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第34話 輸血

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 この砦は、要所なだけあって、規模が大きく、中には店や民家も多くある。屋敷に向かう途中の店で、『聖女印の特効水』が置いてあったのには驚いた。こんな辺境の地まで商売の幅を広げているなんて、あれほど儲かるわけである。

 どこに間者がいるかもわからないので、この日食事はトルスの屋敷で済ますことにした。しかし、さすが領主の屋敷だ。王宮とまでは流石にいかないが、立派な建物がそびえ立っていた。使用人が一〇名ほどいるが、これだけの屋敷だ。これでも手が足りないであろう。
 フィリアたちは食事を囲みながら、ここ数日の成果の報告と今後の方針を話している。

「フィリア医官、その血清とやらは、いつごろに出来上がるんだい?」
「四種類の血清を作っているのですが、明日の夕刻にはできると思います」
「ふむ。こちらの収穫は、てんでダメだ。側近を全員、調べたんだけどね」
「そこでだ、トルスを囮にしようと思う。敵が、なかなか尻尾を出さないから」
「ほ、本当に、その血清というものは効くのですか?」
「ああ、私も試したことがあるが、十中八九、問題ないだろう」
「きょ、兄弟揃って、クルード様まで、十中八九って……その一割が怖いんですって」

 トルスが、すがるような目つきでフィリアに視線を向ける。初対面では凛々しく勇敢に見えたトルスが、なんだか滑稽に思えて、思わずフィリアは微笑む。
 
「まぁ、直接ベクト様の検死をしたわけではないですが、聞いたところ、ヘビ毒ですね。王宮で起きた星の呪いの亡くなり方と全く同じですもの」
「では、私は明日からトルスの護衛を外れるよ。ところで、クルードはヘビを何匹捕まえたんだい?」
「……」
「フフン、すべてフィリアさんと私で捕まえましたよ。クルード様はヘビを見ると冷や汗をながしながら逃げていくんです」
「黙れ! キライなんだよ……あの形、あの動き方」

 楽しい談笑が続く。初老の女の使用人がお茶のおかわりを持ってきた。

「坊ちゃま、こちら茶菓子もご用意いたしましたよ」
「ああ、ありがとう。マーサさん」
「ふふ、旦那様が亡くなって以来、久しぶりに坊ちゃまの笑顔が見られて、このマーサ嬉しいですわ」

 そう言うと、この使用人は部屋を出ていった。

「トルス様、優しそうな方ですね」
「ああ、マーサさんか。私が生まれる前から仕えてくれてるからね。母親代わりみたいなものさ」

 ――次の瞬間、激しく扉が開き、衛兵が駆け込んでくる。

「何事だ! 今、大切な話をしているのだ」
「トルス様! 大変です、こちらへ来てください!」

 屋敷を出て城門の方へと向かっていくと、自らの足では歩けずに、二人の衛兵に抱えられている血を流した男が、こちらへ向かってくる。その顔を見たクルードが叫ぶ。

「ロワン!」
「クルード……か」
「一体何があったのだ! ロワン」
「こ、この密書を……」

 ロワンはそれだけ言うと、意識を失った。強く手に握られている血まみれの密書ロワンは一本ずつ指を解いて受け取った。

「フィリア! 診てくれ、傷が深い!」
「はい!」
「どうだ? この刀傷で助かるか?」

 傷は深いが、急所には達していない。縫合でなんとかなる。ただ、この傷でここまでの長い距離を移動してきたのだろう。血を失い過ぎている。

「とにかくロワン様を兵舎に運んでください。すぐに手術を始めます」

 フィリアはロワンから採血をして、取り出した液体に、一粒垂らす。
(クルード様と同じ血液型……)

「クルード様! お願いがあります」
「なんだ! 早く言え」
「クルード様の血をください!」
「ど、どういうことだ?」
「後で説明します、今は言うことを聞いて下さい」
「あ、ああ」

 この時代、輸血なんて言うものは勿論、前例がない。そもそも、そんな概念がない。それを今、説明しても理解できるわけがない。今は、すぐにクルードの血をロワンに直接輸血し始めることが大切なのだ。

「ちょっと多めに血をもらいますね」
「ああ、まかせる。なんとしてもロワンを助けてくれ」
「皆さんは傷を布で強く抑えて血を止めておいてください」

 こういう事が起きることも想定して、輸血のための実験と器具の準備をしておいて良かった。クルードから大量の血が抜かれ、専用の容器が、濃い赤に染まっていき。その温かい血をロワンの血管へとつなぐ。

 大きな刀傷は三箇所。傷口と、縫合用の器械を消毒し、素早く縫合していく。王宮医院の医療改革に携わるようになってから、フィリアの技術は格段に上がっていて、縫合していく速さはまるで、ミシンで布を縫っていくようだ。

「フィ、フィリア医官……なんなんだ……その技術は! みるみる傷口が塞がっていくではないか」
「ルーディアス様、今集中しているので、話しかけないでください! 汗」
「ああ。え……汗?」
「私の額の汗を拭いてください」
「おお、まかせておけ!」

 傷口は一つ、また一つと塞がっていく。蒼白としていたロワンの顔の色に赤みが戻ってきた。とにかく、輸血がうまく行ってよかった。全ては準備をしっかりしていたことが功を奏した。

 ――ガタンッ

 フィリアの背後で、何かが落下した音が聞こえる。振り返ると血を抜きすぎたのか、貧血でよろけたクルードが倒れている。

「あ、クルード様! もう少し寝ていてください」
「なんだ、血を抜くと、こんなにフラフラとするのか……」
「はい! ギリギリまで血をいただきましたから」
「ロ、ロワンは?」
「もう大丈夫ですよ」

 安堵したのか、クルードは目を閉じて眠った。ルーディアスとトルスは、初めて見るフィリアの医療技術に驚きを隠せないようで、まるで奇跡を目の当たりにしたように呆気に取られている。カチャカチャと器械を片付けながらフィリアが言う。

「血で汚れた布だったり、シーツは片付けてしまってください」
「……」
「あの……みなさん?」
「フィリア医官、貴女は、一体何者なのだ……」
「フフン、驚くのも仕方ありませんよ。私だって、初めて見た時は神の御業かと思いましたから」
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