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10. 一番楽しい休日だった

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「次はここよ!」

 洋服を揃えた次に訪れたのは、とあるショッピングモールの中にあるお店。
 看板を見てもわからなかったので、どのような店なのかを朝比奈さんに聞いたら、どうやらここは『エステサロン』らしいとわかった。

「さっきの洋服選びで疲れたでしょう? デートで嫌な思いをさせるのは本意じゃないし、そろそろ休憩にしようかなと思ったの」

 彼女なりに、さっきの店での暴走は反省していたみたいだ。

「ここは私がよく利用している店なの。美容にもかなり効果があるのよ。梓ちゃんもカードを作って定期的に通うといいわ」
「美容、ですか……」
「ええ、今以上に綺麗な肌になれると思う。今日はフルコースを頼んだから、ゆっくりしていきましょう」


 エステサロンにも種類があるらしい。

 顔のケアをするフェイシャルサロン。全身のケアをするボディサロン。ムダ毛の処理をする脱毛サロンと、大きく分けて三つ。

 私達が利用するのはボディサロンだ。

 ここでは体はもちろん、顔のケアや脱毛も取り扱っている。他にはネイルなどのパーツケアまで対応していて、どの分野にも対応出来る幅広いメニューが提供されているとか。

 今日はそのメニューの中でも、文字通り『全身』を磨くコースをやるらしい。
 ……実のところ、昔からエステとかマッサージには興味があったから、こうして色々と体験出来るのは凄く楽しみだ。



「と、思っていたのになぁ」

 遠い目になり、私はポツリとそう呟く。
 一足先に全メニューが終了した私は椅子に腰掛け、体についたオイルを流しに行った朝比奈さんの帰りを待っていた。

「まさか、あのまま寝ちゃうなんて……」

 最初は血行を良くするため、全身の揉みほぐしから始まった。
 女性二人がかりで揉まれた私は、あまりの気持ち良さに陥落。すぐ眠りに落ちた。

 次に目覚めたらメニューのほとんどが終わっていて、全身が磨かれた後だったことを知った時の私は、それはそれは面白い顔をしていたことだろう。

「ふふっ、梓ちゃんの寝顔……すごく良かったわよ」

 一人落ち込んでいたら、朝比奈さんが戻ってきた。
 私と朝比奈さんは並んでエステを受けていたので、寝顔はバッチリ見られていたことになる。それが一番、恥ずかしい。

「あまりいじめないでくださいよ。不機嫌になりますよ」
「それは困るわね。……まぁいいわ。これから毎日、間近で貴女の寝顔を楽しめるのだから、ここで満足するのも勿体無いわよね」

 ──うっわぁ。
「──うっわぁ」

「心の声、漏れているわよ」
「おっと……」

 口に手を当て、黙る。
 嫌だという思いが強すぎて、表に出ていたみたい。

「……それにしても、思った以上に綺麗になったわね。すべすべしていて、いつまでも触っていたいくらい」

 伸ばされた手を、ペチンッと叩き落とす。

「んもう、冷たいわね」
「朝比奈さんの笑顔が気持ち悪くて、つい」
「……冷たいを通り越して、極寒だったわね」

 そう言いつつも、朝比奈さんは全く気にしていないようだった。
 大人の余裕というやつなのか。むしろ、私から不意に飛び出す素の反応を見て楽しんでいるようにさえ思えてしまう。

「でも、綺麗になったのは本当よ。週一で通っていれば将来は美魔女になれる。私が言うのだから間違いないわ」
「まだそれを考える歳ではありませんよ。……でも、しばらくは通うつもりです」

 気持ち良かったのは本当だし、自分で見間違えるほどに綺麗になった。

 体に伸し掛かっていた疲れは全身マッサージのおかげで癒されたし、ヘッドスパで頭皮のケアもしたから、頭からつま先まで晴れやかな気分だ。

 これを一度でも体験したら、もう戻れない。

「気に入ってもらえたみたいで、私も嬉しいわ」

 それからは外が暗くなるまで、ショッピングモールの中にある店を見て回った。
 前から興味があった文房具店を眺めたり、今後必要になるからと小道具を買ったり。私に合うアクセサリーを朝比奈さんが見繕って、それをペアで買って。とても楽しい時間を過ごせた。
 ゲームセンターに立ち寄って、クレーン機の景品になっている可愛いクマのぬいぐるみを取った時は、二人で手を組んで喜び合ったな。

 …………。
 ………………。

 今日は本当に、充実した一日だった。
 朝比奈さんのおかげで、初めて休日を楽しいと思えた。

「あの……」

 きっと、これを聞けるのは今しかない。

「どうして朝比奈さんは、私に優しくしてくれるのですか?」

 朝比奈さんは「一目惚れだ」と言っていたけれど、ただ好きになった人にここまで優しくしてくれない。恋人ではあるけれど結局は赤の他人だ。やっぱり他人に百万円は渡さないし、こんなに色々なものを与えようとはしない。

 だから、どうして何も持たない私に優しくしてくれるのか、不思議になった。

「私がやりたいと思っているから、やっているだけよ」

 さも当然だと言うように、朝比奈さんは笑った。

「百万円は貴女を引き止めるため。好きな人が危ない道に行こうとしている。それを止めるために必要な消費だった。……それだけのことよ」

 そう言った朝比奈さんは、苦痛に顔を歪ませていた。

 『お金で人を買った』ということに、朝比奈さんは引け目を感じているのかもしれない。目的は人助けでも、やっていることは昔の奴隷制度と同じことだから。

 決して他人から褒められることではない。
 それでも──

「私は、感謝していますよ」

 朝比奈さんにとっては『その程度』の認識でも、私は救われた。
 まだ答えを出すことは出来ないけれど、何もなかった世界から私の手を引っ張ってくれたのは、他ならぬ朝比奈さんだから。

「誰にどう思っても、私は朝比奈さんに救われました。今こうして自由になれたのも、素敵な休日を過ごせたことも、全て──貴女が私を引き止めてくれたおかげです」

 朝比奈さんはハッとしたように目を見開き、私を見た。
 迷っているのは私だけじゃない。彼女の中にも迷いはあったんだ。

「……梓ちゃん。今日は、楽しかった?」
「はい。とっても……」

 両親が死んで、親戚に引き取られて、今まで生きてきて。ただ一度も楽しいと思うことはなかった。楽しいとは思えなかった。

 ──初めてだった。

 私はやっと、今日が楽しいと思えた。この気持ちだけは間違いじゃない。

「また、デートに連れて行ってくれますか?」
「もちろんよ。何度でも、何度も。デートをしましょう」

 初めての恋人との、初めてのデート。
 迷いや葛藤はあったけれど、とてもいい一日だった。

 まだ自分の気持ちはわからないし、答えも出せないけれど──。

 朝比奈さんのこと。少しは知れた……と思う。

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