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第2章

諦めと叱咤

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 ──オオオオオオォ──


「っ、ぐぅ……!」

 異形は私の右手を掴み、強く握りしめました。

 骨からみしみしと、嫌な音が鳴ります。


 ──オオオオオオ──


 無数にある腕を触手に蠢かせ、私を取り込まんとする異形。





 その時、私はふと、自分の腕の感覚を失いました。



「──っ!」


 不思議になった私は、視線だけ下に落とし……声にならない悲鳴を上げました。

 掴まれた私の右手が、異形の腕のように黒く染まり、じわじわと腕の方に侵食してるのです。

 気づいた時には、私の右腕はほぼ『魔女の一部』となっていました。

 これ以上は危険だと、本能が警告を発しています。


「ウンディーネ! 私の腕を斬り落としてください!」

『でも……!』

「このままでは戻れなくなる! 早くっ!」

『っ! ごめん、リーフィア!』




「ぁぁ! ──っぁあああああ!!!」





 ウンディーネが一瞬で放った水の刃は、右腕の付け根を正確に狙いました。


 一瞬だけ生まれた自由。
 襲い掛かる激痛に耐えながらも、私はすぐさまその場から離脱しました。

 切断面からは大量の血が吹き出し、びちゃびちゃと、地面が赤く染まります。

 腕を抑え必死に痛みを耐えますが、流石に腕を斬り落とされては、痛みは完全に無効化されませんでした。

 お得意の回復魔法で傷を癒やし、ついでに失った腕を治そうかと思いましたが……この焦る感情を抑えられていないせいなのか、上手く魔力を扱えません。

 ウンディーネが駆け寄り、切断したところを癒しの水で覆ってくれますが、それでも一度味わった痛みは、簡単に忘れられない……。




 ──オオオオオオオオ!──




 対して私の右腕を得た異形は、それを体内に取り込み、バリボリと異形の体内から音が聞こえました。

「私の腕は美味しいですかそうですか、くそがっ……!」

 つい悪態を付いてしまいましたが、自分の腕が目の前で食われているのです。

 片腕を失った文句と考えても、軽い────







 ──ゴクリ。







 何かを飲み込む音が聞こえた、その瞬間。







 ──オオオオ──





 ──オオオオオオオオォ──





 ──オオオオオオオオオオオオ!!!──





 鼓膜が震え、空気が振動し、孤立した世界が軋みます。
 それは絶叫にも似た、異形の叫びでした。



『なに、この気配……!?』

 異形の気配が、急激に増加しています。

 それはきっと、私の腕を取り込んだ影響なのでしょう。
 ここまで膨れ上がるのは予想外ですが、今のところわかっているのは、ただ一つ。


「…………最悪です」

 いちいち魔力を見なくても、異形から溢れ出す威圧感だけで、相当な強化がされたというのは理解できます。

 私とウンディーネが苦労して、それでも身体を拘束するのがやっとだった化け物が、さらに強くなった。

 これを最悪と言わず、何と言うのでしょうか。










「…………はぁ……」



 私は息を吐き出し、ウンディーネに振り向きます。

「ウンディーネ。ここは危険です。貴女だけでも逃げてください」

 異形が狙っているのは、私です。
 ウンディーネならば、ここから逃げ出せるかもしれない。

 彼女は『原初の精霊』です。
 あの世界を守護し、見守る最高位の精霊です。

 こんなところで失っていい存在ではない。
 だから、ウンディーネには生き残ってほしい。


 そう思っての言葉でした。




『ふざけないでっ……!』


 返ってきたのは、彼女には珍しい怒りを含んだ大きな声。

『うちはリーフィアとずっと一緒に居るって約束したもん! ここに来たのだって、どこまでも一緒に行くって覚悟があったから……! なのに、リーフィアは諦めるの!?』

「……それ、は…………」

『うちは絶対に嫌! 諦めることなんてできない! リーフィアを置き去りにして、リーフィアを諦めるくらいなら、うちも、うちの意思で消えてやるんだから!』

 大粒の涙を流し、訴えるその姿は……泣き虫なくせにとても強く見えました。

『こんな化け物! うちは怖くないもん! リーフィアを失うって考える方が、まだ、うち、は……!』

 ウンディーネは声を震わせながら、必死に言葉を紡ぎます。

『うちは、リーフィアと死んでやる! だから、だからぁ……うちだけ逃げろだなんて、酷いこと言わない、で……!』

「ウンディーネ。もう、いいです」

 強く訴えるウンディーネの体を、残った片方の腕でそっと抱きしめます。



 ──私が間違っていました。

 この程度のことで、何を諦めているのでしょうか。
 片腕を奪われたくらいで、何を弱気になっているのでしょうか。



「ごめんなさい。酷いことを言ってしまいました」

 私は片腕を失いました。
 そのせいなのか、魔力も以前より上手く扱えません。

 それでも、私はこう言います。

 ──だからなんだ、と。



 私には、相棒が身近に居るではないですか。

 誰よりも信頼できる、最高の精霊が、ウンディーネが、私に付いてくれている。

 諦めるには、まだ早いです。





 ──オオオオオオオオオオオオ!!!──


 異形が吠えます。
 奴の身体は最初に出会った頃より、二倍くらいに膨れ上がっていました。



「…………そんなに、私の腕が気に入ったのですね」

 ここまで成長されるとは思いませんでした。

 もう「この子を私が育てた!」と言っても間違いではありませんね。…………いや、流石に間違いです。めちゃくちゃ過言でした。こんな腕だらけの怪物が私の子供だなんて、絶対に嫌です。お断りです。

「ほんと、気味悪いですねぇ」

 魔力も、形状も、全てが気味悪いです。

 私は精神的に強い方なので、まだ「気持ち悪い」程度で済ませられますが、普通の人だったら発狂していますね。

 こんなのに取り込まれるなんて、絶対に嫌です。

 ……と言っても、もうすでに私の右腕はあっちサイドに行ってしまいましたが。

 ──チッ、裏切り者…………いや、裏切り腕め。



『…………うん。本当に、気持ち悪い。あんなのに犠牲になった魔女達が、可哀想』

「ええ、その通りです。魔女がいつまでもあれに取り込まれ、苦しんでいるのは見過ごせません」

 というか私の腕を奪ったツケを払わせないと、私が納得しません。

 だから、絶対にやり返してやります。

 倍返しだ! ……と言おうとしましたが、右腕の倍ってことは『二本』なので、腕だけで構成されている異形にとっては痛くも痒くもないんですよねぇ……。


「なので、無限返しです」

『リーフィア? 何を言っているの?』

「…………なんでもありません。忘れてください」

『……ふふっ』

 ウンディーネは笑いました。

 現状は圧倒的に不利。
 笑うべき場面ではありませんが、彼女は面白そうに笑いました。

『ごめんね。……やっぱり、リーフィアはリーフィアだなって……。どんな時でも、飄々としたその態度でいられるリーフィアが、うちは大好きだよ』



「…………結婚しましょう」



『──えっ?』

「あ、いえ。頑張って、私達の帰るべき場所へ、帰りましょうね」

『うんっ! 絶対に、帰ろうね!』

 ウンディーネの可愛さが限界突破したせいで、つい本音が出てしまいましたが、どうやら上手く誤魔化せたようですね。危ない危ない。

 でも、私達の帰るべき場所に帰るという言葉は、嘘でも誤魔化しでもありません。

 絶対に帰って、皆に「ただいま」と言う。
 そのために今は、頑張るしかありません。


「さぁ、魔女達。最終決戦です」

『うちらは負けない。絶対に、勝つから!』


 私は挑発するように左手をクイックイッと折り曲げ、ウンディーネは威嚇するように魔力を練り上げました。





 ──オオオオオオオオオオオオ!!!!!!──





 言葉を理解したのでしょうか。
 異形は雄叫びを上げ、その巨体を震わせます。


 私達と異形。
 その二つが同時に地を蹴り──




















「なんだ、随分と楽しそうではないか」





 幼く、鈴が鳴るような声が静かに響いたその瞬間。

 私達の頭上から──太陽が墜ちてきました。


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