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第1章 宿敵の家の当主を妻に貰うまで

第9話 彼女は悪魔か、それとも

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~レティシアとターニャが密会する少し前のこと~

 久しぶりに帰ってきた実家で、俺はイライラしながら早歩きで当主の部屋へと向かっていた。入ってくるときにローエンに止められたものの、俺は当主の兄でもあるので半ば強引に入らせてもらった。突然の訪問に関しては申し訳なく思うが、それを気にしていられないほどの話が耳に入ってきたからだった。

 扉を強くノックして、返事を聞くや否やすぐに部屋へと入った。部屋の奥に備え付けられた机には弟であり、フォルス家の当主でもあるトラヴィスが座っていた。

「ライラックの兄上、こんな遅くにいかがした?」

 平静を装っているが、その表情には疲れが見えるし、以前会った時よりも痩せた気がした。

「いかがしたもあるか。聞いたぞ……アークゲート家の当主様が縁談話を持ってきていると」

「……その件か」

「一体何がどうなっている? どうして急にアークゲート家がこっちに接近してくる?」

「私が聞きたいくらいだ……」

 どうやらトラヴィスをもってしてもアークゲート家の当主の思惑は計り知れないらしい。こいつの事だから情報を集めるために人を放っているのは間違いないが、成果は芳しくないようだ。
 悩みや不安で眠れない日々が続くのか、トラヴィスの目の下には隈も見受けられた。

「長年の宿敵である我が一族を潰しに来たか……」

 そう呟けば、力なくトラヴィスは頷いた。

「可能性は十分にあり得る」

 全てを諦めたようなその声に頭が沸騰した。トラヴィスに対しての怒りもある。だがそれ以上に、俺はあの出来損ないが嫌いだった。

「だからセリア様が亡くなったときに強く言ったのだ! 覇気も使えない出来損ないなどどこか別の家に送ってしまえと! いつかあいつがフォルス家の災いの種になるのではないかと、俺はそう思っていた!」

「落ち着け兄上、何もまだ災いの種になったとは」

「なっているではないか!」

 弟を怒鳴りつけたことに気づき、俺はハッとして頭を下げた。熱くなりすぎた。一番苦しんでいるのは弟だというのに。

「すまない、熱くなりすぎた。だが事実だ。ゼロードには婚約者であるセシリア様がいるし、カイラスにはすでに妻のローズ様がいる。もしあの出来損ないがいなければ、アークゲート家に付け入る隙を与えなかったはずだ」

「……分かっている。だが、今更それを考えたところで意味はない」

 トラヴィスはいつもそうだ。亡きセリア様への懸想が残っているのか、ノヴァを頑なにフォルス家から追い出そうとしない。いや、セリア様の最後の願いだからずっと守っているということか。出来損ないであることは認めているらしいし。

「それに、今更ノヴァを追い出したところでもう遅い。アークゲート家の当主様に何と説明する?そちらの家と関係を結ぶのが嫌だったから、ノヴァとの縁を切ったと思われるだけだ」

「……まだその方が良いだろう。アークゲート家と関係を持つくらいならば、戦争覚悟で出来損ないを追い出すべきだ」

「落ち着け兄上、貴方は彼女の恐ろしさを知らない。……知らないのだ」

 さらに顔を暗くしたトラヴィスを見て、俺は動揺を覚えた。フォルス家は覇気の強さが全てだ。だから俺が兄だとしても、より覇気をうまく使えるトラヴィスが当主になった。そのことを恨んだことがないと言えば嘘になるが、納得はしていた。トラヴィスならばフォルス家を建て直すことだってできるだろうと、思っていたからだ。

 そして我が弟はそれを成し遂げてみせた。落ち目だったフォルス家を何とか軌道に乗せていけている。まだ落ち目なのは変わらないが、それでも先代の時よりも状況は良くなっている。
 そこまで出来るトラヴィスがこうなってしまうほど、アークゲート家の当主は化け物だというのか。

「……アークゲート家の当主は……そこまでか?」

「ああ、そこまでだ。あれは人ではない、悪魔だ」

 悪魔。人に対する言葉とは思えないが、そのくらい恐ろしく思っているということか。
 レティシア・アークゲート。僅か18歳で当主の座に上り詰め、それから一年もかからずに戦争を終わらせた英傑。うわさは聞いているが、そこまでとは。

「兄上、この件は私の方で預かっている。慎重に、よく考えて行動するつもりだ。だから兄上にはこの件にはあまり口を出さないでいただきたい。それとノヴァに対する暴言も慎んで頂きたい。アークゲート家の当主の気持ちを損なう可能性が高い」

「……分かった」

 口ではそう言うしかなくても、内では怒りではらわたが煮えくり返りそうだった。長年の宿敵でもあるアークゲート家に付け込まれた隙があの出来損ないだということで灯った怒りの感情は、なかなか消えそうにもなかった。

「……今日はこれで失礼する。もしもまた何か動きがあれば教えてくれ」

「……あぁ」

 最後まで力のない弟の声を聞きながら、俺は当主の執務室を後にする。帰るときの歩く速さは来た時と同じか、あるいは少し速くなっていた。




 ×××




 久しぶりに戻ってきた実家で、私は早歩きで当主の部屋へと向かう。いや、いまや実家だった場所と呼べるかもしれない。私の知っているものは、ほとんど残っていないから。
 二階の奥にある当主の部屋。かつて姉が絶対的な権力を振るった場所にたどり着き、呼吸を整えてからノックした。部屋の中から声が聞こえたと同時に、体の震えを必死に押さえる。

「失礼します」

 慣れない敬語を使い、私は部屋の中へと入った。

「こんばんはティアラ叔母様、お久しぶりですね」

 かつて絶対者なる姉がいた席にのうのうと座っている若い女性、レティシア・アークゲートが作り物とはっきり分かる笑顔を向けていた。
 なにがお久しぶりだ、自分の力で私達を遠ざけたくせに。怒りの感情を何とか抑え込み、私は頭を下げる。そうするしかなかったから。

「本日はどうしましたか? それもこんな夜更けに」

「……お聞きしました。フォルス家に縁談を申し込んだと」

「はい、それがどうしましたか?」

 なんでもなく答えるレティシアの言葉に頭が沸騰しそうになる。分かっているのか、それがどういうことなのか。

「お言葉ですが、フォルス家はアークゲート家の長年の宿敵です。過去には血を血で洗う争いすらしたことだってあります」

「……それで?」

「ですから……」

 そこまで口を開いてから、私は押し黙った。こんな風に聞いていても埒が明かないと思い、息を整える。そうしないと必死に震えをおさえている方にまで意識が回らなくなりそうだったから。

「……何が目的なのですか、フォルス家に縁談……しかも他ならぬあなた自身だなんて」

「当主の仕事は引き続き出来ますし、向こうへはゲートを開けばいいだけなので問題ありませんよ」

 何を聞いているか分かっているくせに、レティシアはわざとこういった返答をしている。いてもたってもいられなくなって、声を荒げた。

「そう言うことではありません! 分かっているのですか!? フォルス家と関係を結ぶことがどれだけ――」

「ティアラ・アークゲート」

 強く発言したはずだった。怒りで開いた口が止まらないと、そう思っていた。けれどレティシアから発せられたのは穏やかながら絶対的な響きがあり、私の言葉は止められた。
 レティシアはじっと私を見て、口を開く。分かりやすく、ゆっくりと、彼女の口が動く。

「あなたが知る必要はない」

「…………」

 何度も言ってきて、そして最近は何度も言われている言葉を浴びせられ、私は何も言い返すことが出来なかった。彼女が知る必要はないと言った。なら、私には知る「権利」すらないのだ。それが彼女、レティシア・アークゲートの決定なのだから。

 拳を握り締め、床を睨みつける。そうすることでしか、内側で暴れる感情をどうにかすることが出来なかった。
 頭を回転させ、何かないかと手繰り寄せる。考えて考えて、縁談に関して聞くのはダメだが、縁談相手ならばどうか、という結論に至った。

 頭をゆっくりと上げれば、私がここに入ってきたときから全く変わらないレティシアの笑顔がある。

「……なら、なぜ縁談相手を三男のノヴァ・フォルスにしたのですか? あなたほどのお方なら長男だって――」

 そこまで話したところで、私は言葉を止めるしかなかった。レティシアは笑っていた。作り物の笑顔をさらに深くして、笑っていた。
 ぞっとするほどの笑顔だった。背中が冷たくなり、感覚すらなくなってしまいそうだ。

「縁談相手に最も良い相手を選ぶのが普通だと、そう言いたいのですか?」

「そ、その通り……です……」

「選んでいますよ」

 部屋に満ち始める濃厚な魔力。同じ魔力なのに、私の持つものとは量も濃さも桁が違う。歴代最強と呼ばれた姉の魔力量すら鼻で笑うほどのでたらめな力に押しつぶされそうになり、体から汗が噴き出した。

「比べるのも烏滸がましい。ノヴァ・フォルス以上の人があの家に……いえ、この世界にいるものですか。よく聞きなさい、ティアラ・アークゲート。ノヴァ・フォルスはアークゲート家に必要な人です」

「……は……い」

 レティシアの考えていることが何一つ分からない。けど私が地雷を踏んだということだけは分かった。ノヴァ・フォルス。決しては触れてはいけない相手なのだと、悟った。

 押しつぶすかのような重圧は消え失せ、ようやく満足に息が出来るようになる。肩で息をしている私に対して、レティシアは恐ろしい笑顔を引っ込めて、再度作り笑いの仮面を被った。

「夜も遅いですから、もうお帰りください。さようならティアラ・アークゲート。久しぶりに叔母と話せて、とても嬉しかったですよ」

「……わ、私もです」

 全く思ってもいないであろう事を言われるが、私は少しでも早くこの場から逃げたかった。これ以上彼女の機嫌を損ねれば、命の危機すらあると頭が警告を発していた。だから「失礼します」とだけ言って部屋を出た。

 長い廊下を早足で駆けながら、私は再度認識する。姉は魔女とも呼ばれた人物だった。高潔で、気高く、気品に満ちていたが、その一方で身内にさえも容赦しなかったからだ。けれどレティシアはそれとは次元が違う。彼女の事を悪魔と呼ぶ人もいるけれど、同じ一族の中にいて、長い事あれを見てきたから分かる。

 あれは悪魔だなんて可愛いものではない、邪神だ。

「なんてものを産んだんだ、姉上は……」

 小さくそう呟いて、私はもう変わり果ててしまったアークゲート家の屋敷を足早に去っていった。
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