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1.婚約破棄されてしまいました
しおりを挟む「父上! どうかご決断を!」
……声が聞こえる。
とても怒っているような、耳障りで騒がしい声。
「ならぬ」
「なぜです! これ以上は我が国の損失だと、なぜ気付かないのですか!」
「ならぬと言っている!」
本当にうるさい。
聞こえてくるのは私の隣。すぐ近くで騒がれては、ゆっくり眠ることだってできやしない。
大切な、とっても大切な昼の休憩をしている身からすれば、いい迷惑だ。
「だれ、ですか? 私の隣で騒いでいるのは……」
いい加減、我慢の限界がやってきて、私はむくりと起き上がる。
寝ぼけたまま瞼を擦り、あくびを一つ。長時間寝ていたせいで凝り固まってしまった体を動かし、最後に軽く背中を伸ばして、ようやく目が覚めてきたので目を開く。
すると、とても豪華な装飾が施された空間が視界に入った。
たしか、ここは…………。
「謁見の間?」
ラギア王国のお城の中で最も広く、そして最もお金が使われている空間。
通称『謁見の間』。
まず始めに巨人でも問題なく通過できそうな門が謁見に赴いた者を出迎え、普段は固く閉ざされているそれが開いた瞬間、所々に散りばめられた装飾の数々が来訪者を歓迎するように光り輝く。
人を導くかのように敷かれた赤い絨毯も、この国で採れる最高品質の綿花を使用していて、寝心地は抜群────コホンッ。まるで雲の上を歩いているような感覚にさえ陥る。
それらの先にあるのは、とても大きな階段。
階段を登りきったところにはたった一つの豪華な椅子が置かれていて、そこに腰を下ろせる人物は──国王陛下ただ一人。
「おお、聖女シェラローズよ。起きたか」
陛下は目覚めた私にいち早く気づいて、いつもの優しい表情で微笑んでくれた。
でも、どうしてだろう。その笑顔は……なんだか少しだけ、疲れているように見えた。
「……陛下。ご機嫌麗しゅう」
「うむ。騒がしかっただろう? 起こしてしまったようですまないな。そして眠っているところを無断で運び出したこと……重ねて申し訳ない」
「……ええ、お気になさらず?」
いまいち、状況が理解できない。
どうして私は謁見の間にいるのだろう?
「ああ……すまない。まずは説明からだな。この度は我が愚息から重要な話があると申し出があり、謁見の間を使用することとなった。聖女に関わる話だと言われたため、シェラローズにも来てもらおうと思ったのだが…………いくら呼びかけても起きなかったので城のメイド達で運んだのだ。緊急時とは言え手荒な真似をしたな」
「…………いえ、それは別に構いませんが……」
私は睡眠が大好きで、一度眠ったら中々目覚めることがない。
今日のように眠りが浅ければ他人の声で起きることもある。でも、それは非常に珍しくて、普通だったら揺さぶられても耳元で名前を呼ばれても、目覚めることが難しいほど、私の睡眠は深い。
そのため、陛下には事前に
「緊急時は布団ごと私を運んでください」と伝えてあった。
しかし、陛下はとても優しいお方。
この城に移住してから四年。一度も私を強制的に運び出すことはせず、いつも私が自然と起きてくるのを待ってくれた。
だから布団ごと運び出されるのは今日が初めてで、私は一瞬、この状況を理解できなかった。
「──父上。そんなことよりも早く本題を」
と、そんな私の思考を遮るように発言したのは──ラグーサ殿下だ。
怒気を含めた様子で私の隣に立つ彼は、この国の第一王子で、私の婚約者でもある。
彼はいつも仏頂面で、あまり私に笑顔を見せない人だけど、今日はいつにも増して顔が固い……気がする。
多分、目覚める直前まで怒鳴っていたのは彼だったのだろう。
そして私達の様子を見守るように立っているのは、騎士団の皆さま。
顔馴染みもちらほらと見える。でも、どうして皆、不安と焦りが入り混じったような表情を浮かべているのだろう?
それより、本題……?
殿下が謁見を申し出て、私がここに運ばれた理由って、なんだろう?
「それについては何度も言っただろう。全てはお前の勘違いだ。……以前にも話したはずだが、どうやら聞いていなかったようだから後でもう一度詳しく」
「話など不要です!」
我慢の限界が訪れたのか、殿下は苛立たしげに地面をダンッ! と強く踏んで強制的に陛下の言葉さえも遮る。
そして、私を一際強く睨んだ後に、彼は耳を疑う発言をした。
「僕は彼女の婚約者として、彼女のことをよく見てきたつもりです! ──しかし! 彼女はいつも眠ってばかりだった。聖女ともあろう者が堕落した生活を繰り返し、民からの国税を食い潰している。あまつさえ政治にすら関わろうとしないその姿勢は、将来王族の一員となる者として不適切だ」
「「「「「………………………………」」」」」
音が響きやすい謁見の間も、その時だけは静寂に包まれた。
殿下以外の全員が、言葉を失った様子で殿下を見つめている。それを見て何を勘違いしたのか、殿下は益々態度が大きくなって、怒鳴りつけるように発言を続けた。
「僕は何度も苦言を申してきました! ですが、誰もが『聖女様だから』と僕の言葉を聞き入れなかった。──しかし、もう我慢の限界だ! この国を愛する王族として、一人の国民として。彼女の行いは許せるものではない!」
殿下はクルッと私に振り向き、私のことを指差す。
「僕は──聖女シェラローズとの婚約を破棄する!」
これには流石の皆さまも驚きを隠せず、明らかな狼狽を見せた。
しかし、直後にそれを超えるびっくり発言が殿下の口から飛び出した。
「そして、僕は次期国王として命令を下す。
民からの国税を意味もなく消費し、惰眠を貪る穀潰しは王城に住む権利などない。よって、聖女シェラローズをこの城から追放する! これ以上、この城に意味もなく居座り続けられると思うな!」
……………………はい?
あ、あれ? 私、まだ寝ぼけているのかな。
なんだか、とんでもない発言が聞こえてきたような────あ、陛下や騎士団の皆さまも同じものが聞こえたと? ……それは困った。
「あの、殿下……? まずは話を」
「お前の言い訳など聞きたくもない。さっさと荷物を纏め、この城を出て行け」
「ラグーサ、お主……本気で言っているのか?」
「ええ、本気です。父上は彼女のことを本当の娘のように見ているようですが、甘やかしすぎましたね。それだから彼女は堕落した。こうなった原因は父上にもあることをお忘れなく」
と、何を言っても聞く耳を持たないラグーサ殿下。
唯一、この場を収められそうな陛下は言葉を失うどころか、口をポカーンと開いて固まってしまった。あの様子だと、こっちに戻ってくるのは時間が掛かりそうだ。
これは困った。……本当に困った。
前々から、殿下から好かれていないことには気づいていた。
何があっても私に笑顔を見せてくれないし、婚約者だからと週に何度かお茶会をする時も返事はぶっきらぼうで、絶対に自分からは話を振ってくれなくて……。
私たちの婚約は、言ってしまえば政略結婚だ。
ラギア王国と聖教会が話し合いをした結果、私たちの婚約が決まった。だから、勝手に決められた望まない結婚に、殿下はまだ納得していないのかなと思っていた。
でも、まさか……これが、こんなものが理由だったなんて……。
「ですが、殿下……この城を離れたら、私の、聖女のお仕事はどうすれば……?」
「ふんっ。どうせ寝てばかりで仕事もロクにしていなかったのだろう? 追い詰められたからと言って、今更、聖女の仕事だなんだと取り繕ったところでもう遅い!」
ああ、これは……もう何を言っても聞いてくれないやつだ。
だったら、これ以上の抗議は時間の無駄。私はおとなしく、この場を去りましょう。
「…………わかりました。殿下のお言葉に、従います……」
深々と頭を下げる。
殿下は機嫌が悪そうに鼻を鳴らすだけ。
まるで、別れはいいからさっさと出て行けと言われているように感じられた。
「今までお世話になりました。皆さまも、どうか……お元気で」
こんな私とも仲良くしてくれた騎士団の皆さまにも頭を下げる。
何か言いたげに見つめられたけれど、結局は何も言われないまま、私はお布団を持ち上げてその場を去った。
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