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第八話 孤独な氷輪
【うすらひの汀】
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★
「あー足元気ぃつけな、凍ってるから」
冴の声掛けに地面を探る杖の動きが止まる。杖の持ち主――旅人風の布マントを纏った小柄な青年が、背中に伸びた紅茶色の髪束を靡かせつつ、童顔を上げて柔らかな声音で謝辞を述べた。冴は軽い調子で返事すると、屈んで何かの作業に戻る。
場所は湖東の町外れ、草の生い茂る寂れた湖岸。異様なのは、人の背丈などゆうに超える氷華が咲き乱れ、湖面はおろか足元までを凍結させていることである。真夏の青い空の日照りにさらされた白い氷剣群は、人が良さそうで頼りない雰囲気の青年を立ち尽くさせるには充分の代物だった。
「どした、道わかんねえの?」
「いえ……捜索の途中でして」
「探しモンか。手伝うぜ、こん仕事のあとになるけど」
「ご厚意だけ頂いておきます」
やんわり断って立ち去ろうとした青年が案の定足を小さく滑らせる。助けの手無く自力で事なきを得たが、しっかり冴に目撃されていた。
「おっとォ、ドジっ子か」
「私は子供じゃありません!」
「ごめんて(ちっこいから、つい……)」
*
冴は作業のお供と言わんばかりに、それとなく事情を引き出していく。青年が2年ほど前に逃がした『飼い猫』を発見し保護したことや、その『猫』がとある司書の娘をえらく気に入って追い回していること。「私に構わず駆け出していなくなってしまうのです」と青年はこめかみを押さえる。足元の土に目をやりながら、冴は笑って「へ~」と相槌を打つ。
「マイペース猫ちゃんだなァ」
「そうですね。この不穏な天候ですから、あまり自由にさせたくないのに。困ったものだ」
「アンタ、鏡外の人間か」
「ええ。観光です」
「アクセントが帝国っぽいもんな。ちっと嫌がられて大変だろ」
「他国侵攻の件ですね、仕方ありませんよ……ところで貴殿らは、こんな辺鄙《へんぴ》な場所で一体何を?」
青年は周辺を見渡す素振り。木や草に隠れてはいるが、冴以外にも数人が忙しなくうろついて物々しい雰囲気だ。聞けば現場検証中だという。この氷閉を発生させた犯人の足跡を追っているのだ。
「凍り始めはここみてぇだしな。現場見りゃあ一連の氷閉のキモがよーく判るワケよ。ま、ただの探偵ごっこさ。あとは犯人戻って来ねえかな~って」
「目星がついてらっしゃるのですか?」
「秘密❤️」
「フフ、残念です。しかし、この自然現象は月鏡の神によるものだと伺いましたが……」
「やーよく知ってんなァ。オレ水神さん探してんだよ」
「ほう。微力ながら私もお力添え致しましょうか」
「そいつぁ難しいかな」
「何故です?」
「なんでも幻を見せてくるんだってよ。だり~よな」
「それは恐ろしい。まるで悪魔や妖……怪異のようですね」
爽やかな青年の赤い瞳が妖しく光った。その時、冴の顔に険しさが過る。次の瞬間にはスラックスに包まれた長い脚が霜の地面を踏み締めて加速し、青年目掛けて走り、真白い髪を振り乱したままに跳躍――――空中で何かを蹴って破壊した。華麗に着地し「危ねー」と漏らす冴は、足をさすりながら苦悶の表情。程なくして、無数の氷の破片が上からぱらぱらと降ってくる。
青年が状況把握に頭を回す。己の頭上約1メートルの場所で、巨大な氷筍の先端が折れているのに気がついた――音で気づきそうなものを、敵対国の人間に己は何をされたのか。
「…………馬鹿なことを」
「あァ! 性分だと思うぜ。体が勝手に動くんだよ」
冴がさらりと言ってのける。ただ、「ウーン、コレやったわ。マジ萎える……いや、いける。余裕余裕」と呟く声が、幸か不幸か青年にはしっかりと聞き取れてしまった。
「で、兄ちゃん。怪我は無ェかい」
「私はなんとも。あの、貴殿は」
「超大丈夫!」
「本当でしょうか……?」
冴の満面の笑みの即答に、青年が表情を曇らせる。さっきの氷を砕く轟音が聞こえたらしく、他の調査員が騒ぐ声がする。潮時だ。
「助けていただき感謝します。ですが貴方は今足を痛めたのではないですか?」
「んー? ま、怪我なんざすぐ治るしな。今日はもっと嬉しい収穫があったから、プラマイゼロってことで」
「……」
「行きな。オレなら問題ナシ」
「病院へは掛かりなさい。嫌な音がした」
「ハイハイわーってますよ」
去り際の言葉に応えてから、冴は白髪をかき上げた。
――無害なふりをしていても慧眼は騙せない。あの青年の同心円状の紅眼の奥に宿る狂気、張り付けたような笑み、咄嗟の所作に出る高貴さ。外見は以前に収集した情報と一致。寧ろ、ここまでのボロを出すのはこちらを試すためか。そもそもあの手の顔は帝国潜伏時代に見かけたことがある。
赤い舌でペロリと舐めた唇が静かに動く。ビンゴ、と。
「あー足元気ぃつけな、凍ってるから」
冴の声掛けに地面を探る杖の動きが止まる。杖の持ち主――旅人風の布マントを纏った小柄な青年が、背中に伸びた紅茶色の髪束を靡かせつつ、童顔を上げて柔らかな声音で謝辞を述べた。冴は軽い調子で返事すると、屈んで何かの作業に戻る。
場所は湖東の町外れ、草の生い茂る寂れた湖岸。異様なのは、人の背丈などゆうに超える氷華が咲き乱れ、湖面はおろか足元までを凍結させていることである。真夏の青い空の日照りにさらされた白い氷剣群は、人が良さそうで頼りない雰囲気の青年を立ち尽くさせるには充分の代物だった。
「どした、道わかんねえの?」
「いえ……捜索の途中でして」
「探しモンか。手伝うぜ、こん仕事のあとになるけど」
「ご厚意だけ頂いておきます」
やんわり断って立ち去ろうとした青年が案の定足を小さく滑らせる。助けの手無く自力で事なきを得たが、しっかり冴に目撃されていた。
「おっとォ、ドジっ子か」
「私は子供じゃありません!」
「ごめんて(ちっこいから、つい……)」
*
冴は作業のお供と言わんばかりに、それとなく事情を引き出していく。青年が2年ほど前に逃がした『飼い猫』を発見し保護したことや、その『猫』がとある司書の娘をえらく気に入って追い回していること。「私に構わず駆け出していなくなってしまうのです」と青年はこめかみを押さえる。足元の土に目をやりながら、冴は笑って「へ~」と相槌を打つ。
「マイペース猫ちゃんだなァ」
「そうですね。この不穏な天候ですから、あまり自由にさせたくないのに。困ったものだ」
「アンタ、鏡外の人間か」
「ええ。観光です」
「アクセントが帝国っぽいもんな。ちっと嫌がられて大変だろ」
「他国侵攻の件ですね、仕方ありませんよ……ところで貴殿らは、こんな辺鄙《へんぴ》な場所で一体何を?」
青年は周辺を見渡す素振り。木や草に隠れてはいるが、冴以外にも数人が忙しなくうろついて物々しい雰囲気だ。聞けば現場検証中だという。この氷閉を発生させた犯人の足跡を追っているのだ。
「凍り始めはここみてぇだしな。現場見りゃあ一連の氷閉のキモがよーく判るワケよ。ま、ただの探偵ごっこさ。あとは犯人戻って来ねえかな~って」
「目星がついてらっしゃるのですか?」
「秘密❤️」
「フフ、残念です。しかし、この自然現象は月鏡の神によるものだと伺いましたが……」
「やーよく知ってんなァ。オレ水神さん探してんだよ」
「ほう。微力ながら私もお力添え致しましょうか」
「そいつぁ難しいかな」
「何故です?」
「なんでも幻を見せてくるんだってよ。だり~よな」
「それは恐ろしい。まるで悪魔や妖……怪異のようですね」
爽やかな青年の赤い瞳が妖しく光った。その時、冴の顔に険しさが過る。次の瞬間にはスラックスに包まれた長い脚が霜の地面を踏み締めて加速し、青年目掛けて走り、真白い髪を振り乱したままに跳躍――――空中で何かを蹴って破壊した。華麗に着地し「危ねー」と漏らす冴は、足をさすりながら苦悶の表情。程なくして、無数の氷の破片が上からぱらぱらと降ってくる。
青年が状況把握に頭を回す。己の頭上約1メートルの場所で、巨大な氷筍の先端が折れているのに気がついた――音で気づきそうなものを、敵対国の人間に己は何をされたのか。
「…………馬鹿なことを」
「あァ! 性分だと思うぜ。体が勝手に動くんだよ」
冴がさらりと言ってのける。ただ、「ウーン、コレやったわ。マジ萎える……いや、いける。余裕余裕」と呟く声が、幸か不幸か青年にはしっかりと聞き取れてしまった。
「で、兄ちゃん。怪我は無ェかい」
「私はなんとも。あの、貴殿は」
「超大丈夫!」
「本当でしょうか……?」
冴の満面の笑みの即答に、青年が表情を曇らせる。さっきの氷を砕く轟音が聞こえたらしく、他の調査員が騒ぐ声がする。潮時だ。
「助けていただき感謝します。ですが貴方は今足を痛めたのではないですか?」
「んー? ま、怪我なんざすぐ治るしな。今日はもっと嬉しい収穫があったから、プラマイゼロってことで」
「……」
「行きな。オレなら問題ナシ」
「病院へは掛かりなさい。嫌な音がした」
「ハイハイわーってますよ」
去り際の言葉に応えてから、冴は白髪をかき上げた。
――無害なふりをしていても慧眼は騙せない。あの青年の同心円状の紅眼の奥に宿る狂気、張り付けたような笑み、咄嗟の所作に出る高貴さ。外見は以前に収集した情報と一致。寧ろ、ここまでのボロを出すのはこちらを試すためか。そもそもあの手の顔は帝国潜伏時代に見かけたことがある。
赤い舌でペロリと舐めた唇が静かに動く。ビンゴ、と。
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