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24 勝手にレモンをかけないで!
しおりを挟むカラオケ店の予約をキャンセルするわけにもいかず、祝勝会は強行された。
「うん、美味い!」
ネオンライトに囲まれたVIPルームの隅っこにて。
せっかく睡蓮が奢ってくれると言うので、俺はパーティー用の超大盛り唐揚げを注文した。
で、ひたすらに食べまくる。
食ってばかりでは喉が詰まるのでドリンクバーも追加した。
で、ひたすらに飲みまくる。
さて、今日消費した分のカロリーくらいはそろそろ補えただろうか。
「なんか悪いな。俺ばっかり食ってて」
「い、いえ、お構いなく。セッティングした甲斐がありましたわ」
ところで、と睡蓮。
「誰か歌いませんの?」
「まだ食事中」
「おれ音痴なんで」
「わ、私クラシックしか聴かなくて……すみませんっ」
睡蓮は困ったように溜息を洩らした。
涙衣の一件があったせいで、すっかり場が白けてしまっている。
まあそれはそれとして、たくさん動いた後だからか、俺は唐揚げを貪る手が止まらなかった。
「ってか、妹尾はなにを怒ってたんだ?」
何の気なしに訊ねたら、珍しく颯が変な顔をした。
「赤士、空気読みなよ」
「先延ばしにしたって仕方ねえだろ。何事も早いに越したことはないんだよ」
このままでは埒が明かないのは事実だ。
いつまでも腫れ物に触るような扱いというのも気分が悪い。
「……はしゃぎ過ぎちゃいましたかね」
日陽が呟く。
それは誰もが認めざるを得ない。
しかしたったそれだけのことが、涙衣をあそこまで激昂させたとは思えなかった。
この際言わせてもらうが、そもそもだ。
「あんな言い方は酷くね?」
俺は少し早口になって言った。
「機嫌が悪いのは結構だけどいちいち他人様に突っかかんなって話よ。可哀想に、似鳥なんて完全にとばっちりじゃねえか」
「あの、赤士さん」
睡蓮が物悲しげに口を挟む。
「あまり涙衣さんを責めないであげてください。わたくしが言うのもなんですが、彼女も悪気があっての発言ではないと思いますわ」
「別に責めちゃいねえよ」
ただ、毎度毎度ぷーっと膨れてどこかに行かれてしまっては、俺だって付き合い切れない。
「涙衣さんも大切なチームメイトですわ」
「……わかってんよ。わかってるから面倒臭えんだよ」
急に胃の辺りが重たく感じる。
俺は唐揚げを食べるのを中断した。
「どのみち妹尾抜きだとメンバー足りないしな」
駒を進めてしまった以上、今更辞退というわけにもいかない。
時間が経てば色々とこじれてしまうだろうし、早いところケリを付けておきたいというのが本音だ。
「……多分、私のせいなのです」
日陽が控えめに呟く。
俺は目を細め、しばらく考えてから訊ねた。
「なんでそう思う?」
「妹尾さんは私に怒ってました。だから本心では、みなさんを責めるつもりはなかったんだと思います。全部私が悪いんです」
「心当たりがあるのか?」
日陽は気まずそうに下を向いたまま頷いた。
「よし、話してみろ」
「……はい」
彼女は手をぎゅっと握り締める。
「み、みなさんにも謝らなくちゃならないんですが、実は私……わた、し……ぐじゅ」
「わ、わっ!」
な、泣く? 泣かないで!
俺は大慌てでフォローにまわった。
「な、なにがあったにしろ、誰もお前を責めたりしないって。ほら、飲め。食え。ゆっくりでいいから」
「う、うぐぅ。ずびずび」
「日陽さんのせいではありませんわ」
日陽の口からは無理そうだと悟ったのか、今度は睡蓮が小さく手を挙げた。
「涙衣さんにお伝えしなかったのはわたくしの責任です。こうなるのではと思い、伏せていたのですが……結果として、涙衣さんにしてみれば騙されていたと感じてしまうのも当然ですわね」
「先輩もなにか知ってんのか?」
睡蓮は視線を外し、斜めに頷いた。
言い出せなかった理由、知られるわけにはいかなかった理由がある……らしい。
しかしその躊躇いが、亀裂を引き起こした。
「俺たちまで騙すのは勘弁だぜ」
俺はあえて強く出た。
「仲間内で隠し事してたら、そりゃいつかは瓦解するだろうよ。だから早く、ほら、話せって」
俺に急かされ、睡蓮は言葉を探すように唇を舐めながら、
「わ、わかりました。お話します。よろしいですわね、日陽さん」
「……はい」
緊張の一瞬、俺はグラスの底に残ったジュースを煽った。
「日陽さんは元々、フラフト界では名の知れた存在でしたの」
いつもよりも落ち着いたトーンで、睡蓮が語り始める。
「正確には中学フラフトです。フラフト界の王者、神天道学院のことはご存知ですわね?」
「まあ、軽く」
「あそこは中等部でもフラフトが盛んで、日陽さんはそこのGKでした。今から3年前、彼女が中学一年生の時の話です」
えっ?
俺は耳を疑った。
この数週間のうちに神天道学院の名前は何度か耳にしている。
涙衣が去年在籍していたことも聞いた。しかし日陽がそこの中等部出身とは初耳だ。
「そういえば」
試合の最中、三棚高専のFW、リーゼントの真十郎が悲鳴のように呼んだ名があったはずだ。
記憶を辿り、あの時の言葉を思い出す。
「神天道中の、イージス」
日陽の顔が強張る。
それが、かつての彼女の名。
「あの年はいわゆるフラフトの黄金世代でした。
神天道学院についても例外ではなく、中等部のスタメンが新入生のみという試合もありましたわ。
巷では『神天道の五つ星』なんて呼ばれていたほどです」
睡蓮はこうも続けた。
「もっともこの話には諸説あります。
神天道中は対戦相手を侮辱する目的で一年生チームを組んだとか、不祥事を起こした上級生の代替だとか。
中には新入生に対する洗礼。要するにいじめの延長、なんてものもありましたわ。
所詮はどれも噂の域を出ませんけれど」
「噂もなにも本人に訊けば済む話じゃねえか。なあ、似鳥」
俺は同意を求め、日陽の方を向き直った。
……しかし、返答はない。
「お? 似鳥?」
「すみません、戸坂さん。私……ぐじゅ」
結局日陽の口から聞き出すことは難しく、またしても睡蓮に説明を仰ぐこととなった。
結論から言うと、この時の俺の見通しは甘かった。
神天道学院出身という言葉以上の衝撃が続くという考えに至らなかったからだ。
「今の日陽さんは、神天道中での活躍を憶えておりません」
「……あ?」
「失礼。まわりくどいですわね。端的に申し上げますわ」
一番強烈なヤツが最後に飛んできた。
「日陽さんの記憶は欠落しています。彼女は記憶喪失を患っておりますわ」
「…………えっ?」
一瞬、恐ろしいほどの静寂が訪れた。
質の悪い冗談だろうと思った。……そう思いたかった。
不謹慎なジョークだと思い込もうとした。そうであって欲しかった。
しかし睡蓮の眼差しが揺らぐことはなく、日陽は一層涙を溢れさせる。
「嘘ではなさそうだね」
颯の呟きに対し、日陽は俯いたまま、
「3年前。夏季大会中のこと、らしいです」
彼女は用意された台本を読み上げるかのように、淡々と言葉を連ねる。
「睡蓮さんのお話の繰り返しとなってしまいますが、当時12歳だった私は神天道学院中等部のGKだったようです。
その大会、神天道中は準優勝。
私の家にもメダルがあります。銀色の丸いメダル。
私の知らない、私が手に入れたメダルです」
俺は舌で上顎をなぞった。
口の中が乾く。グラスは空になっていた。
「決勝戦、神天道中はスタメン全員が一年生だったと聞きました。
会場は屋根のない海上スタジアム。天候は曇り。気温は例年より5℃も高く、フィールドのコンディションはあまりよろしくなかったそうです」
らしい、聞いた、だったそうだ……並んだ語尾が事の真偽を物語る。
これではまるで他人の噂話でも語っているみたいだ。
日陽の抑揚のない語りが続く。
「今現在、私の記憶の始点は病院のベッドの上です。
最初に話をした相手は看護婦さん、次が主治医の先生、そして病院の中庭で知り合ったお友達。
両親やお姉ちゃんの記憶も曖昧で、アルバムの写真がなければ家族として認識することも難しかったかもしれません」
俺は割り込むように訊ねた。
「記憶を失った原因も憶えていないのか?」
「全く」
日陽は冷たく否定した。
「ですが聞かされてはいます。
試合中盤、スコアは2‐0。神天道中リードの状態で後半開始。
フィールドには灰色の靄が棚引き、ぱらぱらと霧雨が舞い始めていたそうです。
雨は徐々に強くなり、審判の間で試合中断の協議が行われる中……後半13分、選手の1人を落雷が襲いました」
「まさか!」
視線を車椅子の方に向け、日陽が頷く。
「はい。打たれたのは私です。憶えていないので自慢話にもなりませんけど。ともかく周囲の話によると、記憶喪失の原因に間違いありません」
それから日陽は自分の足を指差し、
「これもですね。まいりました、後遺症です」
自嘲するように笑ってみせる。
「…………………っ」
誰も、なにも言えなかった。
言葉が見つからない。
やっとのことで俺が喉の奥から絞り出したものは、ほとんど悲鳴に近かった。
「……よせ。もう、わかったから」
悲しいとか辛いとか、そういった悲愴の言葉が日陽の口から出てくればどれほど救われたことか。
今、彼女はそれさえも、記憶と共に失ってしまっている。
自分自身の意識と“似鳥日陽”という少女とを紐付ける確固たる証拠を、今の日陽は一つも持っていないのだ。
「長話ですみません。お料理、冷めちゃいましたね」
俺はやるせない思いでいっぱいだった。
日陽がフラフトを再開した理由──。
それは多分、記憶のピースをかき集めるためなのだと気付いてしまったから。
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