、彼と出会っていない今がチャンスだと、リシャールは確信した。
いざ、思いがけず手に入れた二度目の人生は、推し活に全てを捧げよう。愛するヨハネスのことは遠くで見守り、他人として、その幸せを願うのだ、と。
推し活を万全に営むため、露払いと称しては、無自覚に暗躍を始めるリシャール。かかわりを持たないよう徹底的に避けているにも関わらず、なぜか向こうから果敢に接近してくる終生の推しヨハネス。真意の読めない飄々とした顔で事あるごとにちょっかいをかけてくる王太子。頭の良さに割くべきリソースをすべて顔に費やした愛すべき妹ルトリューゼ。
不本意にも、様子のおかしい連中に囲まれるようになった彼が、平穏な推し活に勤しめる日は、果たして訪れるのだろうか。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる