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E00. 女の命を刈り取る根拠はお持ちかな?
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「大人しくしろ、ダルシィ。今こそお前の悪行を公にするのだからな」
「嫌ですわっ! お、おやめください!」
イェロニフ交学堂の中央ホールは数人の若者達によりざわめいていた。由緒正しいこの建物はかつてより様々な集会に用いられてきた。学者が論舌を交わしたり、儀式に使われたり、貴族や一部の準貴族の子女が通い、様々な学びを得るための場所だ。しかし今はどうやら、知を重んじる催しがされているわけではないらしい。金髪の貴族らしい青年が、同じく貴族の女子の髪をひっ掴んで顔を歪ませていた。
「皆、この悪女の悪行についてはよく知っているだろう。異論のある者はいないな?」
二人を取り囲むのもまた、貴族の子女たち。誰も異を唱えない。全員、中央で問い掛ける青年――フェアドメリ国随一の派閥を持つアデリューズ公爵家の長男坊スピラスの取り巻きなのだから、当たり前だが。
「やめてください……どうか!」
ペトローデス侯爵家の一人娘、ダルシィ侯爵令嬢は痛みに耐えながら懇願するが、誰も助けてはくれない。助けの手を差し伸べる代わりに、一人の少女が進み出た。
「わたくしが虐められていた時、貴女は私が何を言ってもやめて下さらなかったのに?」
グロリア=ラスピカーノ子爵令嬢は目に涙を溜めてふるふると身を震わせる。
「そんな事はしておりませんわ!」
「嘘を言うな悪女!」
「そうだ! 今さら許しを請うても遅いぞ!」
「悪女に裁きを!」
周囲の面々は完全にダルシィを悪者と決めつけ、口々にはやし立てる。一方グロリアには気遣わしげな目を送る。
今、ダルシィには彼女を虐め、殺そうとした容疑がかかっていた。
スピラス公爵子息とダルシィ侯爵令嬢は婚約しているが、家格や勢力図の関係で決められたもので、二人の仲は冷え切っていた。スピラスは最低限の婚約者としての務めを果たす以外は多数の女性と公然と遊び歩き、彼女を冷遇した。ダルシィもそんな男性はお断りだ、所詮形だけの婚約者だとスピラスを責めもしなかったが、彼女は男を周りに置くことはなかった。ただ貞淑な印象を守り、家から呼んだ忠実な女のメイドだけをいつも連れていた。男嫌いだ、あのメイドが浮気の相手か、と噂されるほどだ。それでも、婚約に水を差す者はいなかった。
状況が悪化したのは季節が変わった頃だった。長く病に臥せっていたラスピカーノ子爵家の二番目の娘グロリアが復調し、夜会やイェロニフ学堂に現れるようになったのだ。数年ぶりに貴族の前に姿を現したグロリアは、目を惹く美人だった。病のせいでか細くなった身体は以前のおぼろげな記憶よりもなお美しさを引き立て、学堂に通う貴族子息が彼女に群れた。そう、スピラスもだ。恐るべきことに、グロリアはその全てに、気のあるそぶりを見せた。婚約者がいる相手にも、結婚を控えた相手にも。
グロリアに特に入れ込んだのがスピラスだった。その状況をよく思わない令嬢は多かったが、スピラスに……アデリューズ公爵家の後ろ盾を手に入れたグロリアを直接口撃することなどできない。その後の事は、想像に容易い通り。いつの間にかグロリアに対する嫌がらせは全て婚約者であるダルシィの仕組んだ事にされ、スピラスから責められるようになったのだ。
そして最悪の事態が起きた。学堂で開かれた貴族令嬢のお茶会で、グロリアのカップに毒が入れられたのだ。幸いにして解毒が間に合ったが、毒殺未遂の容疑をかけられたのは当然、ダルシィ。彼女はスピラスはじめ、怒った子息たちやペトローデス家の失脚を目論む者たちによって中央ホールへと引きずりこまれ、この歪な断罪の場が出来上がっていた。
「何も俺たちはお前をこの場で私刑にしようとしているんじゃないさ」
スピラスは断髪用のナイフを構えながら憎々しげにダルシィを睨みつけた。
「当たり前です……証拠もないのにこのような事をして、許されるとお思いですかスピラス様!」
「証拠なら、これから分かるさ」
スピラスがナイフを構えると、ダルシィは怯えて逃げ出そうとした。しかし、強く髪束を掴まれていては逃げられない。
「最近では『でぃーえね判定』というものがあるんだろう? 髪の毛から取った『でぃーえね』と現場の痕跡を比べて犯人を特定できるという。なら、今最も疑われているお前は大人しく、髪の毛を差し出すべきだよな?」
「やめて……勝手に髪を切らないでください!」
ダルシィが拒むのには理由がある。フェアドメリ国では基本的に、貴族女性は整えるだけで髪を切らない。元から長毛の生えない種族でもなければ、もし髪が短くなってしまっても付け毛で長く見せる。そんな貴族女性が公衆の面前で髪を切られるのは、罪人としての扱いなのだ。
それが分かっていて、スピラスは最近聞きかじった技術の話を出してきた。
大人しく髪を切られても罪人の証が残り、抵抗すれば罪がばれないために暴れていると罵られる。
「そ、そもそも、髪を切る必要などございません! DNAというものは!」
頭に血が上った周囲はダルシィの話など聞いてくれない。ダルシィは、自分がどうあがいても罪の噂を流されると知って、静かに目から涙をこぼした。その様子にスピラスは、ずっと気に食わなかった女を屈服させた悦びに顔を歪ませながら、髪の根元に近いところにナイフを差し入れる——
「はいはい、許可なく中央ホールを制圧した皆様。無駄に女性の髪を切ると、いくら公爵家のした事とはいえ後から賠償金をいくら吹っかけられても文句言えなくなりますけど家名に泥を塗る覚悟とかあります?」
気の抜けた声が人垣の後ろから響いたのは、その時だった。だるそうな声なのに、やけにホール全体に響く。
「む、無駄とはなんだ! これはこの悪女の本性を暴くための……」
「それが無駄だって言ってますが。学堂で何学んできたんですか、スピラス=アデリューズ公爵子息殿」
人垣の奥に、声の主が現れた。貴族子女より頭一つ以上抜きん出ているため、余裕で見える。その顔を見て、一部のギャラリーがざわついた。
「嘘、まさかあれって……」
「レクスキー様?!」
騒ぎ出したのは主に令嬢たちだ。皆、頬を赤らめたり興奮して隣の令嬢と囁き合ったりしている。
「な、何だ……」
スピラスが戸惑っているうちに、背高の男はスピラスの眼前までやって来た。体格差と迫力に圧されて誰もが道を空けてしまったのだ。すぐ近くを通られた令嬢が一人、顔を真っ赤にして後ろに倒れた。
全身に銀色の鎧と黒マント、首元には金色の木の葉型をしたエンブレム。そして、黄金髪、ほのかに垂れ目ながら鮮烈な印象を与える緋色眼。サッと一礼すれば、全身から光の粉が舞うようにすら見える。国で一、二を争うだろう美丈夫だった。
「初めまして、スピラス殿。騎士位のレクスキー=スピリアーメンと申します」
「何者だ、お前!」
「ですから、レクスキーですが」
「そうではない! 誰の許可を得てーー」
「この中央ホールの正式な使用許可を得たのは、私だが?」
もう一つの声が、奥からホールに踏み込んできた。先ほどレクスキーと名乗る男が空けた隙間から、同じくレクスキーの隣へと歩いていく。
「しかし、ふむ、DNA鑑定の為に断髪式とはね。流石にこの程度の常識は知れ渡っていると思ったのだが、残念だ」
レクスキーと同じ金の葉形のエンブレムが胸に留められた、白衣と呼ばれる白いシンプルな外套、その下には真っ赤なドレスワンピース。やや異国情緒のある顔立ちに眼鏡を掛けた下は黒真珠のような眼ーーそして何より、瞳に負けず劣らず艶のある真っ黒な長髪。全てが珍しいその姿に、今度は誰もが目を奪われた。
「まあ毛根を除く毛髪にも長期的な魔力量の変動と一部の毒や呪いの痕跡が残るから情報の宝庫というのは間違ってはいないがね。いかんせん短期の情報は失われているのだよ。あるいはごく最近の情報。つまりキューティクルや付着した汚れを調べれば……」
「ルチア様」
「はっ、いけない。すまないね、学校に来ると講師の気分になってしまって」
「……いつもこうじゃないですか」
「何か言ったかい?」
「いいえ? それより、言うべきことがありますよね」
「……何だったかな」
「一応名の知れた貴族の子女の前です。そうでなくとも、名乗るべきでは?」
「ああ、確かにな……では、ご機嫌麗しゅう、諸君」
髪をなびかせた女性は、軽く膝を折って礼をすると、にんまりと笑んだ。
「王国直属の科学調査団、団長のルチア=レドメニーだ。そしてこっちの大きいのは副団長のレクスキー君。以後よろしく」
「俺はもう二回も名乗ったんで三回目は要らないです」
「そうかい」
名乗りを受けて、子女たちはざわめいていた。
「お、おい、科学調査団って……この間、学堂で習ったぞ?」
「そもそもDNAの鑑定方法を見つけたのが科学調査団って話だよな?」
「何でそんな調査団が……」
「何でって、事件が起きたからでしょう?」
「レクスキー様格好良い……でも隣の女は誰よ、ルチアって」
「知らないの? 星流人であらせられるって話よ」
「何それ!」
その間にレクスキーは、あっさりとスピラスを引き剥がしナイフを取り上げ、ルチアはダルシィの手を取って立たせていた。
「離せっ! 貴様、騎士ごときが公爵家に逆らえると思っているのか!」
「騎士である前に王命を受けた科学調査団の業務がありますが、王命に逆らってみます?」
「無事かな? お嬢様」
「は、はい……ありがとうございます、ですの。でも、こんな事をして大丈夫なのですか? ルチア様」
「問題ありませんよ。さて……諸君、そろそろ落ち着きたまえ。ご静聴! 今から特別講義をしよう」
ルチアが指を鳴らすと、学堂に大きな窓が現れ、くねくねと螺旋を描く二本の線の映像を映し出した。いつも使われている学堂の設備だ。
「君たちも少しは知っての通り、君たちの体のあらゆる部分にはDNAというものが含まれる。DNAの構造が全く同じ人物は居ないため、個人を識別できる……といっても反例があるのだが、DNAで個人が特定できないのはどんな場合かね? そこの君」
「えっ、えっと、ふっ、双子や三つ子の場合です……」
急に指名された青年は目を丸くしたが、とっさに答えた。
「よろしい。双子や三つ子は、DNAが同じ場合がある。正確には一卵性の双子の場合だ。似ていない双子が産まれたからといって取り替えられた子だと言わないように。それは二卵性の双子のケースだ……と、本題に戻ろう。では、双子の個人識別はどうやって行う? そこの君」
「へっ、ま、魔力?」
「よろしい。一つの卵が二つ以上に分裂してしまうのは含まれる魔力に差があり、魔力が反発してしまうからだ。つまり一卵性の双子は必ず魔力の色や性質が異なり、そして魔力が強い。つまり魔力とDNA、この二つを併せ比べる事で確実に個人を特定できる。そう、毒入り茶会事件の犯人もおそらく見つけ出せるだろう」
「だからその女の髪を切れと言っている!」
「黙りたまえ、スピラス!」
レクスキーに捕獲されたままスピラスが喚くが、ルチアは呼び捨てにして切り捨てた。ザワザワと辺りがざわつく。
「おっと、敬称を付け忘れた。少しスピリアーメンと音が被っていてややこしいんだよ、君の名前は」
「ルチア様、流石に今のはわざとですよね」
「わざとじゃないさ。黙りたまえスピリアーメン君、と言ったんだよ」
「黙ってましたけど俺」
「ともかく、ダルシィ嬢からDNAを提供いただくのは私としても願うところだよ」
ダルシィはビクッと体を震わせた。
「しかし、方法が良くないね。君達全員、私が講師を務める講義なら落第ものだ」
ルチアは厳しい顔になって若者たちを見つめる。
「先ほど言ったが、人体のあらゆる所からDNAは取れる。しかし全ての場所ではない。爪、垢、骨、そして毛からは、DNAは採取できないんだよ」
一度は収まりかけた囁き声が、また大きくなった。
「どういう事?」
「でも俺聞いたことあるぞ、現場に落ちてる髪の毛からもDNA取れるって……」
「俺なんて髪の毛提供させられた事あるぞ?」
先ほどまで「DNAを取るために髪を差し出せ」と言っていた者たちだけあって、納得のいかない顔をしている者が多い。ルチアはそれを見て深くため息をつく。
「毛髪自体からはDNAは採れない。ただし、毛根からは採れるんだよ。ここには細胞があるからね。もし髪からどうしてもDNAを採りたければ、髪をたったの数本引っこ抜けばよかった。……まあ、させないがね」
毛を抜かれるのかとパッと頭に手をやったダルシィは、ルチアに微笑まれて恐る恐る手を下ろした。
「分かっていただけたかな、今はただの公爵子息でしかないスピラスサマ。彼女の髪を切ることは何の道理もない行動だ。そして、この科学調査団が本件の解決に乗り出した以上、これから勝手に捜査の真似事をするようなら、私は王陛下に、スピラス公爵子息が捜査を妨害したため犯人の可能性があると報告しなければならない」
「それはっ、それは駄目だ!」
「ならば以降、このような愚かな真似はしない事だね」
ルチアはまた指を鳴らしてスクリーンをしまうと、ダルシィを連れてホールを出て行く。扉をまたぐ直前、ふと振り返った。
「ああそうだ、この傷害未遂事件についてはしっかりと各家に報告させてもらうよ。ダルシィ嬢の毛髪には今、ごく短期の情報――君に引っ掴まれたときの手垢が残っているからね。汗も付いているだろうし、君がダルシィ嬢に無礼を働いた証拠にはなる。もちろん髪を切らずに調べられるから、楽しみにしていてくれたまえ?」
そして扉を強く閉めた。
「……ちくしょおおおおおおおおっ!」
「いやー、良い事をしたね」
扉の向こうから聞こえてくる青年の吠え声を聞き流しながら、ルチアは上機嫌で髪をなびかせた。
「少し子供相手にやり過ぎだったのでは?」
「髪は女の命だよ。『じぇあーす』でも髪を勝手に切られるのは傷害罪だったんだ、何の同情も湧かないね」
「あの、わたくし……」
「何も気にすることはないさ、君が罪を受けることはない。それとも、あのスピラスとかいう奴とどうしても仲直りしたいのかい?」
「いえ、それは全く思っていません! ただ……」
「大丈夫大丈夫、君の家も守ってやるから。な、レクスキー君」
「自分がしないからと簡単に言いますね……」
「君最近、私への当たりが強くないか?」
すぐに彼女らは偽装工作を見破り、事件はグロリアの自作自演だったと明らかにされ、科学調査団はまた一つ名を上げる……そして科学調査団に一人の貴族子女のファンが増えるのだが、それはあえて言うまでもない。
これは科学調査団とその団長ルチア、副団長レクスキーが科学調査団を創立し、様々な事件を解決する物語。それを地球語で記したものだ。しかしまずは事の起こりへと時を戻そう。長い道のりの一番初まり、彗星のように現れた女性ルチアと崖っぷちだった騎士レクスキーの最低に近い出会いの日へと。
「嫌ですわっ! お、おやめください!」
イェロニフ交学堂の中央ホールは数人の若者達によりざわめいていた。由緒正しいこの建物はかつてより様々な集会に用いられてきた。学者が論舌を交わしたり、儀式に使われたり、貴族や一部の準貴族の子女が通い、様々な学びを得るための場所だ。しかし今はどうやら、知を重んじる催しがされているわけではないらしい。金髪の貴族らしい青年が、同じく貴族の女子の髪をひっ掴んで顔を歪ませていた。
「皆、この悪女の悪行についてはよく知っているだろう。異論のある者はいないな?」
二人を取り囲むのもまた、貴族の子女たち。誰も異を唱えない。全員、中央で問い掛ける青年――フェアドメリ国随一の派閥を持つアデリューズ公爵家の長男坊スピラスの取り巻きなのだから、当たり前だが。
「やめてください……どうか!」
ペトローデス侯爵家の一人娘、ダルシィ侯爵令嬢は痛みに耐えながら懇願するが、誰も助けてはくれない。助けの手を差し伸べる代わりに、一人の少女が進み出た。
「わたくしが虐められていた時、貴女は私が何を言ってもやめて下さらなかったのに?」
グロリア=ラスピカーノ子爵令嬢は目に涙を溜めてふるふると身を震わせる。
「そんな事はしておりませんわ!」
「嘘を言うな悪女!」
「そうだ! 今さら許しを請うても遅いぞ!」
「悪女に裁きを!」
周囲の面々は完全にダルシィを悪者と決めつけ、口々にはやし立てる。一方グロリアには気遣わしげな目を送る。
今、ダルシィには彼女を虐め、殺そうとした容疑がかかっていた。
スピラス公爵子息とダルシィ侯爵令嬢は婚約しているが、家格や勢力図の関係で決められたもので、二人の仲は冷え切っていた。スピラスは最低限の婚約者としての務めを果たす以外は多数の女性と公然と遊び歩き、彼女を冷遇した。ダルシィもそんな男性はお断りだ、所詮形だけの婚約者だとスピラスを責めもしなかったが、彼女は男を周りに置くことはなかった。ただ貞淑な印象を守り、家から呼んだ忠実な女のメイドだけをいつも連れていた。男嫌いだ、あのメイドが浮気の相手か、と噂されるほどだ。それでも、婚約に水を差す者はいなかった。
状況が悪化したのは季節が変わった頃だった。長く病に臥せっていたラスピカーノ子爵家の二番目の娘グロリアが復調し、夜会やイェロニフ学堂に現れるようになったのだ。数年ぶりに貴族の前に姿を現したグロリアは、目を惹く美人だった。病のせいでか細くなった身体は以前のおぼろげな記憶よりもなお美しさを引き立て、学堂に通う貴族子息が彼女に群れた。そう、スピラスもだ。恐るべきことに、グロリアはその全てに、気のあるそぶりを見せた。婚約者がいる相手にも、結婚を控えた相手にも。
グロリアに特に入れ込んだのがスピラスだった。その状況をよく思わない令嬢は多かったが、スピラスに……アデリューズ公爵家の後ろ盾を手に入れたグロリアを直接口撃することなどできない。その後の事は、想像に容易い通り。いつの間にかグロリアに対する嫌がらせは全て婚約者であるダルシィの仕組んだ事にされ、スピラスから責められるようになったのだ。
そして最悪の事態が起きた。学堂で開かれた貴族令嬢のお茶会で、グロリアのカップに毒が入れられたのだ。幸いにして解毒が間に合ったが、毒殺未遂の容疑をかけられたのは当然、ダルシィ。彼女はスピラスはじめ、怒った子息たちやペトローデス家の失脚を目論む者たちによって中央ホールへと引きずりこまれ、この歪な断罪の場が出来上がっていた。
「何も俺たちはお前をこの場で私刑にしようとしているんじゃないさ」
スピラスは断髪用のナイフを構えながら憎々しげにダルシィを睨みつけた。
「当たり前です……証拠もないのにこのような事をして、許されるとお思いですかスピラス様!」
「証拠なら、これから分かるさ」
スピラスがナイフを構えると、ダルシィは怯えて逃げ出そうとした。しかし、強く髪束を掴まれていては逃げられない。
「最近では『でぃーえね判定』というものがあるんだろう? 髪の毛から取った『でぃーえね』と現場の痕跡を比べて犯人を特定できるという。なら、今最も疑われているお前は大人しく、髪の毛を差し出すべきだよな?」
「やめて……勝手に髪を切らないでください!」
ダルシィが拒むのには理由がある。フェアドメリ国では基本的に、貴族女性は整えるだけで髪を切らない。元から長毛の生えない種族でもなければ、もし髪が短くなってしまっても付け毛で長く見せる。そんな貴族女性が公衆の面前で髪を切られるのは、罪人としての扱いなのだ。
それが分かっていて、スピラスは最近聞きかじった技術の話を出してきた。
大人しく髪を切られても罪人の証が残り、抵抗すれば罪がばれないために暴れていると罵られる。
「そ、そもそも、髪を切る必要などございません! DNAというものは!」
頭に血が上った周囲はダルシィの話など聞いてくれない。ダルシィは、自分がどうあがいても罪の噂を流されると知って、静かに目から涙をこぼした。その様子にスピラスは、ずっと気に食わなかった女を屈服させた悦びに顔を歪ませながら、髪の根元に近いところにナイフを差し入れる——
「はいはい、許可なく中央ホールを制圧した皆様。無駄に女性の髪を切ると、いくら公爵家のした事とはいえ後から賠償金をいくら吹っかけられても文句言えなくなりますけど家名に泥を塗る覚悟とかあります?」
気の抜けた声が人垣の後ろから響いたのは、その時だった。だるそうな声なのに、やけにホール全体に響く。
「む、無駄とはなんだ! これはこの悪女の本性を暴くための……」
「それが無駄だって言ってますが。学堂で何学んできたんですか、スピラス=アデリューズ公爵子息殿」
人垣の奥に、声の主が現れた。貴族子女より頭一つ以上抜きん出ているため、余裕で見える。その顔を見て、一部のギャラリーがざわついた。
「嘘、まさかあれって……」
「レクスキー様?!」
騒ぎ出したのは主に令嬢たちだ。皆、頬を赤らめたり興奮して隣の令嬢と囁き合ったりしている。
「な、何だ……」
スピラスが戸惑っているうちに、背高の男はスピラスの眼前までやって来た。体格差と迫力に圧されて誰もが道を空けてしまったのだ。すぐ近くを通られた令嬢が一人、顔を真っ赤にして後ろに倒れた。
全身に銀色の鎧と黒マント、首元には金色の木の葉型をしたエンブレム。そして、黄金髪、ほのかに垂れ目ながら鮮烈な印象を与える緋色眼。サッと一礼すれば、全身から光の粉が舞うようにすら見える。国で一、二を争うだろう美丈夫だった。
「初めまして、スピラス殿。騎士位のレクスキー=スピリアーメンと申します」
「何者だ、お前!」
「ですから、レクスキーですが」
「そうではない! 誰の許可を得てーー」
「この中央ホールの正式な使用許可を得たのは、私だが?」
もう一つの声が、奥からホールに踏み込んできた。先ほどレクスキーと名乗る男が空けた隙間から、同じくレクスキーの隣へと歩いていく。
「しかし、ふむ、DNA鑑定の為に断髪式とはね。流石にこの程度の常識は知れ渡っていると思ったのだが、残念だ」
レクスキーと同じ金の葉形のエンブレムが胸に留められた、白衣と呼ばれる白いシンプルな外套、その下には真っ赤なドレスワンピース。やや異国情緒のある顔立ちに眼鏡を掛けた下は黒真珠のような眼ーーそして何より、瞳に負けず劣らず艶のある真っ黒な長髪。全てが珍しいその姿に、今度は誰もが目を奪われた。
「まあ毛根を除く毛髪にも長期的な魔力量の変動と一部の毒や呪いの痕跡が残るから情報の宝庫というのは間違ってはいないがね。いかんせん短期の情報は失われているのだよ。あるいはごく最近の情報。つまりキューティクルや付着した汚れを調べれば……」
「ルチア様」
「はっ、いけない。すまないね、学校に来ると講師の気分になってしまって」
「……いつもこうじゃないですか」
「何か言ったかい?」
「いいえ? それより、言うべきことがありますよね」
「……何だったかな」
「一応名の知れた貴族の子女の前です。そうでなくとも、名乗るべきでは?」
「ああ、確かにな……では、ご機嫌麗しゅう、諸君」
髪をなびかせた女性は、軽く膝を折って礼をすると、にんまりと笑んだ。
「王国直属の科学調査団、団長のルチア=レドメニーだ。そしてこっちの大きいのは副団長のレクスキー君。以後よろしく」
「俺はもう二回も名乗ったんで三回目は要らないです」
「そうかい」
名乗りを受けて、子女たちはざわめいていた。
「お、おい、科学調査団って……この間、学堂で習ったぞ?」
「そもそもDNAの鑑定方法を見つけたのが科学調査団って話だよな?」
「何でそんな調査団が……」
「何でって、事件が起きたからでしょう?」
「レクスキー様格好良い……でも隣の女は誰よ、ルチアって」
「知らないの? 星流人であらせられるって話よ」
「何それ!」
その間にレクスキーは、あっさりとスピラスを引き剥がしナイフを取り上げ、ルチアはダルシィの手を取って立たせていた。
「離せっ! 貴様、騎士ごときが公爵家に逆らえると思っているのか!」
「騎士である前に王命を受けた科学調査団の業務がありますが、王命に逆らってみます?」
「無事かな? お嬢様」
「は、はい……ありがとうございます、ですの。でも、こんな事をして大丈夫なのですか? ルチア様」
「問題ありませんよ。さて……諸君、そろそろ落ち着きたまえ。ご静聴! 今から特別講義をしよう」
ルチアが指を鳴らすと、学堂に大きな窓が現れ、くねくねと螺旋を描く二本の線の映像を映し出した。いつも使われている学堂の設備だ。
「君たちも少しは知っての通り、君たちの体のあらゆる部分にはDNAというものが含まれる。DNAの構造が全く同じ人物は居ないため、個人を識別できる……といっても反例があるのだが、DNAで個人が特定できないのはどんな場合かね? そこの君」
「えっ、えっと、ふっ、双子や三つ子の場合です……」
急に指名された青年は目を丸くしたが、とっさに答えた。
「よろしい。双子や三つ子は、DNAが同じ場合がある。正確には一卵性の双子の場合だ。似ていない双子が産まれたからといって取り替えられた子だと言わないように。それは二卵性の双子のケースだ……と、本題に戻ろう。では、双子の個人識別はどうやって行う? そこの君」
「へっ、ま、魔力?」
「よろしい。一つの卵が二つ以上に分裂してしまうのは含まれる魔力に差があり、魔力が反発してしまうからだ。つまり一卵性の双子は必ず魔力の色や性質が異なり、そして魔力が強い。つまり魔力とDNA、この二つを併せ比べる事で確実に個人を特定できる。そう、毒入り茶会事件の犯人もおそらく見つけ出せるだろう」
「だからその女の髪を切れと言っている!」
「黙りたまえ、スピラス!」
レクスキーに捕獲されたままスピラスが喚くが、ルチアは呼び捨てにして切り捨てた。ザワザワと辺りがざわつく。
「おっと、敬称を付け忘れた。少しスピリアーメンと音が被っていてややこしいんだよ、君の名前は」
「ルチア様、流石に今のはわざとですよね」
「わざとじゃないさ。黙りたまえスピリアーメン君、と言ったんだよ」
「黙ってましたけど俺」
「ともかく、ダルシィ嬢からDNAを提供いただくのは私としても願うところだよ」
ダルシィはビクッと体を震わせた。
「しかし、方法が良くないね。君達全員、私が講師を務める講義なら落第ものだ」
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「先ほど言ったが、人体のあらゆる所からDNAは取れる。しかし全ての場所ではない。爪、垢、骨、そして毛からは、DNAは採取できないんだよ」
一度は収まりかけた囁き声が、また大きくなった。
「どういう事?」
「でも俺聞いたことあるぞ、現場に落ちてる髪の毛からもDNA取れるって……」
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「毛髪自体からはDNAは採れない。ただし、毛根からは採れるんだよ。ここには細胞があるからね。もし髪からどうしてもDNAを採りたければ、髪をたったの数本引っこ抜けばよかった。……まあ、させないがね」
毛を抜かれるのかとパッと頭に手をやったダルシィは、ルチアに微笑まれて恐る恐る手を下ろした。
「分かっていただけたかな、今はただの公爵子息でしかないスピラスサマ。彼女の髪を切ることは何の道理もない行動だ。そして、この科学調査団が本件の解決に乗り出した以上、これから勝手に捜査の真似事をするようなら、私は王陛下に、スピラス公爵子息が捜査を妨害したため犯人の可能性があると報告しなければならない」
「それはっ、それは駄目だ!」
「ならば以降、このような愚かな真似はしない事だね」
ルチアはまた指を鳴らしてスクリーンをしまうと、ダルシィを連れてホールを出て行く。扉をまたぐ直前、ふと振り返った。
「ああそうだ、この傷害未遂事件についてはしっかりと各家に報告させてもらうよ。ダルシィ嬢の毛髪には今、ごく短期の情報――君に引っ掴まれたときの手垢が残っているからね。汗も付いているだろうし、君がダルシィ嬢に無礼を働いた証拠にはなる。もちろん髪を切らずに調べられるから、楽しみにしていてくれたまえ?」
そして扉を強く閉めた。
「……ちくしょおおおおおおおおっ!」
「いやー、良い事をしたね」
扉の向こうから聞こえてくる青年の吠え声を聞き流しながら、ルチアは上機嫌で髪をなびかせた。
「少し子供相手にやり過ぎだったのでは?」
「髪は女の命だよ。『じぇあーす』でも髪を勝手に切られるのは傷害罪だったんだ、何の同情も湧かないね」
「あの、わたくし……」
「何も気にすることはないさ、君が罪を受けることはない。それとも、あのスピラスとかいう奴とどうしても仲直りしたいのかい?」
「いえ、それは全く思っていません! ただ……」
「大丈夫大丈夫、君の家も守ってやるから。な、レクスキー君」
「自分がしないからと簡単に言いますね……」
「君最近、私への当たりが強くないか?」
すぐに彼女らは偽装工作を見破り、事件はグロリアの自作自演だったと明らかにされ、科学調査団はまた一つ名を上げる……そして科学調査団に一人の貴族子女のファンが増えるのだが、それはあえて言うまでもない。
これは科学調査団とその団長ルチア、副団長レクスキーが科学調査団を創立し、様々な事件を解決する物語。それを地球語で記したものだ。しかしまずは事の起こりへと時を戻そう。長い道のりの一番初まり、彗星のように現れた女性ルチアと崖っぷちだった騎士レクスキーの最低に近い出会いの日へと。
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◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
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