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第17話 剣聖襲来

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 お昼時間になり、教室でそれぞれのお弁当を広げた時のことだ。

「なんか、広場の方が騒がしいね」

 ミオが不意にそんなことを呟いた。
 エルフの聴力は常人よりも優れている。それは私も例外ではなく、私の耳にもその騒ぎ声は聞こえていた。

「そうですか? ……私に耳には、そういうのは聞こえません」

 アリアも同じように広場のある方角へ耳を傾けていたけれど、普通の人間の聴力では聞こえなかったようだ。不思議そうに首を傾げている。

「気になるから行ってみようよ!」
「えぇ……? でも、昼食はどうするの?」
「お昼休憩は長いんだから、見に行ってからでも大丈夫だよ」
「ミア、行ってみましょう? 私も少し気になります」
「……だめ?」

 ミオの上目遣いは、私に大ダメージを与えた。

「……仕方ないわね」

 私達は食事をする前に、騒ぎのある広場へ向かうことになった。

「……一体何なのかしらね?」
「さぁ、問題が起こっていなければ良いのですが……」

 広場での騒ぎはアリアが心配しているような音ではない。
 もし彼女の心配が当たっていたのなら、もっと騒がしく聞こえたはずだ。

 どうやら騒いでいるのは女子生徒達のようだ。
 わーきゃーと言う黄色い声。……これはこれでうるさい。

 何をそんな猿みたいに騒ぐ必要があるのか。
 そう思って広場に到達すると──

「うげっ」

 私の口からはそんな言葉が出た。

 黄色い声を一身に受けているのは、赤髪の美青年だった。
 彼の腰には青白い聖剣が帯刀されている。

「まぁ、ラインハルトではないですか!」

 そう、なぜか私の『秘書』兼『剣聖』であるラインハルトが、この学園の広場にいた。

「ミアさm……ミアさん、アリア様!」

 嫌な予感をいち早く察した私は、すぐさまその場から立ち去ろうと回れ右をするが、逃げ切る前にラインハルトが私のことを見つけた。女子生徒達の輪の中から脱出し、軽く手を振って近付いてくる。

 私はすぐに逃げようと足に力を入れた。

「どこに行くのですか?」

 ……忘れていたことがある。
 空間魔法を使っていない非力な私では、足の速さでラインハルトに勝てるわけがない。

 一瞬で私との距離を詰めたラインハルトに、腕を掴まれる。
 最近、腕を掴まれて行動を妨害される頻度が高いような気がする。いっそ切り落としてしまおうか。いや、今すぐ切り落としてしまおう。
 どうせ『英雄』で得られる恩恵の一つ『超速再生』で、一分もすれば腕は生えてくる。
 それで意表をついた瞬間に、空間魔法で逃げ切ればいいだろう。

「ああ、お得意の腕を切り落として逃げようとか思わないでくださいね?」
「──チッ」

 ラインハルトが誰にも聞こえないように耳打ちしてきた。
 流石は私の秘書だ。考えていること全てがお見通しということか。

 ……ならば!

「あなたお得意の魔法もダメですよ」
「……くそが」

 私はせめてもの抵抗に悪態をつく。
 しかし、ラインハルトは嬉しそうに笑った。

「相変わらずのようで何よりです」
「──チッ…………とりあえず、離れてくれる? 今の状態、勘違いされるかもしれないわよ?」
「おっと、これは失礼……」

 私から距離を取ったラインハルトは、アリアに騎士敬礼をした。

「お久しぶりですアリア様。お元気なようで安心しました」
「ええ、久しぶりですね。あなたも変わりないですか?」
「はい、問題ありません…………と言いたいところですが、最近は何処かの英雄様が急に休暇を取ったせいで、忙しさが倍増しまして……ははっ、毎日大忙しですよ」
「それは…………えーーーと……大変ですね」
「ええ、大変です」

 アリアは気まずそうに私の方をチラチラと様子見て、ラインハルトはジト目で私を横目に見てくる。

 私は不機嫌を隠さずに鼻を鳴らし、一言。

「なら、さっさと帰ればいいんじゃないの?」
「ちょっとお姉ちゃん! 剣聖様に失礼だよ!」
「いいのよミオ」
「よくないって! 剣聖様は英雄様の相方を務めるくらい凄い人なんだよ? 失礼なことを言ったら、英雄様にも……!」

 ああ、そうか。ミオは英雄に憧れているから、その秘書として動いている剣聖にも、同じような憧れを持っているのか。

 さて、どうするか。いつものように軽口を言ったせいで、下手をすればミオに怒られてしまう状況となってしまった。……いや待て。妹に怒られるというのも悪くない。むしろいい。

「お姉ちゃん!」
「ミオさん……でよろしいでしょうか? 私は別に怒っていません。ミアさんは私の友人です。この程度の軽口はいつものことですよ」
「……そうなんですか?」
「ええ、むしろミアさんに敬語を話されたら、何を企んでいるのかと生きている心地がしません」

 ラインハルト、お前もか。

「ああ、やっぱりラインハルトもそう思いますか? 私なんて、学校で再開した時に敬語で話されたんですよ。もう気持ち悪いったらありませんでした」
「ははっ、アリア様もそうでしたか。……しかし再開で敬語とは……私だったら即逃げますね」
「正直恐怖で震えました……」

 こいつら、私が近くにいると認識しているのか?
 試しに両手を突き出す。

「も、もちろん冗談ですよ!?」
「ええ、そうです! 和むための軽い冗談ですよ!」
「あら、そうでしたか……まぁ、私は冗談が通じないタイプなので、あなた方も気をつけることですね」

 にっこり微笑むと、アリアとラインハルトは「ひっ──!」と短い悲鳴を上げた。

「お姉ちゃん!」

 またミオに怒られてしまった。
 流石に王女と剣聖を脅すのはやりすぎたか。
 ……いや、よくよく考えれば私はただ敬語で話しただけだ。脅すだなんてとんでもない。

「…………はぁ……それで、何の用なのよラインハルト。まさか王女様の様子を見に来た……ってわけじゃないでしょう?」
「ええ、もちろん。これから学園長とお話がありまして、それでお邪魔させていただきました」
「へぇ……なんか、すっっっごく嫌な予感がするんだけれど?」
「大丈夫ですって。まずは私達でどうにかします。ですが……どうしようもない場合は……そうですね。英雄様に任せるとしますか」
「……あまり英雄をこき使わないようにね。彼女が機嫌を損ねたら怖いわよ?」
「心得ています。彼女を怒らせたら、命が無いのはこの国ですから」
「……そう……わかっているなら、それでいいわ」
「はい……ああ、それと…………」

 ラインハルトの顔が私の耳元に寄せられる。

「明日、鼠の詳細をお聞かせします」
「…………了解」

 ラインハルトは、それでは……と最後にお辞儀をして学園内に入って行った。
 彼の追っかけも同じように学園に入って行くのが見えたが、流石に学院長室にまでは付いていかないだろう……と思う。

「ほんと、嫌な予感がするわ」

 私は溜め息を吐き、教室に戻る。

 ラインハルトとオードウィンの『話』は気になるけど、生徒である私には関係のない話だ。
 あいつは、どうしようもなくなったら英雄に任せると言った。

 そう、最後に動くのは英雄だ。

 英雄であって、ミア・ヴィストではない。
 私はただの生徒として、ミオを守っていればいい。

 しかし、守っているだけではミオ自身は強くなれない。

 ならばやることは決まっている。
 私が妹を守れるよう、妹自身が己の身を守れるよう、今のうちにやれることはやっておきたい。



          ◆◇◆



 午後の授業は実技だ。
 私達は訓練場に集まり、アレク先生の授業を受けていた。

 ……と言っても、今のところ実技はほぼ自習のようなものだ。

 1、とにかく体を動かし、体力を鍛える。
 2、標的に魔法を当て、精度を高める。
 3、誰かと立ち合い、戦いに慣れる。

 クラスメイトは大体この三つのどれかを選択して実技を受ける。
 魔法使いの人口が多いというのもあり、ほとんどは2番を選ぶ。男子や活発な女子は1番を選んで好きに手に負えない訓練場の壁際に沿って走っている。3番を選ぶ者は、まだほとんどいない。アリアも2番を選びクラスメイト達と共に練習に励んでいる。

 しかし、私とミオだけはいつも3番を選んでいた。
 私がミオを誘っているというのもあるけど、これにはちゃんとした理由があった上でのことだ。

 私は体力作りはすでに十分だし、それはミオも同じだ。
 エルフは広い森を駆け回る。自然と体力は身に付く。まず普通の人には体力勝負で負けないだろう。

 魔法の精度も同じことが言える。
 私は目を瞑ってでも絶対に当てられる。ミオは見てさえいれば、弓や魔法の精度はかなり良い方だ。

 自主練習を欠かさないことも大切だけど、これ以上はいくらやってもミオの実力を伸ばすことはできないだろう。
 なぜなら、戦っていないからだ。戦うことで人は強くなる……と戦闘狂のようなことはあまり言いたくないけれど、結局はその通りなのだ。

 自主練習だけでは、自分の欠点を見つけづらい。
 誰かと戦うことで初めて、自分の欠点に気づく。それは『英雄』ミア・ヴィストと『剣聖』ラインハルトも同じで、戦いを続けることで己の欠点に気づき、それを埋めるために鍛えた。そして強くなった。

 なので、ミオ自身が強くなるために、お姉ちゃんが一肌脱ぐことにした。

「さぁ、好きなタイミングでかかって来なさい」
「すぅ……はぁーー……すぅ──はぁ!」

 ミオは刀を構え、私に肉薄した。
 裂帛の気合と共に繰り出された一撃を、私は横に一歩動くだけで回避する。

 そして、素早く振り抜いた木剣をミオの首にそっと当てた。

「大振りは危険よ。避けられたら逆に致命傷を受けることになるわ」
「うっ……」
「どうせやるのなら、絶対に当たると確信した時にしなさい。見極めることも大切よ」
「はい!」
「よし、もう一度やり直しよ」
「はいっ!」

 ミオは私から距離を取る。
 そして次は大振りからではなく、私の隙を狙うような小振りを連続して叩き込んできた。

「足が余計に動いているわ。体幹がブレまくり、しっかりと地に足つけなさい」
「はい!」
「集中するのは良いけれど、他のことにも注意を払いなさい。……ほら、足元がお留守よ」

 ミオの刀を受け止めると同時に、足払いでバランスを崩す。
 見事に虚を突かれたミオは、刀を構えた体制のまま横回転した。このままでは危ないとミオの体を抱きかかえる。

「ほら、危ないわよ」
「あっ……ごめんなさい……」
「相手の攻撃手段は剣だけじゃない。戦闘では足払いをやってくる敵も結構いるわ。だから、他のことにも気を配れるようになりなさい」
「……うっ……はい!」

 このように何回も斬り合い、ミオの欠点を指摘する。
 そんなことを繰り返していた。

 敵は様々なタイプがいる。
 真正面から正々堂々と戦う騎士のような者、絡め手を用いて相手を撹乱する者、沢山の攻撃手段を駆使して常に優位を取ろうとする者と、それこそ『十人十色』だ。

 しかし、初見でそれを見極められるかと言われたら、正直難しい。

 だから相手を観察する。
 勝負は始まる前から始まっているのだ。

 私は、あえて実技の度に戦闘スタイルを変えている。
 ミオには状況に応じて、瞬時に動き方を切り替えてもらいたいからだ。
 最初はみっともなく動き回って構わない。相手を見極め、その度に相応しい動き方を選択することが大切だ。

「よし、次よ」
「はい!」

 これを続けていればミオは確実に強くなれる。
 今は急ぐ必要はない。

 ゆっくりで良い。
 妹が一人前になるまでは、私がミオのことを守っていれば良い。
 この学園はオードウィンのおかげで安全だ。この四年間で強くさせてあげれば、それで良いのだ。

 ミオの姉、ミア・ヴィストとして彼女の側に付いていれば何も問題はない。



 ──私は呑気にそう思っていた。



『王立トルバラード学園、テロリストによって占拠』



 そんな号外が街に飛び回るその時までは…………。
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