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二十落

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 ノアマが八尋やひろを案内したのは、村長むらおさの居住スペースだった。肉の壁を少し掘り進んだ横穴の奥、気球の燃料が隠されていた場所だ。板などを継ぎ合わせた仕切りが自然と伸びた肉に半ば覆われていて、しっかりと風を防ぎ空間を仕切っている。音はうるさいが、腰を落ち着けることはできそうだ。
 しかしノアマは座らず、敷かれていた手触りの良い布を取り払った。その下の肉を手で軽く払う。下から、金属板が現れる。

「!」

 蓋を引き上げると、斜め下へ続く道が現れた。
 一応階段らしくなっているし、ノアマの背で楽に進めるだけの高さが確保されている。最近階段部分の形を整えた跡があった。

「……随分降りるな」
「冥穴を2周りする。複雑な構造ではないよ」

 掛かる時間を計算してから八尋は「そうか」と返した。ノアマに続いて肉の階段に踏み入る。あれだけうねっていた肉壁のすぐ下なのに、不思議とここは振動が弱い。そのことを八尋が言うと、「ここから下は、少し違う」とだけノアマは答えた。

「歩きながら話をしよう。意味があるのなら」
「お前は話しても無駄だと思っているのか」
「無駄なのかも分からない。八尋、君が話をしたがることが不思議だ。なぜだ?」
「なぜとは?」
「人を従える力を持っているだろう」
「ハッ。そういう意味か」

 八尋は何度も口にしてきたことをもう一度言う。

「他人は知らないが、私は物心ついた頃から暴力を言語として学ばなくてね。私の体力も筋力も技術も全て、他人のためじゃなく自己実現のために手に入れたものだ。言葉の代わりに使おうとも思わない」

 皮肉っぽい言い方をどう感じたのか、ノアマはゆるりと首を揺らすと振り返った。三つ編みが流れ落ちる。

「そうか。君は、言葉の通じない理不尽に復讐したいのか」
「ア?」
「そうだろう。力があれば他人を従えられる村で、君は力を手に入れて使わない。他の者はやりづらくなる」
「違う。そんな事のためじゃないさ。それに、力だけで地位が決まるほど単純な世界ばかりじゃない」
「だが君は、戦える身体を持っている」
「それは」

 八尋は一度深く呼吸した。心なしか気温が下がっている気がする。

「それは、何か完成された全身運動がしたかったからだ。村には大した教材はないが、武道系の教本が1番揃っていた。とはいえ、まァ、ガキの頃の私は、あいつらを殴り返して蹴り飛ばせる力が欲しいと何度も思っただろうな。そこは認めるよ」

 スポーツさえできれば村を出られると夢を抱いた時期もあった。特待生でも何でも、見込みのある女子がとにかく身一つで拾い上げられる場所が。

「もったいないな」
「もったいない?」
「君はその身体を何にも使わないのか」
「使うさ。暴力にならない力仕事はいくらでもあるし、武術は実用だけに意味があるんじゃない」
「言葉にも道具にも使わない力か」
「いや、道具としては使うが」

 否定してみるが、そういう意味ではないのだろう。価値観が違う。言葉を交わす延長で拳が飛んできてもおかしくない、そういう相手と今、八尋は話をしている。だが、成り立っていないわけではない。

「そういうお前は、対話することに期待を持てるのか。力を使うと話すのが楽になるか? もしくは、対立で始まった話の終わりには、相手かお前のどちらかが死ぬのか」
「……どうだろう」

 嘘は苦手そうだ。顔を背けると、また下へ降り始める。八尋も追求はしない。

「私からも聞きたい、いや話したいことがある。ヒナ子もお前に聞いたかもしれないが……」
「あの子は聞かなかった」
「そうか。私は」
「君だけだ、聞いてくれたのは」

 立ち止まりたくなる。立ち止まらない。

「……今から私はおかしなことを言う」
「ああ」
「同じに聞こえる」
「ああ」



「ノアマ、お前の声は、私が冥穴の中でずっと聞いていた冥王めいおうの幻聴の声と同じだ」



「そうだろう」

 ノアマは立ち止まりもしない。
 ノアマとたった一言話した時からずっと不気味さに囚われてきた八尋に、気のせいだとは、偶然だとは言わない。
 世間話のように受け入れる。
 受け入れられては困る。

「昔、同じことを花嫁たちに言われたよ」
「ここの村人か?」
「いいや。落ちてきた花嫁だ。子らにはあの声が聞こえなくなってしまう」

  冥王の花嫁生贄から聞いた?

「いャ、そんな訳がない。私たちの前に生贄がこの村に落ちてきたのは、百年以上前だろう」
「ああ」

 かすかに八尋は息をつく。

(こんな事で安心したら皆に怒られるかな)

 生まれてからずっと顔を突き合わせてきた村人の誰も、実質殺人にあたることまではしていなかった。八尋を落としたからお終いだが、どうしようもないが、八尋だけだ。
 ただ、これは今の話に関係ない。

「なら、簡単な話だ。お前が彼女らからその声の感想を聞ける訳がない」
「いいや」

 ノアマは振り返ると、八尋に笑みを浮かべてみせた。

「私は500歳だ」



 ノアマが再び前を向いて降り始めるまで、八尋は憮然ぶぜんとしていた。力量不足で何も反応できず突っ立っていた。
 それから、頭を掻いて後をついていく。

「……それは嘘だな」
「嘘ではない」
「そんな言い訳を通すか。第一、花嫁からしか評は聞けないのか? ここの村人は幻聴を聞かないのか」
「聞かないな。無論、私もだ」
「なら……ならば、冥穴内で生まれ育った者は幻聴を聞かないのか。そうか」

 いくつかの疑問が結びついて、一応の仮説になった。

「何かな?」
「……とりあえずお前の話だ。例えばお前が今、若く見える体質で実年齢40だと仮定する。また、100年前、生贄として落ちてきた15歳の生贄の女がいたとする。女が90まで聴覚を失わず生きれば、お前が変声期を迎える15歳あたりに生きてお前の声を聞くことができる。その時、記憶を頼りに『冥王と同じ声だ』と言ってもおかしくはない」
「90か。あの娘はいくつだったかな」

 反論しようと思えば八尋自身でも論点はいくつか思いつくが、それを証明するのは困難だ。そもそも、八尋に確信できる事などいくつもない。ただ、相手の主張を全て嘘と決めてかかると対話が成立しないからなるべく信じられる理屈を考えるだけだ。

「お前が冥王と同じ声をしている理由は分からない。たまたまかもしれないし、お前がかつて、『花嫁』の要望に応え、声を再現したのかもしれない。地の声は変えられずとも演じることはできるだろう。……冥穴内にスピーカーが隠してあって下からお前が落下中の私に声を吹き込んだのでも構わないさ」
「面白い。それにしよう」
「ハッ」
「君が早く私のもとまで来てくれるのを待っていたことにたがいはない」
「まるで私のことを知っていたように言うな」
「知ったよ。君は、怒りを人と物にぶつけないな」
「そうか? できた人間ではない」
「しかし、冥王には感情を向けてくれた」
「ア?」
「嬉しかったよ。『その面を見に行ってやる』と言ってくれたのは、君が初めてだ」

 八尋は立ち止まった。無意識に後ずさる。そうするのが分かっていたように、ノアマは素早く振り向いて距離を詰めていた。

「理解したいが心配だ。こんな幼子のような『話し』方で、君はどうやって生きてきた」

 腕を取られる。まだ指の力が軽い。ねじって引き抜き、反動で回り込む胴と肘を軽く叩きつける。これはジャブだ。本命として少し屈み、腕をかわしつつ足を狙う。

「ほら、危ない」

 軽やかな跳び方で脚が消えた。想定できなかった動きだ。上を振り向く余裕はない。八尋はそのまま体を縮め、前転で階段を転げ落ちた。この狭い場所で自在に跳べる相手とは直接やり合えない。距離を稼いで、曲がる軟らかい肉壁になんとか掴まって勢いを止める。立ち上がる。

「無理をする。心配だ」

 ノアマは変わらぬ様子で八尋を見下ろした。

「君が先に行きたいなら行くといい。危なくはないよ」
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