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第七十二話 新法公布

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「侯爵様は何を考えておられる。こんな法を施行したら我々貴族は立ち行かなくなるぞ!」

 小太りの中年男性が憤慨する。彼は子爵である同時に、広大な侯爵領の一部、街とその周辺の村々を任された代官である。
 貴族とは本来、王の任命を経て成るものである。しかし、ここマイルダル王国は決して小さい国ではない。寧ろ大国に数えられる方だ。王家による中央集権ならともかく、広い国土を貴族たちが高度な自治の下、統治する。
 爵位や家の伝統などにより広域の統治を認められた場合、本家だけでは自治がままならない。そういった不都合を解消するために、独自の爵位を与え、自領を委譲により統治させる。
 この場合、王の“任命”ではなく、“承認”で済み、自領の分だけ貴族が増やすことが出来る。この男も後者の存在なので、故に侯爵の意向は絶対である。
 尤も、この手法をとると統治としては楽なのだが、委譲した分だけ収入が減るので痛し痒しだ。

△▼△▼


 一、 貴族の特権である免税権の停止
 一、 貴族の特権である徴税権の廃止
 一、 貴族の特権である不敬罪の廃止、及び法の下の平等の確立
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▲▽▲▽

 そこには貴族が貴族であるための特権が廃止だと書かれている。そして何より、平民と同じ法で裁くとの明言がなされている。それは詰まる所、貴族では無いことを意味する。

「侯爵様に至急手紙を出す。侯爵様の真意を問いただせねば。事と次第に依っては身の振り方を考えねばならぬ……」

 傍に控える執事が礼をして道具を取りに退出する。小太りの男は前代未聞の出来事に怒りの矛先を物へと向けた。
 大きな物音に使用人たちは息を潜めるのだった……

◇◆◇◆


「これはこれは……侯爵様は気が触れたか? お前、読んでみろ」

 商業ギルドの最上階にて脂ぎった男が配下の者に書類を渡す。配下の男は一読すると呆れたように肩を竦めた。

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 一、 この領における商売は役所への登録を必須とする
 一、 雇用者は労働者に対して最低賃金以上の報酬を支払う事
 一、 製造者及び販売者はその商品の品質を保証すること。又、瑕疵がある場合はその責任を負う事
 一、 大規模商会はその立場を利用して小規模及び中規模の商会に不当な請求、及び要求をすることを禁ずる
 一、 労働者の権利に対する要求の報復措置を禁ず
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▲▽▲▽

「侯爵様はこの商業ギルドに喧嘩でも売るつもりなのでしょうか?」

「先の戦争で流通を止められあれ程の痛手を被ったというのに、何も学んではおらぬようだ。愚かな侯爵様に再度教えて差し上げねばならぬな。商業ギルドに、否、ギルドマスターであるこの儂に逆らったらどうなるかというのを」

 先の戦争は決して侯爵本人が起こしたものでは無い。隣国より攻められ、王の勅命を以って出兵する。しかし、泥沼化する戦争は度重なる出兵と戦費捻出を余儀なくされる。そして、侯爵という高い身分が仇となり、兵、戦費共に抜きんでた数を額を揃えなければならなかった。
 彼はその戦費の一部を商業ギルドから捻出させるべく命令を出すも、商業ギルドから流通を止められるという手痛いしっぺ返しを食らってしまう。
 結局、高利な借用という形で決着がつき、流通が復活し、侯爵家としての面目も保ったものの財政は火の車となった。

「金の無い貴族が吠えたところで何の足しにも成らぬわ。貴族共はそれが分からんとみえる」

 蔑んだ瞳で窓の奥を見通す。その視線の遥か先は侯爵邸があった。脂ぎった男は、フン、と鼻を鳴らし、ワインを傾けた。

◇◆◇◆


「おいおいおい、これはどういうことだ?」

 町々に立てられたお触書に人々が集まる。庶民の中にも読み書きが出来る者が居るが稀である。故に、その内容を理解するとなると手に余るものは更に増える。こういった場合、町の知恵者などが周りの要望に応えて補足をする。

「このお触書には“女の権利”などが書かれているようだのぉ」

「“女の権利”? 何でい、財産でも持っていいとでも書いてあるのか?」

「似たようなことじゃな。男と同等の権利を持つ、と書かれておる。具体的には、個人財産の保護と遺産相続の時に権利を有する、後、財産相続は長子以外の者も平等に権利を有するとも書いておるな」

「げ、何でぇ、そんなこと書かれているのかよ。うちはただでさえババァが口煩いのに、これ以上強くしてどうするんだよ!」

 口の悪い男が周りを気にせず悪態をつく。男が宿六なのか、女が悪妻なのかは置いとく。現状、夫婦仲は悪いようだ。

「なぁ、ご隠居さまよ、今の話だと三男の俺にも財産を相続できるって事かい?」

「みたいだのぉ。夫の財産の半分を妻たちで、残りの半分を夫の血を引く子供たち全て平等に配す、と有る」

「うぉ? マジかぁ!」

 降って湧いた財産相続権に若者は小躍りする。他の次男以降の者たちも歓声を上げている。逆に長子たちは貰える財産が減ると知って不満を漏らしていた。

◇◆◇◆


「なになに、税は此れより収入に応じて納めるものとする。以下、比率を示すもの也……」

 つらつらと一人の男がお触書を読んでゆく。周りの者は一頻り読み終わるのを待って、口々に感情を吐き出す。

「ってことは、金を稼ぐほど領にお金を納めなければならないのか?」

「たくさん仕事するだけ損ってことか?」

 現代日本の累進課税は金持ちほど納税額が増える。人頭税の壁を越えれる現地民にとっては、納税額が増えるだけで面白い話ではないようだ。

「いやぁ、仕事しねぇとおまんま食い上げだろうよ」

 そうは言っても、現実には遊んで暮らせるほどの余裕はない、と一人が口にする。周りも、確かに、と同意していた。

「でもよぉ、稼げば稼ぐだけお上に取られるんだぜ?」

 やってられねぇぜ、と悪態をとるも、お上の命令は絶対だと分かっている。やりきれないだけだ。

「待て待て。賃金の最低額が決められたみたいだし、稼いだ方が最後はやはり得なようだぞ。それに、雇い主の横暴も禁止しているようだしな。働きやすくなると思うぞ」

「確かに。それに町ごとに税額が違う、ということも無いみたいだぞ」

「ほぉ、そうすると町でも農村でも同じ額の税がかかるのか」

「収入次第、ってことだろ」

 なるほど、と周りの者たちが一様に納得していた。

◇◆◇◆


「ど、奴隷制度の廃止だと?」

 ある商会の一室で、店の主人が狼狽えていた。

「はい。奴隷解放時には相応の額を補填する、と有りますが、労働内容や年数などにより減額するとも有ります。又、応じない場合は刑罰を科すようです」

 壮年に差し掛かろうとしている男が主人に報告する。
 この主人の店は祖父が一代で中堅どころまで成りあがった商会である。当然、その過程で多くの奴隷たちを働かせ、日常的に商売をしてきた。この店の主人も三十年前に父親から店を引き継ぎ、“当たり前”に商いをしている。

「か、解放した奴隷たちはどうなるのだ?」

 辛うじて絞り出した言葉だった。

「店に残るも、去るも自由とのことです。残る場合でも、雇用する内容を提示して契約しなければなりません。また、犯罪奴隷は役所が引き取るため、雇用することは出来ないそうです」

 自由に去ることが出来る? 今いる奴隷たちは何人残る? 今すぐこの領から撤退するべきなのか?
 考えがまとまらない中ではあるが、主人は商売の継続の危機であることを直感した。

◇◆◇◆


 この日、こういった悲喜交々の声がこの侯爵領の至る所で見受けられた。
 それは晴成の国で、七十数年前、玉音放送を聞いた人々の感情に似ている。
 泣いた者も、笑った者も、怒った者もいた。しかし、時代の大波はそれらを否応なく飲み込み、新時代の幕を開けさせる。波乱と激動を以って……

◆◇
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