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[63]すれ違う想い
しおりを挟む私達が降り立ったのは、王城の中庭だった。
ヴィは、もう用は済んだとばかりに、塔の頂上に括りつけられている三人から視線をはずし、私を横抱きにした。
「どこに行くの?」
走り出す気配を感じ、彼に聞いた。
ヴィの大きなローブに包まれ、彼の胸の中にいる。ほわほわと夢見心地で、だから、私はこれから直面すべき現実のことをすっかり忘れていた。
「教会だ。まだ間に合う」
「───待って」
こめかみに鋭い痛みが走った。絶望的に、悟る。ずっと一緒にいると言ったのに。ヴィは私との約束を守る気など、なかったんだわ。
信用ならないと言いながら、私はもう、ヴィとの幸せな未来を信じ始めていた。本当に、学習しない。嫌になる。
「勘違いするな。約束を破る気はない。側にいる。望まれる限り、ずっと」
「だったら、」
「お前がキッド・エンデの妻でも、護衛として側にいることはできる」
息が、詰まる。
ヴィは、私と恋人関係になるつもりはないと、その先、結婚して共に生きる未来はないと、そう言っている。
理解できない。この男は、どうしてこうまで頑ななの───?
「───愛してる」
ヴィが、唐突に言った。口まで出かかった文句が、意味をなさない音となって消えた。彼が言った言葉の意味がすぐにはわからなかった。何度もその響きを反芻し、心に染み込ませるようにして、やっと、鮮明になっていく。『愛してる』と言った。ここには、私しかいなくて、彼が見つめるのは、私で。ヴィは、私を愛してる。
あり得ないと思うのに、気持ちは揺らぐ。
ヴィは注意深く、私を待っている。
「愛してるなら、私を他の男にくれてやろうなんて発想が出てくるはずない」
───そう、甘い事を言って私を思い通りに動かそうとするのは、ヴィの常套手段だ。危なかった。信じてしまう、ところだった。
「───どうしてそんな嘘つくの」
涙がいっぱいに溜まり、滲む視界でヴィを睨む。
「嘘じゃない」
「嘘よ。貴方の魂胆はわかってるんだから。なんだかんだと言いくるめて、私を他の男に任せて、そうしてまた私の前から消えるつもりでしょう!」
「嘘じゃないのに。どうしたら信じてくれる」
ヴィが眉尻を下げ、困ったように笑った。まっすぐに、視線が絡む。たっぷりと時間をかけて、額にキスが落とされた。それから、頬にも。
「いいか、よく聞け。俺は、お前を愛してる」
しぐさが、声音が、あまりにも甘い。
まさか、まさか、本当に……?
「───私も、愛してる」
ヴィの首にしがみつき、震える声で言った。口にするのが怖かった。想いを吐き出した途端、最後に繋ぎ止めていた緊張の糸が切れ、体がばらばらになってしまう気がしてして。でも、そうはならなかった。
嫌だ、と首を振る。嫌だ、嫌だ。せっかく想いが通じ合ったのに、報われないなんて、おかしい。
「私をキッド様に渡そうとしないで」
期待を込めて見上げた彼の表情は固く───、ああ、もう彼は決めてしまっている。
「───愛してるから、フィオリアには幸せになってほしい」
相手のためだからと、簡単に手放してしまえる。そんなのが、愛だと言えるの?───わからない。私はヴィを、ルルになんて、他のどの女にも、渡したくはない。
「貴方は、それでいいの? 私が毎晩他の男と寝て、他の男の子供を産んで、歳を取っていくのをただ側で見てるっていうの?」
「………俺には地位も、金もない。この派手な容姿のせいで、一歩街に出れば悪魔呼ばわりだ。裏町の怪しいサーカス団で、一生、隠れて生活することになる。俺のために、お前を底辺まで引きずり落としたくないんだよ───キッド・エンデと結婚すべきだ。あいつならお前を幸せにできる」
「やめて」
自分でも信じられないくらい、悲痛な叫びが出た。
「私は、貴方と共に人生を生きていきたいの。それは、恋人とか、夫婦とか、そういう、隣で肩を並べてって意味よ。そのためなら、地位も、お金もいらないわ!」
若いな、とヴィはすべてを見透かしたような、何とも言えない笑顔を浮かべた。
「お前はまだ18だ。十代というのは、そうやって、簡単に熱に浮かされる歳だ。初めてのキスの相手がよく見えるし、好きだと勘違いする。夢を見ている。だが、その夢もいつか必ず覚めるときが来る。気の迷いだったと、そのときになって後悔しても遅いんだぞ」
「私の想いは本物よ」
気の迷いなんかじゃない。悔しくて、唇を噛みしめる。どうして、わからないの。
「フィオリア、現実はそう甘くない。具体的に考えてみろ。お姫様が、俺との生活に耐えられるわけないだろ。すぐに音を上げて、実家に逃げ帰るに決まってる」
「逃げるわけない。貴方がいる場所が、私のいる場所なんだから」
「───わかるんだよ、俺には」
「全然わかってない!この、独りよがりの頭でっかち!」
未来が見えるという"死神"ではなかったくせに、いったい、この先の未来の、何がわかるというのか。
「私の幸せは、貴方と共に歩む人生にある。そうできないから、死んだ方がましよ」
堂々巡り。こんな言い合い、不毛だわ。
「────キッド・エンデはどうする? やつは今も教会で待っている。お前との未来を描いて幸せに浸ってるんだぞ。あれだけ利用しといて、裏切るのか」
「それは………」
そう言われると、辛い。散々、彼を利用してきた自覚はあるし、罪悪感も、言葉で言い尽くせないほど感じている。
でも、だからといって、
「無理だわ。私はどうしても貴方を愛しているし、これから他の男のものになるなんて、できない」
ヴィは黙り込む。ああ、やっぱり、とため息のように吐かれた彼の言葉をぼんやり聞いた。
「……………戻るべきじゃなかった」
なんで、すって………?
カッと頬が熱くなる。
「ひどいわ!」
これではっきりした。ヴィは私を愛していると言ったけど、私とヴィの気持ちは一緒じゃない。確実に、温度差が存在する。
私ばっかりこの男が必要で、いないと生きていけなくて。───馬鹿みたい。気分が悪い。吐きそう。
「フィオリア、落ち着けよ。俺は喧嘩したいわけじゃない」
「これが落ち着いていられるものですかっ」
私だって喧嘩したくなんかない。ヴィが折れてくれればいい。キッド・エンデのものになんかなるな、一緒に逃げようと。ただ、そう言ってくれさえすれば、ドレスも宝石も、公爵令嬢としての地位も──家族も──全てて捨てて、身一つで貴方と逃げるのに。
「なぁ、頼むから冷静になって、話を聞いてくれ」
「嫌よ、これ以上話すことなんてない!」
と、彼が動きを止めた。宙をぼんやりと見つめ、呟く。
「───ああ、マズイ。公爵が王様とやり合ってる」
「え………?」
公爵──それって、お父様のこと? 陛下と、やり合うって………
────戦争。
ぎくりと凍りつく。怒りは瞬時に消え失せ、不安が波のように押し寄せてきた。
「お父様はどこ」
ヴィが美しい顔を歪めた。教えるんじゃなかったと、後悔しているのか。もしかしたらさっきのは、私に聞かせるつもりのない、独り言だったのかもしれない。
「お父様はどこ!」
「───王城、謁見の間」
「行かなきゃ。今すぐに……!」
腕を引っ張り、ヴィを懸命に急かす。
「やられたよ。婚約式は中止だな。お前の望み通りってわけだ」
呟かれたヴィの言葉は、もはや耳に入らなかった。
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