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第2章 新人冒険者の奮闘

36.監察官

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 神具『住居兼用移動車両』Ex.は異世界に来たとはとても思えない現代地球のあれこれが揃っているから、基本的な家事はあちらで会社員をやっていた時と何も変わらないし、スキル「通販」のおかげで欲しいものは以前よりも楽に入手出来るぐらいだ。
 さて、玄関を入ってすぐ左手側に空っぽの洋室がある。
 リーデンと朝晩の食事を一緒にしようと約束したのはいいけれど、夕飯から朝食までの、普通に考えれば眠るだろう時間帯を彼はどこで過ごすだろうか?
 一緒にご飯を食べた後に「また明日」とお別れして一人きりになるのは寂しいな、と。
 たった数日前までは当たり前だった独り暮らしが急に辛く思えてしまったのだ。
 だから、もしも眠るだろう時間帯も同じ空間にいてくれるなら、部屋を整えた方が良いかな、とか。
 神様もお風呂に入ったり洗面所を使ったりするのか、とか。

「食器は2セットずつあったから良いけど、食卓の椅子が一つしかないからこれは購入だ。同じのあるかな……」

 最初の夕飯は何にしようか散々悩んで、結局は作り慣れている和食に決めた。
 白米、肉じゃが、ほうれん草のおひたし、サラダ。
 誰かと一緒に食べると思うだけでも心が充たされるのだといま初めて知った。
 定番中の定番で支度を終え、リーデンの帰りを待つ間にスキル「通販」を眺めていた。


 まさかあんな事になるなんて、この時の俺はこれっぽっちも予想していなかった。




 ◇◆◇

 ――翌朝。
 約束通り朝8時半に宿屋『猿の縄張り』に迎えに来たレイナルドは、俺を見るなりはっきりと顔を引き攣らせた。
 うん、ですよね。
 そういう反応されるだろうなって判ってました。
 宿屋の主チロルも、いまのレイナルドほどではないが挨拶の時に怪訝な顔をしていたんです。

「おはようございますレイナルドさん」
「おう……いや、おまえ、それ……っ」

 心なしか青褪めた表情で距離を詰めてきたレイナルドだったが、鼻をぴくりとさせた後で不思議そうな顔になり動きを止めた。

「なんだこれ、違うのか……? んん?」
「……匂いで判るものなんですか?」
「え。ぁ、ああ、俺の鼻は少し特別だからな」
「じゃあこれがどういう感じかも判るんですか?」
「そう、だな。これは……」

 言葉を切ってから、改めて注視されるのが判る。
 たぶんスキルか、それに似た何かで判別しているのだと思う。

「契りに見せかけて、目的は牽制か」

 言い当てられてちょっと驚いた。

「本当に判るんですね」
「……そうじゃねぇだろう……とか、いろいろとツッコミたいところだが、いまはこれをおまえに仕掛けた何者かの正体が恐ろし過ぎるわ」
「そんなにですか」
「そんなにだ」

 レイナルドは呆れた表情で言った後に、ふと気付いたように俺の背後に視線を向ける。
 右手を上げてひらひらと振った相手は御主人。

「こいつは大丈夫だ」
「え」

 何が、と振り返れば安心したような顔の御主人が同じように手を上げて応じている。

「??」
「おまえなぁ……昨日、俺が送った時にはそこそこだった雄の匂いが、一晩で強烈に刻まれてりゃ宿の主としちゃ心配になるに決まってんだろ。未成年に誰が何したのかってのもそうだし、例えば部屋にオ……ごほっ。誰か隠してるんじゃないかとか、さ」
「あ!」

 そうだ、部屋から神具『住居兼用移動車両』Ex.へ移動しているとはいえリーデンが暮らすようになったら宿代は二倍だろうか。
 少なくとも昨夜はしっかりと泊まっている。

「そういう場合って、無賃宿泊で犯罪歴が付きますか……?」
「つく。だからおまえがそうじゃないのは判ってる」
「えっ」
「言ったろ、鼻が利くって。だからこそ聞くが……おまえ、夜に勝手に宿を出たのか?」
「出てません」
「なら、どこでソレ濃くして来たんだよ」

 返答如何によっては叱るぞと顔に書いてある。
 リーデンが無賃宿泊になっていなかったことには安心したが、かと言って正直に話して理解してもらえるかどうか……。
 リーデンからは「自分で誤魔化せそうになかったらこう言え」と助言は貰っている。
 伝える相手はイヌ科シアンの男だと言っていたからレイナルドで間違いないはずだ。
 うーん……いや、うん。
 無駄な抵抗はしない方がいいかな。

「レイナルドさん。実は言伝を預かっています」
「俺に?」
「はい。えっと……『レンを任せる。パーティに入れて自分の正体を明かし、冒険者ギルドの二人と身分証紋を確認するように』って」
「――」

 あ、その顔は初めて見る。
 レイナルドでも驚き過ぎて固まるってことはあるらしい。
 
「なん……て……?」
「判りません。でも、レイナルドさんにそう伝えれば判るはずだって言ってました」
「……おまえの雄が?」
「っ、おっ、俺の雄とかじゃ……っ」
「……保護者?」
「保護者……にしか見えない、かも……」

 保護者と言われてしまうと重石が心臓を圧し潰すみたいな気持ち悪さが襲ってくる。
 それが顔に出たのだろう。

「わっかんねぇなぁ……」

 レイナルドは髪をわしゃわしゃとかき乱しながら唸るように呟いた。

「ちなみにその、あー……威嚇しまくってる匂いの持ち主の名前は言えるか?」
「……聞かない方がいいと思います」
「まじか……」

 天井を仰ぎ深く息を吐き出すレイナルド。

「嫌な予感しかしないがしゃあないな。薬草採取の前にギルドに寄るぞ」






 で、現在。
 ちょっと想定外のおかしなことになっている。
 もう何度目かになる冒険者ギルドの応接室に集まったギルドマスターのハーマイトシュシューと、サブマスターのララに挟まれて、レイナルドが頭を抱えて座り込んでいるのだ。
 正面のローテーブルの上にはお馴染みの魔導具『証紋照合具』。
 其処に表示されているのだろう俺の情報。
 それを見た瞬間にレイナルドは固まり、ララは口元に手を当てて声を飲み込み、ハーマイトシュシューは「おやおや……」と力なく呟いていた。
 心なしか三人とも急に老け込んで見える。

「……あの……?」

 恐る恐る声を掛けると、落ち込んだようにも見える体勢で顔を伏せていたレイナルドがゆっくりと視線を送って来る。

「……レン」
「はい」
「……いや、待て……」

 言って、また俯いてしまった。
 何なんだろう一体。
 さすがに困惑して来ると、ララが「お茶の準備をして来ますね」と立ち上がり、ハーマイトシュシューも「それがいいね」と同意する。

「さすがにこれは、少し頭の中を整理する時間が必要だ」
「はあ……」

 そうですかと返事はしてみるが、やっぱりよく判らない。
 話が再開したのはララが用意してくれたフルーツティーが皆に配られ、半分ほどがなくなった頃だった。

「レンさんはご存知ないと思いますので、少し詳しい説明をしますと、この『証紋照合具』という魔導具はとある条件を満たしている者に限り、通常では表示されない項目を閲覧する事が出来ます」

 ララがテーブルの上の魔導具に触れながら教えてくれたことを纏めると、洗礼の儀を終えた子どもの身分証を発行する事が出来る機関には相応の責任が伴うため、冒険者ギルドだけでなく街中のあらゆるギルドにおいて、ギルドマスター、サブギルドマスターには個人の『特記事項』――公には出来ないが隠してはならない事実を見る事が出来るのだと言う。

「そしてもう一人……各種ギルドを監督査察するため国から派遣されている監察官も、閲覧出来るのです」

 その説明に、視線がレイナルドに吸い寄せられた。
 この話の流れだ、それしかない。
 話題の中心にいる本人は深く息を吐くと、胸ポケットからカードを取り出して此方に見せてくれる。
 レイナルド・グランバル・トロワ・ウェズリー。
 初めて知った彼の本名はとても仰々しく、役職の欄には『トゥルヌソル担当監察官』と明記されている。どこまでの人が彼の身元を知っているかは不明だが、昨日のあの自信の理由がこれだと知ったら納得しかなかった。

「監察官て、監察される側の人たちに身元がバレていて大丈夫なんですか?」
「各ギルドのマスター、サブマスターには協力してもらう事もあるから事前に知らせているんだ。場合によっては貴族も監察対象になるからな」
「……それを俺に教えてもいいんですか?」
「そりゃあおまえ……『正体を明かせ』という伝言をおまえに預けたは王より上位だからな」
「あ……」

 そっか。
 主神リーデンの実在を知っているロテュスの民にとって、あの伝言は王様の命令より重視して然るべき内容ってことだ。

「……他人事のような顔をしているけれど、もし君と主神様の関係が公になれば、君は国賓どころか世界中の民が跪くべき奇跡の存在だよ?」
「へ?」
「昨日までなら君の安全のためには王都に報告し国に保護してもらうことも考えていたんだが……」
「やめてください!」

 思わず大声で拒否してしまった。
 でも、それだけはやめて欲しい。
 国に保護なんてされたら窮屈な生活を送る事になる未来しか見えない。
 そんなの絶対に御免である。

「あの、リーデン様が対応してくれたので、もう大丈夫ですからっ。保護して頂かなくてもちゃんと生活出来ます!」

 慌ててそう言い募ると、ララは苦笑いし、ハーマイトシュシューは心得ていると言いたげに頷く。

「判っている。主神様も君の意思を尊重する事を望まれているようだし、レン君の身元は、この場にいる者達だけの秘密にしよう。その代わり君自身も他所のギルドで証紋を提示しないように気を付けるように」
「は、はいっ」

 絶対に他所では僧侶の紋を提示しませんと言う気持ちを込めて強く応じたら、レイナルドがとても深くて重い溜息を零した。
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