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[37]ミッション⑦遂行中 第二部(2)

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 王太子の誘いを断れる者が、この国にどれだけいるだろう。
 それはきっと、王様と王妃様、そして最近敵対しつつある第一王子くらいのものね。

 君主からの誘いは、臣下にとって命令の意味を持つ。断れようはずもなく、私はアレクの指定する喫茶店へとおとなしくついていった。

 ここまで同行していた私の護衛も馬車もすべて屋敷へ返された。アレクからの使いを伴って。帰宅次第、私とアレクが共に過ごすことをお父様に知らせるだろう。

 王家の馬車に乗せられ、アレクと正面から向かい合う。王家の馬車だけあって、中は広々としていて揺れも少なく快適。だけど、私は居心地が悪かった。

 ──見られてる。

 ちらとアレクを盗み見れば、すぐに視線がからむ。彼は口元に手を添え、じっと私を見ていた。青い目は宝石のように煌めいていた。会話もなく、馬車は進む。

 ──何を考えているのかしら。

 その視線が熱っぽく感じられて、アレクの心が私に戻りつつあるのでは?という考察も、あながち間違っていないのかもしれなないという気になってくる。

 だけど……
 
 それにしては、展開が急すぎる。ルルとの婚約発表からまだ一週間しか経っていない。そんなに早く愛が冷めるものかしら。あんなに愛し合っているように見えた二人なのに。ずきん、と心が痛む。そっと胸に手を添えた。──まだ、私の心は痛むのね。そのことに、なぜだか安堵した。

 バカね、私。今回のもきっと、そういう類の話じゃないわ。たぶん、後継者争いの件。再びディンバードの後ろ盾を得るために、いよいよお父様への助力を乞おうとしているのだわ。そのために、娘の私に協力を要請する。そういう話なら身構える必要もない。

 アレクが咳払いをし、口を開く気配がした。

 ほら、きたわ。しかし───、

「贈り物は届いたかな?」 

 てんで予想外な話題に、首をひねる。

「ええ……ありがとうございます」

 ああ、そうよね。本題に入る前にまずは前置きが必要だ。貴族の会話の面倒なしきたり。

「そう。返事が届かないから、どうしたのかと思っていたんだ」

 返事……そういえば、出していない。婚約発表パーティー出席への感謝と、ドレスへの賛辞。それだけの要件でアレクが手紙と花を送ってくるとは思えず、どういう意図で贈られたものか裏を読んでいるうちにお返事を書きそびれていた。

「申し訳ありません。帰宅したらすぐに感謝状をお送り致しますわ」

「いや──その必要はないよ。今こうして直接感謝を伝えてもらったしね」

「──そうでございますか?」

 そうはいっても、体裁というものがある。やはり感謝状くらいは送っておこうかと思案していると、アレクはそわそわと組んだ足を揺らした。

「気に入ってくれた?」

「え?」

「お花」

「ああ、ええ……」

「よかった。フィオ、好きだものね、アマリリスの花」

 アレクはにこにこと笑う。
 毒気を抜かれるような、力の抜けるような笑みだった。
 自分が捨てた女に、こんなふうに笑いかけられるものかしら。まるで、罪悪感の一欠片もないというように。
 まぁ、でも──腫れ物に触るような接し方をされるよりは幾分かマシかしら。

 目をつむり、会話に集中する。いまはそう、桃色や白、赤の美しい花弁を持つアマリリスの話。
 
「覚えてる? フィオがアマリリスを枯らしたくないって押し花にしたんだけど、出来上がった押し花は茶色く変色しちゃってて、君、大泣きしたよね」

「そんなことも、ありましたわね……」

 アレクにもらった花をいつまでも綺麗なままで眺めていたい。そう思って押し花にしようとした。お父様の書斎にあった一番分厚い本の中に挟んで。失敗しちゃったけれど……ドキドキしながら本を開いたとき、あまりに姿が変わっていてショックだった。本に挟めたときは綺麗だったのに。こんなことなら、本の中に閉じ込めてしまうんじゃなかった。枯れてしまうその日まで、眺めているんだった。意味もなくたった一人で枯れていった花が可哀想で、せっかく綺麗な花を贈ってくれたアレクにも申し訳なくて、泣いたのだ。

「それからこんなこともあった、あれは──」

 アレクは楽しそうに昔の思い出を語りだした。私との、様々な思い出。それは小さな頃のものがほとんどで、今でも色鮮やかに思い起こすことができる大切な日々だった。彼も宝物を愛でるように、丁寧に語った。アレクも同じように、大切に思ってくれているのね。そう分かって、嬉しかった。
 私達はずっと、一緒に育ってきた。美しい日々は私達だけのもの。誰にも汚せない。ルルにだって。

「あの頃は楽しかったよね」

 アレクがしみじみと言った。あの頃に幸せを求め、過去の幻影に逃げ込むのは私だけだと思っていた。それなのに、その様子ではまるで、アレクもそうだと言わんばかりだった。
 なぜ? 貴方は今が楽しいでしょう? 愛する人に愛してもらえて、そして、結婚しようとしているのだから。

「殿下は今でも楽しまれているでしょう?」

 その思いが、つい口に出てしまった。

 アレクは眉尻を下げ、傷ついたような顔をした。

 どうしてアレクがそんな顔をするの? 傷つけられたのは私なのに。傷ついた顔をするのは、私の特権よ。その権利まで奪わないで。

 にわかに気持ちが苛立ったとき、

「ごめん」

 アレクが頭を下げた。

「え───?」

「ごめん、フィオ。僕は君に酷いことをしてしまった。本当に、ごめん。君が大切だったのに、護ると誓ったのに、僕は」

 アレクが、謝った? うそ、私に? 頭を下げて?

 婚約破棄の件を謝っているのか、それともルルとの浮気の件なのか、あるいはどちらもなのか。
 
 何を、とは言わなかった。それでも、アレクは私に謝った。今回ばかりは私の妄想でも、空耳でもない。

 謝罪の言葉など、別に欲しくない。ただ一言、戻ってきてほしいと言って。そう願っていた。だけど、たった一言の謝罪が持つ力ときたら……!ずっと遠くにあったアレクの存在が、途端にすぐ近くに感じられる。アレクの心に触れた気がした。

 アレクは頭を深く下げたまま。う、う、と嗚咽が漏れ聞こえてくる。──泣いているの? そんなに、私に悪いと思っていたなんて。

 アレクも傷ついていたんだわ。私達は一緒に育ってきた。お互いのことは誰より知っている。お互いの心も。だからアレクは私の傷ついた心を感じ取って、彼もまた罪の意識に自分の心を傷つけていたんだわ。

「アレク──」

 嗚咽が大きくなってきたところで、私は彼の肩に手を伸ばした。

「フィオ、僕もう疲れたよ」

 ああ、ついに、和解の時がきたのね。嫌な過去も、傷つけられた心も決してなかったことにはできないけれど。これが前へ進む一歩になることには違いなかった。

 私も、悪かったの。そう口を開こうとして、しかしアレクの方が早かった。

「彼女、あの夜からなんだか変なんだ」


 えっと───何の話だったかしら?


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