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第二章 悪役令嬢

026 ファーナス商会

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 俺がエッペル親父の元を尋ねたのは昼前の事だった。昨日のクリスらとの『祝勝会』でワインをそこそこ飲んでしまったので、それを抜くため、時間を余分にとったのである。交渉の為、風呂もいつもより長めに入ってくつろぐようにした。商人にとって商談こそ真のいくさ場だ。しかし関係ないが、よく考えたらクリス、俺より飲んでいたよな、あれ。

「まいど!」

 いつものようにお互い商人式の挨拶を交わす。まずワロスに関する詳しい情報が書かれた書類を受け取った。もちろんタダではない。日本円換算四五万円相当、一万五〇〇〇ラントの費用がかかった。続いてファーナス商会との面会の詳細。これは費用がかからない。昼からファーナス商会の館で合う約束となったということである。

 商人世界は貴族世界と違って気が楽だ。まず言語レベルでのカーストがない。いちいち妙な脳内変換をしなくて済む。言葉を変換するのだって一苦労。よくよく考えれば日本語自体もカースト言語だ。ノルデンの商人言語で会話すると、それがよく分かる。だから文書作成に労がかかるのだ。

 俺は用事が終わると速やかにギルドを出て、ファーナス商会の館に急いだ。商会の応接間に通されると、そこには長身茶髪の人物、ファーナス商会の当主が待っていてくれた。

 ファーナス商会を仕切るアッシュド・ファーナスは思ったよりも若い人物だった。見た目三十代、商会の若旦那と言ったところか。王都ギルド随一の老舗商会であるファーナス商会は創業四百年余との事で、今のアルービオ王朝よりも歴史が古い。エッペル情報によると、現当主アッシュド・ファーナスは十九代目に当たるという。

「君がサルンアフィア学園に入ったという噂の男、グレン・アルフォード君か」

 開口一番、ファーナスは学園の話を振ってきた。商人が学園に入ること自体あり得ない訳で、それ自体が話題になっていたようである。この話つかみ・・・には使えそうだ。

「ドワイド・エッペル取引ギルド総支配人から話は伺っているよ、これからも宜しく」

 偉いんだなエッペル、伊達に白髭を蓄えている訳じゃなかったのね。などと思いながらファーナスと握手をして席につき、挨拶もそこそこに本題に入った。貸金業者に限定してカネを貸す事業の委託願についてである。こちらが出資して、貸金業者に低利で融資するという事業の一括管理をファーナス商会にお願いできないかと。

「君とアルフォード商会がそれぞれ出資して、貸金業者に融資する専門の基金を設立する。その管理をウチにというお話ということだな」
「貸金業者に融資を限定するという発想が面白い」

 ファーナスは自分の長い足をポンと叩いた。反応は思ったよりも良い。

「だが、そのような事業だったらアルフォード商会が自力で行ってもよいのでは?」

 もちろん一筋縄にはいかないのは分かっている。こういう質問は想定内。俺はファーナスの疑問に答えた

「アルフォード商会は王都ギルドに加盟していない一地方商会。信用度では王都ギルド四大商会に遠く及びません。またファーナス商会は長い歴史を持つ老舗であるのに対し、アルフォードはここ百年程の新興商会。商売は信用。商人同士の取引では尚更。貸金業者がどちらを信じるか自明のごとく明らかではないかと」

 これにはファーナスも黙して腕組みした。俺が言っている事に反論の余地がないのだから。ここで俺は『貸金業者に低利で融資する事業』の意義を説くことにした。

「今、我々が人にモノを売るとき、利益を乗せた上に売値を割増しなければならないのは、売価だけでは取引先の『踏み倒し』による代金の『焦げ付き』を回収できない為に、それを織り込んでの措置だからです」

 そうなのである。俺がこの世界に来てビックリしたのは、日常的に『焦げ付き』が発生することであった。信じられない話だが、エレノ世界では商品だけを受け取って代金を支払わずにトンズラする『踏み倒し』が横行し、常態化しているのである。

 商売卸を営むアルフォード商会でもそれは例外ではなく、『踏み倒し』による『焦げ付き』は頭痛の種で、事業拡大の大きな阻害要因となっていた。この世界の商売の秘訣として、この『焦げ付き』を見越して、いかに売価を割増するかが商人の腕の見せ所とされる有様。商人特殊技能に【ふっかけ】があるのもこの為である。

「しかし、この『踏み倒し』。明確な理由があります」

「それは『踏み倒し』をしている業者自身が、取引先から『踏み倒し』にあって、代金の『焦げ付き』が発生しているからです。それは何故か?」

「なぜだ?」

 若旦那・ファーナスの顔が真剣になった。若かろうとやはり当主。アルフォード商会と同じ様に『焦げ付き』は頭痛の種のようだ。

「取引先の資金供給が不安定だからです」

「仕入れてから、実際に売るまでの間の必要な資金、いわゆる『つなぎ』が不安定なのが原因」

『つなぎ』とは、お金をかけて仕入れた後、仕入れたものを客に売って換金するまでの間に必要な当座資金のこと。換金するには切らしてはいけないお金。現実世界ではこれを融資で調達するが、これが支払えないと「不渡り」と呼ばれる事態となり、商売の信用が毀損され、存続が難しくなる。

「しかし『つなぎ』は借りてしまえば良いのでは?」

 興味深そうにファーナスが問いかけてくる。否定する文言とは裏腹に、もっと話が聞きたいという好奇心が勝っている感じだ。

「まさにその通りですが、事は簡単ではない。貸金業者自体が『踏み倒し』にあってしまい、貸すべき資金が有ったりなかったりするのです。つまり供給される資金自体が不安定」

「だから我々から見れば、運良く借りられた業者からは『焦げ付き』が発生しないが、運悪く借りられなかった業者からは『焦げ付き』が発生する、ということになります。結局、今は『運』が全てを左右する」

「確かにその通りだ。今まで上手く行っていた業者が、突然『踏み倒し』に走るケースは珍しくない。だが、どうして『運』であるかのように借りられたり借りられなかったりするのだ?」

「貸金業者の規模が借り手の図体に比べて小さいからですよ」

「な!」

 ファーナスが身を乗り出してきた。

「片やお貴族様、片や平民の個人業者。しかもお貴族様は自己都合でカネを・・・・・」

「踏み倒す!」

「ですよね。それじゃ貸金業者がいかにカネがあったって持ちませんわな」

 これが乙女ゲーム、エレノ世界の実態だ。借りた巨額のカネを平然と踏み倒す貴族。踏み倒しても何ら咎めも受けず、またカネを普通に借りる事ができる貴族。その煽りや歪ひずみは否応なく平民にかかってくる。貴族の『踏み倒し』で資金不足に陥った個人経営の貸金業者は、真っ当な平民業者への融資ができず、その業者は『踏み倒し」に走る。

「結果、そのツケは我々商会に『焦げ付き』という形で回ってくるのだからたまったものではない、ということですわなぁ」

 俺は敢えて挑発的にファーナスに問いかけた。実際に俺がムカついているのはそこだし、同業のファーナスも同じのはず。案の定、ファーナスは苛立ちの顔を隠さなかった。

「それで君は用意した資金でどう対策しようと?」

「その資金を一〇%の低利で貸金業者に融資します。但し、条件があります」

「条件?」

 俺は勿体ぶった。この条件が我々商人にとって重要だということを強調するためだ。

「はい。一つ目は我々の取引業者への融資を優先すること。二つ目は融資額の一定額を『保証金』として積ませることです」

 ファーナスの顔が緩み、手を叩いて笑い出した。

「ハハハハハ。面白い。カネを借りるのにカネを積ませる。実に愉快な発想だ!」

 本来ならば貸金業者が自分の所で『踏み倒し』に備え、『引当金』を積むべきなのだろうが、エレノ世界にそんな常識は通用しない。また融資の際には『保証人制度』を導入すべきなのだろうが、そんな事をしたらエレノ世界がひっくり返る。

 大体、貸出金利が四〇%、五〇%に達するという点もいただけない。利子を払い続けるだけの奴隷生活を送るようなものではないか。イカれた金利も『踏み倒し』の元凶の一つ。言い出せばキリがない、どうしようもない世界がエレノ世界という所。だからここらは今現在、基本無視で良いのだ。だから言わない。

 商会の取引を護る策を主眼に話を続けた俺は、ファーナスとの話し合いに手応えを感じていた。反応が非常に良い。この話、行けると。俺は畳み掛ける。

「貸金業者は我々からの低利の融資を、貸し先に高利で貸す。例えば一〇%の低利融資を三〇%の高利貸付に使えば、身銭を切らず二〇%の『サヤ』を得ることができるという算段」

「今までなら自己資金で融資していたので『サヤ』を取れるのは自己資金の三〇%までだったのが、我々から借りる枠を確保した業者は、新たに融資額の二〇%の利を加えることができる」

「つまり、貸金業者に融資を餌として、我々の取引先を守らせ、『焦げ付き』をなくすということだな」

 自己確認するようなファーナスの呟きに俺は頷いた。

「貸金業者は貸出額が増え、取引先は融資不安が解消され、我々は『踏み倒し』の被害を受けずに済む。実に良い案だ。但し・・・・・」

 但し? ダメか。交渉は最後まで楽観できない。行けると思った俺が甘かったか。脳裏に不安がよぎる。

「但し、この話、俺が聞くだけでは勿体ない」

 お、これは・・・・・

「実はこれからジェドラ商会のジェドラさんと会うことになっているんだ」

 王都ギルド序列二位のジェドラ商会ではないか!

「もし君が良ければ、これから俺と一緒にジェドラさんと話さないか? ジェドラさんにこの話を是非とも聞かせたい」

 よっしゃあ! 最後の最後にでんぐり返しのどんぐり返し! 予想以上の大戦果だ。ありがとうアイリ! 俺は内心を表情に出さないように答えた。

「むしろ私の方からお願いしたいくらいです」

 頭を下げる俺にファーナスは、よし行こうか、と軽く肩を叩いてきた。俺たちは急ぎジェドラの元に向かった。
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