私の完璧な彼氏さん

むつき紫乃

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二人の距離感

◇ 7

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 ◇ ◇ ◇

 アラームを設定していたわけではなかったが、雪乃の体内時計はきっかりいつもと同じ時間に意識を覚醒させた。
 隣で寝息をたてている鷹瑛を刺激しないようにもぞもぞと姿勢を変えて、枕元の時計を確認する。まだ早い。
 布団の中で再び仰向けになりながら、目覚める直前まで見ていた夢をぼんやり思い出していた。
 懐かしい夢だった。
 鷹瑛に出会う前の、恋愛にどこか諦めを感じていた頃の記憶だ。





 ぱしゃり。パンプスが水を弾いた音で、雪乃は我に返った。
 なにをしていたんだっけ。
 考えるよりも早く、車が行き交う道路の向こう側を行く一組の男女が目に入った。ネイビーの生地に桜の花びらが散る可愛らしい傘を二人で仲良く分け合っている。道路側を歩く男の顔がちらちらと覗くのを、雪乃はため息をもって眺めていた。彼がこちらに気づくことはない。

 仕事で急に呼び出されたって言ってなかった?

 ラフな服装に身を包んで肩を寄せ合う二人は、とても仕事上の付き合いには見えない。
 信じていた恋人の裏切りだというのに、不思議と涙は込み上げてこなかった。悲しいことに、雪乃はこういう展開に慣れている。涙の代わりに湧き上がるのは、またか、という諦めを含んだ失望だ。

 付き合う人付き合う人全員が似たような結末を迎えるので、その原因は己にあるのだとすでに理解していた。自分はなに一つ悪いことをしていない。それでも、浮気しても平気だろうと相手に思わせるなにかがあるのだ。

 ぱしゃり。彼らとは逆方向に歩き出した雪乃のパンプスがまた音をたてる。
 手の内でお気に入りの傘の柄をくるくると回しながら、暗い雲に覆われた空を見上げる。
 ひたひたとした寂寥感が胸の内を沈めていった。





 ほどなくして雪乃はその恋人と別れた。
 本当に仕事相手であった場合も考えて控えめに探りを入れてみたところ、彼は堂々と嘘をついた。それを指摘すると、あっさり浮気を認めた。

「わかった。別れよう?」

 端的に切り出すと、彼は虚を突かれたように変な顔をしてから、そこではじめて狼狽した。そして雪乃にすがりついた。

「もうしないから」

 なんとか引き止めようとする彼に、黙って首を振った。

「またするとかしないとかじゃないの。あなたが、恋人を裏切っても平然としてられる人だっていうことが、私にはもう無理なの」

 他人に対して不満を持つことが極めて少ない自分の数少ないポリシーだった。浮気を許容できるような価値観の人と恋愛はできない。
 雪乃にとって理想の恋愛とは、お互いにまごころを持って慈しみあえる関係だ。浮気をしないことは相手に対する最低限の誠意だと思っている。

 とはいえ、その最低限すら守れない相手ばかりの現実に、理想は夢に過ぎないと早々に悟ってはいたが。

「ごめんなさい。さようなら」

 そうして、いくつめかわからないピリオドをまた打った。





 雪乃は寛容すぎんのよ。
 顛末を報告した友人の美穂はそう評した。

「そんなことない。寛容じゃないから別れることになったんだし」
「そこじゃなくて。浮気しても許してくれそうな雰囲気があるってこと」
「気が弱そうに見えるってこと……?」

 そうだろうな、と自嘲ぎみに嘆息する。
 しかし、男性から引く手あまたの友人は、ううん、と首を振る。

「あんたの寛容さにあぐらをかいてる男が悪いの。許せないところを我慢しないでハッキリ言えるところがあんたの良いところなのに、そこに気が付かない時点で、その男にあんたの恋人たる資格はないでしょ」
「うーん……」

 励ましてくれる美穂には悪いが、男性を選り取りみどりで選べるような立場でもない雪乃は、そこまで高慢に考えられない。
 新しい恋人ができるたび、今度こそはと思いながら自分の最大限のまごころを示す。それが精一杯だ。
 けれども、自分の誠意に誠意をもって応じてくれる恋人にはいまだ巡り会えない。男性全員が全員、浮気をするわけでもないだろうに、己の引きの悪さには辟易してしまう。

「やっぱり、私が変わらないとダメな気がする」
「雪乃……」

 順風満帆ではない恋愛遍歴を知っているだけに、美穂も安易に否定できないのだろう。なにか言いたげに口を開くが、それは結局言葉にならなかった。
 二人の間に気まずい沈黙が下りて、雪乃はテーブルの隅に視線をさまよわせた。

「……相手のあることだから、無責任なことは言えないけど」
「うん?」
「あたしは、雪乃がすごく気遣い屋で、いちいち他人の世話を焼いてしまうところってすごい長所だと思ってるし、そういう子が好きな男だって多いと思う」
「……うん」
「かわいいし、性格もいいし、収入もそこそこあって経済的にも問題ないし。普通に考えて、優良物件でしょ。雪乃は」

 手放しに褒められて口ごもった。
 確かに表面的にはそうかもしれない。けれども、実情として引き当てるのはそろいもそろってダメ男ばかりなのであって。

「普通の素敵な男性に声をかけられたこと、ないからなあ……」

 おそらく、目に見えるステータスには表れないような部分で、雪乃にはなにか大きな欠落があるのだ。

 手元のアイスコーヒーにさしたストローをくるりとかき回す。溶けかけの氷が奏でる涼やかな音が、停滞した空気の中で不釣り合いに響いた。
 向かい側に座る美穂はミルクティーを一口飲むと、考えをまとめるようにゆっくりと口を開いた。

「そうね……雪乃に問題があるとしら、相手を甘やかしてしまうってことかな。たぶん、雪乃が相手じゃなかったら普通のそこそこ自立した恋人をやれる男性でも、あんたに甲斐甲斐しく世話されちゃうと……その、堕落しちゃうっていうか」

 悪いのは男なんだけど、とフォローをきちんと添える美穂に、苦く笑って見せた。非が男性側にあるからといって相手を責めるだけで現状は変わらない。

 雪乃は普通にお互いを尊重しあえる恋人がほしい。甘やかすのがいけないというのなら、あれこれ世話を焼くのを控えればいいのだろうか。しかし、細かいところに気のまわる自分にとってそれはかえって苦行だ。

「雪乃と付き合っても堕落しないくらい自立した男が現れるといいんだけどねえ」
「そんな人は女性がほうっておかないから、私なんて相手にしないよ」
「たいがい肉食系女子に狩られてんのよね」
「そうそう」

 笑って頷きながら、ふと考えた。
 肉食系とまでは言わないまでも、自らもっと積極的にアプローチできる性格だったなら、そういった男性の隣に立てる機会もあったのだろうか。

 自分の隣に、優しくリードしてくれる男性の姿を想像をしてみる。あまりにも現実感がなくてイメージはすぐに立ち消えてしまった。
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