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第1章 異世界に転移しました
24.まずは勉強なので
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冒険者になるのはとても簡単で、専用の魔道具に付いている針に指を軽く押し当てて一滴の血を吸わせると魔導具の下部にある取り出し口から素材は鉄だろうネームタグが出て来た。
『レン・キノシタ 鉄級』
書かれている内容はとてもシンプルだが、このタグを魔導具に通すと受けた依頼の数からその達成・失敗の割合や、倒した魔獣・魔物の種類と数、採取した薬草の種類と数まで判別すると言われて驚いた。
なにをどうしたら数まで把握できるというのだろう。
「冒険者ギルドの証紋はどちらに刻まれますか?」
「それって何でも良いんですか?」
「構いません。レンさんは既に正教会の紋をお持ちですし、口座もございます。依頼料の振り込みはそちらで纏めるのがよろしいかと思いますが、如何ですか?」
「そう出来るならしたいです」
即答にララも頷き返す。
「冒険者がタグに身分証紋を刻むのは依頼に関する一連の業務を、依頼料の振り込みまで、すべてタグ一つで済ませる方が楽だからです。レンさんは振込の際に正教会の紋を提示して頂く事になりますので、極端な事を言えばタグさえ所持して頂ければ、冒険者ギルドの紋は鞄の底にしまい込んであっても問題ございません」
いろいろ言われて混乱しそうになったが、つまり社員証とマイナンバーカードは別っていう理解でいい気がする。マイナンバーカードは一人一枚だから二枚目は不要ってことなんだろう。
「でも、冒険者っていう身分証紋は必要なんじゃ?」
「当ギルドは兼業前提の身分証紋ですからタグそのものが身分証の役割を果たします」
「あ、なるほど……あれ? でも冒険者ギルドだけが兼業可能なら、正教会の紋を持っている俺は、そもそも此処にしか登録出来ない?」
「ふふっ、それなら私も安心なのだがね」
ハーマイトシュシューが困ったように笑い、ララも苦笑い。
「正教会の紋は、それこそ特別です。他のギルドならこうして人同士で希望を聞き任意の場所に刻めますが、正教会の紋を刻めるのは主神リーデン様のみで、刻む場所もリーデン様がお決めになります。僧侶は世界に100人前後しかいない稀少な存在ですが、言い換えれば僧侶だけは三つまで身分証紋を持てるということですね」
説明されれば納得できるが、さすがに三枚目のマイナンバーカードは要らないかもしれない……。
冒険者ギルドの二人から更に話を聞いて、結局は他の冒険者と同じようにタグに刻む事にした。と言うのも他の僧侶は囲われるのを避けるために小さな町や村では別の紋を提示する場合が多いと聞いたからだ。
自分のタグを指で撫でていて、ふと思い出す。
「クルトさんのネームタグが外にあった理由は判ったんですか?」
「ああ」
ハーマイトシュシューが頷いた後で「いや」と否定を重ねて来る。
「判ったと言うよりは獄鬼の仕業だと考えると、どんな手段を使われたか判らないというのが正解だな」
「判らないってことが判った、ってことですね」
「そういうことだ。取り憑かれていたジェイの言動にはもはや信憑性など皆無だし、奴らの能力を我々が完全に把握しているわけでもない。例えばあの日の朝に旅に出ているパーティメンバーを利用して持ち出させた可能性だってある」
「!」
まさかと驚くがギルドマスターがそう言うんだ。
可能性はゼロじゃないんだろう。
「街を出る時の照合で問題ないと出ているのだから故意で協力したという線は無いと思うが、例えば荷物に忍ばせていたものがたまたまレンくんの見つけた場所で落ちた可能性はある」
「……ロクなものじゃないんですね、獄鬼って」
「まったくだよ。トゥルヌソルには僧侶が多いから連中は近付けない、例え入り込んでも僧侶なら気付けるから早期発見が可能だと思い込んでいた我等の油断が招いた失態だ。レイナルドに聞いた話だが、獄鬼に愚かだと嘲笑されたそうだ」
「嘲笑?」
「神は僧侶に『旅の僧侶』と名乗らせるのに我が身が可愛い人は僧侶を囲い込む。結果、僧侶の訪れない土地で獄鬼はやりたい放題だ、と」
獄鬼の言い分にイラッとすると同時に身体の奥の方がひやりとした。
いつまでかは判らない。
でも、自分もいまここにしばらく滞在する気でいる。
「……早めに旅に出た方が良いんでしょうか」
リーデンもそれを望んで神具『住居兼用移動車両』Ex.を与えてくれたのだろうか。
だとすれば――。
「自由でいいと思うよ」
「……え?」
思い掛けない反応に目を丸くすると、ハーマイトシュシューは良い笑顔を浮かべて見せた。
「確かに主神様は民を癒すために僧侶をこの地に遣わすと言われているけれど、それは決して君の自由を奪うためではないと私は思う。自分で考え、学び、時機が来たら旅立てば良い。せめて回復魔法くらい使えるようにならねば君自身の命が危ういのは事実だ」
「そう、ですよね」
「そうだよ。それでなくとも君はまだ子どもなのだから」
「はい」
「何なら私が死ぬまで此処に居てくれると余生が楽しくなりそうだ」
「マスター?」
ぎろりとララに睨まれて笑うハーマイトシュシュー。
そういえば森人族は他の種族に比べて寿命が短いらしいけど、この人はいま何歳くらいなんだろう。20代? ギルマスになっているくらいだから見た目ほど若くはないのかもしれない。
「何にせよ今回の諸々が終わったら獄鬼討滅戦に参加した者達にはもちろん、クルトにも相応の援助を行うつもりだ。もちろん君にもね」
俺は何も……と言い掛けて、さっきのレイナルドたちの言葉を思い出す。
「ありがとうございます」
「うん、合格だね」
素直に受け取る姿勢を見せたらハーマイトシュシューが笑った。
何を試されていたのかは教えてくれなかったけど、まぁ、そういうことなんだろうな。
その後、冒険者が知っておかなければならないことを幾つか説明されて、受け取った紋付きのネームタグを首から掛けた。
「こちら、いま説明した内容を含む細々した規約が記された冊子です。そしてこちらは、新人冒険者が受けられる依頼で必要になる薬草や、周辺の魔物、トゥルヌソルの街の地図といった情報をまとめたものです。ぜひご活用下さい」
「判らない事は気軽に聞きにおいで。これからよろしく」
「はいっ、よろしくお願いします!」
――その後、体調確認に来てくれた僧侶のセルリーは俺の顔を見るなり「昨日はありがとう!」と感謝されてしまい戸惑ったが、レイナルドやクルトに説明されていたので素直に受け止めた。笑顔が引き攣っていたかもしれないが、それはそれだ。
彼女に診てもらった結果、問題なしと判断されたのでホッとして帰路に付く。
外されていた装備を身に付けて昨夜とまったく同じ格好。宿屋の御主人も心配しているだろうし、ララから貰った2冊の本を入れる鞄がなかったので、まずは『猿の縄張り』に戻る事にした。
『猿の縄張り』では、やっぱり心配してくれていた御主人に無事を伝え、ハーマイトシュシューに勧められて新人冒険者になったことを伝えると大笑いされた。
「ずいぶん気に入られたな!」
「そうなんですか?」
「ギルマス直々に誘われたんだろ、そんな話は聞いたことねぇよ」
御主人はそう言って笑うけれど、笑い事じゃないのでは。
悪い人という感じはしなかったし、他所に行かせまいという圧力は感じても僧侶を独占しようって私欲めいた雰囲気は皆無だったのに、ギルドマスターが自ら勧誘する理由は何だろうか。
「ま、あんま無茶すんな」
「はい」
そんなやりとりをして部屋に戻る。
一人部屋は5畳半くらいの洋室で、置かれている家具は木製のシンプルなものばかりだが……。
「神具があるから気にしてなかったけど、ギルドのあの部屋と比べるとかなり部屋っぽい」
一度も使っていないから全く乱れていないシングルベッドと、ランプが置かれたサイドテーブル。机、椅子、幅60センチくらいのクローゼット。
三段ボックスより背丈がある棚。
入口の側には腰の高さくらいの物置き用の棚。
机の上にもランプがあるが、それだけで、日本のホテルみたいな文房具や食器類は一切ないおかげかワンルームのアパートにいるような気になるのだ。
たぶん長期滞在前提で、宿泊者本人が使いやすいように揃えて室内に置いておけるよう考えられているんだと思う。またはそういう部屋を用意してくれたのだろう。
水回りこそ各階ごとの共用なのが気になるが、身分証紋を使った鍵もあって緊急時以外は決して自分以外が入れない仕様になっているし、成人前に旅をせざるを得ない子どもの安全を本当によく考えた宿だと思う。
「使わないの勿体ないな」
改めて部屋を見回し、壁にはまっている石に気付く。
無色透明な子どもの手のひらサイズだ。
「普通なら部屋の照明のスイッチとかがありそうな場所だけど……」
天井を見ると、照明だろうものは吊り下がっているけど押しても引っ張っても点灯しない。
よく判らない。
「使い方も勉強か。あとは、泊っているのにベッドを使った形跡がないというのも変だな」
そう思って掛布団を捲りシーツの上で皺を作るように手を動かす。
扉の隙間から見られることもあるだろうし、最低限、生活しているように見えるだけの小物は用意しておいた方がいいだろう。
神具『住居兼用移動車両』Ex.から持って来れたりするかなと考えながら壁際に設置した扉を開ける。
ギルドでも出したけど、こっちの扉は消えていなかった。
「どういう仕様なのかも詳しく聞きたいけど……さすがに今はいないかな……」
ただいま、と。
扉の閉まった神具内で声を上げてみるけれど前回のように返る声はない。
その事に少し寂しさを感じつつ、ギルドで貰った冊子をローテーブルに置き、装備を外して普段着に着替えてからお金を入れた鞄を背負う。
今度こそ此処に籠って勉強出来るよう、知識の宝庫――つまり本を求めて教会、図書館、本屋を巡ってくるつもりだ。
「あ」
ふと思い出してスキル「通販」を起動して内容を確認すると、ノートや筆記用具が見つかる。日仏英語辞典もあったら良かったのだが本と呼べるものは一冊も無かった。
「んー、まぁいっか。とりあえずこれを買って……」
購入ボタンを押す。と、虎の巻と同様に目の前のローテーブルの上に現れたノートとペン、それからグラスを一つ持って神具『住居兼用移動車両』Ex.を出ようとすると、入口からピーッという警告音。
「やっぱりそうか」
どうやら神具『住居兼用移動車両』Ex.から物の持ち出しは、元からあった、スキルで購入したに関わらず禁止らしい。
異世界の素材を持ち込ませないということだろう。
随分と甘やかされている自覚はあるが、こういうところはしっかりしているのだと思うと安心した。
グラス、ノート、ペンを置いて改めて部屋を出る。
御主人に少し出掛けることを伝えて青空の下へ。
「この世界に来たのって昨日……だっけ?」
人を轢きそうになったところをユーイチに助けられ、リーデンの世界に来ることが決まって湖畔に転移。
抑えられない好奇心と神具『懐中時計』に導かれるまま歩いた道沿いでネームタグを拾い、このトゥルヌソルに辿り着いた。
クルトに。
レイナルドに。
ララに出会って。
ジェイに不快感を覚え、依頼を出し、寝ていたら起こされてあの騒ぎ。
そして、いま。
転移から約24時間でいろいろあり過ぎだ。
今日から2~3日は全力で籠って勉強である。
「楽しみだな」
勉強も、その後にこの世界でどんな体験が出来るのか。
そんなふうに考えて緩む顔をなんとか抑え、真っ青な空の下を走り出した。
『レン・キノシタ 鉄級』
書かれている内容はとてもシンプルだが、このタグを魔導具に通すと受けた依頼の数からその達成・失敗の割合や、倒した魔獣・魔物の種類と数、採取した薬草の種類と数まで判別すると言われて驚いた。
なにをどうしたら数まで把握できるというのだろう。
「冒険者ギルドの証紋はどちらに刻まれますか?」
「それって何でも良いんですか?」
「構いません。レンさんは既に正教会の紋をお持ちですし、口座もございます。依頼料の振り込みはそちらで纏めるのがよろしいかと思いますが、如何ですか?」
「そう出来るならしたいです」
即答にララも頷き返す。
「冒険者がタグに身分証紋を刻むのは依頼に関する一連の業務を、依頼料の振り込みまで、すべてタグ一つで済ませる方が楽だからです。レンさんは振込の際に正教会の紋を提示して頂く事になりますので、極端な事を言えばタグさえ所持して頂ければ、冒険者ギルドの紋は鞄の底にしまい込んであっても問題ございません」
いろいろ言われて混乱しそうになったが、つまり社員証とマイナンバーカードは別っていう理解でいい気がする。マイナンバーカードは一人一枚だから二枚目は不要ってことなんだろう。
「でも、冒険者っていう身分証紋は必要なんじゃ?」
「当ギルドは兼業前提の身分証紋ですからタグそのものが身分証の役割を果たします」
「あ、なるほど……あれ? でも冒険者ギルドだけが兼業可能なら、正教会の紋を持っている俺は、そもそも此処にしか登録出来ない?」
「ふふっ、それなら私も安心なのだがね」
ハーマイトシュシューが困ったように笑い、ララも苦笑い。
「正教会の紋は、それこそ特別です。他のギルドならこうして人同士で希望を聞き任意の場所に刻めますが、正教会の紋を刻めるのは主神リーデン様のみで、刻む場所もリーデン様がお決めになります。僧侶は世界に100人前後しかいない稀少な存在ですが、言い換えれば僧侶だけは三つまで身分証紋を持てるということですね」
説明されれば納得できるが、さすがに三枚目のマイナンバーカードは要らないかもしれない……。
冒険者ギルドの二人から更に話を聞いて、結局は他の冒険者と同じようにタグに刻む事にした。と言うのも他の僧侶は囲われるのを避けるために小さな町や村では別の紋を提示する場合が多いと聞いたからだ。
自分のタグを指で撫でていて、ふと思い出す。
「クルトさんのネームタグが外にあった理由は判ったんですか?」
「ああ」
ハーマイトシュシューが頷いた後で「いや」と否定を重ねて来る。
「判ったと言うよりは獄鬼の仕業だと考えると、どんな手段を使われたか判らないというのが正解だな」
「判らないってことが判った、ってことですね」
「そういうことだ。取り憑かれていたジェイの言動にはもはや信憑性など皆無だし、奴らの能力を我々が完全に把握しているわけでもない。例えばあの日の朝に旅に出ているパーティメンバーを利用して持ち出させた可能性だってある」
「!」
まさかと驚くがギルドマスターがそう言うんだ。
可能性はゼロじゃないんだろう。
「街を出る時の照合で問題ないと出ているのだから故意で協力したという線は無いと思うが、例えば荷物に忍ばせていたものがたまたまレンくんの見つけた場所で落ちた可能性はある」
「……ロクなものじゃないんですね、獄鬼って」
「まったくだよ。トゥルヌソルには僧侶が多いから連中は近付けない、例え入り込んでも僧侶なら気付けるから早期発見が可能だと思い込んでいた我等の油断が招いた失態だ。レイナルドに聞いた話だが、獄鬼に愚かだと嘲笑されたそうだ」
「嘲笑?」
「神は僧侶に『旅の僧侶』と名乗らせるのに我が身が可愛い人は僧侶を囲い込む。結果、僧侶の訪れない土地で獄鬼はやりたい放題だ、と」
獄鬼の言い分にイラッとすると同時に身体の奥の方がひやりとした。
いつまでかは判らない。
でも、自分もいまここにしばらく滞在する気でいる。
「……早めに旅に出た方が良いんでしょうか」
リーデンもそれを望んで神具『住居兼用移動車両』Ex.を与えてくれたのだろうか。
だとすれば――。
「自由でいいと思うよ」
「……え?」
思い掛けない反応に目を丸くすると、ハーマイトシュシューは良い笑顔を浮かべて見せた。
「確かに主神様は民を癒すために僧侶をこの地に遣わすと言われているけれど、それは決して君の自由を奪うためではないと私は思う。自分で考え、学び、時機が来たら旅立てば良い。せめて回復魔法くらい使えるようにならねば君自身の命が危ういのは事実だ」
「そう、ですよね」
「そうだよ。それでなくとも君はまだ子どもなのだから」
「はい」
「何なら私が死ぬまで此処に居てくれると余生が楽しくなりそうだ」
「マスター?」
ぎろりとララに睨まれて笑うハーマイトシュシュー。
そういえば森人族は他の種族に比べて寿命が短いらしいけど、この人はいま何歳くらいなんだろう。20代? ギルマスになっているくらいだから見た目ほど若くはないのかもしれない。
「何にせよ今回の諸々が終わったら獄鬼討滅戦に参加した者達にはもちろん、クルトにも相応の援助を行うつもりだ。もちろん君にもね」
俺は何も……と言い掛けて、さっきのレイナルドたちの言葉を思い出す。
「ありがとうございます」
「うん、合格だね」
素直に受け取る姿勢を見せたらハーマイトシュシューが笑った。
何を試されていたのかは教えてくれなかったけど、まぁ、そういうことなんだろうな。
その後、冒険者が知っておかなければならないことを幾つか説明されて、受け取った紋付きのネームタグを首から掛けた。
「こちら、いま説明した内容を含む細々した規約が記された冊子です。そしてこちらは、新人冒険者が受けられる依頼で必要になる薬草や、周辺の魔物、トゥルヌソルの街の地図といった情報をまとめたものです。ぜひご活用下さい」
「判らない事は気軽に聞きにおいで。これからよろしく」
「はいっ、よろしくお願いします!」
――その後、体調確認に来てくれた僧侶のセルリーは俺の顔を見るなり「昨日はありがとう!」と感謝されてしまい戸惑ったが、レイナルドやクルトに説明されていたので素直に受け止めた。笑顔が引き攣っていたかもしれないが、それはそれだ。
彼女に診てもらった結果、問題なしと判断されたのでホッとして帰路に付く。
外されていた装備を身に付けて昨夜とまったく同じ格好。宿屋の御主人も心配しているだろうし、ララから貰った2冊の本を入れる鞄がなかったので、まずは『猿の縄張り』に戻る事にした。
『猿の縄張り』では、やっぱり心配してくれていた御主人に無事を伝え、ハーマイトシュシューに勧められて新人冒険者になったことを伝えると大笑いされた。
「ずいぶん気に入られたな!」
「そうなんですか?」
「ギルマス直々に誘われたんだろ、そんな話は聞いたことねぇよ」
御主人はそう言って笑うけれど、笑い事じゃないのでは。
悪い人という感じはしなかったし、他所に行かせまいという圧力は感じても僧侶を独占しようって私欲めいた雰囲気は皆無だったのに、ギルドマスターが自ら勧誘する理由は何だろうか。
「ま、あんま無茶すんな」
「はい」
そんなやりとりをして部屋に戻る。
一人部屋は5畳半くらいの洋室で、置かれている家具は木製のシンプルなものばかりだが……。
「神具があるから気にしてなかったけど、ギルドのあの部屋と比べるとかなり部屋っぽい」
一度も使っていないから全く乱れていないシングルベッドと、ランプが置かれたサイドテーブル。机、椅子、幅60センチくらいのクローゼット。
三段ボックスより背丈がある棚。
入口の側には腰の高さくらいの物置き用の棚。
机の上にもランプがあるが、それだけで、日本のホテルみたいな文房具や食器類は一切ないおかげかワンルームのアパートにいるような気になるのだ。
たぶん長期滞在前提で、宿泊者本人が使いやすいように揃えて室内に置いておけるよう考えられているんだと思う。またはそういう部屋を用意してくれたのだろう。
水回りこそ各階ごとの共用なのが気になるが、身分証紋を使った鍵もあって緊急時以外は決して自分以外が入れない仕様になっているし、成人前に旅をせざるを得ない子どもの安全を本当によく考えた宿だと思う。
「使わないの勿体ないな」
改めて部屋を見回し、壁にはまっている石に気付く。
無色透明な子どもの手のひらサイズだ。
「普通なら部屋の照明のスイッチとかがありそうな場所だけど……」
天井を見ると、照明だろうものは吊り下がっているけど押しても引っ張っても点灯しない。
よく判らない。
「使い方も勉強か。あとは、泊っているのにベッドを使った形跡がないというのも変だな」
そう思って掛布団を捲りシーツの上で皺を作るように手を動かす。
扉の隙間から見られることもあるだろうし、最低限、生活しているように見えるだけの小物は用意しておいた方がいいだろう。
神具『住居兼用移動車両』Ex.から持って来れたりするかなと考えながら壁際に設置した扉を開ける。
ギルドでも出したけど、こっちの扉は消えていなかった。
「どういう仕様なのかも詳しく聞きたいけど……さすがに今はいないかな……」
ただいま、と。
扉の閉まった神具内で声を上げてみるけれど前回のように返る声はない。
その事に少し寂しさを感じつつ、ギルドで貰った冊子をローテーブルに置き、装備を外して普段着に着替えてからお金を入れた鞄を背負う。
今度こそ此処に籠って勉強出来るよう、知識の宝庫――つまり本を求めて教会、図書館、本屋を巡ってくるつもりだ。
「あ」
ふと思い出してスキル「通販」を起動して内容を確認すると、ノートや筆記用具が見つかる。日仏英語辞典もあったら良かったのだが本と呼べるものは一冊も無かった。
「んー、まぁいっか。とりあえずこれを買って……」
購入ボタンを押す。と、虎の巻と同様に目の前のローテーブルの上に現れたノートとペン、それからグラスを一つ持って神具『住居兼用移動車両』Ex.を出ようとすると、入口からピーッという警告音。
「やっぱりそうか」
どうやら神具『住居兼用移動車両』Ex.から物の持ち出しは、元からあった、スキルで購入したに関わらず禁止らしい。
異世界の素材を持ち込ませないということだろう。
随分と甘やかされている自覚はあるが、こういうところはしっかりしているのだと思うと安心した。
グラス、ノート、ペンを置いて改めて部屋を出る。
御主人に少し出掛けることを伝えて青空の下へ。
「この世界に来たのって昨日……だっけ?」
人を轢きそうになったところをユーイチに助けられ、リーデンの世界に来ることが決まって湖畔に転移。
抑えられない好奇心と神具『懐中時計』に導かれるまま歩いた道沿いでネームタグを拾い、このトゥルヌソルに辿り着いた。
クルトに。
レイナルドに。
ララに出会って。
ジェイに不快感を覚え、依頼を出し、寝ていたら起こされてあの騒ぎ。
そして、いま。
転移から約24時間でいろいろあり過ぎだ。
今日から2~3日は全力で籠って勉強である。
「楽しみだな」
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