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[69]ヴィの過去と真意①《あと7日》

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 目を覚ますと、隣にあったはずの温もりが消えていて。ぎくり、と体が強張った。

「───フィオリア!」

 気づいた時には、ヴィが私を抱きすくめていた。大丈夫だ、と背中を擦られる。呼吸は浅く、手足の先が冷たくなっていた。
 やっとの思いで、息をつく。

「ごめんなさい……」

 ───思ってもみなかった。ヴィの姿がほんの一瞬見えなくなるだけで、ここまで取り乱すなんて。
 
「───お水を、もらいに行っていたのね」

 床に、透明の容器が倒れていた。そこを中心に、水たまりが広がっている。彼が落としたのだとわかった。

 ………恥ずかしい。今はヴィの方が混乱しているはずなのに、私は自分のことでいっぱいいっぱいで、彼の心に寄り添えない。

「もう、大丈夫よ。変ね、まだ疲れが取れていないのかしら」

 誤魔化すように、笑う。だけど、ヴィはまったく笑わなくて。

「すまん。不安にさせた」

 ヴィは誠意を持って、私と向き合おうとしてくれている。そう気づいたら、胸に温かいものが広がった。目を、閉じる。それなら、私も誤魔化したりしないで、正直であるべきだ。

「………まだ、怖いの」
 
 感情のまま、声が震えた。

「目を離したら、貴方が消えてしまうんじゃないかって。そう思ったら、もう止まらない。息ができなくなる」

「分かってる」

 ぽん、ぽん、と背中を叩く一定の速度に、だんだんと、気持ちが安らいでいった。

 少しだけ、ヴィの顔が離れた。熱に溶けた赤い双眼が、私を射抜く。せっかく安定した呼吸が、また乱れた。方頬が包まれ、親指で撫でられる。その熱に、集中しかけた時、

「俺は───フィオリアが俺を嫌いになってここから出ていくことを期待してる。今からでも」
 
「え────」

 嫌よ!カッとなり、叫んだ。

「どうしてそんなこと言うの。………約束したじゃない」

 今度は涙がでてくる。私って、いつの間にこんなに感情表現が豊かになったのかしら。お母様が見たらきっと驚くわ。

「だけど、俺は卑怯だから。こうやって、お前を引き止めてる」

 すべらかな唇が、触れるか触れないかの距離で、私の顎の線をなぞっていく。その唇が耳をくすぐる。びく、と体が跳ねる。

「結局、離れられないのは俺の方なんだよ」

 ひときわ熱のこもった声が、言った。

「───彼女が残ったのは、正解だったな」

 彼が言うと同時に、ティナが部屋へと入ってきた。私を抱きしめるヴィの姿を見て、ティナの表情が鬼の形相へと変わったのは、言うまでもない。
 心臓がいつまでもドキドキと鳴って、ヴィの顔がまともに見られなかった。
 
 だというのに、ティナが持ってきてくれた簡単な食事を取る間も、ヴィは私から視線を逸らそうとしなかった。まるで、私の一挙手一投足を記憶に刻みこもうとするかのように。そういう感覚には、私にも覚えがあった。ヴィと再会した直後、いつ彼が消えても心が壊れてしまわないように、彼の全てを記憶しようと必死に五官を働かせた。どうせ壊れてしまうのに、無意味な行動だと知りながら、それでも止められなかった。
 ───ヴィは、私が自分から離れていくとでも思っているの? そんなこと、あり得ないのに。

 食事を終えた後、ヴィは私を天幕から連れ出した。彼は何も言わない。だけど、私にはわかった。

 ルルが言っていた、知られれば、私に嫌われるかもしれない事実。それを、ヴィは私に、教えようとしてくれている。

 ついに、彼が隠している"何か"に触れる時が来た。

 太陽が高い。お昼はもう、とっくに過ぎている。どうやら、かなり長い時間、眠っていたみたい。
 私がいたのは来客用の天幕だったらしく、ほかにもいくつかの天幕があり、さらに、奥にはひときわ大きな天幕があった。サーカス団の団員と思しき個性的な面々が、忙しそうに行き来している。彼らは皆、深い事情は何も聞いてこない。ただ気さくに挨拶してくれた。

「込み入った事情があって、ここに逃げてくるやつは多いから。皆、その辺りは心得てる」

 彼らの態度に不思議な心地よさを感じていると、ヴィが言った。
 
 いくつかの天幕の中、ヴィが迷いのない足取りで入っていったのは、ビッキーの天幕だった。

「"鏡"は出しておいた。終わったら知らせてくれ」

 ビッキーはそう言うと、誰かが呼ぶ、"団長"との声をに応じ、天幕を出ていった。

 "鏡"とは、過去を覗き見る、あの灰色の靄のことだった。簡易な作りの木製テーブルの上に、浮いている。私とヴィは、"鏡"を覗きこめる位置に椅子を置き、並んで座った。

 ヴィが"鏡"に手を伸ばし、けれど、躊躇うようにその手を止めた。手首には未だ、あの金のブレスレットがある。
 下ろされている方のヴィの手を、ぎゅっと握る。貴方が隠していることが、どんなことでも、嫌いになったりしない。離れていったりしない。その気持ちが、伝わりますように。

 再び伸ばされたヴィの手、その指先が靄に触れた瞬間に、過去の出来事であろう情景が、映し出された。

 私は口の中で、あっと声を上げた。映像は、ヴィが産まれる瞬間から、始まっていた。

 ……
 ………
 …………

 産婆により取り上げられた男の子は、すぐに目を開け、赤い瞳を見せた。豊かな黒髪と、微笑んだ口元から覗く生え揃った白い歯。とても産まれたばかりとは思えない、その子はすでに完成された美を誇っていた。──天使のような、けれども悪魔のようなその子は、あまりに異質。皆が恐れるのも無理のないことだった。

 魔王だと、赤子を見てしまった一部の重鎮たちが騒ぐ中、陛下は別の方向に頭を悩ませ、クラリス王妃を罵っていた。

『レナードとの間に作った子なのだろう!』

 思わず、息を呑む。そんなはずはないと、お父様の性格を知っていれば分かることだけれど、心臓に悪い。

 王妃は泣き叫びながら、それを否定していた。

『少しでも私に似ていれば、こんなことはしたなかった。だがこの子は、私にまったく似ていない』

 それが、赤ん坊の運命を決めてしまった。

『どうか、この子を逃して』

 王妃は、レナード──私のお父様に、助けを求めた。かつて、浮気の果に自分を捨てた女の、あまりに都合の良い願いに、お父様は最初、なかなか決断できない様子だった。

『お前と、陛下の事は、殺してやりたいほどに憎い。しかし───子供に罪はない』

 それでも結局、お父様は協力者となることを了承した。
 準備は、迅速に進められた。
 王妃付きの侍女の一人が、部屋に呼ばれた。茶色い髪を後ろ手にまとめた、これといって特徴のない女性。彼女が顔を上げたとき、隣でヴィが息を呑むのがわかった。
 王妃が、赤ん坊の頬をなでながら言った。『この子の名前は、ヴィンセント。この国を興した偉大なる王から取った名前よ。この月光石のペンダントを、母の代わりだと思っていつも側に置いてと、伝えて。この石が、きっと幸せを運んでくれる。愛してるわ、ヴィンセント』
 こうして、産まれてから2日とたたず、赤ん坊は城から出された。

 私はハッとして、耳で揺れる月光石のピアスに触れた。

「───それ」

 ヴィが目を細め、こちらを見ていた。やっぱり、そうなのね。

「母さんが、唯一俺に残してくれたものだった。正確には、"母さんだと思ってた女"だったわけだが」

「こんな、大切なもの。どうして、」

「大切だからだよ」

 胸が、ぎゅっと締め付けられた。もっと話すべきことがある。そう思うのに、言葉がうまく出てこない。その間にも、映像は続いていく。

 ヴィが母だと思っていたひとは、クラリス王妃が子を託した侍女だった。

 彼女は赤ん坊を連れて、平民街まで逃れた。ディンバードが用意した家で、生活を始める。生活は、何不自由なかった。持たされた大金のおかげで、手に入らないものはなく、赤ん坊にも十分な栄養を取らせることができた。───けれど、大金すぎたのだ。彼女は、そのお金を使って、贅沢三昧をするようになった。侍女であった頃には決して手に入らなかったドレスや、靴、宝石に化粧品、ありとあらゆるものに手を出した。
 そのうち、交友関係も派手になり、彼女は家に男を連れ込むようになった。子供の世話もおざなりになり、家に帰らない日もあった。
 子供は──ヴィは、それでも美しく成長していった。小さなヴィは瞳ばかりが大きく、女の子のように可愛い。けれど、あまり喋らず、無表情な瞳で見つめるその子を、侍女は気味悪がるようになった。そしてある日、ヴィの力が覚醒する。彼は、黒い炎を操った。これには、魔法使いの存在を知ってるはずの侍女も、度肝を抜かれたようだった。それから数年、ヴィが7歳になる頃。侍女は、ヴィを残して、その家を出ていった。当たり前のように、ヴィにはお金も、何も残されなかった。唯一、月光石のペンダントを除いて。王妃への罪悪感から、それだけは、ヴィから取り上げる気にはなれなかったのかもしれない。
 
「自分の過去なんて、見るべきじゃないな」

 笑うヴィは、だけど、はっきりと傷ついていた。 

 侍女に見放され、一人残されたヴィは食事を自分で調達することもできず、街の中を彷徨った。黒い髪に赤い瞳の異質な子供を、誰もが恐れた。悪魔だと追われ、石を投げつけられ、ぼろぼろになったヴィは、ひたすら逃げた。そうするうちに、体力が尽きた。───見ていられない。この映像は、過去のものとわかっているのに、今すぐ助けに行きたくなってしまう。
 その時、物乞いもできず蹲るヴィを、長いローブを身にまとう青年が見つけた。ビッキーだった。

『黒髪のよしみだ。うちに来るか?』

 "ヴィンセント"という名前が嫌いだと、幼いヴィは言った。

『俺を捨てた女が付けた名前だから』

『だったら、お前も捨ててやればいい。今日からは、そうだな、"ヴィ"とでも名乗ったらどうだ? まったく似ていない名前だと、慣れるのが大変だからな』

 "ヴィンセント"は、"ヴィ"になった。

 ヴィが連れて行かれたのは、サーカス団の天幕だった。両親に早々に先立たれたビッキーは、そのサーカス団の若き団長だった。団員は、ほとんどがヴィと同じ魔法使いだった。魔法を利用して、客に摩訶不思議な芸を披露する。ヴィは、団員として活躍すべく、修行を開始した。それが、魔法の鍛錬にもなった。大人達に護られた、平穏な日々が続いた。

 そして、12歳のとき。
 天幕の裏でナイフ投げの練習をしていたヴィは、ナイフの操作を誤り、腕を怪我してしまう。 

『大変!』

 突然、鈴を転がすようなかん高い声があがった。それからすぐ、ヴィの前に女の子が現れた。

「───嘘、これって………」

 映像の中、真っ直ぐな銀の髪が揺れた。

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