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ちょっとした手合わせ

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「ありえない……」

 レーナは大の字になって、地面に倒れこんでいた。
 淑女としてみっともない格好だ。座るくらいはしようと思うが、体は本人の意思に反して、全く動かなかった。

「──大丈夫ですか?」

 そんなレーナの顔を見下ろして、声をかけて心配する女性がいた。

 その人は、灰のような髪色と赤色の瞳が特徴的だった。
 全身から汗を流して疲れ果てているレーナに対し、その女性は爽やかな笑みを浮かべている。疲れていなさそうに見えるその様子に、レーナは自分に不甲斐なさを感じた。

 彼女の名はシエラ。
 ただのよろず屋の店主──のはずだ。

「……シエラ」
「はい? どうしました?」
「……いや、何でもない」
「……? そうですか。無理は禁物ですよー?」

 誰のせいでこうなっていると思っている。
 そう言いたげに睨むも、シエラは気づいていないのか、あえて無視しているのか、不思議そうに首を傾げるだけだった。

「はぁ……」
「おや、お疲れですか?」
「…………ああ、自分が不甲斐ない」
「仕方ないですよ。まだまだレーナさんは弱いですからね」
「…………」
「ま、それを鍛えるのが、今回のお仕事です。焦らずにゆっくりやりましょう」

 お茶を持ってきますね。と、シエラは走って行った。

「はぁ……」

 二度目の溜息。
 本当に、自分が情けない。

 シエラに負けたことにではない。
 彼女の力量を測れなかった自分にだ。

「日差しが、暖かいな……」

 雲一つない晴天を見上げながら、一時間前のことをレーナは思い出す。
 それはまだ彼女が、シエラという規格外な人物を知らなかった時のことだ。



          ◆◇◆



「では、好きなタイミングで攻撃していいですよ」

 裏庭は建物に囲まれた場所だった。
 だからって狭い訳ではない。二人で戦う場所だと思えば、十分に動ける範囲だ。

 そこに着くなり、シエラは適当に体を動かしながら、そう言った。

「……あの、もう一度言うが、私は真剣を使うぞ」
「はい。知っていますよ?」

 それがどうしました? と、シエラは首を傾げて問う。

「武器は、持たないのか?」
「え? 必要ですか?」
「それはまるで、私との戦いでは必要がないと言っているように聞こえるが?」
「その通りですが?」

 ここまではっきり言われるとは思っていなかったレーナは、怒りよりも呆れの感情の方が大きかった。

「ああ、すいません。私って嘘を付けない性格なのです。……直せとスラにも言われているのですが、どうにも癖で」

 使い魔のスライムにも注意をされるレベルの性格だが、その本人はそれに悩んではいなかった。
 別に嘘を言っている訳ではないのだ。それを信じてもらえないのであれば、実際に戦って証明すればいいだけのこと。今までそうしてやってきた。

「大丈夫ですって。ほら、世の中には素手で戦う人もいるでしょう?」
「あなたもそうだと?」
「いいえ? 私は大剣使いですよ?」
「……そうか」

 話していると疲れる。
 ならば、もう始めよう。

 お互いの意見は『さっさと勝負をしよう』だ。

「本気で行く」
「はいどうぞー、本気で来てもらわないと困ります」
「……行くぞ!」

 大きく離れた距離を感じさせない踏み込み。
 ほとんどの予備動作なしで繰り出されたそれは、戦場を駆ける一本の矢のように、鋭く突き出される。

 殺す気ではいかない。
 だが、それくらい本気で攻撃したつもりだった。

「ふむ……」

 シエラは避けなかった。
 反応出来なかった訳ではない。
 避ける必要がなかったのだ。

 ──ガキンッ。
 鋼鉄同士がぶつかったような音。

 それはおかしいとレーナは冷静になる。
 なぜなら、シエラは何も持っていないのだ。
 そんな音、鳴る訳がない。
 だが、現実はそう聞こえた。

「──なっ!?」

 そして、レーナは見た。
 本気で放った一撃が、シエラの胸元で止まっているのを。

 あり得ない。
 そう驚愕している冒険者に、いつもの笑みを崩さない店主は、手をパチパチと叩く。

「中々いい突きです」

 褒められている感覚がしない。
 むしろ馬鹿にされているように、レーナは受け取った。

「ですが、もっと本気を出してください」

 シエラは人差し指を立て、胸に当たっている剣先を払った。
 虫を追い払うような軽い動作。
 しかし、強大な力で払われたように、レーナの剣は吹き飛んだ。
 バランスを崩してしまうが、そこは冒険者。すぐに追撃を恐れて体勢を立て直す。

「……剣を拾わなくていいのですか?」

 追撃が来ることはなかった。
 むしろ、なんで拾わないのです? と言われてしまう。

 そのことに屈辱を覚えながら、大人しく剣を拾う。やはり、追撃は来なかった。

「一つ、いいか?」
「はい、どうしました?」
「あなたは、何者だ?」

 神速の突きを無抵抗で受け止めるなんて、今でも信じられない。
 実際にどんな人にも魔物にも、この攻撃を防がれたことはあっても、無傷ということはなかった。

「なんででしょうね。私と手合わせした人は皆、そのような質問をしてくるんです」
「当然だろう。これを見せ付けられたら、誰だってそう思う」
「でも、私はただのよろず屋ですよ」
「そう、か……世界は広いのだな」
「? そうですね。世界旅行しようと思ったら、何年掛かるのでしょうね」

 微妙に話が通じていない気がレーナだが、気にしないことにした。

「次こそ──殺すつもりで行く」
「どうぞー」

 殺気を込めて剣を構えても、シエラは表情を崩さない。

 ……本当に意味がわからない。
 この人の底が、今になって見えなくなった。
 だが、次こそはその顔を少しでも驚かせてやる。

 彼女は精神を集中し、シエラただ一人を見つめる。
 全ての神経を注ぎ込み、他の光景を一切考えない。

「おっと、雰囲気が変わりましたね」

 剣を上に構える。
 上段の構えと言われるものだ。
 脳天を叩き割るため、レーナは全てを賭けた。

 それを見ても、やはり余裕の表情を崩さないシエラ。
 むしろ、これから何が来るのだろうと、目をキラキラさせていた。

 呆れる。ただただ呆れる。
 この人は、こちらを馬鹿にしていたのではない。
 彼女が言っていた通り、本気でこちらを脅威と感じていなかったのだと、レーナは悟った。

 だからと言って、ここで引く訳にはいかない。

 ──その時、大地が揺れた。


 地面を砕くほど勢いよく踏み込まれたそれは先程より速く、剣の軌道を残しながら振り下ろされた一撃は、完全に標的の脳天を捉えた──はずだった。

「思ったよりも力強い一撃ですね」
「…………は?」

 それを、シエラは二つの指で摘んでいた。

「誇っていいですよ。私の予想を裏切ったことを」

『私は強いですよ。あなたとなら……そうですねぇ。指一本で十分でしょうか』

 シエラは彼女がどんなに頑張っても、その程度だろうと判断していた。
 しかし、豪剣を極めた一撃を前にして、咄嗟に二本使ってしまった。
 これは予想外だ。

 そして、面白いとシエラは笑う。
 いつも浮かべている人受けの良い笑顔ではなく、まだ成長余地のある強者を前にした時の──獰猛な笑みだ。

「さぁ、もう一回」
「──へ?」
「何を呆けているのですか。もう一回ですよ。先ほどの技をもっと私に打ち込んでください。大丈夫、あなたの攻撃で私が死ぬことはありません。なので遠慮なく、満足するまでやりましょう」

 今ので限界に近い。とは言えなかった。
 それを言わせない迫力が、彼女の言葉にあった。

「時間は有限ですが、今日は何も予定が入っていません。運がいい。さぁ、時間はたっぷりとあります」

 だから、構えてください?

 正真正銘の怪物を前にしたレーナは、これが真なる恐怖なのかと体が震わせ、強めの口調には似合わないか弱い悲鳴を上げたのだった。
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