44 / 57
慶応元年(1865年)夏から秋
第38話 実食! 其の参
しおりを挟むあいすくりん屋の中は黒っぽい床板に白い壁、窓にはギヤマンがはまっていて明るい雰囲気だった。西洋風の家はこんな感じかと弁天には物珍しかった。
布の掛けられた卓は脚につる草のような模様が彫ってあり美しい。そんな細工をしげしげと眺め、弁天は尋ねた。
「半右衛門がばんこ屋をやるの?」
「いえいえ。馬具屋だった安造に頼まれたんですよ。私は大工や石工の面倒を見ておりますんで、その子らの中で手先の器用な者を弟子にほしいと」
「ふうん。これから職人に育てるつもりなんだ」
「いい物を作ればきっと商売になります。異人が暮らしていくのに、椅子が壊れたのをいちいち本国から取り寄せてちゃ間に合いませんや」
自信ありげに半右衛門は言い切った。
自分の商売ではないのに、わざわざ椅子が使われている現場を見、弟子にふさわしい者を探そうと心を砕く。元町の皆が助け合い支え合わなければ、この移り行く世の中ではやっていけないのだった。
先ほどの店員がお盆にギヤマンを二つ載せて戻ってきた。器には薄く黄色がかった物が盛られている。これがあいすくりんなのか。
「ドーゾ」
「おお、たんきゅう」
半右衛門がにこやかに返答して、弁天と宇賀はぎょっとした。今のはもしや英語。
「なによ半右衛門、英語を覚えたの?」
「ほんの少しです。兄の家には英学伝習所に通う者らが下宿しておりますんで、又聞きしましてね。ささ、溶ける前にお召し上がりを」
「あ、そうだね。じゃあいただくよ」
弁天は添えられていた金属の匙を持った。
小さな器にちんまりとしている、あいすくりん。匂ってみるのは行儀が悪いのだろうか。迷いながら器に手を添えると半右衛門が小声で注意した。
「器は持ち上げずに食べるらしいです」
「え、そうなんだ」
やはり半右衛門がいてよかった。日本の作法とは違っていて、わからないことだらけだ。
さくり。匙を入れてみると、それは柔らかくとろける。弁天はどきどきしながら口に運んだ。
「――ッ!」
ひんやり甘いあいすくりんは、ひと噛みしたら溶けてしまった。そして残り香まで甘く鼻に抜ける。弁天はほうっと息をもらし、うっとりした微笑みを浮かべた。その様を見つめてから、宇賀もひと口。
「――なるほど」
なんとも不思議な食べ物だった。知らない口どけと、まろやかさ。弁天が恍惚と目を細めるものわかる。
ふた口、み口と匙が止まらない弁天はあっという間に食べてしまう。最後のあいすくりんを匙に集め、名残惜しげに見つめると、はむん、と舐め取った。
「ふぅ……」
弁天がもらした満足の吐息に半右衛門も笑顔になった。パッと見は若く綺麗な娘である弁天が美味しそうにしているのは眼福だ。
宇賀は自身もあいすくりんを食べながら、嬉しそうに食す弁天を目に焼き付けていた。主の満足が何よりの喜びだからだが、おかげでまだあいすくりんが少々残っている。宇賀はそれをそっと弁天の方に寄せた。
「こちらもどうぞ」
「え、好きじゃなかった?」
「いえ。あなたがお気に召したようなので」
「人の分を取るほど子どもじゃないよ。ちゃんとお食べ」
弁天だって、宇賀が美味しく食べていればそれで嬉しい。押し返したあいすくりんを宇賀が黙々と口にして、それを弁天はにっこり眺めていた。
半右衛門にしてみれば気づかい合う神々の姿の方が微笑ましいのだが、それは弁天たちが娘や息子といってもいいほどに見えるからだろうか。名主として人々の面倒をみることにもすっかり慣れた半右衛門は、もう四十五だ。
全員があいすくりんを食べ終えて、半右衛門は軽く手をあげ店員を呼んだ。お代をまとめて払い、席を立つ。うながされて店を出ながら弁天は感心していた。
「助かったよ半右衛門。西洋の店での振る舞いなんてわからないから、どうしようかと思っていたの」
「お役に立てたなら何よりで」
「これで次はご飯も食べに行けるね、宇賀の」
期待に満ちたまなざしを向けられて、宇賀は黙りこくった。
たしかに今の横濱はそこそこ落ち着いている。駐屯する赤隊はやや減ったが西洋人向けの農場は増えているし、山手の丘の南には屠牛場が開かれて食肉も盛んになっていくと思われた。弁天が面白がる食べ物は手に入りやすくなるだろう。
しかしむしろ幕府は揺れているらしい。長州を討つだのと戦の話もあり、不穏な世情は続いていた。
「ああでも弁財天さま。西洋の食事では箸を使いませんぞ」
歩きながら半右衛門が言い出し、弁天の足が止まりかけた。先ほどは匙で食べたが、他に何があるのか。
「ほおく、ないふ、というものがありまして。小さな鋤のようなものと、小刀ですな」
「小刀? え、口が切れるじゃないの」
「口に入れるのは鋤の方なので大丈夫ですよ」
「それだって刺さらないかなあ……」
「ではうっかり刺さないよう使い方を学んでから出かけましょう」
宇賀は便乗して弁天をけん制した。振り向いて頬をぷくうとふくらませるのを見て半右衛門は笑ってしまったが、それが突然真顔に変わる。
「栄作!」
半右衛門は叫ぶなり走り出した。行く先にいた男がこちらを見てヒッと肩をすくめるのがわかった。だが逃げるでもなく、その栄作という若い男は恐縮したように身を縮こまらせていた。
11
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~
花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。
この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。
長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。
~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。
船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。
輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。
その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。
それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。
~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。
この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。
桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。
懴悔(さんげ)
蒼あかり
歴史・時代
嵐のような晩だった。
銀次は押し込み強盗「おかめ盗賊」の一味だった。「金は盗っても命は取らぬ」と誓っていたのに、仲間が失態をおかし、人殺し盗賊に成り下がってしまう。銀次は何の因果かその家の一人娘を連れ去ることに。
そして、おかめ強盗に命を散らされた女中、鈴の兄源助は、妹の敵を討つために一人、旅に出るのだった。
追われ、追いかけ、過去を悔い、そんな人生の長い旅路を過ごす者達の物語。
※ 地名などは全て架空のものです。
※ 詳しい下調べはおこなっておりません。作者のつたない記憶の中から絞り出しましたので、歴史の中の史実と違うこともあるかと思います。その辺をご理解のほど、よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる