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第十章 晩夏の前

119 夏のおわりに

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 黒屋根の屋敷で各所への手紙を書き終えて学園に戻ると、今度は俺宛に三通の封書が届いていた。一通はモンセルにいる番頭のトーレンから、もう一通はグレックナーの妻室ハンナから、そしてもう一通は警護団『常在戦場』の事務長ダロン・ディーキンからのものだった。

 俺はドラフィル宛の封書を女子寮受付に持っていき、レティに託す手続きを行った。実は学園女子寮に入ったのはこれが初めて。受付横には通称『武者溜まり』と呼ばれる部屋があった。

(これがトーマスの言っていた『武者溜まり』か)

 当たり前の話だが、女子寮は男子禁制。男は立ち入ることはできない。しかしそれではトーマスのような貴族令嬢に仕える男子生徒の居場所がなくなる。そこでできたのが通称『武者溜まり』という訳だ。因みに男子寮にはシャロンのような貴族令息に仕える女子生徒の部屋はない。令息の方は自分から従者が待つ場所に赴かねばならないのだ。

 もう一つ、男子寮になく女子寮にあるものとして「談話室」がある。これもトーマス情報で知ったのだが、女子生徒同士が歓談、いわゆる「茶話会」ができる部屋であるという。「談話室」は給湯室を備えており、本当に「茶話会」ができるようになっているらしいが、その部屋を男子生徒で見た者は誰もおらず、一部では「幻の部屋」と呼ばれているそうだ。

 実際、乙女ゲーム『エレノオーレ!』でも「談話室」なんか出てこないし、「茶話会」なんてイベントもない。にも拘わらずヒロインが過ごした寮には「談話室」が存在する。おそらく企画段階では談話室を使った茶話会で、何らかのイベントを発生させる予定だったのだが、女同士のイベントということで割愛されてしまったのだろう。

 女子寮を出た俺は、届いた封書をロタスティで食事がてら読むことにした。まずはトーレンからのものを読んだが、ノルト=クラウディス卿デイヴィッド閣下とのやり取りは予想通り順調で、サルジニア公国からの小麦の買い付けも問題なく行えているとの事であった。

「大丈夫だと思っていたがその通りで良かった」

 封書を送るのとは入れ違いになってしまっているので、もし予想と違っていたらもう一通送らなければならないという二度手間をしなければいけないところだった。次は妻室ハンナからの封書だ。相変わらず見事な封書にビッシリ書かれた手紙。スクロード男爵夫人もそうだが、どういう訳か貴族の女性はビシッとした手紙を出してくる。

 ハンナからの手紙には俺が問い合わせていた、アウストラリス公の陪臣モーガン伯について詳細に書かれていた。モーガン伯はアウストラリス公の所領ラディスローズ地方の執権家で家令を兼ねているという。ノルト=クラウディス家で言ったら、家令トラスルージン伯とサルス・クラウディス執権イードン伯の役割を一人で担っているようなものだ。

 またこのモーガン伯は陪臣にも関わらず、臣下に二つの男爵家を従えている珍しい家なのだという。モーガン伯がアウストラリス公という恒星を回る火星とするならば、フォボスとダイモスという二つの衛星を従えているようなものだろう。これはアウストラリス公の陪臣というより、腹心に近いのかもしれない。

「その実力者がどうしてトゥーリッドなんかに出入りしているのか、だな」

 俺がノルト=クラウディス家に出入りしたのとは訳が違う。貴族の家に商人が出入りする以上に、貴族が商人の家に出入りする方が珍しい、というかあり得ない話だからだ。仕入れなら、貴族が商人を呼びつけるのが当たり前。だから「出入り」なんていう言葉があるのだから。

「普通に考えて「良からぬこと」だよなぁ、これ」

 貴族派の首魁であり反宰相の急先鋒アウストラリス公とレジドルナの盟主トゥーリッド商会との深い仲。ここにフェレットが噛んでいるとならば・・・・・ これは厄介だ。何を考えているのか、企んでいるのかは分からない。だが、宰相家であるノルト=クラウディス公爵家や三商会にとっては「良からぬこと」であるのは容易に想像がつく。

「クリスに、いやグレゴールも交えて一度話をしておいた方が良さそうだな」

 クリスの次兄アルフォンス卿の従者に戻ったグレゴール・フィーゼラーが脳裏をよぎった。クリスと共にクラウディス地方に赴いたことによって選択肢が広がっていた事に今、気付かされる。なるほどなぁ、政治と商売ってのは、こうやって結びついていくのだと初めて実感した瞬間だった。

 食事を終えた俺はワインを片手に、残されたディーキンの封書を開けた。そこにはディーキンの内偵によって分かった『呑み屋の姉ちゃん』ジャンヌ・コルレッツの実態が綴られていた。

「あいつがナンバーワンだって!」

 どこを見ているんだよ、客どもよ。もっと人の本質見ろって。いやはや、厚化粧と同じく中身をデコレートする技術は天下一品のようだ。単に打算的とかそういうものではない。それだったらリサの方が何枚も上。しかしリサには人を騙してやろうという邪心は感じられない。だがコルレッツは違う。目的の為には他人を踏みつけにするかのような悪意がある。

 コルレッツは「セタモーレ」という名前で店を出ているらしい。このエレノ世界にも源氏名みたいなものが存在するようだ。しかしどうしてセタモーレなのだ? まぁいい。コルレッツのやることにいちいち疑問を持っていたら、こっちの身が持たない。あいつはゲーム知識を使って、ゲームにもない逆ハーレムを目指すようなヤツだ。元々おかしい。

 店には二ヶ月前くらいから出るようになったという。おそらくシーズンで学園が休みになってから働いているのだろう。暫く店を休んでいたがまた出るようになったと書かれている事から、登校日の期間は店に出ていなかったのだろう。ただ、以外だったのは勤務態度が真面目で、無断欠勤が一日もないという部分だった。

「コルレッツが・・・・・ ねぇ」

 コルレッツが呑み屋で姉ちゃんをやっているは間違いなくカネの為だろう。それ以外の理由は考えられない。シーズン休みでも実家にも帰らず、店に出続けているのだから。だが、勤務態度が真面目な事と、あの性格の悪さが繋がらない。カネの亡者であることと、勤務態度が真面目な事はイコールではあるのだろうが、何か引っかかる。

 しかし「セタモーレ」か。次に何かあった時には揺さぶる事ができるやもしれぬ。覚えておこう。教会のラインから実家周りを探ってくれているフレディの情報を合わせれば、コルレッツをより締め上げる手になる可能性だってある。ああいうヤツは徹底的に叩かないとこっちがやられる。

 毒消し草、ビリケン頭、アウストラリス公、コルレッツ・・・・・ 一度に色々な情報が襲いかかって来るおかげで、俺の頭はパンクしそうだ。これは一度頭を休ませたほうがいい。俺は残ったワインを飲み干すと、時間は早いがとっとと寮の部屋に引きこもった。

「アイリ。元気でいるかなぁ」

 ふとアイリの事を思い出した。最近パフェにハマったアイリ。子供っぽいところがあるよな、と思ったら大きな青い瞳で俺を見据えて迫ってきたりと、前に比べて感情をあらわにすることが多くなった。大人の階段を上っているからなのか、俺のことを意識しての事なのか。一体どちらなのかなのかは、疎い俺には分からない。

「アイリが帰ってくるのは一週間後だ」

 それまでには諸々の事を片付けておこう。出来るかどうか分からないことをベットに転がりながら考えていると、意識が遠くなっていった。ああ、寝るんだな、俺。そう思いながら静かに眠りについた。

 リッチェル子爵領から王都に上洛してきたレティの弟ミカエルに会うべく、俺は馬車でホテル『レスティア・ザドレ』に向かっていた。以前よりレティと交わした約束を果たすべく、俺は群青の商人服を身に纏って顔合わせに望んだ。

 レストラン『レスティア・ザドレ』の個室に入ると既に二人の男女が席を立ち上がった。立った一人はいうまでもなくレティ。もう一人は・・・・・ 言うまでもなくレティの弟ミカエルだ。レティと同じ栗色の髪にエメラルドの瞳を見ると、兄弟であることはすぐに分かる。ただ、ミカエルは俺が思っていた以上に幼く見えた。身長もレティよりも低い。

「ミカエル・マーティン・リッチェルです」

 ミカエルは丁寧に頭を下げた。脇でレティがゆっくりと頭を下げる。今日のレティは髪を編んでヘアアップし、エメラルドグリーンを基調とした落ち着いたドレスを着ていた。ハッキリ言って綺麗である。化粧映えもいいレティならば深窓の佳人で普通に通るはず。但し話さなければ、という条件付きだろうが。

「グレン・アルフォードだ」

 お互い名乗りを上げると着座した。このエレノ世界、俺たちの世界と違うのは「名乗り」を上げる文化だろう。初対面の者が公的、あるいはそれに準じた顔合わせをするとき、お互いをフルネームで名乗らなければならない。但し、仕事上での立ち会いの場合には、それには当たらない。俺が宰相閣下と初めて会ってケースがそれだ。

 まずミカエルは俺に上京理由を説明した。リッチェル子爵家が属するエルベール派の領袖エルベール公が、今週末に開くパーティーに出席する為である事を。これにレティが、来年学園に入学予定であるミカエルの紹介を行うためのもので、去年はレティがこのパーティーで紹介されたと付け加えた。

「ところでミカエル君。リッチェル子爵家についてどう思っているのか」

 俺は単刀直入に聞いた。ハッとする顔をしたレティだが、俺は無視してミカエルに問う。

「君の家を継ぐ決意とは如何程のものかと聞いているのだ」

 俺の言葉にミカエルが一瞬硬直した。レティはミカエルを心配そうに見ている。しばらく時間は開いたが、ミカエルは自らの意思で口を開いた。

「家の片付けに姉上がいつも追われていました。僕はそれを見て育ってきました。僕が家が継承すれば、姉上が困らずに済みます」

「それでいいのか、ミカエル君は。今後、家の問題が発生すれば、全て君にかかってくるぞ」

「それが家を継ぐ者の定めだと思っています」

「ダメだ、それでは!」

 ミカエルとレティがハッとした顔になった。ダメなんだ、それでは。受け身であれば家の者がやらかした・・・・・とき、手がつけられない事態になっているかもしれないのだ。それからでは遅いではないか。

「やらかす人間が四人もいる家で、運命を受け入れるだけで乗り越えられると思っているのか?」

「・・・・・」

「味方なのは姉だけだ。そして事が起こってから相談しに行く。これで対処できると思うのか、君は」

「グレン!」

「今はミカエル君に聞いているんだ」

 俺は割り込もうとするレティを掣肘せいちゅうした。レティが情をかけてミカエルを庇っても、それはミカエルを助けた事にはならない。今すべきことは父母兄姉という、四つの爆弾を抱えている事を自覚し、この爆弾の信管を自力で抜く決意とその方法を授ける事なのだ。そうしなければ悲劇が繰り返されるだけ。

「それでは間に合いません」

「そうだ。ではどうするつもりだ」

「僕が子爵を襲爵しゅうしゃくして、知識を身につけていかなければなりません。その為には学ばなければならないのです」

 俺は頷いた。まずミカエルが自発的に爵位を継ぐ意志を持たなければ話が始まらない。気が触れた一族四人を相手にするには並々ならぬ覚悟と決意が必要なのだ。俺はこの世界にいつまでも居る訳じゃない。帰る日が必ず来る。それまでに決するべき事は決しなければならないのだ。ミカエルに俺は聞いた。

「ミカエル君はいつ十五歳になるのだ」

「・・・・・三ヶ月後ですが・・・・・」

 急に何を聞いてくるのか。そんな感じで戸惑っているミカエル。横で展開を見守る不安そうなレティ。その二人に以前から考えていたことを告げた。

「よしミカエル君。きみが十五歳になるその日に子爵になろうぞ!」
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