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幸せを噛み締めておりまして

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 初夜を完遂できなかった二人だが、それ以外の部分において新婚生活はおおむねうまくいっていた。
 王弟の妃として嫁いだセレナは婚礼の夜から、エミリオが住居としている青藍宮に居を移していた。朝、セレナがその廊下を歩いていると、大抵途中で声がかかる。

「おはよう、今朝も早いんだな」
「おはようございます。エミリオ様こそ毎朝鍛錬を欠かさないのですね」

 現在の王家であるシュヴァリエ家の武勇は先王の代から有名だ。しかしエミリオは専ら文官として働いているので、彼がいつでも剣を持って戦えるように身体を鍛えていることをセレナは結婚してから初めて知った。

 背後から追いついてきたエミリオのほうを振り返ると、その黒髪は濡れて雫を滴らせていた。汗を洗い流してきたばかりなのだろう。シャツの胸元はいくつかボタンがはずされており、その隙間からは想像以上に逞しい胸板が覗いている。初心な乙女には少々刺激的なその肉体からセレナはそっと目を逸らした。

「本日も、朝食のあとはすぐに本宫のほうへ向かわれますか? もしお時間がおありでしたら、帳簿の付け方について少しお尋ねしたいことがあるのですが……」

 エミリオの妻となって最初に任された仕事が青藍宮の管理業務だった。やはり結婚の準備期間は彼も忙しかったようで、私的な宮の雑務は後回しになっていたらしい。結婚すればこういったことは通常女主人の管轄となるので、セレナをきちんと妃として扱ってくれているということでもある。

 するとエミリオは、微妙に躊躇うような間を置いてから口を開いた。

「いや、今日は少し時間がある。あなたと過ごしたいと思って空けておいたんだ」
「――な、なにか特別な用事でもあったでしょうか?」

 あなたと過ごしたい、なんて彼がときどき控えめに混ぜ込んでくる嬉しい言葉にはいまだ慣れない。大した意味はないのだろうと思うのに、いちいち喜んでしまう。それでもセレナがなんとか平静を装って尋ねると、エミリオはまたわずかに言いよどんだ。

「特別、というほとではないんだが……お茶でも一緒にどうかと思って。あなたは確か紅茶が趣味だっただろう?」
「ええ……よくご存知で」
「結婚前にモニエ侯爵から聞いたんだ。それで、実は、あなたに贈ろうと思って出入りの商会に手配させた茶葉があるんだ。それを見てもらいたい」

 愛する夫からの夫からの贈り物が大好きな紅茶の茶葉であるうえにお茶の誘いまで受け、セレナの表情はぱぁっと明るくなる。対するエミリオは、しばし逡巡する様子を見せてから気恥ずかしそうに付け足した。

「……今思うと、いささか数が多すぎたかもしれない。私は紅茶にあまり詳しくないから、商会から勧められる銘柄をひととおり購入したんだ。あなたに引かれないといいんだが……」

 少しきまり悪そうに苦笑する姿は、飾らない素の彼が垣間見えるもので、セレナはくすぐったい気持ちになった。

「でしたら、エミリオ様とたくさんお茶できますね」

 セレナが控えめに声を出して笑うと、エミリオの肩からも力が抜けたようだ。

「あなたとのお茶の時間は、できる限り確保するようにしよう」
「それは嬉しいです。……でも、お忙しいときは、どうぞ無理をなさらないでくださいね。わたくしはこうして少しお話できるだけでも十分ですから」

 夫のことを心から気遣ってそう言うと、妻の気持ちをしっかりと受け止めたのだろう彼は頬を緩める。

 互いを思いやりながら縮めていく距離感はまだまだ手探りなところがあってもどかしいが、それでもなにかが通い合いつつあるような手応えは確かにあった。

 彼と並んでダイニングへ向かいながら、セレナは自身の口元が自然と笑みを形作っているのを自覚する。

 エミリオは、初夜で口にした『良い夫となれるよう精一杯努める』という発言を真摯に実行してくれているらしい。

 クロードと婚約していたときは自分ばかりが努力しているように思われて虚しさに襲われることもあったのだが、今はエミリオもまたこちらに歩み寄ろうとしてくれているのをはっきりと感じとれる。それはとてつもなく幸せなことだった。

 夫婦の営みという大きな課題は依然として残っているものの、結婚してまだ一週間ほどだ。焦ることはない。セレナはそう自分に言い聞かせていた。
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