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第一章 決闘
008 世の理
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「なにぃ!」
俺は思わず立ち上がった。
「どうしたんだグレン? その婚約話とお前の決闘話が、なにか繋がっているのかと思ってな」
俺は絶句した。正嫡殿下とはこの国、ノルデン王国の王子アルフレッド・ヴィクター・トルーフェ・アルービオ=ノルデン王子のこと。第一王子が側室の子であるのに対し、第二王子のアルフレッド殿下が王妃の子である事から「正嫡殿下」と呼ばれ、次期王太子最有力候補と目されている。
ゲーム上ではこの正嫡殿下アルフレッドと公爵令嬢クリスティーナとの婚約は入学式の二ヶ月後。王宮からの発表で知らされる事になっているのだが、それより早く、しかも噂話などで広がるというような類の話ではない。
「どうして機密が洩れている・・・・・」
「なんだと!」
驚くアーサーに席を座り直して説明した。王太子最有力と目される正嫡殿下の婚約話は、それだけで国事行為であること。相手の公爵令嬢の家は宰相家であると同時に王国有数の権門であり、この話だけで貴族社会の力関係に影響を及ぼすものであること。よって発表するタイミング自体が政治的なものであり、漏洩などすればそれだけで権威が失墜しかねないものであること。だから機密なのだと。
「じゃあどうなるんだ、グレン」
先ほどまでとは一転して厳しい面持ちとなったアーサーに、俺はあまり言いたくない予想を告げた。
「話自体が流れる可能性がある。流れれば話が機密にはならないからな」
「流れるってそんな・・・・・」
「堅牢に見える宰相家の力だが、実は宮廷内の微妙なバランスの上に成立している」
「いや、公爵家の存在感は圧倒的。何があっても全く揺るぎがないだろう」
王国有数の権門ノルト=クラウディス公爵家は、単に国政を担う宰相家というだけではなく、封地ノルト=クラウディス領は王国最大の貴族領であり、陪臣も桁違いに多い。家令トラスルージン家、ノルト執権ジームス家、トス・クラウディス執権アウザール家、サルス・グラディウス執権イードン家など、日本で言う家老クラスの家はいずれも伯爵位。
それだけではない。王都にあるノルト=クラウディス家の屋敷の執事長はベスパータルト子爵家が、領国内の騎士団、クラウディス騎士団はスフォード子爵家が、ノルト騎士団はディグレ男爵家が、という具合に、ノルト=クラウディス家では王国屈指の一大家臣団が構成されていた。
そりゃ陪臣が三つの男爵家しかないボルトン伯爵家の令息から見れば、ノルト=クラウディス公爵家は圧倒的な存在感だわな。
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
俺はアーサーの発言を否定した。アーサーは知らないのだ。貴族派と宰相派では圧倒的に貴族派の方が多い事を。そもそも宰相派は所領を持たぬ宮廷貴族が多い。国王に封地を持って仕えているのではなく、能で仕えている連中が宰相派。
これまでは国王の親類縁者を中心に構成される国王派と、宮廷貴族が中心の宰相派が組んでいるのが現体制の実態。所領を持つ貴族の多くが貴族派に属している状況の中、どちらにも与せぬ中間派貴族がいることで貴族派は多数を形成できなかった。大体、中間派貴族の中心は他ならぬボルトン伯。アーサー、君の父親だぞ。ここではそれをさすがに言えないが。
「正嫡殿下と公爵令嬢の婚約話は、国王派と宰相派の誼を盤石なものとするためだ」
「裏を返せば『盤石ではない』ってことだな」
「なるほど!」
アーサーは頷いた。盤石ではないから婚姻話が出てくる。ところがその話が発表する前に洩れればこれは恥。恥を隠す為には最初から無かった事にするのが一番だ。だが・・・・・
「それじゃ、国王派と宰相派との関係はどうなるんだ?」
「変わるだろうなぁ」
「どう変わるのかはわからんが」
アーサーは納得したように頷いだ。が、この話、仮に流れた場合、変わるのは王宮内の力関係だけではない。『エレノオーレ!』というゲームのシナリオ自体に劇的な変化をもたらしてしまう。俺にとってはこちらの方がはるかに重要で重大。
この『エレノオーレ!』では学園入学後、ヒロインらが正嫡殿下と接点を持った後に正嫡殿下アルフレッドと公爵令嬢クリスティーナとの婚約が発表され、三角関係に発展するという図式で物語が展開される。
ダブルヒロイン制の『エレノオーレ!』では自分の選んだヒロイン、例えばアイリスが別のキャラを攻略しても、もう一人のヒロイン、レティシアが正嫡殿下アルフレッドとの愛を育み、殿下の婚約者として立ちはだかる悪役令嬢クリスティーナと戦うことになるので、どのルート、どのエンドであろうとも、その出だしとなるアルフレッドとクリスティーナの婚約イベントは無条件に発生する。
だからアルフレッドとクリスティーナの婚約イベントがなければ『エレノオーレ!』の話の本筋そのものがなくなるわけで、このゲーム自体が成立しない。これはゲームプレイヤーにとっては当たり前すぎる話だ。
「で、いつ聞いた、その話」
「今さっきだ。昼休みになって教室での喋り声で」
噂話には鈍感そうなアーサーが聞き耳立てて知ったということであれば、この話は一気に広がるだろう。多分放課後までには学園内の全てに届く。人の口に戸は立てられない。王宮も宰相も対応策は自ずと限られてくる。
「俺も事の重大性がよくわかってなかった。すまん」
そりゃそうだ。アーサーはまだ15歳。伯爵家の嫡嗣とは言え、継承者として本格的な教育が施されていないだろうから、察しろという方が酷というもの。だがアルフレッド殿下やクリスティーナ令嬢は違う。彼らはそういう教育を受けているはずなので、事の重大性は認識しているはず。
「いやいや。平民の俺には関係ない話だからな、基本」
このエレノ世界は貴族社会。全ては貴族中心に回る世界、貴族と平民はあらゆる部分で違いがある。例えば名前。貴族はミドルネームがあるが、平民にはそれがない。ないのは基本的に平民には一部の例外を除き、ミドルネームを持つ権利が与えられていないからだ。だから平民の俺はグレンのみ、貴族のアーサーにはレジエールというミドルネームがある。
また名前に関しては貴族間でも付与される権利に差がある。伯爵以下の貴族はミドルネームは一つに制限されているが、公爵と侯爵の爵位を持つ家の者は複数のミドルネームを持つことが許されており、その権利に対して、明確な差がつけられている。また王族に至っては名字自体に国名を入れており、名前そのものが特権を表していると言えよう。
まぁ、現実世界でも庶民階級が名字を持てる、あるいは名乗ることができるようになったのは近年になってからという話もあるわけで、その点から考えればエレノ世界は恵まれている、マシだと言えるのかもしれない。しかし、この名前の件一つからでもわかるように、この世界、一度定められた掟からは誰も逃れることはできないのだ。
「世の中というのも、未来に何が起こるかはわからない。だから人が違う未来を紡ごうと考えたとして、それ自体が悪いとは思わない」
「しかし『世の理』が許すかどうかは別の話だ」
「???」
「『世の理』とは、この世界の必然の流れだ」
「どういうことだ?」
「人は生まれ、人は死ぬ。王がいなくなれば誰かが王になる。これが『世の理』」
「アーサー、お前だから言うが、今回の件は『世の理』から外れたものなのだよ。あの二人の婚約は世の必然。二人が婚約しなければこの世界の話が動かない。刻めないんだ、時が」
『世の理』。俺の世界じゃ、ゲーム制作陣の自己都合。売るために作られた偽りの話。しかしエレノ世界では、神の意志にも等しい強制力がある。それを反故にしてタダで済むとは思えない。
「仮にこの話が成立しなかった場合、流れは止まる、つまりは淀む。淀んだものには必ず代謝、反動が来る」
「何だかわからんが、怖い話だな。お前の話だからウソじゃない事はわかるが」
「信じてくれるのか?」
「ああ。『商人秘術大全』のみたいな幻の書を持ってくるようなお前だ。誰も知らぬ、あんな剣術を復活させるようなヤツの話を信じるなという方がおかしいんだよ」
ニヤリと笑いながら、アーサー独特の言い回しで俺の言葉への信頼を表明してくれた。忌憚なく本音が言える存在が貴重なのは、俺の貧弱な人生経験からでもわかる。こんな滑稽無糖なホントの話を信じてくれる親友は、ありがたく頼もしい。俺たちは食事を片付けてそれぞれの教室に戻った。
俺は思わず立ち上がった。
「どうしたんだグレン? その婚約話とお前の決闘話が、なにか繋がっているのかと思ってな」
俺は絶句した。正嫡殿下とはこの国、ノルデン王国の王子アルフレッド・ヴィクター・トルーフェ・アルービオ=ノルデン王子のこと。第一王子が側室の子であるのに対し、第二王子のアルフレッド殿下が王妃の子である事から「正嫡殿下」と呼ばれ、次期王太子最有力候補と目されている。
ゲーム上ではこの正嫡殿下アルフレッドと公爵令嬢クリスティーナとの婚約は入学式の二ヶ月後。王宮からの発表で知らされる事になっているのだが、それより早く、しかも噂話などで広がるというような類の話ではない。
「どうして機密が洩れている・・・・・」
「なんだと!」
驚くアーサーに席を座り直して説明した。王太子最有力と目される正嫡殿下の婚約話は、それだけで国事行為であること。相手の公爵令嬢の家は宰相家であると同時に王国有数の権門であり、この話だけで貴族社会の力関係に影響を及ぼすものであること。よって発表するタイミング自体が政治的なものであり、漏洩などすればそれだけで権威が失墜しかねないものであること。だから機密なのだと。
「じゃあどうなるんだ、グレン」
先ほどまでとは一転して厳しい面持ちとなったアーサーに、俺はあまり言いたくない予想を告げた。
「話自体が流れる可能性がある。流れれば話が機密にはならないからな」
「流れるってそんな・・・・・」
「堅牢に見える宰相家の力だが、実は宮廷内の微妙なバランスの上に成立している」
「いや、公爵家の存在感は圧倒的。何があっても全く揺るぎがないだろう」
王国有数の権門ノルト=クラウディス公爵家は、単に国政を担う宰相家というだけではなく、封地ノルト=クラウディス領は王国最大の貴族領であり、陪臣も桁違いに多い。家令トラスルージン家、ノルト執権ジームス家、トス・クラウディス執権アウザール家、サルス・グラディウス執権イードン家など、日本で言う家老クラスの家はいずれも伯爵位。
それだけではない。王都にあるノルト=クラウディス家の屋敷の執事長はベスパータルト子爵家が、領国内の騎士団、クラウディス騎士団はスフォード子爵家が、ノルト騎士団はディグレ男爵家が、という具合に、ノルト=クラウディス家では王国屈指の一大家臣団が構成されていた。
そりゃ陪臣が三つの男爵家しかないボルトン伯爵家の令息から見れば、ノルト=クラウディス公爵家は圧倒的な存在感だわな。
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
俺はアーサーの発言を否定した。アーサーは知らないのだ。貴族派と宰相派では圧倒的に貴族派の方が多い事を。そもそも宰相派は所領を持たぬ宮廷貴族が多い。国王に封地を持って仕えているのではなく、能で仕えている連中が宰相派。
これまでは国王の親類縁者を中心に構成される国王派と、宮廷貴族が中心の宰相派が組んでいるのが現体制の実態。所領を持つ貴族の多くが貴族派に属している状況の中、どちらにも与せぬ中間派貴族がいることで貴族派は多数を形成できなかった。大体、中間派貴族の中心は他ならぬボルトン伯。アーサー、君の父親だぞ。ここではそれをさすがに言えないが。
「正嫡殿下と公爵令嬢の婚約話は、国王派と宰相派の誼を盤石なものとするためだ」
「裏を返せば『盤石ではない』ってことだな」
「なるほど!」
アーサーは頷いた。盤石ではないから婚姻話が出てくる。ところがその話が発表する前に洩れればこれは恥。恥を隠す為には最初から無かった事にするのが一番だ。だが・・・・・
「それじゃ、国王派と宰相派との関係はどうなるんだ?」
「変わるだろうなぁ」
「どう変わるのかはわからんが」
アーサーは納得したように頷いだ。が、この話、仮に流れた場合、変わるのは王宮内の力関係だけではない。『エレノオーレ!』というゲームのシナリオ自体に劇的な変化をもたらしてしまう。俺にとってはこちらの方がはるかに重要で重大。
この『エレノオーレ!』では学園入学後、ヒロインらが正嫡殿下と接点を持った後に正嫡殿下アルフレッドと公爵令嬢クリスティーナとの婚約が発表され、三角関係に発展するという図式で物語が展開される。
ダブルヒロイン制の『エレノオーレ!』では自分の選んだヒロイン、例えばアイリスが別のキャラを攻略しても、もう一人のヒロイン、レティシアが正嫡殿下アルフレッドとの愛を育み、殿下の婚約者として立ちはだかる悪役令嬢クリスティーナと戦うことになるので、どのルート、どのエンドであろうとも、その出だしとなるアルフレッドとクリスティーナの婚約イベントは無条件に発生する。
だからアルフレッドとクリスティーナの婚約イベントがなければ『エレノオーレ!』の話の本筋そのものがなくなるわけで、このゲーム自体が成立しない。これはゲームプレイヤーにとっては当たり前すぎる話だ。
「で、いつ聞いた、その話」
「今さっきだ。昼休みになって教室での喋り声で」
噂話には鈍感そうなアーサーが聞き耳立てて知ったということであれば、この話は一気に広がるだろう。多分放課後までには学園内の全てに届く。人の口に戸は立てられない。王宮も宰相も対応策は自ずと限られてくる。
「俺も事の重大性がよくわかってなかった。すまん」
そりゃそうだ。アーサーはまだ15歳。伯爵家の嫡嗣とは言え、継承者として本格的な教育が施されていないだろうから、察しろという方が酷というもの。だがアルフレッド殿下やクリスティーナ令嬢は違う。彼らはそういう教育を受けているはずなので、事の重大性は認識しているはず。
「いやいや。平民の俺には関係ない話だからな、基本」
このエレノ世界は貴族社会。全ては貴族中心に回る世界、貴族と平民はあらゆる部分で違いがある。例えば名前。貴族はミドルネームがあるが、平民にはそれがない。ないのは基本的に平民には一部の例外を除き、ミドルネームを持つ権利が与えられていないからだ。だから平民の俺はグレンのみ、貴族のアーサーにはレジエールというミドルネームがある。
また名前に関しては貴族間でも付与される権利に差がある。伯爵以下の貴族はミドルネームは一つに制限されているが、公爵と侯爵の爵位を持つ家の者は複数のミドルネームを持つことが許されており、その権利に対して、明確な差がつけられている。また王族に至っては名字自体に国名を入れており、名前そのものが特権を表していると言えよう。
まぁ、現実世界でも庶民階級が名字を持てる、あるいは名乗ることができるようになったのは近年になってからという話もあるわけで、その点から考えればエレノ世界は恵まれている、マシだと言えるのかもしれない。しかし、この名前の件一つからでもわかるように、この世界、一度定められた掟からは誰も逃れることはできないのだ。
「世の中というのも、未来に何が起こるかはわからない。だから人が違う未来を紡ごうと考えたとして、それ自体が悪いとは思わない」
「しかし『世の理』が許すかどうかは別の話だ」
「???」
「『世の理』とは、この世界の必然の流れだ」
「どういうことだ?」
「人は生まれ、人は死ぬ。王がいなくなれば誰かが王になる。これが『世の理』」
「アーサー、お前だから言うが、今回の件は『世の理』から外れたものなのだよ。あの二人の婚約は世の必然。二人が婚約しなければこの世界の話が動かない。刻めないんだ、時が」
『世の理』。俺の世界じゃ、ゲーム制作陣の自己都合。売るために作られた偽りの話。しかしエレノ世界では、神の意志にも等しい強制力がある。それを反故にしてタダで済むとは思えない。
「仮にこの話が成立しなかった場合、流れは止まる、つまりは淀む。淀んだものには必ず代謝、反動が来る」
「何だかわからんが、怖い話だな。お前の話だからウソじゃない事はわかるが」
「信じてくれるのか?」
「ああ。『商人秘術大全』のみたいな幻の書を持ってくるようなお前だ。誰も知らぬ、あんな剣術を復活させるようなヤツの話を信じるなという方がおかしいんだよ」
ニヤリと笑いながら、アーサー独特の言い回しで俺の言葉への信頼を表明してくれた。忌憚なく本音が言える存在が貴重なのは、俺の貧弱な人生経験からでもわかる。こんな滑稽無糖なホントの話を信じてくれる親友は、ありがたく頼もしい。俺たちは食事を片付けてそれぞれの教室に戻った。
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