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 なんだか背中が気持ちいいような気がする。ああ、いい香りがするオイルで揉みほぐされているのか。
 そうだ、私は温泉に来ていたんだ。マッサージの最中に寝てしまったのだろうか。

 あれ? 違う。
 今回来た温泉は秘湯中の秘湯。車も通れない山道を散々登った先にある。申し訳程度の屋根と洗い場、休むための山小屋はあるけれど、それ以外はほとんど手を加えられていない岩場の温泉だ。マッサージのサービスなんてあるわけない。

 そんなことをうつらうつらしながら考えている間も、背中、肩、腕が程よい強さで揉まれている。温かい手のひらが心地よい。

「ん……、気持ちいい」

 背中の方で、ふっ、と誰かが笑う気配がした。
 駄目だ。気になるけど、気持ちよすぎてまだまどろんでいたい。

 うーん、でも私、どうしたんだっけ。
 まだ雪は積もっていないけれど、かなり冷え込んだ日だった。誰もいない小屋で服を脱ぎ捨て、山登りに疲れた体を湯けむりの中の温泉に浸すと、あまりに気持ちよくておっさん臭い声が出た。薄曇りであまり眺めは良くなかったけれど、空気が澄み切っていて、遠路はるばる来た甲斐があると思った。

 そんな時、何かが視界を横切った。このあたりは猿などの野生動物も出ると言う。さすがに裸でそれらに遭遇するのは心もとない。警戒していると湯けむりの向こうから立派な角を持った白い鹿が現れて、驚いた私はバサッと勢いよく温泉から上がって……。

 そうだ。クラリときて倒れたのだった。
 え、じゃあ、私、のぼせて倒れて頭でも打ったのかしら? 誰かが救出してくれた? あんな山の中で? だとしたらなんで今マッサージされてるわけ?

 疑問符が乱れ飛んで、急激に意識が覚醒した。

「えっ?」

 私はきちんとした、おそらくマッサージ用の、少し固いベッドの上にいた。横に向けた首がちょっと痛い。視界には見たこともない大ぶりの花が活けられていて、お香のようなオリエンタルな香りも漂っている。上質なエステを受けているような状況に混乱していると、低い、男の人の声がした。

「やっと目が覚めたか」

 驚いて声も出せずに、そろりと背後を見やる。
 私の太腿のあたりに腰を下ろしていたのは、浅黒い肌で筋肉質、たぶんかなり大柄な、彫りの深いものすごいイケメンだった。

「ひっ」

 その迫力に思わず仰け反りそうになって、失敗する。当然だ。太腿の上に乗っかられているのだから。

 そしてなんなんだ、その、中世中東チックな装束。
 緩く巻かれたターバンに、金銀細工や天然石の装飾品、柔らかそうなズボンは無地だけれど、解けかけのサッシュベルトと脱ぎかけの上衣にはみっしりと緻密な刺繍がされている。
 上衣の形は、きちんと着込んだらきっと禁欲的な雰囲気になるだろうシンプルな詰め襟だけど、今は脱ぎかけなせいで色気がだだ漏れだ。

 そんな、きらびやかで、一歩間違えればごてごてした衣装に負けるどころか、それらを添え物にしてしまえるくらいのセクシー美男子(推定三十過ぎ、ただし中東の人は年上に見えがちだと思うから、もしかすると私と同じくらいかもしれない)が、無造作に上衣を脱ぎ捨てて、少し不機嫌そうに私を見下ろした。

「なんだその顔は」
「えっ、いえ! あの、私はなんでここに……? あなたは誰ですか……?」

 筋肉すごい、などと思いつつも、やはり状況についていけずに、そのまま疑問を口にする。

「何を言っている。俺の湯殿に裸で潜り込んだのはそなただろう」
「湯殿? え、潜り込んでなんていないです、気づいたらここにいて……」
「ふうん。そういう趣向か?」

 私の必死の訴えを気に留めた様子もなく、その人は首や頭の装飾品を外していく。ベッドの脇にそれらが落とされると、ガシャリと大きな音がしたけど、誰かが来る気配もない。

「私、山の中の温泉にいたはずなんですが、倒れて、それで」
「誰かに拐かされてきたのか? まあ、だとしても何も変わらぬ」
「ちょ、え!?」

 驚いて身を起こそうとしたら、くるりと仰向けにされてしまった。すーすーする体に、今更ながら自分が裸だということに気づかされ、慌てて両腕で胸元を隠す。下半身が男の人のゆったりしたズボンの生地に隠されているのが幸いだ。

 いや、乗っかられている時点で幸いじゃないのだけど。
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