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第2章 宿敵の家の当主を妻に貰ってから

第39話 オーロラは期待する

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 部屋を出て、まっすぐにお姉様の執務室へ。私の部屋とお姉様の執務室は同じ廊下にあるから近い。以前は恐くて近づきたくもなかった当主の執務室。今では別の意味で怖い場所でもあるけど、前よりは全然マシ。

 それでも今からお姉様と会うと考えると、やっぱり緊張する。ノヴァお兄様が中で待っているならこんなに緊張する必要はないんだけど、部屋から出ている魔力の波は荒いから、きっといない。

 息を吐いて気合を入れて扉をノックすれば、中からすぐにお姉様の声が聞こえた。

「オーラ? 開いてますよ」

「はい、お姉様」

 扉を開けば、部屋の奥には大きな机。そしてその奥にアークゲート家の絶対的当主であるお姉様が座っている。お姉様は私を見るなり、穏やかに微笑んだ。

「待っていましたよオーラ」

「お姉様、何かありましたか?」

 お姉様から直接呼び出されたのがつい先ほどの事。その時は何か粗相をしてしまったのかと思ったけど、今のお姉様は少し機嫌が良さそうだ。その証拠に、いつもは張り付けたような笑顔が自然なものになっている。

 お姉様が上機嫌になる理由なんて、一つしかない。

「ええ、この後ノヴァさんを王都の研究所に案内しようと思いまして。もちろん彼の予定次第ですが」

 ありがとうノヴァお兄様。そう心の中で義理の兄に感謝する。あなたのお陰で、今日もアークゲート家は平和です。いや、正確には私の心か。

「いいと思います。もう朝の訓練は終わっているでしょうし」

 ノヴァお兄様は毎朝剣の訓練をすることを日課にしている。たまに見せてもらうけれど、我流ながら長い年月をかけた動きは洗練されていて、何度見ても飽きることはない。
 時間的にはもう昼過ぎ。訓練も終わっているから特別忙しくなければ応じてくれるはずだ。でも、どうしてそれを私に言うのだろうか。

 執務机に近づくとそんな私の内心を見透かしたのか、お姉様は不敵に微笑んだ。

「オーラも一緒に行きますか?」

「え? いいんですか!? 行きたいです、お姉様!」

 嬉しさのあまり熱が入ってしまったけど、ノヴァお兄様関連のお姉様はこんなことで目くじらを立てたりはしない。今も穏やかに微笑んでいる。

「では、たまにはオーラの方からノヴァさんに手紙を送ってみましょうか。今日の午後、空いているかと聞いてみてください。問題なければゲートで共に私達の屋敷に行きましょう」

「はい!」

 大きく返事をしてノヴァお兄様への手紙の内容を頭の中で考える。ノヴァお兄様、忙しくないといいけど。

「あれ? お姉様、仕事は大丈夫――」

 多忙の筈のお姉様は大丈夫なのかと思って尋ねようとしたけど、その前に執務机の上の書類に目がいった。広がっていたのはノーザンプションに関わるものじゃなくて、人に関するものばかり。私の視線を追って、お姉様も「ああ」と呟いた。

「領地に関する仕事はある程度終わらせているので問題ありませんよ。今考えているのは、別件ですからね」

 お姉様の言う別件がどういう意味なのか分かり、唾を飲み込んだ。
 執務机の上に置いてある書類。そこに書かれた名前は「トラヴィス・フォルス」「ゼロード・フォルス」「カイラス・フォルス」といった、フォルスの名を持つ人達ばかり。

「……ノヴァお兄様の実家について、ですか?」

「元々、因縁ある家系ですのである程度は知っていましたが……オーラ、知っていましたか? フォルス家の次期当主はゼロードで決まりだと世間的には思われていますが、現当主のトラヴィスはそれを正式に表明はしていないんですよ」

「…………」

 私だってアークゲート家の一員。ノヴァお兄様の実家であるフォルス家についてはよく知っている。彼らがノヴァお兄様にどんなことをしてきたのかも、お姉様から聞かされていた。
 朝の訓練の際にたまたまノヴァお兄様の上半身を見てしまい、恥ずかしさよりも先に唖然としたこともある。お兄様の背中は鍛え上げられていながらも傷だらけだったからだ。

 そしてこのタイミングでのお姉様の次期当主の話を聞いて、私は執務机の上の書類を睨みつける。

「……今のノヴァお兄様なら、フォルス家の当主にすらなれるはずです」

 あんな奴らの内の誰かがなるくらいなら、ノヴァお兄様がなった方が何倍もいい。今まで耐えてきた分、ノヴァお兄様にはそれくらい与えられてもいい筈だ。後ろ盾も十分にあるし、力に関してもお姉様の力を借りれば負ける筈がない。

 個人的な感情を極力排除したとしても、今のフォルス家の中で一番当主に相応しいのはノヴァお兄様だ。

 それをお姉様も分かっているからか、何度も頷いている。

「そうですね、オーラの言う通りです。こんな有象無象に任せるくらいなら、ノヴァさんにあげた方がいいでしょう」

「お姉様なら、何の問題もないかと」

「……まあ、否定はしませんし、そこまで難しい事ではないです」

 しかし言葉とは裏腹に、お姉様は息を吐いた。

「ただ……」

「……? お姉様?」

 とても珍しく、困った様子のお姉様。こんなお姉様は初めて見たかもしれない。何もかも自分の思い通りに出来るお姉様を悩ませるような人物が、もしかしたらフォルス家にいるのだろうか。

「当のノヴァさんが乗り気じゃないんですよ。何度か遠回しに聞いてはみたんですけど、当主の座に興味が無いというか、そもそも自分とは関わりがない地位だと思っているというか」

「あー、なるほど……」

 素敵なノヴァお兄様だけど、私からすると唯一の、本当にたった一つの小さな欠点を上げるなら、自己評価がちょっと低いことだ。まあ、あんな環境で育ってきたらそれも仕方ないとは思うし、急にお姉様のような化け物……すごい人の後ろ盾を得ても実感が沸かないっていうのもあると思う。

「流石のお姉様も、ノヴァお兄様がやる気にならないと動けない……ということですね」

「当主の座をノヴァさんに与えることは出来ますが、それは少し違うと言いますか……ノヴァさんが求めているなら、それに全力で力を貸すことは勿論なのですが……」

「……一番難しい問題ですね」

 特にノヴァお兄様はお姉様と結ばれたことで幸福の絶頂にいる。これ以上を自分から求めようっていう野心のようなものが出てくる状況でもない。お姉様としてはまだまだ全然与え足りないんだろうけど、こればっかりはどうしようもないか。

「うーん」

 首を傾げて色々と考えてみるけど、いい案なんて思い浮かぶはずもない。やがて答えが出ないまま、お姉様も苦笑いをして書類を片付け始めた。

「まあ、何らかの一石が投じられない限り答えは出ないでしょう。とりあえずフォルス家の事が分かっただけでも良しとしましょう。情報は持っていて損はありませんからね」

「そうですね……じゃあ私は部屋に戻ります。ノヴァお兄様から返事から来たら、すぐに連絡しますね!」

「はい、待っていますよ」

 微笑むお姉様を見て踵を返して、私は当主の執務室を後にする。
 廊下を早足で駆けながら、最後に見たお姉様の「作られた」笑顔を思い返した。あの笑みを浮かべているってことはお姉様は口ではああ言っているけど、何かをしようとしているんだと思う。

 あるいは、ほんの僅かな一石でも投じられればノヴァお兄様をフォルス家の当主にできるような計画がもう練ってあるのかもしれない。

 いずれにせよ、大きな波紋を起こす小さな一石でも投じられてくれないかなぁ、なんてことを思った。
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