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第九章 クラウディス地方

106 トス執権アウザール伯

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 翌日、俺はトスに向かうノルト=クラウディス公爵家所有の三頭立て馬車に乗っていた。昨日の夜、トス・クラウディア執権アウザール伯からの早馬が到着し、今日受け入れが行えるように準備を行う旨の報告が上がったらしく、それによってトスへの出立が可能になったのである。しかし早々に返事を出したアウザール伯、なかなかできる人物のようだ。

 俺とクリスと共にトス行きに同行したのは二人の従者トーマスとシャロン、侍女のメアリー、衛士グレゴール・フィーゼラーと三人の配下。二台の馬車に分乗し、一路トス・クラウディア行政府が置かれているデルタトスの街へ向かう。

 クラウディア地方は平野部であるサルスと山岳部であるトスとに分かれているというが、ノルト=クラウディス家のルーツはトスであるという。太古の昔、トス地域の一豪族であったノルト=クラウディス家の先祖がトス一帯を治め、前王朝の統一事業に参じてサルスを含めたクラウディス地方を所領として安堵され、以降クラウディスを名乗ったという。

 ただ何しろ六百年以上前の話。その時の詳細な経緯を知る者はいない。今となってはノルト=クラウディス家のルーツがトスにあったという話だけが残っているのみで、ノルト=クラウディス家の本拠はサルスディア近郊にあるクラウディス城である。

 俺が乗る馬車にはクリスと二人の従者トーマスとシャロンが乗っている。車中、俺はクリスに昨日メアリーとの話で「俺の話か出てこない」とボヤかれたと伝えると、トーマスがいきなり大爆笑した。一方、隣に座っているクリスの方を見ると、顔を真っ赤にして俯いている。シャロンが俺に言った。

「グレンの話があると、他の話が霞みますから」

「え、そうなのか?」

「ええ、つまらない話に変わりますので」

 なんなんだそれは。トーマスが後に続く。

「全ての学園での出来事よりも、グレンの話一つの方が濃いですからね」

「ですからパーティーのお話など、話すに値しないものとなるのです」

 先ほどまで俯いていたクリスが、突然顔を上げて言い出した。

「ですので話となると、どうしてもグレンの話になってしまいます。今回の帰郷もグレンとのお話からの始まりですから」

 いやいや、いきなり「私も行きましょう」だったじゃん。どうして話の筋が変わっているんだ。

「さすがに難しいのではと思っていたら、まさかの実現でしたから。グレンが一緒にいると何が起こるか分かりません」

「ですからお話をするとグレンの話になってしまうのです」

 トーマスがクラウディス地方行きが決まった顛末を回想していると、クリスがそれに話を被せる。まぁ、クリスと二人の従者の世界だから基本平穏なはずなのに、俺が絡むと変化が発生する、という事なのだろう。俺は侍女メアリーの話の続きで、フィーゼラーの父親とメアリーの二人の話をした。

「しかしフィーゼラーの父親もメアリーも宰相閣下の話となると目を輝かせていたぞ」

「共に宰相閣下の従者をおやりになっていましたので」

「俺はあの二人の話を聞いているとトーマスとシャロンの顔を思い浮かべたよ」

 トーマスの言葉を聞いて、俺はその時思った事を言った。

「二人がああなったとして、クリスの話を聞いたら間違いなく同じようになるだろうな」

 俺の話にシャロンが頷く。クリスの方を見ると少し気恥ずかしそうだ。まぁ、自分のことをそこまで思ってくれる人がいるというのはありがたい話だ。

「ところでトーマスとシャロンのご両親、喜んでいたなぁ」

 俺が言うと二人は顔を真っ赤にしている。実は昨日、フィーゼラー父子と侍女メアリーとの歓談の後、居間に戻るとトーマスとシャロンの家族がクリスの元へ挨拶に訪れていたのである。俺は同級生として挨拶をさせてもらった後、少しばかり話をしていたのだが、その時に言ったのだ。

「二人は早く結婚するべきです。明日結婚するのも、十年後に結婚するのも一緒ですから」

 すると両親たちは我が意を得たりとばかりに大いに喜び、クリスは手で口を押さえて笑った。だが当事者の二人だけは恥ずかしそうに俯いてしまっていたのである。トーマスとシャロンにはその時の記憶がまだ残っているようだ。二人の両親はみんなトーマスとシャロンの結婚を望んでいるようだったので、俺と気脈を通じることができたのだろう。

 トーマスの家は父親がサルス・クラウディス行政府の衛士責任者。母親は専業主婦で、姉と妹がいる。一方シャロンの家は父親がクラウディス城で執事。母親は使用人責任者。こちらは兄と弟。トーマスが姉妹に挟まれ、シャロンが兄弟に挟まれているのが面白い。両家共に代々ノルト=クラウディス家に仕えている家柄だそうだ。

 ふと外に目をやると市街地を抜けたところだった。眼下には黄金色に輝く麦畑が広がっている。平野部の多いサルスでは、平坦な地形を生かして麦を中心とした作物を育てているのだという。穂先に目をやるとシャダールの時と同様、実が膨らんでいないように見える。おそらく出来が悪いのだろう。不作なのだろうが、どこまでの不作なのか。

「どうしても『玉鋼たまはがね』でならない理由とはどういったものですか」

 小麦の不作の件について考えていたら、クリスが唐突に訊ねてきた。いきなりだったので一瞬言葉が出なかったが、呼吸を整えて心を落ち着けた上で話した。

「「粘り」があるからだ」

「「粘り」?」

「ああ。「粘り」がないと刀が脆くなる。商人刀は片刃。剣に比べて細い。細いから抵抗が少なく斬れ味が優れるが、反面脆い。その細さの弱点を「粘り」で補う」

「剣は厚いし太くできるので、強度を増すことができますが、刀はそうはいかない、ということですね」

 俺の説明にトーマスがフォローしてくれた。さすがトーマス。

「つまり他の鉄に比べ「粘り」があるから、刀には必要だと」

「ああ『商人秘術大全』にはそう書かれている」

「しかしわざわざ、その『玉鋼』を産出しているトスの村まで取りに行かなければならないのは、どうしてなのですか?」

 クリスの疑問に対し、俺は簡潔に答えた。

「需要がないからだ」

「そんな特性がある金属なのに、どうして・・・・・」

「特性があるからこそ需要がないんだ。戦いがない。それに尽きる」

「・・・・・」

 沈黙したクリスに説明した。斬るという刀に向いた特性故に、それ以外の優位性がなく、平和によって刀の需要がなくなっていった事で、それとともに材料である『玉鋼』の需要もなくなった、と。需給が全ての価値を決める。これは自然の摂理だ。

 そんな会話をしていたら馬車のスピードが落ちていた。外を見ると麦畑が見えない。代わりに原っぱに木がポツンポツンと立つ光景が見える。緩やかな傾斜によって、馬車の進むスピードが緩やかになったのだ。トス地域に入ったのだろう。そんな事を考えていたら、シャロンの声で会話に引き戻された。

「他に用途はないのですか?」

 シャロンが疑問をぶつけてきた。

「もちろん鉄として使うことができるが、それはもっと安い鉄で間に合う用途だ。同じ内容なら安い材料が勝つ。当然の話」

「では、『玉鋼』そのものを多く作って安くするという方法は?」

 今度はトーマスが言ってきた。なるほど、考えそのものは悪くはない。が、そうはいかないのがこの世の中。

「商売の基本は『優位性』だ。同じものを容易に作る製法の方が安く作る事ができる。これは製法の『優位性』だ。対して品質に差のあるものを作る製法、これは品質の『優位性』。『玉鋼』はこれだ」

「品質に勝る鉄が、製法で勝る鉄に価格では勝てないということですね」

「そうなるな」

 俺の説明を聞いたクリスが端的に指摘した。まさにそうなのだ。価格というフラットなフィールドで戦った場合、製法で劣る側は負けるしかないのだ。

「では、その『玉鋼』が残るには・・・・・」

「今までとは違う用途を見つけるか、あるいは新たに用途を開拓するしかない」

 シャロンの問いにそう答えた。しかし言った俺自身、違う用途や新たな用途について想像がつかない。平和が百年以上続いている状況下、そんな用途があったらとっくに誰かが見つけているし、見つかっている筈だ。そんな状況下、刀に向いた鉄を使った用途など、今になって新たに見つけ出す事ができるのか。俺にはそれを見通せる程の眼力はなかった。

 馬車は緩やかな速度で街の中に入っていった。サルスディアより小さいが、きれいに整った街並み。おそらくここがトスの中心地デルタトスなのだろう。やがて馬車は小ざっぱりした平屋の屋敷がある建物の門扉をくぐった。間違いなくデルタトス行政府だ。

 建物の玄関前には整然と文武両官が並んでいる。俺たちは馬車を先に出て、クリスはトーマスのエスコートで降りた。後はクリスとトス・クラウディア執権アウザール伯が挨拶を交わし、俺たちはクリスの後方をついて行く。素早く受け入れ準備を進めたアウザール伯はどんな人物なのか興味があったが、やり手の壮年紳士という印象を受けた。

「明日、アビルダ村に参りたいと思っております。詳しい者の同行を」

「かしこまりました。精通している者を手配致します」

 アウザール伯はクリスの要求に恭しく頭を下げ、明日の行程について説明を始めた。まずデルタトスからアビルダ村まで向かう道の途中までは馬車で移動し、山道に入ると徒歩での移動となることと、クリスとメアリーはロバでの移動となると話した。

 次にアウザール伯は宿の手配について説明を行う。来訪者の少ないデルタトスでは宿そのものが少なく、王都や地方都市に比べ施設が劣ること、食事の方もトス地域の郷土料理となること、晩餐会等の予定がないことを正直に告げたのである。

「アウザール伯。急な来訪を求めましたのは私です。一切のお気遣いは無用です」

 クリスらしい飾らぬ返答にアウザール伯は深々と一礼し、配下の者に宿の案内を行わせた。アウザール伯の配下の先導で宿に到着すると平屋のペンション風の建物で、配下の説明によれば、これでもデルタトスでは一番の規模の宿泊施設であるという。今日は一棟借り上げという事で、宿泊客は我々以外はいないとの事だった。

「アウザール伯をどう見られましたか?」

「中々の人物、抜かりがない」

 質素だが丁重に用意されたディナーの席で、クリスに問われた俺はそう答えた。ディナー一つを見ても、クリスと同行者一同に限られた形で準備されており、豪華さや派手さはないものの、心配りがしっかりなされている。昨日の今日でこれが用意できる人物、アウザール伯はやはり只者ではない。

 しかしこれはノルト=クラウディス家の家中の話。俺にとっては部外の話だ。興味を持たれたって公爵家が迷惑だろう。それよりも俺は、ようやく手に入れられそうな『玉鋼』について思いを馳せていた。
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