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§01 芽を奪う桜果パフェ

自殺的バグとネオテニープレイ

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 ベタベタとした艶を纏った薔薇の茨が、爆発するように四方に伸びる。その間を細い茨が絡みつくように這えば、あっという間に大きな蜘蛛の巣のような棘だらけの網が形作られた。上は天井まで、幅は五メートルほど。色形は植物そのものだが、ぐにゃぐにゃと伸縮している。そしてその茨の先が、影へと真っ直ぐに伸びた……というよりも、突き刺さろうとしてきた。
「後ろにいてください。あの棘はかなりこたえますよ」
 影が袖口のボタンを外して腕を伸ばすと、袖から紅い蔓が何十本と湧き出すように伸びて茨を弾く。近くのテーブルと椅子がなぎ倒され大きく空間がひらけた。薔薇がタコ足のようにくねってなおも襲い掛かれば、影の蔓は鞭のようにしなって茨を弾き飛ばす。
 幾本かの蔓に茨が突き刺さると水分を吸い上げられたかのように蔓が萎びてしまう。一方で、あまりにも鋭く蔓に弾かれた茨は折れて吹き飛ばされ、動かなくなる。大きなひょうが傘に叩きつけられるような音が折り重なって絶え間なく続き、あまりにも多く素早い攻防は、二つの波がせめぎ合っているようにも見えた。

「化け物だろこんなん……」
蝕橆ショクブツ、ですよ」
「いや、何余裕そうにしてんだよ、この、状況で」
 片腕を掲げつつも落ち着いた表情のままの影から目を落とせば、少し離れた場所で小折がもはや悲鳴も上げず、頭を抱えて地面にうずくまっている。さらに店内を見渡すと、店員、客、店内の全ての人は音にも被害にも全く気づく様子がなかった。この轟音の中でも笑いながら談笑し、食べ続け、吹っ飛んだ椅子に足を引っ掛けて躓きそうになってすら、表情を崩すこともしない。
(気持ち悪い光景だ)
 茨のバリケードの向こう、一番この騒ぎの近くにいる湯上を見て、響は、はっとする。
 パフェを食べ続けている湯上の表情が、抜け落ちたように無い。よく見ると腕に、細いが絡まっていた。まるで操り人形のように、彼女はスプーンをおぼつかない手つきで響のグラス……薔薇の花へと近づけていく。
 響は無意識のうちに走り出した。

 賢木響は、とにかく「ビビらないタイプ」だ。ホラー映画で叫ばないし、肝試しでパニックになった試しがない。むしろそうなった友人を静める側だ。
 響自身はタチの悪い性質だと気づいていないが、「ビビる」というのは案外、生存本能によるものが大きい。……緊張して熱を持ち脈拍が増加するのは逃げ出しやすくなるウォーミングアップだし、「火事場の馬鹿力」もパニックになって脳のリミッターが解除される事で起きる。危険物やショックで目や心を傷つけないよう瞬きをするのは当然なように、生存本能による反射的な行動というのはあまりにも多い。それら全ての危機回避を響は反射ではなく自分の意思で行わなければならない。
 代わりというにはあまりにも扱いにくいが、響の知覚は妨げられる事がない。その冷静さは、時に思考を飛び越えてとんでもない行動を最適解として弾き出す事がある。火事場の馬鹿力が体力のリミッター解除なら、それをすぐに行動に移すのが、響なりの反射行動、知覚のリミッター解除なのかもしれない。とはいえ脳の処理能力も体も常人並なので、咄嗟の行動に筋道の通った理屈が伴う事はない。そして後から思考だけが残る。
(……あれ、俺なんでこんな事したんだっけ)
 全くもって、後から考えれば意味不明。
「ふざっけん、なっ!」
 響は、肩でタックルをかましていた。

「響くん? 何してるんですか」
 細身に見える影は、少し揺らぎながらも、片腕で戦ったままもう片腕で軽々と響を受け止め引き寄せる。胴にはクッションのように蔓があちこちから伸びていた。
「ゔぇっ……さいあ、く」
「いきなりぶつかられた上罵倒されると私も困惑します」
「うるせえ、分かってんだろ殺す」
 悪態をつきながら見やると、大声が聞こえたのか、「ローズヒップ」が驚いたからか、湯上はぱちぱちと瞬きをして首を傾げ、手を引っ込めた。計画通り、なんて言えるほど考えが追いついていた訳ではない。どちらかと言えば「幸運」だろう。

「穏やかではありませんねえ。ローズヒップに操られでもしましたか?」
「はあ? 操るってお前、そんな……そんなヤバい奴なら尚更、煽って凶暴化させたり周りの奴襲わせてんじゃねえよ!」
「アレから君を守るくらいなら簡単な事ですし、私に、他の人間まで助ける義理はありません」
「そうかよ」
 かっとなって響は影の手を振り払った。
「なら俺が義理で助ける!」



(どうやって?)



 それは響自身の中での問いだった。
「化け物」。恐れているモノでなければ、そんな呼び方をする訳がない。腕をなんて経験もつい昨夜の事だ。いくら勢いで啖呵を切っても、怒りにまかせた勢いでも、その記憶と恐怖が響の中で薄れる事はなかった。今も、内心では震えが止まらない。
「湯上っ!」
 だから、身一つで茨の網に身を投げ出すなどという行動に出たのは、やはり生存本能がバグった人間だけの取りうる、文字通り命知らずとしか言えない行動だった。
 武器の一つも持たず、防具もなく、着地の事すら考えられていない無策な飛び込み。状況が理解できていないのか目を丸くする茨越しの湯上に腕を伸ばしながら、響は目を閉じる。
(最悪。投身自殺だろ、こんなの)
 自分でも何故そうしたのか、思考が追いつかないまま、それでいて、思考の底では分かっているのに理解したくないまま。

 次の瞬間、緑の茨が響の腕を貫いてーー同時に、紅い蔓が茨の網を切り裂いた。



「あぅ……うぇ、ぐう……」
 響は腕に食い込んだ茨の破片と共に床に振り落とされた。腕に激痛が走るのに、口から出てくるのはカエルのような声だけ。衝撃で肺が押し潰されていた。無事だった震える左腕を床に突いてなんとか体を起こす。床に叩きつけられたのも痛いが、腕に比べれば大した事はない。
「はあ、はっ、はっ、はひゅ、は」
 その途端に肺に空気がどっと流れ込んで、過呼吸になる。体を支えて痛みに耐えながら、響はぼんやりとした目で追撃がないのを確かめる。

(何、だっ……確か、襟首に入ってる葉が、デカくなって盾かクッションになるかもしれない、とかバカな事、思いついて)

 トイレでの一件と、ついさっき影が響を受け止めた事。

(あー、それで、あいつが俺を「必要」って言ってたから、ワンチャン、無茶しても助けてくれるんじゃないか、って、思ったんだろうな……)

 視界の端にズタズタに裂かれた薔薇を踏み越えて来る影を認めて、響は「うゔ、う、う」と収まりかけの過呼吸と悲鳴の中間で唸る。
「全く、きみはやはり馬鹿なんですね」
「ゔあっ、あ、ゔ、あっあっ、ぎぃ、い」
「その痛みはきみの罰、この悲鳴は私の迷惑料として頂きます。本当は無傷で済ませるつもりだったのですが、自殺行為をそこまで助ける義理はありませんからね。私だって、この程度の相手に対し、きみ如きも守りきれない弱者のように思われるのは心外なんですよ?」
 怒ったような言い方をしているが、影の顔には……うっとりとした笑みが浮かんでいた。
「とはいえ……絶叫や悲鳴もさながら、低い呻き声の音振動も悪くない」
「ああ、ぁ、ぁぁ、ぐっ、がっふ、はぁはぁ、あぁ」
「これからは、あんな塵芥ちりあくたに負けるなんて恥を私に塗らないでくださいね」
 そう言って、美路道影は、響の右腕に咬みついた。
 少なくともそう見えたし、そうかもしれないと思わせるだけの痛みが一瞬響を襲った。

「ーー!」

 一瞬。
 悲鳴をあげる間も無く、右腕に刺さった茨は傷一つ、痛みも残さず除かれた。触れてみても違和感はない。
 除いた……咬みついて引き抜いた茨を飲み込んだ影は、唇を真っ赤な舌でペロリと舐めた。
「きみって物理的にも美味なんですね? 味に深みが増しました」
「は、死んどけよ……」
「死にませんよ。私はきみをスケープゴートにするんですから」
「っこの……」
「ああそういえば。きみの方に気を取られた隙に、ローズヒップには逃げられました」
「え」
「次はどこで悪だくみを働くのでしょうねえ、彼女。まあ薔薇花ばらかがメスと決まった話ではありませんが。ああ残念ですよ、人のを侵そうとした忌々しいモノをちゃんと壊し損ねたのは」
 芝居掛かった言い方からは、さっぱり残念がっているようには聞こえない。
「わざと逃がしたんじゃないだろうな?」
「証明できますか? 肝心な所で勝手に私の邪魔をしておいて、そのせいで逃したのを認めたくないと、そう聞こえますが」
「……」
「それに、きみが関わらなければ、私と比べるのもおこがましい格下の小物がいくら悪を働こうと、興味すら湧かないんですよ」
「その『超格下』と、そこそこ楽しそうに戦ってたよな」
「え? きみは獲物で遊ばないんですか?」
 響は小さく悪態をついて床を叩いた。
「それより、わざわざ庇ったんですから、湯上桃音と小折春樹のはきみがやって下さいよ。私は嫌です」
「俺もだ」
 と言いつつ、響は立ち上がる。影に任せると何が起きるか分からない。

 小折は呆然と床に座り込んでいたが、近くの倒れた椅子を戻して制服の帽子を差し出すと、ハッとしたように響の手から受け取って立ち上がった。
「……先輩」
「……何だ」
「俺にはどうしても、こんな事をする動機が理解できない」
「……からない」
「は?」
「私にも分かるか!」
 小折は目を閉じると、急に大声になる。
「何故だ、何故、貴様のような成績でも容姿でも将来性でも劣る者が桃音に好かれる。桃音は……この私のだぞ!」
「……はあ?」
 婚約者。この現代日本で聞くとは思わなかった関係性に響が困惑していると、小折は「そもそも小折家と湯上家、元を辿れば御降おおり唯神ゆひがみの家は……」とどこか得意げに話を始めかける。
「いや湯上との事情はどうでも良いんで。結局、これだけの事をしておいて理由はそれだけなんですね」
「なっ……違う、何か効果が違ったようだが、ここまでの被害など想定していなかった。ただ、少しだけ……」
「嫌がらせなら毎日教室に来るだけで十分ですよね」
「っ、それで貴様は何も改めなかっただろう! だから……」
「だから呪い殺すって? そもそも、何でこんな手段を」
「だから説明していただろう、お……」

「ひびき君、話終わった? 終わったよね? 私と来たんだから、あんまり女の子を待たせちゃダメだよ?」
「春樹君? ボーッとしてどうしちゃったの。手空いてたらこっちのヘルプお願い」

 いつの間にか、あのドロッとした空気は消えていた。店内の様子が変わらないのはずっとだが、床に散らばっていたあの茨は消え去っている。店員が首を傾げながら、大きく位置のずれたテーブルを元の位置に戻した。
「貴様は……」
 何か言いかけた小折は、しかし、すぐに首を振って帽子を深く被り、店の奥に消えていった。代わりと言わんばかりにやって来た湯上が、響の左側に張り付く。
「美味しかったね、ひびき君?」
「……マジかよ」
「?」
(これ、話が通じないってレベルなのか?)
 店を出て帰路で別れるまでの間、別の頭痛が続いたのは言うまでもない。
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