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§02 葉噛みする葛藤ネイビー

痕跡栞(シオ)って次のペジネート

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「あんたと行かなかったのにミツダマ怯えてたんだけど」
「きみが私の気配をたっぷりと満たして会いに来たからでしょう? 私が来たのと同じことですよ」
「うるせえ。その言い方やめろ。あんたが恐れられてんのが悪い」
「別に脅してはいないのですがねえ。それで、寛大なる私が地道に貴様を動かしてやるから大人しくしていろと、ちゃんと伝えたんですか?」
「寛大とは言ってない。っと、着いたな」

 円辺まるのべ町に入ってから自転車で10分、初めて訪れる円辺図書館は澄谷すみがやのよりも大きい建物だった。

「楽しいサイクリングでしたね。では行きますよ、響くん」
 しゅるりとチョーカーから人間へ化けて、影は実際楽しそうに入口に向かう。
「はいはい」
 乗り始めて一年で面倒になって二重ロックをかけるのをやめた自転車を停めて、響も後を追った。
「利用者カードの登録に多分身分証要るけど」
「おや、私が身分証の一つも持っていないと思いますか?」
「え、日本国籍持ってんの……」
「日本国では免許証を持っていないと自動車を運転できないんですよ」
「運転すんの……? つか免許取ったのか?!」
「まあ偽造ですが」
「運転はすんのか……」



「……はい、それでは今度から忘れずにこちらのカードを持ってきてください」
 美路道ミロドウ影は免許証も美路道影だった。あとゴールド免許だった。どうして証明写真でもイラッとくる顔ができるのか。わずかに斜めに構えて不気味に微笑む写真のことを頭の隅に追いやって、響は自分の図書館利用者カードを手に取る。
「どうしました? 響くん」
「別に。本探しに行けよ、お目当てがあんだろ」
「では早速。適当な所で待っていてください」
 影は案外あっさりと本棚の波に潜っていった。
「俺、来る必要あったのか?」
 思わず呟いてしまう。
「……久々に何か読んでみるか」
 活字は嫌いではない。ただ、漫画の方が読むのが楽でついそっちに流れてしまうだけで。





ーーーーーーーーーーーーーーー

 ……乙女は優しく鉄パイプの骨組みに手を添えた。ヴァイオリンの弦を支えるように、胸の前で弾くかのように優雅に台車を回す。力を込めていたとはとても信じられない美しい所作に、観客からは、ほう、とため息が漏れた。
「これはダンスですのよ、皆様。どうぞ瞬きもお忘れになって、存分にご覧になってくださいまし」
 真っ赤な靴をスッと片方後ろに引いて、乙女は上品に一礼した……。

ーーーーーーーーーーーーーーー

「!」
 不意に全身を寒気が通り抜けて、響は本から顔を上げた。ワゴンを押した影が響を見つけて手を振ると近づいてくる。何かに熱中していても危険に気付けるのは、この嫌な体質のわずかな利点だ。
 ワゴンの中には20冊近い本が入っている。さっきまで読んでいた本を棚に戻して、響は目を細めた。
「何冊載せてんだよ。5冊までしか借りれないだろ」
「きみも借りれば10冊です。ちゃんとこの中から絞りますよ」
 疑問が解けた。響を連れてきたのはそのためらしい。
「……これ、マジで借りんの」
「いけませんか?」
「あんた、今度は何ウチに連れ込む気だよ……」
 元々目つきが悪いので睨むたび、ひどい表情を晒しているのだろうがこの場に好感度を気にしなければならない人はいない。人間以外も。
「何、とは?」
 影はこくりと首を傾げる。先ほどまでずっと楽しそうにしていたくせに、今は感情の読めない顔だ。
「とぼけんなよ。何か居るだろ……その本の中に」
 本の山を指差す。
「? おかしいですね、ここに何も仕込んでいないはずですが。特に何も感じ……」
 影は動きを止めた。と思いきや、傾いていた首を更にがくっと垂らしてとんでもない角度にしたまま、本を取り出すと高速でめくり始める。最後までめくった本はポイポイと机上に投げ出すので、響はうるさい音がしないよういちいち受け止める。

「……あった」
 やがて手をかすかに震わせて、影は一冊の本の最後を開いた。古い本なのか、昔の貸し出し形態の痕跡……貸出カードが差さっている。
「ここにがついています。蝕橆ショクブツの」
「指紋?」
「人間に擬態したとき、うっかり触れて跡を残したのでしょう。こんなかすかな痕跡にも気付けるとは、きみはそら恐ろしいですね響くん……」
 言いながら影は、袖から白く大きなツタの葉を伸ばす。貸出カードの上に載せ、本を一度閉じて開くと、葉に黒く指紋らしき模様が写った。
「さて、面白いものが手に入ってしまいましたが、これは誰なのでしょうね?」
「……ローズヒップ……いや、じゃないんだよな」
「え?」
 響は目をきつく閉じてため息をついた。
「怖さの雰囲気っていうか……凄くあいつに似てる。でもなんかが違う。気持ち悪い」
「それは、きみ……」
「その本は借りんなよ。必要ならここで読んでくとかコピー取るとかあるだろ。そんな物家に入れないからな」
「……分かりましたよ。コピーならきみも怖くないでしょうしね」
 影は肩をすくめると本を持ってコピー機の方へ歩いていった。
「何なんだよ……」
 本の山をぼんやり見ながら、響は心を落ち着けようとする。別に心拍数も上がっていなければパニックを起こす体質でもないのだが、内心動揺はしている。

 ローズヒップ。小折こおり春樹はるきをたぶらかし響を狙い、湯上ゆがみ桃音ももねにも危害を加えようとした、目的の分からない蝕橆の椏稔アジン。ひとつ分かるのは、また襲われても不思議ではないということだ。



(……ん?)
 響は顔を上げた。影が放り出した本の中に一冊、やけに素人っぽいデザインのハードカバー本が混じっている。違和感があると思ったら、背表紙に出版社が書かれていない。

『澄谷地区の伝承』

 手にとって見てみる限り、自費出版らしい。こういった本も所蔵できるのは流石、大きい図書館だ。
(ああ、わざわざ隣町の図書館に行きたかったのってこういうのが目当てか)
 と納得はしてみるが、さて、あの影が、こんな文献にまで手を出して調べたかった事とは何だろう。ヒントを求めて、響は適当にページをめくってみる。
(……あ?)

素烏しらん

 その活字が、目に焼き付いた。何度も何度も。
(素烏って、澄谷あたりの土地神……いや、氏神うじがみだよな。なんでそいつについて、影が調べてる? ピオニィが報告してた時はそんなに興味なさそうだったのに)
 響はごくりと唾を飲む。
(いや、素烏ってより興味の対象は澄谷そのものか?)
 目次やざっと目を通した所を見るに、澄谷地区のさまざまな歴史と民俗的なことをまとめた本らしかった。表紙から予想できる内容だ。その中に、かつての氏神として素烏の名が出てくるのも当然だろう。
(何か目的があって澄谷に来たのか……)
 もうすぐ影が戻ってきそうだ。全て中身を読む余裕はない。せめて、と響は著者名を覚えることにした。
(「青山颯」あおやま……はやて? そう? どっちだ)
 本を元通りに雑に山へ戻したとき、影が戻ってくる。間一髪だった。

「決めましたよ響くん。どの本を貰……借りるか」
「貰うって言うな」
「ギリギリ言ってませんが」
「返却期限になったら郵送してでも返すからな」
「では早く借りて帰りましょう」
 借りないことにした本とやらを影は無造作にまとめて手にする。
「そっちは中身確認とかコピーとかしないのか?」
「先ほど不要になりました」
「?」
「スポアが調べていたというなら、こちらの本はもう……」
「? スポアって誰だ」
「おっと。彼女のことは忘れてください。失言でした」
「……?」
 苦笑いをして口元を押さえている。見慣れない仕草だった。
「帰りますよ」
「あ、ああ……」
 考えることが多い。もう影以外の蝕橆の気配はないのに、響の心には不安が広がっていった。





__________

NG Scene

「日本国では免許証を持っていないと自動車を運転できないんですよ」
「いやそれは知ってる」
「おや、知っていましたか」
「バカにすんなよ。え、てか運転すんの……? つか免許取ったのか?!」
「まあ偽造ですが」
「運転はすんのか……」
「ええ。というわけで響くん、今度ドライブデートでもど」

/利用者カード登録までシーンカット/

「響くん、私は了承しませんよ?! どうして誘わせてくれないんですか!」
「知るか」

__________







「なあ、最近なんかあったのか?」
「なんかって?」
 響は教卓の上に腰を下ろした千早にため息をつきながらクラス日誌を開いた。
 澄谷高校二年一組には珍しいことに佐々木や佐藤がいない。それどころか賢木さかき須栗すぐりの間に生徒がいない。出席簿順で2人ずつ組まれる日直は今日、響と千早だった。
「ん、いやー、お前最近様子変だったから。でもなんか今はやっと本調子に戻ってきたって感じだわ」
「戻ったってなんだよ」
「この間は授業サボるし、ここんとこいつも昼一人で出てくよな最近。春樹はるき先輩と何してんだよお前。湯上ゆがみ寂しそうにしてたぜー? それともあれか? 決闘して勝った方が湯上と付き合えるとか?」
「そんなんじゃないし」
「ま、何かあったら相談してくれよ。親友だろ」
「その気になったらな」

 多分その気になる事はないだろう。このお気楽な友人に打ち明けるには相談事が重すぎる。千早は、響が植物恐怖症ボタノフォビアだという事を一応知っている程度なのだ。

「……そういや、小学生の頃、『せなかに目がついてるの?!』って言い出したの」
「ああ、背中にくっついたオナモミで泣いたやつな! 覚えてるぜ」
 ふいに思い出して言えば、千早はけらけらと笑った。
「俺も覚えてる。あれからしばらく背中に目がついてるとかクラス全員にからかわれた……」
「悪かったってー。まさかボタノキャビアだと思わねーじゃん」
「ボタノフォビアだっつの。チョウザメの卵にすんな」
「はは、わりぃ悪ぃ。でもお前けっこう背後見えてるよな」
「見えてたら体育のときお前に点取られなかったよ」
「オレがバスケで負けるわけないだろー?」
「はいはい、主将様」
 報告欄に「特になし」と書いて響は日誌を閉じた。
「ま、もうすぐ主将じゃなくなるけどな」
「え?」
「『え?』って何だよー、二年が主将なんだから夏の高体連終わったら終わりだろ実質。ウチずっと勝ち残るほど強くねーし」
「……ああ、そうなのか。そういや三年じゃなくて二年なんだよな、主将」
「三年になったら勉強漬けとか嫌んなるよなー、あーあ。せっかく主将にまでなっても意味なかったし」
 千早は脚をバタバタ揺らした。
「気早いな。今年結果出せばスポーツ推薦とか可能性はあるだろ」
「そっちの意味は求めてねーんだわ。大会の記録に主将で残ろうが変わんないって分かった時点でなあ」
「? 何が変わんなかったんだ?」
 友の話が分からず響は首をかしげる。
「ま、響は気にすんなって。そのうち話してやるから。覚えてられるか分かんないけどな」
「何だそれ」
 なぜか千早は、顔をしかめて笑っていた。

 まもなく6月が始まろうという候、まだ穏やかな日だった。





葉噛みする葛藤ネイビー 了
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