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第9章 未来のために

閑話:里帰り(14)

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 side:ウーガ


「おまえは可愛いよ」

 そう言われて、瞬間、頭の中が真っ白になった。
 え、なに言ってんのこいつ。
 そう言ってやりたいのに、言った本人がもう忘れたみたいに平然とつまみを口に放ってるから腹が立って来た。

「なにさ急に。もう酔っ払ってんの?」
「……そういうことにしたいなら、そうしておく」

 なんだよ急に。
 なんなの急に!

「怒ってんの?」
「なんで?」
「俺が聞いてんだけど!」

 うぐっ。
 イラッとして言い返したら軽く睨まれてた。
 やっぱ怒ってんじゃん!

「っ……」

 なんか、なんだろ。
 辛いのか怖いのか全然別の感情なのかも判んないし、どうしたらいいのかも判んない。本音を言えばいますぐ「帰る!」って立ち上がりたいけど、それも、なんか、負けを認めるみたいでイヤだ。
 選択肢を失くしてイライラしてきたオレはどうにでもなれって気持ちで入れてもらったばかりの2杯目を一気に呷った。

「なっ……」

 驚いたのはエニスだ。
 それに気を良くして瓶に手を伸ばしたら、その上からエニスの手で抑えられる。

「もうやめとけ」
「やだっ」
「やだじゃない」
「まだ飲む! っ」

 大きな声を出したらクラッとする。
 そういえば甘い酒って強いかもしれないんだっけ。

「あぁほら、飲み過ぎだ」
「飲んで、ないっ」

 くらくらする。
 あとふわふわする。

「一気飲みしたのは誰だ」
「し、して、ないっ」
「はいはい。酔っ払うと面倒臭いのは兄弟そっくりだな」
「……やっぱり面倒なんだ」
「は?」
「いま面倒って言った……っ」
「……本当に同じ酔いかt」
「ほんとって言ったぁ……!」

 ぼやける視界の中でエニスの顔が怒って見えた。
 そうだよ、知ってるんだ、オレは面倒臭いヤツだもん。
 可愛いわけないじゃん。

「嘘つき。酔っ払いはエニスだ。ちょっとだけドキッとしたの返せバカ。鬼畜」

 くらくら。
 ふわふわ。
 なんかもう、あれ……酒こぼしたっけ?

「可愛い子見つけて、番にして、オレのことなんてさっさと忘れて」

 ぽろぽろ。
 ぼろぼろ。
 いっぱい酒が零れて流れ落ちてく。

「また、俺だけ、置いてか――」

 んぐ。
 大きな手に口を塞がれた。

「はああぁ…………っ」

 でっかい溜息。

「……おまえさ……はあぁ」

 また溜息。
 いや、それより近い。
 距離が近い。
 髪の毛が鼻に掛かってくすぐったい。

「あのさ……俺はおまえらイヌ科シアンと違って尽くすような愛し方は性に合わないの。番だと思ったヤツが他のヤツのものになっていたら奪いたいに決まってんだろ」

 え……っと、うん、イヌ科シアンは相手の幸せ第一にするのか多いから相手に想い人がいれば見守る方にシフトするかな。バルドルなんて良い例だよね。
 ところでコレ何の話?

「婚姻の儀も済ませた番同士ならさすがに諦めたさ。けどいつまでも中途半端なままだ」

 う……うん……?
 そんな人たち身近にいたっけ?
 つまりオレとガインみたいな人たちってことだろ?

「かと思ったらあのバカは勝手に俺たちを守って死んだ」
「――」
「おまけに遺言が「任せた」だ。知ってて託したつもりだろうが、俺にどうしろって。死んだ奴には勝てないのに」

 頭が真っ白になるの、今日だけで何度目だろう。
 さすがにここでガインが好きだったのかなんて言う気はない。ないけど、でも。

「な……で……? そんな素振り、全然……」
「おまえが泣くから。……夢見てても」

 抱き枕になってもらった時かな。
 え、待って。
 番にしたいって思ったヤツに一晩中巻き付かれてても耐えてたの? 精神力がアダマンタイト級じゃん。

「ウーガ」

 すごく近い場所で名前を呼ばれた途端に全身に痺れるような衝撃が走った。

「鈍いおまえでもさすがに察しただろうから言うけど」
「……!」

 ダメでしょこれ。
 これ以上はヤバいから!

「っ、おまえ、待て!」

 制止の声も振り切って今度こそ手にした果実酒の瓶。
 それを一気に呷って、……後のことは覚えていない!




 ……

「ん……」

 頭が重い。
 痛い。
 ガンガンする。
 それでも開けた視界は明るく、すっかり朝になっていた。
 で、エニスの部屋のベッドの上。

「え……」

 起き上がって部屋中を見渡しても本人はいない。
 けど、オレ全裸。
 パンツだけ履いてたけど……履いてるけど!

「ちょっ……ええええっ」

 なにこれ!
 腕とか足とか……キスマーク⁈ オレの服は!! エニスどこ! いや、いま顔見たくない!! じゃあどうする!

 オレは布団を巻いて家まで全力疾走した。




 □■□

 side:エニス


 ものすごい勢いで階段を駆け下り、そのまま玄関を飛び出していく足音を中庭の洗濯用魔道具の前で聞いていた。

「……あいつ、服も着ないで飛び出してったな」

 パンツは脱がしていないし家はすぐそこだ。
 この時間なら近所の働き手は畑仕事で忙しくしているから人目についたとしても、まぁ、あそこの息子は相変わらずだって思われる程度だろう。一世一代の告白を酒で拒まれたあげく吐き散らかされたのだ。洗濯するために脱がしたついでに些か悪戯し過ぎた気はしないでもないが、鼻が良いあいつらはすぐに何もなかったと気付くだろう。
 反省も後悔もない。
 せいぜいソレが消えるまで俺のことで悩んで動揺して意識したらいい。
 どうせバルドルやドーガにはバレているんだから。

「……はぁ」

 昨夜から溜息ばかり。
 いい加減腹立たしくなるが、会った瞬間に「番にしたい」と感じるのは獣人族ビーストの本能で、滅多なことでは上書きされない。俺のこれもそうだ。もうやめよう、無理だと自分に何度言い聞かせても結局はあいつに帰結する。
 どうしようもない本能だ。
 厄介で、理不尽で、ままならない。
 出逢った瞬間にその衝動が相互になるのは非常に稀で、大半は以降の言動で相手にもそう思ってもらえるよう努力する。
 バルドルがそうだったように。
 ウーガとガインも、先にウーガが惚れてガインが絆されたように思う。
 だがガインは、家族から籍を抜くだけでウーガと婚姻の儀を受けられたのにそれをしなかった。あいつなりに何かしら考えていたんだとは思うが俺にはそれが腹立たしくて、妬ましくて、……僅かな可能性に縋った。
 まさか命懸けで救われた挙句「任せた」なんて一言で託されるとは思ってもみなかった。
 あいつにもバレていたのか。
 婚姻の儀に踏み切らなかったのは俺のせいか?
 そう思ったらとてもではないがウーガの弱ったところに付け入る気にはなれなかった。
 ……だが、もう5年。
 充分過ぎるくらい待ったし、ストッパーを外したのはウーガだ。もうさすがに自覚しただろう。

「さっさと落ちて来ればいいものを」

 ずっと抑え込んでいた本音は本人に届かずとも声に出すだけで解放され、心は羽が生えたように軽かった。
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