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33.ゲンガクの誘惑
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翌日、学校へ出かけようとしたら、一つ先の曲がり角にあの陰気なやつが立っていた。ジャンバーにチノパン姿で、この前見たのとちょっと印象が違ったが誰だかすぐわかった。名前、何ていったっけ。憶えやすい名前じゃなかったので、忘れてしまったけど。
「ゲンガク! ああ、もうゲンちゃんでいいよ」
そいつはじれったそうに言った。
そう言われても、こいつゲンちゃんなんてかわいい呼び方する気にもなれない。
「ああもう、なんとでも呼んでくれ。心の中で思いさえすれば俺出てくるからさ」
あれ?俺様って言わないの?
「あれはあいつ等に対してだけさ。だって俺ってあいつらより偉いもん。だけど人間に対しては違うぜ。人間のために粉骨砕身、おれら仕事をするわけなんだから。
そこでどう? 考えてくれた? マジ、俺についたらあんたをクラスで一番、いや、学校で一番にしてやるぜ。女の子にももてるぜ」
学校に遅れちゃまずいので、黙って歩き続けていたら、そいつもくっついて来てさかんに話しかけてきた。
「あの正一位ってやつに何か言われたろう? まともに聞くことないぜ。あいつの説教、マジうざい、ださい、くさい、意味不明。言うとおりしていたら人生何の芽も出ないうち終わってしまうぜ。
だけど、おれにたのんだらさ、飛躍に次ぐ飛躍の人生だよ。とりあえず学校で一番になる。いやね、一番になるのはけっこう難しいのよ。勉強しててもね、ちょっとしたミスで2番になったりする。そこを、俺がフォローして一番にしてやろうっていってるんじゃないの。なにも勉強せずに一番とれって言ってるわけじゃないのよ。だから、あんたはあんたのペースで勉強していればいいのよ。そしたら社会に出たときなにも困ることはないでしょう?
一番と二番じゃ、まわりの扱いが全然違ってくるぜ。
「二番じゃだめですか?」って、ダメに決まってるだろう!
金メダルと銀メダルじゃ値打が違うでしょ? 女の子の見る目も全然違ってくるのよ。もてるぜえ。白鳥明日香ちゃんだってお前を尊敬の目で見るぞ。付き合いたいって言ってくるぞ。お前んちくるぞ。
あ、俺らみたいなのと契約すると、死ぬとき魂をとられるとか思ってる? 心配後無用。それはない。あれって、誤解だから。そんな契約は本来は存在しないから。あんたはいつも、これから先もずっと自由さ。しかし、ま、最後はたいてい自由意志で俺らの仲間になる。つまり、おれらの仲間になったほうが断然お得だってことがわかるのさ。自由意志で仲間にならないやつもたまにいるけどな、ま、それだけ自由だってことだ。あまり深く考えないで・・・あ・・・」
前方に大学生風の青年が立っていた。ショウちゃんだった。
「おはよう」
ショウちゃんは爽やかな笑顔をみせた。
ゲンガクはいつのまにか姿を消していた。
「登校の途中だね、いってらっしゃい」
ショウちゃんは言った。それだけだった。ショウちゃんも姿を消した。
その日、ちょっとテンションの下がることがあった。
昨日やった漢字のテストが帰ってきたんだ。
わかっていたけどさ。悪い点数だってことは。だけど悪い点数のテストを受け取るということは何度経験してもあまりいい気分にはなれない。ぼくは答案用紙をだまって鞄につっこんだ。ぼくはだいたい目立たない生徒だから、本来はそこでテストの件は終了だ。ところがこのクラスにはぼくを放っておかないやつがやや一名いた。
八木沢由美子。
わざわざ自分の答案用紙を持ってやってきた。
「ねえ、ヨシヒコ、どうだった? わたし80点。どうしても100点とれないんだ。ね、ここんとこ、撥ねてないから×だって。将来の直木賞作家がこんな漢字で手こずってるようじゃだめね。ねえねえ、ヨシヒコはどうだった?何点だった?」
「悪かったよ」
「え? 何点?」
「八木沢さんより悪い」
「そうなの。じゃさ、今度、一緒に勉強しない? ふたりでがんばろうよ。そうだ、今日、ヨシヒコんち行っていい?」
「いや・・・」
いつもなんだけど、ぼくはそう言うのがやっとで、そのあとのダメがどうしても言えない。
まわりのやつらはまた始まった、という感じでニヤニヤ見ている。
ふと窓際のほうに目をやると、伊藤くんと明日香ちゃんが答案の見せっこをしていた。
「伊藤くんすごい」
明日香ちゃんが言っている。きっと伊藤くんは100点なんだ。明日香ちゃんはちょっと残念だったらしい。あとは聞こえなかったが一緒に勉強するとかなんとかそんな話をしているように思えた。あそこにいるのがぼくだったらな、とふと思った。そして八木沢由美子の前のぼくを伊藤くんにやってもらえたら、とそんなことも考えていた。
一番をとるということは現実からあまりにもかけ離れすぎていてピンとこなかったが、この帰ってくるテストが100点だったら、と思うと、ゲンガクに頼んでみたらどうなるかなと考えないわけにはいかなかった。
はたして、校門からでると、ゲンガクが待っていた。
「どう?考えてくれた?俺と手を組む?」
「100点をとらしてくれるの?」
「もちろん! やるテストやるテストみんな100点ってのできるぜ」
心が動きかけた。
そしたら話のこしを折るかのような黄色い声が後から追いかけてきた。
「ヨシヒコ! 待って!」
八木沢由美子だった。
「聞いた? 今日の漢字テスト、難しかったんだって。でも伊藤くんは100点。白鳥さんは私と同点の80点だったんだってさ。マサルは70点だって。あたしに負けたとわかったら、マサル、ガクッときてさ、またママになんか言われるってクサッてた。あそこんちのママすっごい教育ママなのよね。そのわりにマサルはパッとしないんだよね。マサル、ちょっと気の毒かも。ヨシヒコのママは点数にうるさい?」
ママか。そういえばママはあまり点数のことは言わないな。「あらあ・・・」って言って、ちょっと悲しそうな顔をするだけだ。そして気を取り直したように……そう、いつもママは気を取り直してぼくに言う。
「おやつにしましょう」
そういえば八木沢由美子のママはなんていうのだろう。
「八木沢んちは?」
「うるさくないよ。あたしを信頼してくれてるもん。ママは仕事を持ってる女だからね。一生懸命やったところに花が咲く、っていつも言う。でも一生懸命やってもうまくいかないことなんていっぱいあるって。そんときは泣けって。もし私がテストで悪い点とって泣いてたら、きっとあたしを抱きしめて一緒に泣いてくれる」
八木沢由美子の知られざる一面だった。
さきほどからゲンガクが「ブス、ブース、ブス、ブース」と言いながら後をついてきていたが、ぼくはなぜか癇に障って、後ろを振り返ってゲンガクをにらんだ。
「なに?」
八木沢由美子がつられて後を振り返ったが、もちろん彼女にはなにも見えなかったろう。
なんとなく家の前まで来てしまった。例のごとく、押しかけるように八木沢由美子が入ってくるかなと思っていたのだけれど、なぜか今日はしおらしく躊躇している。そんな彼女をゲンガクがうろついている路上に1人残ことが気になった。
「あれ、こないの?」
思わず聞いたら
「いいの?」と確認を求めてきた。
いつものあつかましさはどうしたんだろう。それでこっちも思わず
「うん」と言ってしまった。
八木沢由美子は嬉しそうな顔をしてついてきた。
「おじゃまします」
八木沢由美子がそう言ってママに挨拶すると、ママの顔がぱっと輝いた。
「まあ、いらっしゃい」
「わたしたち、きょう、漢字テストで残念な点を取ったんです。だからいっしょに勉強しようと思って」
「そう、一緒に勉強してくれるの。どうぞどうぞ、あがって、あがって。おやつを用意しますから、ゆっくりしてってね」
そんな成り行きになった。
別の日、算数のテストがあった。
ぼくは文章題はまあまあなんだけど、図形が苦手だった。いつもなら諦めて残りの時間は机の上に突っ伏して時間を待つのだけれど、今回、ためしにゲンガクを呼んでみた。
しかしゲンガクはこなかった。
ぼくは拍子抜けして半分以上書いていないテストを提出した。やはりゲンガクみたいなのが来て、テストの答えを耳打ちしてくれるなんていうのはぼくの勝手な妄想で、現実にはありえないんだなとぼくは思いなおした。
ところが、校門を出たとき、またしてもゲンガクが現れた。
「なんだよ、今頃でてきて。算数のテストをやってるとき呼んだのに来なかったじゃないか」
ぼくは苦情を言った。
するとゲンガクはこんなことを言った。
「いやあ、この学校にも学校座敷オヤジがいてさ、入れないのさ」
え?学校座敷オヤジだって?そんなのいるのか?
「ゲンガク! ああ、もうゲンちゃんでいいよ」
そいつはじれったそうに言った。
そう言われても、こいつゲンちゃんなんてかわいい呼び方する気にもなれない。
「ああもう、なんとでも呼んでくれ。心の中で思いさえすれば俺出てくるからさ」
あれ?俺様って言わないの?
「あれはあいつ等に対してだけさ。だって俺ってあいつらより偉いもん。だけど人間に対しては違うぜ。人間のために粉骨砕身、おれら仕事をするわけなんだから。
そこでどう? 考えてくれた? マジ、俺についたらあんたをクラスで一番、いや、学校で一番にしてやるぜ。女の子にももてるぜ」
学校に遅れちゃまずいので、黙って歩き続けていたら、そいつもくっついて来てさかんに話しかけてきた。
「あの正一位ってやつに何か言われたろう? まともに聞くことないぜ。あいつの説教、マジうざい、ださい、くさい、意味不明。言うとおりしていたら人生何の芽も出ないうち終わってしまうぜ。
だけど、おれにたのんだらさ、飛躍に次ぐ飛躍の人生だよ。とりあえず学校で一番になる。いやね、一番になるのはけっこう難しいのよ。勉強しててもね、ちょっとしたミスで2番になったりする。そこを、俺がフォローして一番にしてやろうっていってるんじゃないの。なにも勉強せずに一番とれって言ってるわけじゃないのよ。だから、あんたはあんたのペースで勉強していればいいのよ。そしたら社会に出たときなにも困ることはないでしょう?
一番と二番じゃ、まわりの扱いが全然違ってくるぜ。
「二番じゃだめですか?」って、ダメに決まってるだろう!
金メダルと銀メダルじゃ値打が違うでしょ? 女の子の見る目も全然違ってくるのよ。もてるぜえ。白鳥明日香ちゃんだってお前を尊敬の目で見るぞ。付き合いたいって言ってくるぞ。お前んちくるぞ。
あ、俺らみたいなのと契約すると、死ぬとき魂をとられるとか思ってる? 心配後無用。それはない。あれって、誤解だから。そんな契約は本来は存在しないから。あんたはいつも、これから先もずっと自由さ。しかし、ま、最後はたいてい自由意志で俺らの仲間になる。つまり、おれらの仲間になったほうが断然お得だってことがわかるのさ。自由意志で仲間にならないやつもたまにいるけどな、ま、それだけ自由だってことだ。あまり深く考えないで・・・あ・・・」
前方に大学生風の青年が立っていた。ショウちゃんだった。
「おはよう」
ショウちゃんは爽やかな笑顔をみせた。
ゲンガクはいつのまにか姿を消していた。
「登校の途中だね、いってらっしゃい」
ショウちゃんは言った。それだけだった。ショウちゃんも姿を消した。
その日、ちょっとテンションの下がることがあった。
昨日やった漢字のテストが帰ってきたんだ。
わかっていたけどさ。悪い点数だってことは。だけど悪い点数のテストを受け取るということは何度経験してもあまりいい気分にはなれない。ぼくは答案用紙をだまって鞄につっこんだ。ぼくはだいたい目立たない生徒だから、本来はそこでテストの件は終了だ。ところがこのクラスにはぼくを放っておかないやつがやや一名いた。
八木沢由美子。
わざわざ自分の答案用紙を持ってやってきた。
「ねえ、ヨシヒコ、どうだった? わたし80点。どうしても100点とれないんだ。ね、ここんとこ、撥ねてないから×だって。将来の直木賞作家がこんな漢字で手こずってるようじゃだめね。ねえねえ、ヨシヒコはどうだった?何点だった?」
「悪かったよ」
「え? 何点?」
「八木沢さんより悪い」
「そうなの。じゃさ、今度、一緒に勉強しない? ふたりでがんばろうよ。そうだ、今日、ヨシヒコんち行っていい?」
「いや・・・」
いつもなんだけど、ぼくはそう言うのがやっとで、そのあとのダメがどうしても言えない。
まわりのやつらはまた始まった、という感じでニヤニヤ見ている。
ふと窓際のほうに目をやると、伊藤くんと明日香ちゃんが答案の見せっこをしていた。
「伊藤くんすごい」
明日香ちゃんが言っている。きっと伊藤くんは100点なんだ。明日香ちゃんはちょっと残念だったらしい。あとは聞こえなかったが一緒に勉強するとかなんとかそんな話をしているように思えた。あそこにいるのがぼくだったらな、とふと思った。そして八木沢由美子の前のぼくを伊藤くんにやってもらえたら、とそんなことも考えていた。
一番をとるということは現実からあまりにもかけ離れすぎていてピンとこなかったが、この帰ってくるテストが100点だったら、と思うと、ゲンガクに頼んでみたらどうなるかなと考えないわけにはいかなかった。
はたして、校門からでると、ゲンガクが待っていた。
「どう?考えてくれた?俺と手を組む?」
「100点をとらしてくれるの?」
「もちろん! やるテストやるテストみんな100点ってのできるぜ」
心が動きかけた。
そしたら話のこしを折るかのような黄色い声が後から追いかけてきた。
「ヨシヒコ! 待って!」
八木沢由美子だった。
「聞いた? 今日の漢字テスト、難しかったんだって。でも伊藤くんは100点。白鳥さんは私と同点の80点だったんだってさ。マサルは70点だって。あたしに負けたとわかったら、マサル、ガクッときてさ、またママになんか言われるってクサッてた。あそこんちのママすっごい教育ママなのよね。そのわりにマサルはパッとしないんだよね。マサル、ちょっと気の毒かも。ヨシヒコのママは点数にうるさい?」
ママか。そういえばママはあまり点数のことは言わないな。「あらあ・・・」って言って、ちょっと悲しそうな顔をするだけだ。そして気を取り直したように……そう、いつもママは気を取り直してぼくに言う。
「おやつにしましょう」
そういえば八木沢由美子のママはなんていうのだろう。
「八木沢んちは?」
「うるさくないよ。あたしを信頼してくれてるもん。ママは仕事を持ってる女だからね。一生懸命やったところに花が咲く、っていつも言う。でも一生懸命やってもうまくいかないことなんていっぱいあるって。そんときは泣けって。もし私がテストで悪い点とって泣いてたら、きっとあたしを抱きしめて一緒に泣いてくれる」
八木沢由美子の知られざる一面だった。
さきほどからゲンガクが「ブス、ブース、ブス、ブース」と言いながら後をついてきていたが、ぼくはなぜか癇に障って、後ろを振り返ってゲンガクをにらんだ。
「なに?」
八木沢由美子がつられて後を振り返ったが、もちろん彼女にはなにも見えなかったろう。
なんとなく家の前まで来てしまった。例のごとく、押しかけるように八木沢由美子が入ってくるかなと思っていたのだけれど、なぜか今日はしおらしく躊躇している。そんな彼女をゲンガクがうろついている路上に1人残ことが気になった。
「あれ、こないの?」
思わず聞いたら
「いいの?」と確認を求めてきた。
いつものあつかましさはどうしたんだろう。それでこっちも思わず
「うん」と言ってしまった。
八木沢由美子は嬉しそうな顔をしてついてきた。
「おじゃまします」
八木沢由美子がそう言ってママに挨拶すると、ママの顔がぱっと輝いた。
「まあ、いらっしゃい」
「わたしたち、きょう、漢字テストで残念な点を取ったんです。だからいっしょに勉強しようと思って」
「そう、一緒に勉強してくれるの。どうぞどうぞ、あがって、あがって。おやつを用意しますから、ゆっくりしてってね」
そんな成り行きになった。
別の日、算数のテストがあった。
ぼくは文章題はまあまあなんだけど、図形が苦手だった。いつもなら諦めて残りの時間は机の上に突っ伏して時間を待つのだけれど、今回、ためしにゲンガクを呼んでみた。
しかしゲンガクはこなかった。
ぼくは拍子抜けして半分以上書いていないテストを提出した。やはりゲンガクみたいなのが来て、テストの答えを耳打ちしてくれるなんていうのはぼくの勝手な妄想で、現実にはありえないんだなとぼくは思いなおした。
ところが、校門を出たとき、またしてもゲンガクが現れた。
「なんだよ、今頃でてきて。算数のテストをやってるとき呼んだのに来なかったじゃないか」
ぼくは苦情を言った。
するとゲンガクはこんなことを言った。
「いやあ、この学校にも学校座敷オヤジがいてさ、入れないのさ」
え?学校座敷オヤジだって?そんなのいるのか?
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