上 下
36 / 80

[36]ミッション⑦遂行中 第二部(1)《あと23日》

しおりを挟む

 人はこれを喜劇と呼ぶけれど、私は知っている。──これは悲劇よ。

 輝く黄金の光に包まれる劇場内の大ホール。2階の個別席から、役者が入り乱れる舞台を睨む。

 演目は『王様と運命の女神』。
 登場する家名や人物名は変えてあるけれど、これがこの国の王と王妃の恋を描いた物語だということは皆が知っている。

 物語は少女と王太子の出会いに始まり、結婚までが描かれる。身分が高いとは言えない子爵家の少女と王太子の夢のような恋物語。

 この劇にはディンバードと似た家名を持つ高位貴族の青年──お父様のことを指しているのは明白だ──も登場しているけれど、少女に片想いのまま恋敗れる、彼女の幼馴染として描かれているにすぎない。彼は少女と王太子の恋を彩る当て馬。青年の失恋の悲しみは、輝かしい二人の幸せの影に埋もれ、誰からの同情も得られない。

 お父様の過去を知る私から言わせてもらえば、この物語は嘘ばかり。王太子と出会った時点で少女に他に恋人がいたことも、それが幼馴染の青年であったことも、少女と王太子は浮気の関係であったことも描かれることはない。
 だけど劇だから、それでいいのかもしれない。それでも、大衆にはこの物語こそが真実だと思われているのだとしたら悲しくて、とても許せない。

 その時、一階の客席にいた男が立ち上がり、警備員の制止をすり抜けて舞台に駆け寄った。

「この裏切り者め!」

 男はそう言い放ち、舞台に向かって何かを投げつけた。一人の役者の肩にそれが当たった。赤く、汚れる衣装。はっと息を呑む。一瞬、怪我をして血を流したのかと思った。けれどよく見れば違う。──あれは、トマト?
 男は即座に警備員に拘束され、どこかへ連れて行かれた。

 件の役者はかまわず演技を続ける。

「ああ、私の宝石、私の命、どうしてあの男を選ぶのか。僕はこれほど君を愛しているというのに……!」

 朗々と、よく通る声が響いた。
 は、恋破れる青年の役だった。私の知らない若かりし頃のお父様の姿が、彼に重なる。この青年の絶望だけは真実に思えて、心が震えた。

『裏切り者め!』

 それは、ディンバードに向けられた中傷。間違った情報に踊らされ我が家を恨む者が、こんなところにまで……

 見ているのが辛くなり、私は席を立った。

 ──いったい、死神はどういうつもりで私にこの劇を観せたの?

 外に出ようと、赤い絨毯の階段を駆け下り、一階のロビーに向かう。気持ちが急いて足がもつれるせいで、ヒールの音が大きく響く。

「フィオ」

 呼びかけに、振り返る。

「アレク………?」

 どうして、ここに……?

 花がほころぶように、彼が微笑んだ。

 ……
 ………
 ……………

「一人で色々やってみて、だいぶ自信がついたんじゃないか?」

 朝食後、自室で紅茶を飲みながら、ゆったりとした調子で死神が言った。

「そうね、勉強になったことも多かったわ」

「だろうな」

 あの夜から、私達の間に流れる空気は少しぎこちない。
 とにかく明るい雰囲気にするため、死神のいつもの冷やかしを期待して、多少強気なことを言ったのがいけなかった。

「もう何でも一人でできるって気がするわ」

「ほう、何でも……? 本当に?」

「ええ、本当よ」

「ならいい場所がある。一人で・・・行ってこい」

 そうして送り出されたのが、この劇場。貴族を中心とした富裕層が集まる娯楽の場。貴族令嬢が一人でなんておよそ行かない場所だ。たいていはお友達何人かと、または両親や兄弟と連れ立って行くのが普通。こんな場所に一人で来ていたら、どんな憶測を呼ぶかわからない。
 そうね、たとえば──
『まぁあの方、お友達がいらっしゃらないのね。殿下に振られるくらいですもの。きっと、性格に難あり、ですのよ』なんて。

 もちろん、護衛は数人つけられるけれど、彼らは業務事項以外で会話をしないし、連れとは言えない。

 憂鬱な私をよそに、死神は楽しそうに私のドレスや小物を選んでいった。
 着せられたドレスは白地に薄黄色の小花が散った可愛らしいもの。白なんて、暗い劇場でも光を受けて目立ってしまう色。なるべく目立ちたくなかったのに……
 最後に髪を編み込まれ、死神はそこにキッド様からいただいた黄色い小花と真珠の髪飾りを留めた。

「だめよ、それは彼に返したはずでしょ!」

 驚いて詰め寄ると、

「もらっとけ。好きな女に贈り物まで拒絶されたら、俺なら死ねる」

 そう言われてしまえば、送り返そうなんて言えなくなる。確かに送り返すのは失礼にもあたるし……と言い訳を考え始めたところで素直に受け取ることにした。
 白地に薄黄色の小花のドレスは、この髪飾りに合わせて作られたものだと、その時に気づいた。

 さて……………

 目の前にはいるはずのないアレク。

 いるはずのない? いえ、きっと今日、アレクには元々この劇場に来る予定があったんだわ。観劇するためか、仕事の都合でかはわからないけれど。

 前にもこんなことがあった。街中で、偶然にアレクに出くわした。だけど、偶然だと思っていたのは間違いで、死神がそう仕向けたのだった。──だとしたら今度も……? アレクと偶然を装って出くわす、そのために私はこの劇場へ送り込まれたのね。

「会えるなんて思ってなかった」

 背後に控える護衛を制し、輝く笑顔を浮かべこちらに歩いてくるアレク。その笑顔に知らず、胸が高鳴った。

 私だって、こんなところで会うなんて思ってもみなかった。──おかげで無防備な姿を晒してしまったわ。

 動揺を押し隠し、私はきっちりと優雅に礼をとった。

「今日はお一人でいらっしゃるのですか?」

 視線はアレクの背後に向く。あの時のように、ストロベリーブロンドの髪がひょっこり現れないかと。彼女が側にいると、どうにも嫉妬心を煽られ、強い態度に出てしまう。自分が自分でなくなるようで、それが恐ろしい。

「うん、今日は僕だけだよ」

 ルルはいないのね……よかった。

 以前、私がアレクの呼び出しで彼に会いに行った際、『まだ会う時期じゃなかった』と死神は批判した。その死神が、こうしてアレクと二人きりで会う舞台を用意したということは、いまがその時期・・・・なのかしら。
 
 死神の狙いは何?
 いまここで、アレクと何を話せというの?

 私の焦りに気づくことなく、アレクは穏やかに会話を続ける。

「ここの館長に用があって……サウザンド公爵なんだけど、知ってる?」

「ええ、存じておりますわ」

 この劇場がサウザンド公爵の持ち物だということは知っていた。でも、どうしてアレクがサウザンド公爵を訪ねる必要があるの? 用があれば、王宮に呼び出せばいいのに。臣下が駆けつけないはずもない。──まさか、サウンド公爵が、アレクを呼び出した……? 臣下の分際で?

 困惑が伝わったのか、アレクが苦笑する。とても疲れた笑みだった。

「色々と大変なんだ」

「そのようですわね……」

 どうやら、サウンド家との関係はうまくいっていないみたい。このぶんだと、第二王子派の勢力が弱まっているという話もただの噂ではなさそう。第一王子が王太子を差し置いて暴挙に出るわけだわ。

「フィオは……ますます綺麗になったね」

 アレクは青い目を蕩けさせ、嬉しそうに笑んだ。そのせいで錯覚してしまう。婚約破棄なんて悪い冗談で、やっぱりアレクは私を愛しているのだと。
 あるいはこれも、死神の魔法──? 死神の言うとおりに行動してきた成果がいま現れようとしているの?
 アレクの心を取り戻す、そのためだけに今まで頑張ってきた。いよいよなの──?

 嬉しい──そのはずなのに、アレクの惚けたような視線に耐えられない。わけもわからず叫びだしたくなる。

「お仕事の邪魔にならないうちに、私はここで失礼致しますわ」

 頭を一つ下げ素早く立ち去ろうとするも、

「待って」

 手首を掴まれ、引き戻された。
 
 婚約者のある王太子が、人前で別の女をこんなふうに引き止めるなんて、とても浅はかな行動だった。 

仕事・・はもう終わったんだ。少し、お茶しない?」

 頭の中で響く叫びはひとつだけ。一刻も早く、ここから逃げ出したい。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛人の子を寵愛する旦那様へ、多分その子貴方の子どもじゃありません。

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵家の令嬢だったシアには結婚して七年目になる夫がいる。 夫との間には娘が一人おり、傍から見れば幸せな家庭のように思えた。 が、しかし。 実際には彼女の夫である公爵は元メイドである愛人宅から帰らずシアを蔑ろにしていた。 彼女が頼れるのは実家と公爵邸にいる優しい使用人たちだけ。 ずっと耐えてきたシアだったが、ある日夫に娘の悪口を言われたことでとうとう堪忍袋の緒が切れて……! ついに虐げられたお飾りの妻による復讐が始まる―― 夫に報復をするために動く最中、愛人のまさかの事実が次々と判明して…!?

その破滅エンド、ボツにします!~転生ヒロインはやり直し令嬢をハッピーエンドにしたい~

福留しゅん
恋愛
自分がシナリオを書いた乙女ゲームの世界に転生したメインヒロインはゲーム開始直後に前世を思い出す。一方の悪役令嬢は何度も断罪と破滅を繰り返しては人生をやり直していた。そうして創造主の知識を持つヒロインと強くてニューゲームな悪役令嬢の奇妙な交友が始まる――。 ※小説家になろう様にも投稿しています。

天使と悪魔の新解釈「見習い悪魔は笛を吹けるか?」

大和撫子
ファンタジー
「いらない命なら俺に預けてくれないか?」悪魔に誘われたので、見習い悪魔になった。  楠 恵茉(くすのきえま)は、17歳にして早くも人生に希望が持てずにいた。自殺しようとした時、呼び止められる。いや、正確には飛び降りた後だったが。 「いらない命なら、俺に預けてくれないか?」超イケメンのその男は、ベリアルと名乗る悪魔。  とりあえず、見習い悪魔になってみる事にした。かくして悪魔修行の日々が始まった!  立場上、ベリアルは恵茉の面倒を見ているうちに、恵茉は彼と接していくうちに、いつしか一人と一体の間に……  コメディタッチなダークファンタジー、そして時々シリアス。生きるとは何か? 人が生きる意味とは? 真面目にコツコツ努力を重ねるより、いい加減で適当なヤツの方が人生上手くいくように見える時。その答えは? などなど。人は何故生まれて死ぬのか? などなど、ヒロインと共にどうぞお楽しみください。

米国名門令嬢と当代66番目の勇者は異世界でキャンプカー生活をする!~錬金術スキルで異世界を平和へ導く~

だるま 
ファンタジー
ニューヨークの超お嬢様学校に通うマリは日本人とアメリカ人のハーフ。 うっとおしい婚約者との縁をきるため、アニオタ執事のセバスちゃんと異世界に渡ったら、キャンプカーマスタースキルと錬金術スキルをゲット!でもフライパンと銃器があったら上等! 勇者だぁ!? そんなん知るか! 追放だ! 小説家になろうでも連載中です~

【完結】お飾り契約でしたが、契約更新には至らないようです

BBやっこ
恋愛
「分かれてくれ!」土下座せんばかりの勢いの旦那様。 その横には、メイドとして支えていた女性がいいます。お手をつけたという事ですか。 残念ながら、契約違反ですね。所定の手続きにより金銭の要求。 あ、早急に引っ越しますので。あとはご依頼主様からお聞きください。

今日で都合の良い嫁は辞めます!後は家族で仲良くしてください!

ユウ
恋愛
三年前、夫の願いにより義両親との同居を求められた私はは悩みながらも同意した。 苦労すると周りから止められながらも受け入れたけれど、待っていたのは我慢を強いられる日々だった。 それでもなんとななれ始めたのだが、 目下の悩みは子供がなかなか授からない事だった。 そんなある日、義姉が里帰りをするようになり、生活は一変した。 義姉は子供を私に預け、育児を丸投げをするようになった。 仕事と家事と育児すべてをこなすのが困難になった夫に助けを求めるも。 「子供一人ぐらい楽勝だろ」 夫はリサに残酷な事を言葉を投げ。 「家族なんだから助けてあげないと」 「家族なんだから助けあうべきだ」 夫のみならず、義両親までもリサの味方をすることなく行動はエスカレートする。 「仕事を少し休んでくれる?娘が旅行にいきたいそうだから」 「あの子は大変なんだ」 「母親ならできて当然よ」 シンパシー家は私が黙っていることをいいことに育児をすべて丸投げさせ、義姉を大事にするあまり家族の団欒から外され、我慢できなくなり夫と口論となる。 その末に。 「母性がなさすぎるよ!家族なんだから協力すべきだろ」 この言葉でもう無理だと思った私は決断をした。

おっさんとJKが、路地裏の大衆食堂で食べるだけ

椎名 富比路
大衆娯楽
路地裏にできた大衆食堂に集う、おっさん「コメくん」とJKの「コトコト」。 二人がカウンターで隣り合わせになって、飯を食うだけの物語。 第11回ドリーム小説大賞 奨励賞受賞 カクヨム様、ノベルアップ+様でも連載中。

ごめんなさい、全部聞こえてます! ~ 私を嫌う婚約者が『魔法の鏡』に恋愛相談をしていました

秦朱音@アルファポリス文庫より書籍発売中
恋愛
「鏡よ鏡、真実を教えてくれ。好いてもない相手と結婚させられたら、人は一体どうなってしまうのだろうか……」 『魔法の鏡』に向かって話しかけているのは、辺境伯ユラン・ジークリッド。 ユランが最愛の婚約者に逃げられて致し方なく私と婚約したのは重々承知だけど、私のことを「好いてもない相手」呼ばわりだなんて酷すぎる。 しかも貴方が恋愛相談しているその『魔法の鏡』。 裏で喋ってるの、私ですからーっ! *他サイトに投稿したものを改稿 *長編化するか迷ってますが、とりあえず短編でお楽しみください

処理中です...