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赤っ恥、豆っ恥。

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 私は今、ネズミ捕りにひっかかっている。

 もう一度言おう! 

 私は、今、ネズミ捕りにひっかかっている!

 誰だ、入口にネズミ捕りを置いたやつは。


 お客様用入口に、ネズミ捕りが仕掛けられていたのだ。床はネズミ捕りと同じ黒色だから、気がつかなかった。ネバネバする粘着剤が、靴をしっかり捕まえて離さない。足を持ち上げることすら出来ないので、この場から動けないでいる。

 もうすぐ開店時間になってしまう。幸い、外で待っているお客様はいない。いないが、ドアの前で貼り付いている店員は、明らかに不審者であろう。どこぞの若者に「店員が捕獲されてたwww」なんて、写真をとられた挙句、SNSにアップされたらどうしよう!

 被害妄想だけを広げて、私は焦った。
 なんとかせねば!!

 だいたい、なぜお客様の入口にネズミ捕りを仕掛けたのだ。けしからん! これではお客様も捕獲されてしまうではないか。

 なんとか抜け出せないかと、足に力をこめる。メキメキと音がするだけで、脱出できる気配はない。

 それにしても、このネズミ捕りはすごい。

 大人の力を持ってしても、びくともしない。ネズミがひっかかってしまったら、可哀想だなぁと思いをはせる。小さな手がとれてしまうのではないか。

 私がネズミならば、ネズミ捕りにかかって死ぬのだけはごめんだ。身動きもとることも出来ず、ただ独りで、ゆっくりと長い時間をかけてやって来る死を待つだけだなんて。

 絶対にこのまま死にたくない! そう思った時だった。

「なにしてるん?」

 背後から声がして、私は赤面した。観念して振り返る。他のお店の社員さんが、私を眺めていた。

「ネズミ捕りにかかりました」
「うん。見れば、わかるよ」

 のんびり言って、私を助けるわけでもなく、ぼうっと眺めている。

「こんなところに、ネズミ捕り敷くのがあかんよなぁ」

(全く! そのとおり!)
 心の中で、うんうんと頷いてから、そうじゃなくてと首を振る。

「足が抜けなくなっちゃいまして……」

 申し訳なさそうに言うと、社員さんは近づいてきて、私の足元をしげしげと見た。

「あっはっは。ネズミやなくて、人間がかかるなんてなぁ」

 助けて欲しい私をそっちのけで、ネズミ捕りを眺めて笑っている。
 マイペースな人だな。もしかして、この人楽しんでる? 恥ずかしさをこらえて、私は素直に助けを求めることにした。

「あのぅ……助けてもらえませんか?」

 言うと、初めて気がついたように社員さんは「ああ」と目を丸くした。それから、畑の大根を引き抜くように、私を持ち上げた。驚くくらい簡単に、私は収穫された。

「……ありがとうございました」

「メール見とらんの?」

「え? メールですか?」

 うん、と頷いて社員さんは一瞬ポカンとした顔をしてから、肩を振るわせて笑い始めた。

「見とったら、あっはっは、ひっかからんわなぁ」

 おっしゃる通りである。

 どうやら、閉店中にネズミ捕りを仕掛けているので、気をつけるように、という内容のメールが発信されていたようだ。しかも、私の上司から。

 赤っ恥! 豆っ恥! 恥ずかしさで私はしなしなに干からびてしまう。ネズミくらい小さくなれたらいいのに。


 後日、ネズミ捕りにネズミは一匹もひっかからなかった。代わりに、成人した人間が三匹(私を含む)ひっかかった。なんとも、嘆かわしい結果である。

 
 害獣駆除の業者はこう言った。

「ネズミは頭が良いですから。いつもと違うことに、気がつくんですよ」

 いつもと違うことに気がつかなかった私は、ネズミ以下ということが判明されてしまった。


 頭の中で、あのマイペースな社員さんが笑い転げている。

「あっはっは、次はひっかからんと、気いつけや~」

 赤っ恥! 豆っ恥!
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