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第1章 宿敵の家の当主を妻に貰うまで

第4話 縁談話

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 中庭での一件の後、俺はかつての自分の部屋で夜まで過ごした。特にすることもないために、持ってきた本を読んだり、ターニャと一緒に他愛のない話をしていたものの、それでも暇で暇で仕方がなかったくらいだ。

 やがて日も暮れて、部屋にローエンさんが来た。どうやら父上が帰ってきたらしい。呼びに来たローエンさんに連れられて俺は父上の待つ部屋に向かう途中だ。ターニャは自室に置いてきている。

「中にて、旦那様と奥様がお待ちです」

 扉の横に避けたローエンさんは頭を下げて、手で扉を指し示す。ありがとう、と一声かけてから俺は扉を開いた。ここにいる時はあまり入らなかった父上の執務室の扉を開く。

 子供の頃はこの部屋はあまり好きではなかった。厳格な父上は幼い俺にとってはどちらかというと恐怖の対象で、彼がいるこの部屋も同じだったからだ。何度入るたびに机に座る父上から鋭い眼光を浴びせられてすくみ上ったことか。

 奥に大きな机が入れられた一室には、ローエンさんの言う通り父上達が待っていた。部屋の主である父、トラヴィス・フォルスは扉の音を聞くなり振り返った。机の椅子には座っていなくて、立って俺を待っていたようだ。

「お久しぶりです父上、リーゼロッテの母様も」

 部屋に入った俺はすぐに背筋を伸ばし、貴族の礼を取る。頬に傷を作った父上は鋭い眼光を俺に飛ばす。その横には正室であり、義母でもあるリーゼロッテ母様も立っていた。

「ノヴァ、息災なようで何よりだ。座りなさい」

 部屋の隅にあるソファーを指し示した父上。手で指し示すときに、白髪交じりの金髪が揺れた。「はい」とはっきり返事をして長椅子へと移動する。二人が着席するのを見て、俺も腰を下ろした。

(? なんだ?)

 先ほどの言葉といい、今の雰囲気といい、父上の様子がどこかおかしい。少し疲れているような、そんな気もする。当主である父上は王宮に顔を出すこともあるので、俺の知らない苦労があるのだろう。

「ノヴァ、単刀直入に言う。お前を今日ここに呼んだのは他でもない。お前に結婚を申し込んでいるお方がいる」

「……はい?」

 厳格な父上の前で許されない返事であるが、今回ばかりは許してほしい。そのくらい告げられた内容の意味が分からなかったのだ。大した活躍もなく、評判といえばフォルス家の出来損ないという悪評の方が多い俺に結婚を申し込むような人がいるとは。驚いてなんて返していいのか分からなくなる。

 そんな俺の無礼を指摘することなく、父上は真剣なまなざしのまま続けた。

「打診をしてくださっているのは……アークゲート家の当主様だ」

「…………」

 今度こそ、頭が真っ白になった。アークゲート家はいくら貴族事情に詳しくない俺でも知っている。そこの当主となればなおさらだ。

「ノヴァさん……アークゲート家については知っていますか?」

 義理の母に問いかけられ、俺はようやく意識を取り戻し、なんとか言葉を紡いだ。

「北にある魔法の名家ですよね? 我が一族とは古くからの宿敵のような関係で、あまり仲は良くないと聞いていますが」

「当主様についても知っているか?」

 間髪を入れず父上に尋ねられ、俺は何度も頷く。むしろこの国にいて知らない人などいないだろう。

「二年ほど前に当主を引き継ぎ、北のコールレイク帝国との戦争を終わらせた英雄。年齢はまだ20なのに、才覚溢れた貴婦人だと聞いています」

 俺と同じ年の女性の活躍を聞いたときは、凄い人がいるなと思ったのは記憶に新しい。彼女は18でアークゲート家の当主になり、その後すぐに北の国コールレイク帝国と長く続いていた戦争を終わらせたらしい。そんな凄い人がどうして俺なんかに結婚を打診するのか不思議に思ったとき、俺は父上の違和感の正体を知った。父上はどこか緊張しているようだった。

 疲れたように息を吐いた彼は俺の目をじっと見つめる。なにか説明を間違えただろうか、そう思ったけど。

「世間の評価はそのようになっている。紛れもなく事実ではある。正直なところ、なぜアークゲート家の当主様がお前に結婚を打診しているのかは分からない。だがよく聞くのだ。フォルス家とアークゲート家は宿敵の関係、というのは間違いだ。いや、正確には今の当主様になってから間違いになったというべきか」

「は、はぁ……」

 父上の言いたいことがよく分からなくて、そんな曖昧な返事を返してしまう。リーゼロッテ母様の顔が険しくなったのを見て姿勢を正したけど、彼女が注意したのは父上に対してだった。

「旦那様、はっきりと申さないと」

「あ、ああ……そうだな」

 リーゼロッテ母様の言葉に父上は咳払いをする。

「正直なところを述べると、今のフォルス家はアークゲート家がその気になれば滅ぶ。そのくらい向こうの家は財力も権力も、そして力も桁外れなのだ」

「覇気が使える父上や兄上達がいるのに……ですか?」

 俺としては信じられなかった。いくら相手が英雄とはいえ、父上は長い歴史を継ぐフォルス家の当主だし、ゼロードの兄上はすでにその父上すら凌ぐと噂される逸材だ。カイラスの兄上だって相当な強さだと聞いている。少なくとも覇気を解放した三人は俺にとっては圧倒的強者なんだけど、アークゲート家の当主はそれ以上だなんて。

 信じられない気持ちでいっぱいだけど、父上ははっきりと頷いた。

「あぁ、そしてそれを成したのは今の当主様だ」

「…………」

 なるほどと、俺は思った。相手が宿敵の家で、今は圧倒的な格上。つまりこれは俺に犠牲になれということか。長年の確執のある家に婿養子に出して関係をよくする、みたいなものだろう。俺としては悲しくはあるが、ここまで育ててもらった恩がないわけじゃない。それに貴族の三男として、覇気が使えない出来損ないでも十分すぎる生活を送らせてもらった。

 送らせてもらっただけで、家族らしいことは何もなかったとも言えるけど。

「……フォルス家のためならば」

「いや、お前は一つ勘違いをしている」

 家のために不本意ではあるが身を捧げようとしたところで、父上は首を横に振った。どういうことかと眉を顰めることしか俺には出来ない。

「向こうの当主様は、強制するつもりはないみたいなんです。ノヴァさんと親交を深めながら、ノヴァさんさえよければ結婚したい、という旨を強調しています」

「え? ええ……」

 リーゼロッテ母様の言葉の意味が分からなくて、俺の頭には疑問が渦巻くばかり。

「当主様はお前の意志を尊重するということらしい。正直なところ、これ以上はない程の好条件だ。私としてはせめて当主様と会ってみてはどうかと思うのだが……どうだろうか?」

「私としては構いません」

「本当に良いんですか? 恋仲の人とか、いませんか?」

 リーゼロッテ母様の言葉に俺は首を横に振る。在りし日のシアが頭を過ぎたが、それももう何年も前の話だ。彼女を除けば思いを寄せるような相手もいなかったので、しっかりと頷いて返答する。

「いません。ですので私は大丈夫です」

「そうか、それならば向こうの当主様には私の方から返事をしておこう。早いうちに向こうの家へ向かうかもしれないから、それだけは覚えておいてくれ。今日はもう遅いから泊っていくと良い。ターニャの部屋も用意させよう。夕食の準備をさせるから、部屋で待っていなさい」

「ありがとうございます」

 肩の荷が下りたとばかりに、笑顔で今後の予定を話す父上。こんな父上は初めて見たけど、とりあえずは話が丸く収まったようなので良かった。

 それにしても、戦争を終わらせて英雄や女傑とも言われるアークゲート家の当主様っていうのはどんな人なのか。不安が募るばかりだ。



 ×××



 自室に戻れば、ターニャがベッドに座って待っていた。彼女に今日はここに泊まることを伝えて、ターニャの部屋もあることを説明し、父上からの縁談の話も説明し終わった後の事だった。

「だから、急に婚約? って言われても戸惑うよ。今日の朝に行き遅れがどうとか言ってたのが嘘みたいだ。いや、噂をしたから現実になった、みたいな?」

「…………」

「ターニャ?」

 父上の話をしたときから黙って聞いていたターニャだが、反応がない。不思議に思って声をかけてみれば、はっとしたように彼女は我に返っていた。

「すみません」

「疲れているの?」

「いえ、そのようなことは……ちなみにノヴァ様、領地に帰ってすぐやらなければならないことはありますか?」

「うん?」

 急に何をと思ったが、ターニャは主が忘れ物をしていないのか気になっているらしい。ちょっと困るところもあるけど、俺にはもったいないくらい有能な侍女だなと思い、俺は微笑んで首を横に振る。

「何分暇な主だからね。なんにもないよ」

「知っていました」

 知っていたなら聞くなよ、と内心で笑いながら言うものの、ターニャの様子はいつも通りみたいで安心した。

「酷いなぁ……」

そう呟いたとき、部屋にノックが響く。答えれば、不愛想なメイドが扉を開けた。

「失礼します。ターニャに部屋を案内しろと、旦那様から言いつけられていますので」

「……はい、分かりました」

 メイドが入ってきたことで冷たい雰囲気を出すターニャ。彼女は何も言わずにメイドに従って部屋を出ていった。
 この後、久しぶりに実家で食事をして、久しぶりに実家で眠りについた。前日の眠った場所が馬車の中だったこともあり、俺は深い眠りへと落ちていった。
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