私の完璧な彼氏さん

むつき紫乃

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理想と現実の狭間で

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 ◆ ◆ ◆

 雪乃と進藤が連れ立ってカフェから出てくる姿を目撃したのは、取引先から帰社したタイミングだった。二人の間に流れる和やかな空気、力んだところのない柔らかな微笑みに、鷹瑛の視線は釘付けとなった。

 進藤の前ではあんなふうに笑えるのか。

 そのことに思いのほかショックを受けていた。
 自分と過ごすとき、雪乃は少し緊張している。恋人によく見られたいと願う内心が、そういった態度につながっているのだろう。自惚れではないはずだ。
 彼女に前向きな向上心を植え付け、変化を促したのは鷹瑛だ。けれどそうして生まれたのは、まるで教師と教え子のように、常に一本張り詰めた糸が結ばれた関係である。

 必要だからそうした。納得はしている。だがその一方で、ありのままの彼女を受け入れ、母の腕で眠る子のような安らぎを与えてやりたいというのも偽りない本心だった。
 鷹瑛は雪乃の指導者になりたいわけではない。もっと近くで、いついかなるときも寄り添い、助け、導く――味方になりたいのだ。絶対的な。

 穏やかに言葉を交わす二人から無理やり視線を引きはがし、誰にも見られていないだろうと油断して、ひっそりと表情を陰らせる。

 それと同時に、面倒くさい男と目が合った。会社のエントランスで行き会ってしまった彼を見て、取り繕うこともなく眉間にしわを寄せる。

「おかえり、氷室くん。めずらしい顔をしているね」
「……悪いが、今はお前の相手をしている気分じゃない」

 どうしてこの男はいつもタイミングよく現れて、ここぞとばかりに煽ってくるのだろう。嫌味な笑顔を拒絶するように顔をそむけた。

「この状況で挑発したら氷室くんがどんな反応するかっていうのも興味あるけど。さすがのぼくも、そこまで鬼畜じゃないよ」

 背後に見える進藤と雪乃の存在にもとっくに気がついていたのだろう。その発言がまた鷹瑛にとっては煩わしい。十波は無遠慮にこちらとの距離を詰めると、至近距離で顔をじろじろと眺め、にやりと口角を上げた。

「得意のアルカイックスマイルもかたなしだね。落ち着いてから戻ったほうがいいんじゃないかな。氷室くんがそんな顔をしてたら嫌でも注目を集めるよ」

 そこまでなのか。

 額に手を当てると寄せた眉が硬く強ばっていて、内に抱える苦悶の根深さを物語っていた。
 この感覚には覚えがある。理不尽な憤りは、顔合わせで雪乃が進藤と親しげな振る舞いを見せたときに感じたものと同じだ。嫉妬のようで嫉妬ではない歪んだ束縛。

 意識の底に沈めて忘れたふりをしていたのに、やはり消え去ってはくれなかったらしい。むしろ、より大きく成長しているように感じられた。

「……そうだな。昼休みがてら頭を冷やしてくる」

 そうしないと雪乃の前で平常心を保てそうになかった。

 昼食をぞんざいに済ませた鷹瑛は、秘密の場所に向かった。廊下の突き当たりにあるバルコニーである。
 この場所を知るのは十波と市川だけだ。出くわしたことがないだけで他に知る者がいるのかもしれないが、一人の時間を邪魔されないのならかまわない。営業部に配属された当初から、一人になりたいときにはここを訪れている。

 ビルの構造上の問題なのか大窓の近くは時折強烈な風が吹くが、角を曲がった先はそれほどでもない。柵に手をかけ、冷たい風を肌に受けると、ざわついた感情が強制的に鎮められる。そのことに無性に安心した。

 理性的に振る舞うことを厳しく自分に課している鷹瑛は、そのために感情を冷徹に律している。だから、雪乃に対するエゴに満ちた欲望も、実際の行動として表れる前に捨て去ってしまわなくてはならなかった。

 けれども胸の内の暗雲はなかなか消えてくれない。
 何度も訪れて見飽きてしまっているはずの景色をまた眺めて、いつもの自分を取り戻そうと躍起になっていた。延々と続く風の音に滑らかな女性の声が混じったのはそんなときだった。

「やっぱりここにいたのね」

 振り返らなくても誰か分かってしまうほどに、この場所で聞き慣れた声だった。

「なにしに来たんだ。市川」
「鷹瑛が頭を冷やしてるって聞いたから、ここかなって。懐かしいわね」

 柵にもたれる自分の隣に当然のごとく並んだ姿が、ここで彼女と語らった過去の記憶と重なる。
 小さなため息が漏れた。

「十波が話したんだな。君にはもう別の相手がいるんだから、名前で呼ぶな」
「あら、つい。ごめんなさい。でも、別の相手がいるのは、お互い様よね?」

 風に流れる長い髪を押さえながら、市川は意味ありげな視線をよこす。

「それも十波に聞いたのか?」
「これは勘。十波くんの態度もヒントにはなったけど。付き合ってる相手、英さんでしょ?」
「随分と自信満々に言うんだな」
「まあね。でも十波くんのせいではないわ。むしろ、あなたの方が分かりやすいわよ。彼女を見る目つきが全然違うから」

 その指摘には純粋に驚いた。雪乃はともかく、自分は平然と隠し通せている自信があったのだ。

「元カノの洞察力をあんまり甘く見てはダメよ」

 目を丸くしている鷹瑛を見て、市川はくすくすと笑う。

「それにしても、私と付き合っていたときとずいぶん趣味が変わったのね」
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