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[36]ミッション⑦遂行中 第二部(1)《あと23日》
しおりを挟む人はこれを喜劇と呼ぶけれど、私は知っている。──これは悲劇よ。
輝く黄金の光に包まれる劇場内の大ホール。2階の個別席から、役者が入り乱れる舞台を睨む。
演目は『王様と運命の女神』。
登場する家名や人物名は変えてあるけれど、これがこの国の王と王妃の恋を描いた物語だということは皆が知っている。
物語は少女と王太子の出会いに始まり、結婚までが描かれる。身分が高いとは言えない子爵家の少女と王太子の夢のような恋物語。
この劇にはディンバードと似た家名を持つ高位貴族の青年──お父様のことを指しているのは明白だ──も登場しているけれど、少女に片想いのまま恋敗れる、彼女の幼馴染として描かれているにすぎない。彼は少女と王太子の恋を彩る当て馬。青年の失恋の悲しみは、輝かしい二人の幸せの影に埋もれ、誰からの同情も得られない。
お父様の過去を知る私から言わせてもらえば、この物語は嘘ばかり。王太子と出会った時点で少女に他に恋人がいたことも、それが幼馴染の青年であったことも、少女と王太子は浮気の関係であったことも描かれることはない。
だけど劇だから、それでいいのかもしれない。それでも、大衆にはこの物語こそが真実だと思われているのだとしたら悲しくて、とても許せない。
その時、一階の客席にいた男が立ち上がり、警備員の制止をすり抜けて舞台に駆け寄った。
「この裏切り者め!」
男はそう言い放ち、舞台に向かって何かを投げつけた。一人の役者の肩にそれが当たった。赤く、汚れる衣装。はっと息を呑む。一瞬、怪我をして血を流したのかと思った。けれどよく見れば違う。──あれは、トマト?
男は即座に警備員に拘束され、どこかへ連れて行かれた。
件の役者はかまわず演技を続ける。
「ああ、私の宝石、私の命、どうしてあの男を選ぶのか。僕はこれほど君を愛しているというのに……!」
朗々と、よく通る声が響いた。
彼は、恋破れる青年の役だった。私の知らない若かりし頃のお父様の姿が、彼に重なる。この青年の絶望だけは真実に思えて、心が震えた。
『裏切り者め!』
それは、ディンバードに向けられた中傷。間違った情報に踊らされ我が家を恨む者が、こんなところにまで……
見ているのが辛くなり、私は席を立った。
──いったい、死神はどういうつもりで私にこの劇を観せたの?
外に出ようと、赤い絨毯の階段を駆け下り、一階のロビーに向かう。気持ちが急いて足がもつれるせいで、ヒールの音が大きく響く。
「フィオ」
呼びかけに、振り返る。
「アレク………?」
どうして、ここに……?
花がほころぶように、彼が微笑んだ。
……
………
……………
「一人で色々やってみて、だいぶ自信がついたんじゃないか?」
朝食後、自室で紅茶を飲みながら、ゆったりとした調子で死神が言った。
「そうね、勉強になったことも多かったわ」
「だろうな」
あの夜から、私達の間に流れる空気は少しぎこちない。
とにかく明るい雰囲気にするため、死神のいつもの冷やかしを期待して、多少強気なことを言ったのがいけなかった。
「もう何でも一人でできるって気がするわ」
「ほう、何でも……? 本当に?」
「ええ、本当よ」
「ならいい場所がある。一人で行ってこい」
そうして送り出されたのが、この劇場。貴族を中心とした富裕層が集まる娯楽の場。貴族令嬢が一人でなんておよそ行かない場所だ。たいていはお友達何人かと、または両親や兄弟と連れ立って行くのが普通。こんな場所に一人で来ていたら、どんな憶測を呼ぶかわからない。
そうね、たとえば──
『まぁあの方、お友達がいらっしゃらないのね。殿下に振られるくらいですもの。きっと、性格に難あり、ですのよ』なんて。
もちろん、護衛は数人つけられるけれど、彼らは業務事項以外で会話をしないし、連れとは言えない。
憂鬱な私をよそに、死神は楽しそうに私のドレスや小物を選んでいった。
着せられたドレスは白地に薄黄色の小花が散った可愛らしいもの。白なんて、暗い劇場でも光を受けて目立ってしまう色。なるべく目立ちたくなかったのに……
最後に髪を編み込まれ、死神はそこにキッド様からいただいた黄色い小花と真珠の髪飾りを留めた。
「だめよ、それは彼に返したはずでしょ!」
驚いて詰め寄ると、
「もらっとけ。好きな女に贈り物まで拒絶されたら、俺なら死ねる」
そう言われてしまえば、送り返そうなんて言えなくなる。確かに送り返すのは失礼にもあたるし……と言い訳を考え始めたところで素直に受け取ることにした。
白地に薄黄色の小花のドレスは、この髪飾りに合わせて作られたものだと、その時に気づいた。
さて……………
目の前にはいるはずのないアレク。
いるはずのない? いえ、きっと今日、アレクには元々この劇場に来る予定があったんだわ。観劇するためか、仕事の都合でかはわからないけれど。
前にもこんなことがあった。街中で、偶然にアレクに出くわした。だけど、偶然だと思っていたのは間違いで、死神がそう仕向けたのだった。──だとしたら今度も……? アレクと偶然を装って出くわす、そのために私はこの劇場へ送り込まれたのね。
「会えるなんて思ってなかった」
背後に控える護衛を制し、輝く笑顔を浮かべこちらに歩いてくるアレク。その笑顔に知らず、胸が高鳴った。
私だって、こんなところで会うなんて思ってもみなかった。──おかげで無防備な姿を晒してしまったわ。
動揺を押し隠し、私はきっちりと優雅に礼をとった。
「今日はお一人でいらっしゃるのですか?」
視線はアレクの背後に向く。あの時のように、ストロベリーブロンドの髪がひょっこり現れないかと。彼女が側にいると、どうにも嫉妬心を煽られ、強い態度に出てしまう。自分が自分でなくなるようで、それが恐ろしい。
「うん、今日は僕だけだよ」
ルルはいないのね……よかった。
以前、私がアレクの呼び出しで彼に会いに行った際、『まだ会う時期じゃなかった』と死神は批判した。その死神が、こうしてアレクと二人きりで会う舞台を用意したということは、いまがその時期なのかしら。
死神の狙いは何?
いまここで、アレクと何を話せというの?
私の焦りに気づくことなく、アレクは穏やかに会話を続ける。
「ここの館長に用があって……サウザンド公爵なんだけど、知ってる?」
「ええ、存じておりますわ」
この劇場がサウザンド公爵の持ち物だということは知っていた。でも、どうしてアレクがサウザンド公爵を訪ねる必要があるの? 用があれば、王宮に呼び出せばいいのに。臣下が駆けつけないはずもない。──まさか、サウンド公爵が、アレクを呼び出した……? 臣下の分際で?
困惑が伝わったのか、アレクが苦笑する。とても疲れた笑みだった。
「色々と大変なんだ」
「そのようですわね……」
どうやら、サウンド家との関係はうまくいっていないみたい。このぶんだと、第二王子派の勢力が弱まっているという話もただの噂ではなさそう。第一王子が王太子を差し置いて暴挙に出るわけだわ。
「フィオは……ますます綺麗になったね」
アレクは青い目を蕩けさせ、嬉しそうに笑んだ。そのせいで錯覚してしまう。婚約破棄なんて悪い冗談で、やっぱりアレクは私を愛しているのだと。
あるいはこれも、死神の魔法──? 死神の言うとおりに行動してきた成果がいま現れようとしているの?
アレクの心を取り戻す、そのためだけに今まで頑張ってきた。いよいよなの──?
嬉しい──そのはずなのに、アレクの惚けたような視線に耐えられない。わけもわからず叫びだしたくなる。
「お仕事の邪魔にならないうちに、私はここで失礼致しますわ」
頭を一つ下げ素早く立ち去ろうとするも、
「待って」
手首を掴まれ、引き戻された。
婚約者のある王太子が、人前で別の女をこんなふうに引き止めるなんて、とても浅はかな行動だった。
「仕事はもう終わったんだ。少し、お茶しない?」
頭の中で響く叫びはひとつだけ。一刻も早く、ここから逃げ出したい。
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