2 / 29
2 俺の自転車盗らないで!
しおりを挟む数年前、偉大な男がこの世を去った。
男の名は戸坂悟士。
俺の父親だ。
親父は世界でも名の知れたバイクレーサーだった。
しかし競技中、不慮の事故によって帰らぬ人となった。
生前、彼はよくこんな言葉を口にしていた。
「なんにせよ早いってのは良いことだぜ」
皮肉な話だ。
親父はまだ40歳にも満たなかった。
『──早いことは良いことだ』
俺は父の遺志を継いだ。
徒競走から冷凍食品に至るまで、常にスピードを追求しながら生きてきた。
そして今日も……。
────さて、自分語りはこのくらいにして。
暦は5月。時刻は朝の5時半。場所は近所の寂れた公園。
俺はちょうどバイトを終え、ベンチで小休止していたところだ。
未亡人の母の稼ぎは乏しく、要するに俺の家は貧乏だった。
なのにうちの高校はアルバイト禁止。まあバレなければ大丈夫だろうと、やむを得ず早朝の新聞配達をして家計を支えている。
学校側に知られたらペナルティは免れない。
しかしなにもせずにいても学費が続かず結果は同じだ。
「ま、こんだけ貰えりゃ美味しい仕事だ」
生徒手帳に挟んだ給与明細を眺めてニヤける。
自転車で新聞を配るだけなので、道順さえ覚えてしまえば散歩みたいなものだ。
面白みはないが給料に関しては悪くない。
「っと、そろそろ日の出だな」
休憩おしまい。
ベンチから腰を持ち上げた──その時だった。
「……あ?」
突然、足元に影が現れた。
それは俺がまばたきをした一瞬の間に、溢したインクの染みのようにどんどん広がり膨らんでいく。
ハッと天を仰いだのとほぼ同時!
「うわぁっ!?」
突風に煽られて、俺の体は数メートル後ろまで投げ飛ばされた。
「ん ぁ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ !?」
「な、なんだぁ!!?!?!?」
静寂の朝に二つの悲鳴が木霊する。
「…………な」
なにかが、降ってきた。
それも、俺の目の前に。
雨ではないし雪でもない。
そもそも空から落ちてくるはずの代物ではなかった……ように思う。見間違いでなければ。
「い、痛ってぇえええ」
砂を孕んだ髪を掻き毟る。
なんとか体を起こすと、傾いた視界にモノクロの球体が映り込んだ。
「ああ? サッカーボール?」
起き上がってボールを拾う。あまり使っていないのか、汚れなどは見られない。
だが、違う。
落下物の正体はこいつじゃない。
「おーい」
女の声。
俺はぎくりと強張った。
「ごめんね。怪我はない?」
寝間着姿の少女が覗き込む。
外見に憶えはない。背格好を見るに中学生だろうか。
小麦色のショートカット。
肌は青白く、顔立ちはまだ幼い。
薄水色のパジャマも相まって、水彩画のような儚い印象を受ける。
俗に言う“美少女”を体現したような女の子だった。
「…………」
まあいい。
女の子の方はどうでもいい。
それより俺は別のところに視線を奪われていた。
彼女が背負う無骨な直方体が、気になって気になって仕方がなかった。
「…………????」
明らかに場違いな鉄の鞄。
サイズは一般的なリュックよりも少し小振りだ。
デザインを見るに、なにかを持ち運ぶための用途とは考え難い。
どちらかと言うと荷物を詰めるためのものではなく、既にみっちりと詰まっているように見える。
たとえば基盤や燃料、赤い線やら青い線やら色々とぐちゃぐちゃと。
……爆弾?
そんな単語も一瞬過った。
「あの、大丈夫?」
改めて訊ねられて我に返る。
「お、おう」
少しびびったけど。
女の子はほっと息を吐き、二度ばかり頷いた。
「本当ごめんよ。お兄さん大学生?」
「いや。高校生」
「高校! 随分と大人っぽいね。学年は?」
「二年だ」
「あっ、ぼくも二年!」
ぼく。ぼくっ娘って現存する生き物だったのか。
しかしこの見てくれでタメとは。
「……中学の二年生、だよな?」
俺が訊ねると、女の子は「む」と頬を膨らませた。
「ぼく、一応年上だよ。本当は三年生なんだけど、ダブっちゃってるんだ」
「留年か」
留年。パジャマ。病弱少女。
「うん、そういうこと」
そういうことらしい。
「寝間着でサッカーなんかやってっから風邪引くんじゃねえの?」
「口の悪い人だなぁ。哀しいことに、ぼくがこうして外出できるのは早朝くらいなんだよ」
「ほーん」
「しかも朝のケンオンまでには戻らなくちゃいけない。なかなかハードでしょ?」
自分で無茶してるだけでは?
と言いかけて、俺はふと気になった。
「ケンオンってなんだ?」
「検温。朝の検診だよ。毎日朝食前に看護婦さんが来て体温測るやつ」
「え。つまりお前さん入院中?」
「そうだよ」
「脱け出してきたわけ?」
「うん」
あっけらかんとした返答に呆然となった。
病室から抜け出して公園でサッカーって、なんなんだこの女。
「頭のネジがブッ飛んでんのは結構だけど、体の方は平気なのか?」
「大丈夫、ではないかも」
あーマジか。
無粋な質問をしてしまった。
俺は今更になって、背中の装置は医療器具の一種なのではと気が付いた。
「ああ、ごめん。そろそろ行かなくちゃ」
女の子はそう告げて、両脇のホルスターから短い棒を引き抜いた。
よく見ると背中の鉄箱からリード線が繋がっている。
「コントローラーか?」
俺が訊ねたのとほぼ同時だ。
「あ、あれっ?」
「ぶわっ!?」
顔に思いっきり熱気を浴びせられ、たまらず咳込む。
鉄箱が灰色の煙をぷしゅぷしゅと撒き散らし始めたせいだ。
ぶうんと低周波のノイズが続く。記憶を辿ると縁日の小型発電機の音によく似ていた。
「どうなってんだ、おい!」
立ち込める煙は徐々に濃さを増していき、女の子はあっという間に霞みの中に隠されてしまった。
「……ねえ。これ煙出過ぎじゃない?」
「そう思うならさっさと止めろよ」
黒煙はもくもくと膨らみを増していき、誰がどう見ても火災現場だ。
「お、おい、なんかバチバチ鳴ってんぞ」
しかも火花まで散り始めた。
「さすがにヤバくね?」
「あ、危ないよね、これ」
彼女は慌てて荷物を肩から外した。
地面に放られた鉄箱は鈍い音を立てて沈黙したものの、未だ煙が止まる気配はない。
「いよいよ爆弾めいてきたな」
「ど、どうしよう……」
どうしようと言われましても……。
「とりあえず消防車呼んだ方が──あ? おいっ!」
続く一連のアクションは、まるで断片的なパラパラ漫画のようだった。
俺が視線を外したコンマ数秒の隙に、女の子は煙たい鉄箱を放り投げ、これが上手い具合に自転車のカゴに納まった。
当然、この場に自転車は一台しかない。俺が乗ってきた新聞配達用の自転車だ。
「待て待てお前なにしてやがる!」
彼女はサドルに跨り、後輪のスタンドを蹴り上げた。
「借りてくね」
「は!?」
「あとで返すから」
「返すもなにもそれはバイト先のチャリだから、あッ!!?!?」
俺は咄嗟に制したが、容赦なく走り出したホイールに右足の爪先を轢かれた。
「ぎゃあああああああああ!!! 痛ッてェええええええええ!!!!」
「ごめん。急いでるから」
「に、逃がすかテメー!」
煙の尾を引きながら小さな背中が遠退いていく。
いくらスピード狂の俺でも、全速力の自転車相手に追い付けるわけがない。
100メートルほど鬼ごっこを続けたところで、これ以上は時間の無駄だと思い知る。
「冗談じゃねえぞ」
みっともない声で俺は吼えた。
「てめえオラァ! せめて名前くらい名乗っていけ!」
「空見椋久! またね!」
その背が見えなくなるまで、俺は彼女のことを睨み続けた。
「く、クソが。覚えとけよ、空見」
名前の響きに誘われて、遠くの空を仰ぎ見る。
「そういやあいつ、なんで上から降って来たんだろう?」
パールトーンの光が差し込んでくる。
日は昇った。今日も晴天だ。
「最悪だ……バイト先への言い訳を考えないと……」
俺はたっぷり時間を掛けて新聞屋への帰路を歩いた。
早いことは……なんだっけな。
今日は長い一日になる。そんな予感がした。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい
平山安芸
青春
史上最高の逸材と謳われた天才サッカー少年、ハルト。
とあるきっかけで表舞台から姿を消した彼は、ひょんなことから学校一の美少女と名高い長瀬愛莉(ナガセアイリ)に目を付けられ、半ば強引にフットサル部の一員となってしまう。
何故か集まったメンバーは、ハルトを除いて女の子ばかり。かと思ったら、練習場所を賭けていきなりサッカー部と対決することに。未来を掴み損ねた少年の日常は、少女たちとの出会いを機に少しずつ変わり始める。
恋も部活も。生きることさえ、いつだって全力。ハーフタイム無しの人生を突っ走れ。部活モノ系甘々青春ラブコメ、人知れずキックオフ。
グループチャット・五つ星
サクラ
青春
チャットアプリ・LINEのとあるグループ『五つ星』。
彼らを題材とした日常系ゆるふわストーリーが始まる。
旧・風亘理学園(かざわたりがくえん)。
この学園は中高一貫のこの辺りで珍しい学園である。
そんな風亘理学園には、不思議な部活動があった。
交流広場・五つ星。
誰がそう呼び出したのかは、わからない。
けれども交流広場の名の通り、人々はそこで交流を深める。
個性豊かな人々が集まって雑談していく交流広場・五つ星。
そんな彼らの日常を、少しだけ覗いていってください。
ーーーーー五つ星の絆は、永久不滅だ。
アナタはイケメン達に囲まれた生活を望みますか? ▶はい いいえ
山法師
青春
私立紅蘭(こうらん)高校二年生の如月結華(きさらぎゆいか)。その結華の親友二人に、最近恋人が出来たらしい。恋人が出来たのは喜ばしいと思う。だが自分は、恋人──彼氏どころか、小中高とここまでずっと、恋愛といったものとは縁遠い生活を送っている。悲しい。そんなことを思っていた結華は、家の近所に恋愛成就の神社があることを思い出す。どうせ何もならないだろうと思いながらも、結華はそこにお参りをして、彼氏が欲しいと願った。そして、奇妙な夢を見る。
結華は、起きても鮮明に覚えている意味不明な内容のその夢を不思議に思いながらも、まあ夢だし、で、片付けようとした。
が、次の日から、結華の周りで次々と妙なことが起こり始めたのだった──
サンスポット【完結】
中畑 道
青春
校内一静で暗い場所に部室を構える竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部。入学以来詳しい理由を聞かされることなく下校時刻まで部室で過ごすことを義務付けられた唯一の部員入間川息吹は、日課の筋トレ後ただ静かに時間が過ぎるのを待つ生活を一年以上続けていた。
そんな誰も寄り付かない部室を訪れた女生徒北条志摩子。彼女との出会いが切っ掛けで入間川は気付かされる。
この部の意義、自分が居る理由、そして、何をすべきかを。
※この物語は、全四章で構成されています。
全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―
入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。
遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。
本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。
優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。
放課後美術室で待ってるから
綾瀬 りょう
青春
美術の神様に愛されている女の子が、自分の高校の後輩として入学してきた。自分は一生関わらないと思っていたら、ひょんな事から彼女の絵のモデルを頼まれることになった、主人公との、淡い恋のお話。
【登場人物】
小山田 郁香(おやまだ ふみか)16歳
→絵を描く事にしか興味のない女の子。友達が居ないが気にしていない。私服は母親の好みのものを着ている。
真田 源之亟(さなだ げんのじょう)
→郁香の祖父。画家として有名だが、その分女遊びも激しかった。郁香の絵の師匠でもある。
西田 光樹(にしだ みつき)18歳
→郁香に絵のモデルを頼まれる。真っすぐな性格。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる