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十四落

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晶玉しょうぎょく尋壱ひろいち
形だけの役職を得たり揉め事を仲裁する機会の多い晶玉家長男。都会の大学から帰省中。

 “ “ “ “ “ “ “ “
  ” ” ” ” ” ” ” ”



「ハ? 生贄いけにえ? しかも昨日? 何バカなこと言ってる……んだ……」

 状況を飲み込むのに時間が掛かっている。考えながら言葉をとりあえず繋いで思考を追いつかせる。
 同世代の後輩、泥川なずかわ冬篤ふゆあつは思いのほか厚着をした姿で気まずそうな顔をしている。気まずそうな顔などしている場合ではない。

「犯罪だぞ」
「いや……うん」
「関わって止めようとも通報しようともしなかった奴も犯罪者だ!」
「ヤバいのは分かってるよ。ヤバいのは。でも済んじゃったんだし」

 分かっていない。しかし、この村で自分の身の安全を保障したいならこれ以上きつい言葉は今言うべきでないと、脳の隅から危機感が湧く。思考はようやく追いついて、最初に出てもおかしくなかった疑問が出てくる。

「……誰だよ。誰が、生に……『花嫁』になった」
「…………八尋やひろ
「ア?」

 そのとき晶玉尋壱は初めて、自分が妹の八尋をどれだけ大切に想っていたか悟った。





 昨日の今日だ。派手にならない程度に村の状況を掴むのは難しくなかった。尋壱は大体の状況を把握して、絶望し、自室にこもった。

(……なるほど腐ってるな。他家ももちろん、祖父じいさんも祖母ばあさんもとうさんもかあさんも、何ひとつ気にしちゃいないか)

 何ひとつだ。気にするというのは、人ひとり行方不明にする手筈てはずとか、特別に黙らせる人間の選別と金の準備とか、高校に通わせるまでに掛かった費用と村内での立場を考えた損得計算の合理性とか、そんなことではない。

(何も分かってなかった)

 何があっても、本当に人ひとり殺すも同然の目に遭わせるとは。その後で当たり前のように家族団欒を演じ続けている。
 八尋がいてもいなくても家のひどい空気は変わらない。ただ、尋壱も演技に混じらなければならないのは最悪だった。全員が適当にでも付き合ってやらなければ壊れる程度の団欒だ。尋壱がこんなに大切だったらしい八尋を今まで煙たがってきたのは、演じなくていい立場に抜け出した八尋が恨めしかったのが大きい、かもしれない。気にかけず放置したせいで、完全に家族から抜かれてしまった。

(ガキみたいな感情でお前を遠ざけた……)

 負い目だ。八尋の駄々のような口上を兄の義務のように聞いていた尋壱には、八尋の環境が少しは理解できる。全く分からないなどとは言えない。

「クソッ!」

 今から証拠でも集めて全員を訴えたところで、何になるというのか。尋壱は冥穴めいけつと冥王の逸話をあまり信じていなかった。深く続く肉でできた洞穴など地下に眠っているわけがない。八尋は死んだ。あの暗く底も見えない穴の中のどこか岩石に身体を叩きつけて。砕けたら竜巻に揉まれてバラバラになるだろう。

(……想像できない)

 あの八尋が。想像したくない。どこかで幸運にも生きて冥穴の中でずぶとくやっていると信じたい。



 ……珍しくそう思っていなければ、尋壱は、急に窓を叩く丁寧なくせに自分勝手なノックなどに耳を傾けなかった。

「尋壱さま。ここの鍵を開けてください」
「……オイ。ここは2階だ。そこは窓だ」
「存じておりますわ。裏から瓦屋根を登ってきたのですから」

 美人でも全く関わる気にならないタイプ。直接親しくしていなくとも、妹の友人くらいの距離間なら受動的に入ってくる情報だけで色々と分かる。

「ヒナ子です。睦山むつやまヒナ子。尋壱さま、早く開けてください。わたくし、冥穴にお姉さまを助けに行きます!」

 本当に、招き入れたのは気の迷いでしかない。

「……で、何を言ってるんだ。八尋はお前の姉じゃないし、死にに行くようなものだろう」
「尋壱さまは冥穴のことをご存知ないんですの? 男のくせに」
「……おとぎ話は知っている。あれがもし正しかったとしても、死にに行くようなものだ」

 冥穴から出たという人の話はない。冥穴の肉とやらが落ちてきた人間を受け止めるクッションになったとしても、冥穴の肉を食べると生きながらえるとしても、出られないのでは死んだのと同じだ。ヒナ子ひとりが追加で落ちても何にもならない。尋壱が行っても同じだ。

「関係ございません。わたくし八尋お姉さまを助けに行きますわ」
「お前の姉じゃない」
「それは尋壱さまに説かれることではございませんわ」
「実兄がダメなら誰も言えないことになるが……」

 話がそれた。

「そもそも冥穴へは今入れない」
「なぜですの」
「分からないから見た方が早いか。行くぞ」

 百聞は一見にかず。尋壱からすると当たり前に使うことわざだが、大学では意味を知らない生徒にも出会ったことがある。字義通り見せてみるべきだ。





「お前たちが山の上まで登ったことがないのは意外だな」
「女性2人ではとても険しい道なんですのよ。殿方の協力がなければこの道から登ることはできませんもの」
「見張りか」

 何もないのに毎日欠かさず見張りが突っ立っているわけではないが、害獣撮影用のカメラはずっと置かれている。男子は知らされる配置の情報無しに、完全にその配置を突き止め、死角をつくコースを見つけるのは確かに困難だろう。試行錯誤する余裕はない。一度でもカメラに捉えられたらアウトだ。
 そして今……花嫁の儀式をしてから1週間は、四六時中見張りが突っ立つ。木陰から冥穴のある社殿をのぞける場所に来るのも一苦労だ。

「ところで、冥穴は50メートルもあると聞いていましたわ……それを包む社殿しゃでんが、おうちより小さいなんて驚きました……」

 これだけ大きな社殿には睦山むつやまの本邸くらいしか勝てない、とはもはや尋壱は言わなかった。この話の通じないヒナ子に、暇さえあれば日中ずっと張り付かれて平気でいられた妹が化け物に思える。

「人がどうこうしたんじゃない。入り口は元から20メートルくらいしか開いていなかった。50というのは内部の広さだからな」
「どういうことですの?」
「……地面が上部を覆っていて、蓋になっている。ここのコンクリートや土砂はその上から置いただけだ」

 覆った地面、組成だけなら硬化した肉や角質のようなものと言えなくもない。が、だからといって内部まで肉でできているというのは無理がある。それにしても、本当に村の女子は何も教えられていない。

「では、50メートルという話はどこから」
「大昔、命綱をつけて途中まで降りた者が松明の明かりで内部の様子を測って計算で求めたらしい」
「計算で?」
「影の移動で太陽までの距離も測れるんだから、うまくやれば冥穴の径くらい測れるだろう」
「そういうものですの……」

 だんだんイライラしてきたが態度にはなるべく出さない。
 この睦山ヒナ子はおそらく、何も考えていないわけではない。考えられないわけでもない。面倒がって調べたり記憶を引き出したり考えることを先にしないだけだ。クッキー生地になんとなく蒲鉾かまぼこを足しそうだし、なぜ蒲鉾を入れてはいけないか考えさせれば、さして時間もかけずに正しい答えを正しく返してくるタイプ。その延長線でおそらく、無意識にカマトトぶる癖がある。尋壱の嫌いな性格だ。八尋は好きだろう。この女の猫かぶりに気づきもしなさそうだ。

(……まァ、八尋結構世間知らずだしな……)

 八尋は去年尋壱が気まぐれに写真を送ってやるまで、地下鉄の存在を知らなかった。昔は都会に家出しようとしていた節があったが、学校の図書館に備えられたパソコンを使ってルートを調べたりはしなかったのか、地下鉄を使わないルートだけ見つけて満足したのか。少なくとも、睦山家の衛星通信完備のインターネット環境を頼ったことは無いと分かる。睦山家に関わりたくないのは分かる。
 ともかく目の前のヒナ子睦山だ。

「そしてあの社殿に入る鍵は、限られた関係者しか持っていない。意味ありげな鍵をお前のところのご当主が持っているのを見たことはあるか? あればそれだ。手に入らない。見張りをどうにかできても入れない。どこかの通気口を壊せば滑り降りられるかもしれないが、どう下に繋がっているか分からない以上確実に行けるとは言えないな」

 尋壱はヒナ子に侵入方法を提案するために連れてきたのではない。見せたいものが、今にも起ころうとしていた。
 冥王の唸り声。冥穴を吹き上がる旋風の合図だ。

「まあ!」

 不気味な音が地から響くように震え、風が起こる。大蛇が身体を打ちつけてように、屋根と社殿を繋ぐ鎖を揺らして屋根を持ち上げ、ぶつかり合い、激しく揺らす。全ての管を荒れ狂う風が通る。

「これが直接吹くのが冥穴の中だ。それでも行きたいのか? 八尋が生きていると思うか?」

 完全に怯えたヒナ子を見て、諦めただろうと尋壱は目をそらした。

「理解したら、さっさと降り……」

 ヒナ子は急に小さな声で歌を歌い出した。一昔前のアニメか何かで聞いたことがある。戦う女子キャラクターがメインだっただろうか。

「おィ、静かに」

 尋壱の声を聞いていない。目を閉じている。胸に手を当てて、勇ましく清々しく歌う。いい声だったし、小声のくせに堂々としている。頬がうっすらと桜色になった。急に目を開いて笑顔を見せる。

「……ふう。尋壱さま、何があってもわたくしお姉さまのもとに参りますわ。今すぐが不可能なのは分かりました。何をすればよろしいのかしら?」

 話が通じない。自分視点の話ばかり通そうとしてくる。

「……とりあえず降りるぞ……」





 山を降りたあと、ヒナ子は当然のように尋壱の部屋に居座った。じっと見てくる。

「何なんだ、お前」
「尋壱さまが一番お姉さまに近いので落ち着きますの」
「何なんだお前」
「お顔とお声が」

 無視したい。そうもいかない。

「鍵なら手に入れられますわ。そうしたら行けますわね」
「……どうやって?」
氷室ひむろに隠してありますの、睦山の鍵って」
「……取りに行けないだろう、そんなもの」
「はい」

 尋壱の手をたおやかに掴み、ヒナ子は袖から取り出した鍵束を掴ませた。

「これで手に入りましたわ」
「いや……いやいやお前……」
「わたくしの家のものをわたくしが持ち出して尋壱さまにお貸ししただけですわ。これが問題になるのでしたらきっと、八尋お姉さまのことも問題になるでしょう? 文句は言えませんわ」

 尋壱は深いため息をついた。

「八尋はそんなこと望まないだろうに……」
「……」

 意外にも、ヒナ子は返事に詰まった。わざとらしい上目遣いをしてくる。

「……尋壱さま。八尋お姉さまに似た顔と声でそういうことを言わないでくださいな。それに、お聞きしてみなければお姉さまのお気持ちなど分かりませんわ」
「ハァ……じゃあ別の話をするぞ。お前が冥穴内に降りる意味があるのか? どうやって?」
「……気球を使うというのはどうでしょう。内部は50メートルも幅があるのでしょう? 上へ上れますわ」
「気球……無理ではないかもしれないが、なら気球を飛ばす道具を下へ下ろすだけでいいだろう」
「お姉さまは怪我をされてるかもしれませんわ。それに、どこかに引っかかって下まで届かないかも」
「それこそ分からないだろう。死……いャ、それより、竜巻が吹くんだぞ。近いうちに冥王のときもくる。あの強風が起きているとき、中にいたら無事では済まないと思わないのか」
「ならば、急がなくては。その前にお姉さまをお助けします。怪我をなさって動けずにいる可能性が少しでもあるのでしたら、わたくしは降りねばなりませんわ。お姉さまならそうします」

 バカを言うな、と尋壱は言い返せなかった。八尋が乗り移ったような目をするヒナ子に、少しだけ気圧けおされた。

「お手伝いくださるでしょう、尋壱さま。お兄さま」

 心底嫌いだ。そうやって希望を与えられるのは本当に嫌いだ。

「……後悔させるなよ」
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