月鏡の畔にて

ruri

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第四話 霞立つ湖

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 時は経ち、厳しい冬がそろそろ去らんとする季節になった。蕾が膨らむ木々には春の小鳥、氷と雪の残る湖はゆっくりと融けゆく最中だ。気分転換の散歩で湖畔に寄って景色をぼーっと眺めてから、人の賑わう夜の街を一人で歩いて帰る。
 およそ2ヶ月待ちわびて、会えない期間に想いは募るばかりだった。あの声が恋しい、その生の姿を再び目に焼き付けたい……とか、考えるようになってしまった。
 たまに遭遇する北方さんには、今は遠出している『彼』の積もり積もった愚痴を頻繁に聞かせて貰っていた。それで胸に穴が空いたかのような寂しさを埋めていたともいえる。良い友人を持ったなと思う。なんか見るからにスキンシップが減ってるけど。

 新しい友人は何人かできた。それでも、私の彼への想いは誤魔化されなかったんだけど。
 司書見習いでフレッシュ満タンな神々廻さんは、私の初めての後輩の女の子だ。お嬢様っぽくて素直で良い子。しょっちゅう私を振り回すけど、ご飯に誘うとすごく喜んでくれる。可愛い。
 2ヶ月前から何故か私を気に入っているアレスさんは、クールビューティーで近寄りがたい感じかと思いきや、意外とお茶目で距離感が近い。最初の不穏なイメージは消え、私の中では大食いの大型猫科動物枠に収まっている。


 そろそろ彼の手紙の予告した時期だ。とうに月鏡へ帰って来ていてもおかしくない。どこかでばったり会えないだろうか。最近はそう期待しながら、ストレス発散に湖の水際に訪れては、街をふらふらしていた。



 ――月鏡は、記憶する湖なのだという。

 月が二度満ちるまでのあいだ。日常と心の空白を埋めるように湖畔に訪れ続けて私は気付いた。不思議な夢を見るのは、湖畔を訪れてからの数日間に限られているということに。
 最初こそ夢の内容を忘れていたけど、最近はましで、覚えていることも増えてきた。それは空想や妄想なんかじゃなく、この月鏡に住む誰かの経験や記憶である。まるで過去への時間旅行みたいだ。この事実を親友のユーリに相談してみると、信じてはくれたけど訳がわからないと困らせてしまった。

 2ヶ月前、始業前のまだ誰も居ない早朝の図書館で私は調べた。以前研究所方面から貸りられた古文書に心当たりがあったのだ。『記憶する湖』と題され、レダの古い言葉から現代語訳されたもののほうだけが、今も図書館に残っていた。私はくすんだ赤のハードカバーに月の紋様が施された本を開き、何かに急かされるように目を通した。


【かの湖は銀血の民のすべての記憶を刻みながら時を経る。
 人の感情と思い出『心の記憶メモーリア』。蓄積された叡知と学び『知の記憶ソフィア』。そして、魂が語る歴史『時の記憶イストリア』。月鏡を満たす水は、水神が信仰され在り続ける限り、悠久の果てまで過去を保存する。
 記憶の鍵を賜いしは天鳥あめのとりの君、影見かげみの君、月廻つきめぐりの君。かれらは水の巫女となり、神に仕えて銀血の民へ導を示す】

 要約すると、湖の水は私たちのもつ知識や体験を覚えている記録媒体だ、とかいう馬鹿みたいな話だ。水神さまは知を司る神だから、そんな発想に至ったのだろう。それでも信じるしかなかった。きっと私が過去の記憶を見られるのはこのせいだ。この謎の力は《メモーリア》とかいうらしい。
 でも……これが真実だとしたら。なんで巫女でもない一般人の私がこの力を使えるのだろうか? 



 ふと顔を上げる。
 私の真ん前には、酔った若い男二人組が立ち塞がるように集っていた。きっと学生だ。私は往来の中で立ち止まって考え事をしていたらしい。ちょっと恥ずかしい。なんて思ってたら、可愛いとかいう下心の見え透いた薄っぺらい声がどんどん被さってくる。一緒に飲もうとか馬鹿げた提案までする始末だ。
 恥の心は一気に消失。誰があんたなんぞと。「急いでるのでお断りです。失礼」と語気を強めて睨みつけても、男らはそれをものともせず、迫る壁の如く距離を詰めて来る。私は後ずさり。酒の臭う口で遠慮いらないとか言ったり、ヘラヘラ馴れ馴れしく肩に手を置いたり。非力な私には振りほどけなかった。
 もうどうしようもない。しかし屈するのはあり得ない選択だから、とりあえずは嵐が過ぎるまで我慢しようと考えた。
 無意味な逃避のために目をかたく瞑った。そのときだ。


「さとる?」


 場にそぐわない、男の軽い声が降ってきた。明らかに連中のものではない。言葉攻めのやかましい雨音を越えてこの耳に届いたのは、清流のように綺麗でよく通る声だった。
 知り合いだろうか。どこかで聞いた声のような気がする。恐る恐る目を開けると、男らの壁の向こうに見慣れた白い外套がちらりと見えた。
 ……は??


「あれっ人違いかな? さとる~」


 予感がする。心臓に寒気、いや鼓動が早まっている。というかあり得ない。
 がらの悪い男ら、その一人の肩を加減なしにぐいと掴み、間から見せた顔には……見覚えがあった。水色がかった銀の髪に吸い込まれそうに蒼い眼。しかし、顔に浮かぶにこやかで無垢な表情は知らない。私に向けて、整った顔の横でひらひらと手を振ってくる。
 誰だ? 彼か? ……本当に?


「やっぱそうだ。久方ぶりだね」


 続
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