上 下
2 / 78

思い出と一粒の葡萄

しおりを挟む
「ようやく雨が晴れたようだな……」

 窓から外を見ると、数日前から振り続いていた雨がようやく止み、月と星が見えている。
 周りに人がいないような山奥の丸太小屋に一人で住んでいるからか、町に比べて夜空に浮かぶ星々などが鮮明に見える。

 窓枠部分に置いていた手乗りサイズの人形をツンツンと突いてから、部屋の端に置かれている食器棚へと向かう。

 そこからコップを手に取り茶葉を入れ、ストーブの上で温めていたポットのお湯を注ぐ。
 熱い湯気から仄かに香る茶葉の香りに、無意識に口元が緩む。
 溢さないように気を付けながら歩いて椅子に座り、火傷をしないように気を付けながらお茶を飲んでテーブルにコップを置く。

「ふぅ……温まるな」

 ここ最近指の関節が軋み、動かしにくくなってきた。
 手を握ったり開いたりしながら、自分の手を見詰める。
 八十六歳になった自分の手には、深い皺が刻まれている。
 皺を撫でながら「ようやく、ここまできたな……長かった」と呟く。
 人間歳をとって老いるのはあまり好ましいものではないが、自分はそれほど嫌じゃない。

 手を撫でながら、ふと学生時代に先輩達と入ったダンジョンで出会った女神のことを思い出した。

 魔獣に襲われて絶体絶命という状況で出会った女神は、危機的状況を救ってくれた他に、人によっては喉から手が出るほど欲しいと思える『祝福』を授けてくれた。
 今となれば祝福など不要なもののように感じるが……
 そんなことを考えながら、ここまで生きた自分には後どれほどの時間が残っているのだろうかと呟きつつ、テーブルの上に置いてある果物に手を伸ばす。
 町に降りた時に購入した葡萄は、一粒が大きいのに甘くて美味しいので際限なく食べられる。

 ここのところ一度に食べられる量が少なくなってきたのでこれくらい食べても大丈夫だろう、そう思って最後の一粒を口に入れたところ――

「……っくぅ」

 ヒュッ、と葡萄が喉の奥に入り込んだ。
 ドンドンッ! と胸を叩いても喉の真ん中あたりに止まっている葡萄は動く気配がない。
 自身の特殊体質のおかげで喉が詰まっていても苦しくはないが、焦りが募る。

 このままでは窒息して死んでしまう!

 病気や怪我もなく、苦労に苦労を重ねてようやく八十六歳になることが出来たのに、葡萄を喉に詰まらせて窒息死なんて……死んでも死にきれない。
 焦れば焦るほど思考は空回りし、正常な判断が出来なくなる。
 ガクリと膝が崩れ、体が床に倒れ落ちた。
 徐々にぼやける視界に、窓枠に並べ垂れている動物の形をした人形がいるのが見えた。

「……っ」

 手を伸ばし、助けを呼ぶように口を開くも、喉からは空気が漏れるような音しか出てこなかった。
 そうして視界の端からだんだん暗くなっていき……静かに八十六歳という人生に幕を閉じたのだった。
 静まり返る室内であったが、しばらくすると亡くなった老人の体が金色の粒子のようなものに包まれ、大きかった体が小さくなっていく。
 そして――


「うっ、うぅ、うぅぅっ! 葡萄を食べて死ぬなんて、思いもしなかったよぉ~」

 低く掠れた声は澄んだ高い声へ変わり、皺が刻まれた肌は瑞々しい滑らかなものへ、真っ白な髪や眉毛は艶のある灰銀色に変化し……床に倒れた老人がいた場所には、まだ十代前半の少年の姿になった『僕』が、シクシクとすすり泣いていた。

 僕の体は『女神の祝福』という名の呪いの影響で、老衰以外の原因――病気や怪我や毒、それ以外にも今のように不慮の事故などで死ぬと十三歳だった頃の体へ時間が巻き戻ってしまうのだ。
 更にこの体は特殊で、『痛み』や『苦しみ』といったものが一切感じない。
 だから葡萄が喉に詰まっても苦しまずに済んだ。

『不死』を求める人間からすれば僕のような体は喉から手が出るほど欲しいものなんだろうけど、僕から言わせればこんなものはいらない。

 皆と一緒に歳を取り、健康に生きて老衰でぽっくり死ぬのが目標だった。
 老人から少年へと戻ってしまった弊害で精神年齢も体に引っ張られてしまい、泣き止むことが出来ない。
 しばらく泣いていると、コンコンと玄関の扉を叩く音が聞こえた。
 返事をする前に扉が開き、家の中に十代後半くらいの外見の青年が入ってくる。

「グスッ、グス……ウェルド~!」

 生真面目そうな見た目をしているウェルドという名前の青年は「リアム様、お迎えに上がりましたよ」と言うと、手に持っていたカバンを床に置いてから僕を立たせて今着ている服を脱がせ、カバンの中に入っていた子供服を取り出すとテキパキと着替えさせる。
 着替えた服に似合った靴をカバンから取り出すのも忘れない。
 僕が靴を履いている間に、窓枠に置かれている動物の形をした人形を全て回収したウェルドは、外に止めてある馬車の中に人形を入れるとまた家の中に戻って来た。

「今回はだいぶ長生きをされたのに残念でしたね。ではリアム様、今からまた新たらな戸籍を作るために街へ行きましょうか」
「……分かった」

 手を繋がれて外に出て、丸太小屋の前にとまっている大きな馬車に乗ろうとしたら、急に扉が開いて勢いよく馬車の中へ引っ張られた。

「ククッ、今回も残念でしたねリアム様」

 驚く僕を笑いながら見詰めるのは、第一召喚魔のネヴィルだった。

 美しい金色の瞳に誰もが見惚れるような美貌を持っていて、長い髪を緩く三つ編みに結って右側に垂らしている。
 優しく微笑むその表情を見れば誰しもが惹きつけられるかもしれないが、高位の悪魔であるネヴィルの本性は冷酷で残虐非道なものである。
 そして、馬車の中にいる他の召喚魔――キーラン、メルキオール、イグネイシャル、シリル、この四人もとても美しい外見をしているが、高位悪魔なのでネヴィル同様イイ性格をしている。
 召喚魔達は依り代である動物の人形から、本来の姿に戻っているようであった。

「……皆酷いよ。元の姿に戻れたのなら、僕が倒れた時に助けてくれたっていいじゃないか」

 僕が頬を膨らませながらそう言うと、ヤレヤレといった表情でネヴィルが口を開く。

「リアム様、いつも言っているではありませんか。我らはリアム様が助けてくれと『口に出して望まない限り』、動くことはないと」
「……むぅ」
「年を取ってボケてしまわれて、忘れていたんでしょうね」
「僕はボケてなかった!」
「老人は皆そう言うのですよ」
「ぬぐぐっ」

 確かに八十歳を過ぎた頃から少し記憶があやふやになることはあったけど……
 僕とネヴィルの会話を他の召喚魔達が笑いながら聞いている。

「それでは街へと出発いたします」

 御者台に座ったウェルドの掛け声と共に馬車がゆっくりと動き出した。
 不貞腐れた僕は目を閉じて召喚魔達の会話を聞かないようにしながら、そう言えばウェルドやこの召喚魔達と出会う切っ掛けは何だっただろうかと、遠い昔の記憶を思い出してみる。


 そう、始まりは……孤児院にいた時に自分に『浄化』の能力があるのが分かり、院長先生に呼ばれた時から始まったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界転生!俺はここで生きていく

おとなのふりかけ紅鮭
ファンタジー
俺の名前は長瀬達也。特に特徴のない、その辺の高校生男子だ。 同じクラスの女の子に恋をしているが、告白も出来ずにいるチキン野郎である。 今日も部活の朝練に向かう為朝も早くに家を出た。 だけど、俺は朝練に向かう途中で事故にあってしまう。 意識を失った後、目覚めたらそこは俺の知らない世界だった! 魔法あり、剣あり、ドラゴンあり!のまさに小説で読んだファンタジーの世界。 俺はそんな世界で冒険者として生きて行く事になる、はずだったのだが、何やら色々と問題が起きそうな世界だったようだ。 それでも俺は楽しくこの新しい生を歩んで行くのだ! 小説家になろうでも投稿しています。 メインはあちらですが、こちらも同じように投稿していきます。 宜しくお願いします。

チートがちと強すぎるが、異世界を満喫できればそれでいい

616號
ファンタジー
 不慮の事故に遭い異世界に転移した主人公アキトは、強さや魔法を思い通り設定できるチートを手に入れた。ダンジョンや迷宮などが数多く存在し、それに加えて異世界からの侵略も日常的にある世界でチートすぎる魔法を次々と編み出して、自由にそして気ままに生きていく冒険物語。

錬金術師が不遇なのってお前らだけの常識じゃん。

いいたか
ファンタジー
小説家になろうにて130万PVを達成! この世界『アレスディア』には天職と呼ばれる物がある。 戦闘に秀でていて他を寄せ付けない程の力を持つ剣士や戦士などの戦闘系の天職や、鑑定士や聖女など様々な助けを担ってくれる補助系の天職、様々な天職の中にはこの『アストレア王国』をはじめ、いくつもの国では不遇とされ虐げられてきた鍛冶師や錬金術師などと言った生産系天職がある。 これは、そんな『アストレア王国』で不遇な天職を賜ってしまった違う世界『地球』の前世の記憶を蘇らせてしまった一人の少年の物語である。 彼の行く先は天国か?それとも...? 誤字報告は訂正後削除させていただきます。ありがとうございます。 小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで連載中! 現在アルファポリス版は5話まで改稿中です。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !

本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。  主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。 その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。  そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。 主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。  ハーレム要素はしばらくありません。

勇者じゃないと追放された最強職【なんでも屋】は、スキル【DIY】で異世界を無双します

華音 楓
ファンタジー
旧題:re:birth 〜勇者じゃないと追放された最強職【何でも屋】は、異世界でチートスキル【DIY】で無双します~ 「役立たずの貴様は、この城から出ていけ!」  国王から殺気を含んだ声で告げられた海人は頷く他なかった。  ある日、異世界に魔王討伐の為に主人公「石立海人」(いしだてかいと)は、勇者として召喚された。  その際に、判明したスキルは、誰にも理解されない【DIY】と【なんでも屋】という隠れ最強職であった。  だが、勇者職を有していなかった主人公は、誰にも理解されることなく勇者ではないという理由で王族を含む全ての城関係者から露骨な侮蔑を受ける事になる。  城に滞在したままでは、命の危険性があった海人は、城から半ば追放される形で王城から追放されることになる。 僅かな金銭で追放された海人は、生活費用を稼ぐ為に冒険者として登録し、生きていくことを余儀なくされた。  この物語は、多くの仲間と出会い、ダンジョンを攻略し、成りあがっていくストーリーである。

全校転移!異能で異世界を巡る!?

小説愛好家
ファンタジー
全校集会中に地震に襲われ、魔法陣が出現し、眩い光が体育館全体を呑み込み俺は気絶した。 目覚めるとそこは大聖堂みたいな場所。 周りを見渡すとほとんどの人がまだ気絶をしていてる。 取り敢えず異世界転移だと仮定してステータスを開こうと試みる。 「ステータスオープン」と唱えるとステータスが表示された。「『異能』?なにこれ?まぁいいか」 取り敢えず異世界に転移したってことで間違いなさそうだな、テンプレ通り行くなら魔王討伐やらなんやらでめんどくさそうだし早々にここを出たいけどまぁ成り行きでなんとかなるだろ。 そんな感じで異世界転移を果たした主人公が圧倒的力『異能』を使いながら世界を旅する物語。

異世界のんびり冒険日記

リリィ903
ファンタジー
牧野伸晃(マキノ ノブアキ)は30歳童貞のサラリーマン。 精神を病んでしまい、会社を休職して病院に通いながら日々を過ごしていた。 とある晴れた日、気分転換にと外に出て自宅近くのコンビニに寄った帰りに雷に撃たれて… ================================ 初投稿です! 最近、異世界転生モノにはまってるので自分で書いてみようと思いました。 皆さん、どうか暖かく見守ってくださいm(._.)m 感想もお待ちしております!

処理中です...