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§03 樹待外れな擬態フラワー
狂逸の霹靂アドベント
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「ああ、そこまで頑張って抑える必要はないよ。ほら馬喰、Ban on Nix」
その途端ぐったりと崩れ落ちる馬喰ニムを無視して声は続ける。
「それから御降の若君も矛を収めてよ。はい頭冷やして」
ぱちん。声の主が指を鳴らすと、一瞬のうちに雨が降り始めた。いや、雨は元々降っていた。この場の雨だけが勢いを増して夕立のように激しく降り注いできたのだ。
「なっ……」
小雨程度では揺らぎもしなかった蝋燭の火が、次々と消えていく。同時に、馬喰を留めていた赤糸も消えていく。
「落ち着いたところで話をしよう」
ぱちん。もう一度鳴らして雨を小雨に戻して、声の主は最後に、影と響の方を向いた。
「君たちもそれで構わないよね? 流石にここまで格上の蝕橆相手だと僕には手が出せないから、これは『お願い』なんだけどさ」
そう言って正面から影と目を合わせたのは、奇妙な男だった。
「順番が逆だったね。……やあ、初めまして」
歳は30前くらいの、妙に若々しい男だ。さすがに高校生の響よりは高いが、影よりは低い普通の背丈。染めているのか、鮮やかなオレンジの短髪をしている。なぜか前開けのレインコートの下にはランニングウェアを上下着こんでいるので、体つきが筋肉質なのが分かるーーいや、そのあたりも気になるが一番はそこではない。
「あんた……『墓標』か」
「うん、僕が墓標だよ。これからどうぞよろしく」
男は、女物にしか見えないデザインの細やかな黒レースの布を、顔の上半分、鼻のあたりまで貼り付けるかのようにあてがっていた。よく見えないがその下には白のレースが重なっているらしい。レースの端がフリルっぽくなっており、いくつも光る小石がぶら下がっている。
そして背には、ちょっとバッグでも負うような気軽さで、博物館にでも飾られていそうな古びた長い十字架らしきものを吊っていた。ベルトなどの支えがあるわけではなく、十字剣を括った支え紐を直接肩ごしに指に引っ掛けて持っている。前情報通りではあるのだが、想像していたよりもずっと、この現代日本にそぐわない異質な出で立ちだった。
「話というのは簡単で、ちょっとお願いに来たんだよね。馬喰のこと見逃してくれないかな?」
「見逃す?」
「そう、殺さないで引き渡してもらいたい。何発か顔殴るくらいならいいからさ。だめ?」
男……「墓標」は、笑顔を崩さないまま言って空いている左腕を大きく広げる。爽やかな声色が不気味だ。
これが、怪異探偵事務所「ビーセトルド」の所長。
「ずいぶん都合の良い話だ」
影は響を担いだまま不機嫌そうに言葉を発した。
「まあまあ、そう怒らないで。君の気持ちは分かるけど、この現代日本で不用意に人間の死体を出すのは問題が多いよね? もう二度とこんな事はしないように約束させるからさ」
「その約束一つで済ませようというのが貴様らの都合だと言っている。この程度で私を鎮められるとでも?」
「うん、この程度の提案じゃ無理そうだね。困ったな」
と言いつつ、墓標は困った様子を見せない。
「そうだ、賢木響君。君はそこまで怒ってないだろ? たいした傷は負っていないし負っても直してもらえる。彼を説得してくれない?」
「は?」
「君も痛い目に遭って嫌だっただろうけど、殺したいとまでは思ってないよね? でもこのままだと彼は馬喰を殺すよ。君が見殺しにしたことになる」
「嫌なこと言うなあんた」
「響くんは関係ありませんよ。私が、邪魔だから勝手に排除するだけだ」
また影が割り込む。珍しく冷静さを欠いている声のようにも聞こえた。
「じゃあ馬喰の弱点の事を話すよ。もう半ば分かっているとは思うけど、Ban on Nix.それが答えだ」
「……やはり彼の本名は、バノン・ニックス」
「そうそう。名前を知ると呪われるっていうのは真実を隠すための嘘、カバーストーリー。実のところ急所なんだよね。ニックスは名を呼びかけられると魔憑きの力が使えなくなって、行動自体をある程度無効化できる。ご当主、辻褄合うよね?」
「……なるほど。殺しばかりをし、依頼は貴様を通して請け負い、対象にほぼ必殺の技で当たる理由は、極力他者と話さないためか」
「そう。今後、『馬喰ニム』は君たちを傷つける事ができない。これで、手打ちにしてはくれないかな?」
「ちょっと待て。あんたら何の話してる?」
さっぱり意味の分からない響が突っ込むと、薄いため息が場に満ちた。影が話し始める。
「響くん、初対面の時に普通、英語ではなんと挨拶しますか?」
「え? HiとかGood morningとか?」
「初対面の時に」
「あっ……Nice to meet you?」
「そうです。分かりますか? N・T・M・Yですよ」
その言い方には聞き覚えがある。
「それって馬喰が言ってたやつ」
「それも初対面の時に、です。各単語の頭文字だけが同じで違う文章。他にも例はありますね。H・T・O・R……Here's to our reunion.久しい仲と乾杯する時の宣言『再会を祝して』くらいの表現です。R.I.P.は有名ですね。よく墓石に刻まれる、requiescat in paceというフレーズ」
「貴様は知らんだろうから教えてやる。頭文字を使った略語から別の文章やフレーズを作り出す、こういった言葉遊びのことを、バクロニムと言うのだ」
小折が話に混ざってきた。
「……今なんつった?」
「バクロニムですよ、響くん。馬喰が殺し屋稼業で名乗っている名はそのまま使っている暗号の形式の名なのです。面白い趣向でしょう?」
「面白いか?」
「面白さはさておき、問題は、なぜ殺し屋がわざわざそんな言葉遊びを行うかだ」
「なぜとかあんの?」
「ある。でなければ露出を嫌いスピードを重要視するプロの殺し屋がわざわざ言葉遊びを口にするのに時間を割く理由が分からない。貴様が理解できていないのにだ」
「理解できなくて悪かったな」
「暗号に造詣のない日本人ですからね。そこで更なるヒントが、Bang.きみが間抜けに連呼してくれたあれですよ」
「造詣もないし間抜けで悪かったな! あんたが勧めてきたやり方だよ!」
「まあまあ。あれをきみが口にしていた間だけ、きみの攻撃がやけに馬喰に通りやすかったんですよ。そしてバクロニム。何か思いつきませんか?」
響は影の肩で暴れるのをしばしやめて考えた。
思いつかない。
「……馬喰には口にされると弱体化してしまうワードがある。能力の代償あるいは制限だな。貴様を『ダサい』と挑発したのもワードを言わせたくなかったからだ」
「そう、なのか? ……でそこからなんで名前がどうって話に」
「必ず偽名を名乗ること。名にヒントを隠していること。ワードの一部、恐らくは始まりが『バン』であること。ほら、繋がるでしょう?」
「馬喰の本名のイニシャルはB.N.あるいはB,N. ……つまり『馬喰・ニム』の姓名のバクロニムではないか、そしてBがバンで始まるのではないか、というのが一つの推測だった。正しくはBangではなくBanだったようだが」
「???」
「一回聞いた程度で貴様が合点するとは思っておらん。推測が多く私にも確信はなかった」
「付け加えるなら、『本名を知られてはいけない』という縛りを持つ呪術師は結構多いのですよ。名前に繋がるヒントを伝えなければならない、名の一部をたまたま呼ばれるだけでアウト、というタイプは初めて見ますが」
影は「それで名はバノン・ニックス。皮肉だ」と少し楽しそうに笑う。それから交渉中だったことを思い出したのか咳払いをした。
響が説明を受けるのをニコニコしながら聞いていた墓標が、「そうそう」と話に入ってきた。
「こうやって脱力しちゃうからさ、大変なんだよね。でもこうなったらしばらく動けないから。襲われてもこうすれば安心でしょ? だから、見逃してよ」
「は? それは今後の担保。条件などなく当たり前にするべき事だ。交換条件として提示するものではない」
「まだ駄目か。まあ、今回ちょっと馬喰のオイタが酷すぎたかな。殺しかけたし。バンダちゃん、何か作戦ある?」
藍色髪の女子は「あるはあるっすけど」と口を尖らせた。
「影っちから、『他者ではなく保護者が話をつけるのが筋でしょう?』って感情を感じるっす……。そもそも合流遅れて事態の収拾貢献値が低いんっすよ、ウチらは。墓標っちが髪整えるのに時間かけたせいっすー!」
「なるほど、駄目か。しょうがないね。考えるよ」
覆面十字剣背負い男は全く悩んでいるように見えない様子で首をすくめる。
(影よりもうさんくせぇ人間って居るんだな……)
ぼんやり墓標を観察していた響は、ふいに「あ!」と声を上げた。
「そうだ、返せよミツダマ!」
「ん?」
「馬喰が奪ったんだろ? 体の一部。今返せよ、とりあえず」
「ああ……馬喰、そんな事をしたの? 駄目だよ、挑発するような事をして。それは不要な行動だったよね?」
ぐったりと地面に倒れた馬喰は、小声で何かを言う。
「困ったな。ねえ響君、馬喰は奪ったもの、ばら撒いてきたんだって」
「ばら撒いた……?」
「うん。馬喰の性格を考えると三か所くらいが限度かな。元々特定地域の地面に沈んでいたものを拡散するとなると、瓶詰めで海にでも投げたのが一つ、遠くへ行く電車の中へ放り込んだのが一つ、高所から飛ばしたのが一つってところかな。馬喰自身にも行方が分からなくなるところがミソだ」
「そこはウチが責任もって調べるっすよ」
「よろしく、バンダちゃん。じゃあ問題なさそうだね」
「……それ、取引材料にしないんだな」
「酷いな、響君。そんな事しないよ。そもそもバンダちゃんは彼の味方だからね」
墓標がわざとらしく首を振ると、「味方というか盟友っすね!」と彼女は訂正する。
「あ、響っち。ウチと影っちの関係については後でご説明するんで今だけ待ってほしいっす」
「はあ……」
「それじゃ墓標っち、頑張るっすよ!」
「はあい。それじゃ美路道影様、手始めに響君を殺害しようとしている人間を片っ端から黙らせてこようと思うんだけど」
「!」
「困ったときに連絡してくれたら、人間の邪魔は全部取り除いてあげる。怪異、幽霊、化物あたりも、僕の顔が利く限りは牽制しておくよ。人間以外は殺したっていい。ただ、蝕橆はいいよね? 流石に僕じゃそちらの世界には干渉できないからさ」
「……」
「あとは……あ、バンダちゃん。一つだけ手伝って。僕が依頼するから賢木響君の力になってあげてよ。影様のオプションパーツじゃなくて、響君自身のために動く駒になって」
「墓標っち、無茶言うっすね。もちろん依頼なら受けるっす。……影っち、バンダちゃんを響っちに付けておくのは将来の大きな利益、つまり馬喰っちをここで死なせるのは影っちにとって将来の損失だとウチは断言するっすよ」
「……ほう」
水色の瞳に見つめられて、かたくなだった影の表情が、態度が、動いた。
「もし影っちがウチのことを買ってくれるなら、どうかこのまま雇って欲しいっす。ここで馬喰っちを助けてくれるなら、ウチは響っちのためにも誠心誠意助力を誓うっすよ!」
「……ふ、ふふふ」
影は低い笑い声を噴き出した。
「ここまで言われては考えなければいけないか。墓標、だったか? 貴様、バンダちゃんに何の恩を売ったか知らないがその己の所業に感謝するといい。そこで転がっている芥もだ」
「ご温情痛み入るよ、偉大なる蝕橆様」
「影っち! 感謝するっす!」
墓標が笑顔で片手を差し出す、が「バンダちゃん」が影に飛びついてきたことで握手の申し出は影に見えていたかも怪しかった。そしてなんと、影は空いている腕で彼女を抱き止めたのだった。
(……影、お前)
「お前がこんな風に優しく接する奴って居たんだな。……と言いたげな顔をしていますね、響くん。嫉妬しましたか?」
「えっ……いや、全然、全然そんな事気にしてねえけど?」
驚いただけなのだが動揺したかのような声色になっている。担がれているせいで誰からもよく表情が見えてしまっただろう。響は顔を手で覆った。
一連の流れを見て微笑んでいた墓標は、十字剣を左肩に移し、馬喰を「よいしょ」と右側に背負った。細身の少年とはいえずいぶん余裕そうだ。
「さて、馬喰。帰ったらお説教だよ。……ああ、勘違いしないで。僕は別に、アレを狙ったのを怒ってるわけじゃない。実際アレはすごく危険だから、殺したいのは分かるよ。ただ、もっとうまいやり方があるってことを学ぼうか」
影に聞こえるように言っているのだろう。おそらくは、響や小折に対しても。命乞いの直後とは思えない悠々とした歩き方で去っていく方向から、微風がそよいだ。
(……ん、今、花っぽい香りがしたような)
首を傾げるほどの時間もなく香りは消えてしまう。そんなことより気になることはいくらでも残っていた。
「改めまして、本当に申し訳ないっす!」
気になることの一つ、バンダちゃんと名乗る女子が、勢いよく頭を下げる。
「曲がりなりにもバンダちゃんは『ビーセトルド』に所属してたっす。馬喰っちの性格も分かってたのに止められなかったのはウチにも責任ありまくりなんっすよー! 影っちと響っちにはきっちり埋め合わせしないといけないっす!」
「……少し、落ち着いて話をしましょうか。響くん、アパートにバンダちゃんを呼んでいいですね?」
すぐに頷く。色々聞きたいのは響も同じだ。なぜ影が「ちゃん」付けで呼ぶのか、とか。
その途端ぐったりと崩れ落ちる馬喰ニムを無視して声は続ける。
「それから御降の若君も矛を収めてよ。はい頭冷やして」
ぱちん。声の主が指を鳴らすと、一瞬のうちに雨が降り始めた。いや、雨は元々降っていた。この場の雨だけが勢いを増して夕立のように激しく降り注いできたのだ。
「なっ……」
小雨程度では揺らぎもしなかった蝋燭の火が、次々と消えていく。同時に、馬喰を留めていた赤糸も消えていく。
「落ち着いたところで話をしよう」
ぱちん。もう一度鳴らして雨を小雨に戻して、声の主は最後に、影と響の方を向いた。
「君たちもそれで構わないよね? 流石にここまで格上の蝕橆相手だと僕には手が出せないから、これは『お願い』なんだけどさ」
そう言って正面から影と目を合わせたのは、奇妙な男だった。
「順番が逆だったね。……やあ、初めまして」
歳は30前くらいの、妙に若々しい男だ。さすがに高校生の響よりは高いが、影よりは低い普通の背丈。染めているのか、鮮やかなオレンジの短髪をしている。なぜか前開けのレインコートの下にはランニングウェアを上下着こんでいるので、体つきが筋肉質なのが分かるーーいや、そのあたりも気になるが一番はそこではない。
「あんた……『墓標』か」
「うん、僕が墓標だよ。これからどうぞよろしく」
男は、女物にしか見えないデザインの細やかな黒レースの布を、顔の上半分、鼻のあたりまで貼り付けるかのようにあてがっていた。よく見えないがその下には白のレースが重なっているらしい。レースの端がフリルっぽくなっており、いくつも光る小石がぶら下がっている。
そして背には、ちょっとバッグでも負うような気軽さで、博物館にでも飾られていそうな古びた長い十字架らしきものを吊っていた。ベルトなどの支えがあるわけではなく、十字剣を括った支え紐を直接肩ごしに指に引っ掛けて持っている。前情報通りではあるのだが、想像していたよりもずっと、この現代日本にそぐわない異質な出で立ちだった。
「話というのは簡単で、ちょっとお願いに来たんだよね。馬喰のこと見逃してくれないかな?」
「見逃す?」
「そう、殺さないで引き渡してもらいたい。何発か顔殴るくらいならいいからさ。だめ?」
男……「墓標」は、笑顔を崩さないまま言って空いている左腕を大きく広げる。爽やかな声色が不気味だ。
これが、怪異探偵事務所「ビーセトルド」の所長。
「ずいぶん都合の良い話だ」
影は響を担いだまま不機嫌そうに言葉を発した。
「まあまあ、そう怒らないで。君の気持ちは分かるけど、この現代日本で不用意に人間の死体を出すのは問題が多いよね? もう二度とこんな事はしないように約束させるからさ」
「その約束一つで済ませようというのが貴様らの都合だと言っている。この程度で私を鎮められるとでも?」
「うん、この程度の提案じゃ無理そうだね。困ったな」
と言いつつ、墓標は困った様子を見せない。
「そうだ、賢木響君。君はそこまで怒ってないだろ? たいした傷は負っていないし負っても直してもらえる。彼を説得してくれない?」
「は?」
「君も痛い目に遭って嫌だっただろうけど、殺したいとまでは思ってないよね? でもこのままだと彼は馬喰を殺すよ。君が見殺しにしたことになる」
「嫌なこと言うなあんた」
「響くんは関係ありませんよ。私が、邪魔だから勝手に排除するだけだ」
また影が割り込む。珍しく冷静さを欠いている声のようにも聞こえた。
「じゃあ馬喰の弱点の事を話すよ。もう半ば分かっているとは思うけど、Ban on Nix.それが答えだ」
「……やはり彼の本名は、バノン・ニックス」
「そうそう。名前を知ると呪われるっていうのは真実を隠すための嘘、カバーストーリー。実のところ急所なんだよね。ニックスは名を呼びかけられると魔憑きの力が使えなくなって、行動自体をある程度無効化できる。ご当主、辻褄合うよね?」
「……なるほど。殺しばかりをし、依頼は貴様を通して請け負い、対象にほぼ必殺の技で当たる理由は、極力他者と話さないためか」
「そう。今後、『馬喰ニム』は君たちを傷つける事ができない。これで、手打ちにしてはくれないかな?」
「ちょっと待て。あんたら何の話してる?」
さっぱり意味の分からない響が突っ込むと、薄いため息が場に満ちた。影が話し始める。
「響くん、初対面の時に普通、英語ではなんと挨拶しますか?」
「え? HiとかGood morningとか?」
「初対面の時に」
「あっ……Nice to meet you?」
「そうです。分かりますか? N・T・M・Yですよ」
その言い方には聞き覚えがある。
「それって馬喰が言ってたやつ」
「それも初対面の時に、です。各単語の頭文字だけが同じで違う文章。他にも例はありますね。H・T・O・R……Here's to our reunion.久しい仲と乾杯する時の宣言『再会を祝して』くらいの表現です。R.I.P.は有名ですね。よく墓石に刻まれる、requiescat in paceというフレーズ」
「貴様は知らんだろうから教えてやる。頭文字を使った略語から別の文章やフレーズを作り出す、こういった言葉遊びのことを、バクロニムと言うのだ」
小折が話に混ざってきた。
「……今なんつった?」
「バクロニムですよ、響くん。馬喰が殺し屋稼業で名乗っている名はそのまま使っている暗号の形式の名なのです。面白い趣向でしょう?」
「面白いか?」
「面白さはさておき、問題は、なぜ殺し屋がわざわざそんな言葉遊びを行うかだ」
「なぜとかあんの?」
「ある。でなければ露出を嫌いスピードを重要視するプロの殺し屋がわざわざ言葉遊びを口にするのに時間を割く理由が分からない。貴様が理解できていないのにだ」
「理解できなくて悪かったな」
「暗号に造詣のない日本人ですからね。そこで更なるヒントが、Bang.きみが間抜けに連呼してくれたあれですよ」
「造詣もないし間抜けで悪かったな! あんたが勧めてきたやり方だよ!」
「まあまあ。あれをきみが口にしていた間だけ、きみの攻撃がやけに馬喰に通りやすかったんですよ。そしてバクロニム。何か思いつきませんか?」
響は影の肩で暴れるのをしばしやめて考えた。
思いつかない。
「……馬喰には口にされると弱体化してしまうワードがある。能力の代償あるいは制限だな。貴様を『ダサい』と挑発したのもワードを言わせたくなかったからだ」
「そう、なのか? ……でそこからなんで名前がどうって話に」
「必ず偽名を名乗ること。名にヒントを隠していること。ワードの一部、恐らくは始まりが『バン』であること。ほら、繋がるでしょう?」
「馬喰の本名のイニシャルはB.N.あるいはB,N. ……つまり『馬喰・ニム』の姓名のバクロニムではないか、そしてBがバンで始まるのではないか、というのが一つの推測だった。正しくはBangではなくBanだったようだが」
「???」
「一回聞いた程度で貴様が合点するとは思っておらん。推測が多く私にも確信はなかった」
「付け加えるなら、『本名を知られてはいけない』という縛りを持つ呪術師は結構多いのですよ。名前に繋がるヒントを伝えなければならない、名の一部をたまたま呼ばれるだけでアウト、というタイプは初めて見ますが」
影は「それで名はバノン・ニックス。皮肉だ」と少し楽しそうに笑う。それから交渉中だったことを思い出したのか咳払いをした。
響が説明を受けるのをニコニコしながら聞いていた墓標が、「そうそう」と話に入ってきた。
「こうやって脱力しちゃうからさ、大変なんだよね。でもこうなったらしばらく動けないから。襲われてもこうすれば安心でしょ? だから、見逃してよ」
「は? それは今後の担保。条件などなく当たり前にするべき事だ。交換条件として提示するものではない」
「まだ駄目か。まあ、今回ちょっと馬喰のオイタが酷すぎたかな。殺しかけたし。バンダちゃん、何か作戦ある?」
藍色髪の女子は「あるはあるっすけど」と口を尖らせた。
「影っちから、『他者ではなく保護者が話をつけるのが筋でしょう?』って感情を感じるっす……。そもそも合流遅れて事態の収拾貢献値が低いんっすよ、ウチらは。墓標っちが髪整えるのに時間かけたせいっすー!」
「なるほど、駄目か。しょうがないね。考えるよ」
覆面十字剣背負い男は全く悩んでいるように見えない様子で首をすくめる。
(影よりもうさんくせぇ人間って居るんだな……)
ぼんやり墓標を観察していた響は、ふいに「あ!」と声を上げた。
「そうだ、返せよミツダマ!」
「ん?」
「馬喰が奪ったんだろ? 体の一部。今返せよ、とりあえず」
「ああ……馬喰、そんな事をしたの? 駄目だよ、挑発するような事をして。それは不要な行動だったよね?」
ぐったりと地面に倒れた馬喰は、小声で何かを言う。
「困ったな。ねえ響君、馬喰は奪ったもの、ばら撒いてきたんだって」
「ばら撒いた……?」
「うん。馬喰の性格を考えると三か所くらいが限度かな。元々特定地域の地面に沈んでいたものを拡散するとなると、瓶詰めで海にでも投げたのが一つ、遠くへ行く電車の中へ放り込んだのが一つ、高所から飛ばしたのが一つってところかな。馬喰自身にも行方が分からなくなるところがミソだ」
「そこはウチが責任もって調べるっすよ」
「よろしく、バンダちゃん。じゃあ問題なさそうだね」
「……それ、取引材料にしないんだな」
「酷いな、響君。そんな事しないよ。そもそもバンダちゃんは彼の味方だからね」
墓標がわざとらしく首を振ると、「味方というか盟友っすね!」と彼女は訂正する。
「あ、響っち。ウチと影っちの関係については後でご説明するんで今だけ待ってほしいっす」
「はあ……」
「それじゃ墓標っち、頑張るっすよ!」
「はあい。それじゃ美路道影様、手始めに響君を殺害しようとしている人間を片っ端から黙らせてこようと思うんだけど」
「!」
「困ったときに連絡してくれたら、人間の邪魔は全部取り除いてあげる。怪異、幽霊、化物あたりも、僕の顔が利く限りは牽制しておくよ。人間以外は殺したっていい。ただ、蝕橆はいいよね? 流石に僕じゃそちらの世界には干渉できないからさ」
「……」
「あとは……あ、バンダちゃん。一つだけ手伝って。僕が依頼するから賢木響君の力になってあげてよ。影様のオプションパーツじゃなくて、響君自身のために動く駒になって」
「墓標っち、無茶言うっすね。もちろん依頼なら受けるっす。……影っち、バンダちゃんを響っちに付けておくのは将来の大きな利益、つまり馬喰っちをここで死なせるのは影っちにとって将来の損失だとウチは断言するっすよ」
「……ほう」
水色の瞳に見つめられて、かたくなだった影の表情が、態度が、動いた。
「もし影っちがウチのことを買ってくれるなら、どうかこのまま雇って欲しいっす。ここで馬喰っちを助けてくれるなら、ウチは響っちのためにも誠心誠意助力を誓うっすよ!」
「……ふ、ふふふ」
影は低い笑い声を噴き出した。
「ここまで言われては考えなければいけないか。墓標、だったか? 貴様、バンダちゃんに何の恩を売ったか知らないがその己の所業に感謝するといい。そこで転がっている芥もだ」
「ご温情痛み入るよ、偉大なる蝕橆様」
「影っち! 感謝するっす!」
墓標が笑顔で片手を差し出す、が「バンダちゃん」が影に飛びついてきたことで握手の申し出は影に見えていたかも怪しかった。そしてなんと、影は空いている腕で彼女を抱き止めたのだった。
(……影、お前)
「お前がこんな風に優しく接する奴って居たんだな。……と言いたげな顔をしていますね、響くん。嫉妬しましたか?」
「えっ……いや、全然、全然そんな事気にしてねえけど?」
驚いただけなのだが動揺したかのような声色になっている。担がれているせいで誰からもよく表情が見えてしまっただろう。響は顔を手で覆った。
一連の流れを見て微笑んでいた墓標は、十字剣を左肩に移し、馬喰を「よいしょ」と右側に背負った。細身の少年とはいえずいぶん余裕そうだ。
「さて、馬喰。帰ったらお説教だよ。……ああ、勘違いしないで。僕は別に、アレを狙ったのを怒ってるわけじゃない。実際アレはすごく危険だから、殺したいのは分かるよ。ただ、もっとうまいやり方があるってことを学ぼうか」
影に聞こえるように言っているのだろう。おそらくは、響や小折に対しても。命乞いの直後とは思えない悠々とした歩き方で去っていく方向から、微風がそよいだ。
(……ん、今、花っぽい香りがしたような)
首を傾げるほどの時間もなく香りは消えてしまう。そんなことより気になることはいくらでも残っていた。
「改めまして、本当に申し訳ないっす!」
気になることの一つ、バンダちゃんと名乗る女子が、勢いよく頭を下げる。
「曲がりなりにもバンダちゃんは『ビーセトルド』に所属してたっす。馬喰っちの性格も分かってたのに止められなかったのはウチにも責任ありまくりなんっすよー! 影っちと響っちにはきっちり埋め合わせしないといけないっす!」
「……少し、落ち着いて話をしましょうか。響くん、アパートにバンダちゃんを呼んでいいですね?」
すぐに頷く。色々聞きたいのは響も同じだ。なぜ影が「ちゃん」付けで呼ぶのか、とか。
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