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 灰色の空から、柔らかだが大粒の雪が絶え間なく降り続け、季節は冬を迎えていた。
 レヴィの仕事は悪天候のため休業中だ。
 それでも早朝からせっせと動くレヴィは、大鍋に入ったスープをかき混ぜる。
 新鮮な食材を入手したレヴィは、早速ウィンクラー辺境伯領の郷土料理を完成させていた。

(これぞ正に、疲労回復効果の高いスープだっ!)

 ベアテルが釣った魚と、レヴィが治癒をした牛の新鮮なミルク。
 使用人たちが、清らかな環境で育てた野菜がたっぷりと入ったスープは、半年程前に初めて見たスープとは別物にしか見えなかった。

「すっごくいい匂いだ……」

 厨房にはほっこりとするような甘い香りが漂っており、使用人たちが続々と集まって来る。

「みなさん、おはようございます! 今日は、僕が朝食を作りました!」

「っ、レヴィ様が!? なんのご褒美ですか!!」

「オイっ、みんな見てくれ!! 表面がキラキラしてないかっ!?」

「俺っ、生きててよがっだああああ~~!!!!」

 見よう見真似で作ったスープだが、まるで魔王を討伐したかのように興奮する皆が、涙と涎まで垂らして喜んでいる。
 レヴィがスープを作っただけで、邸内はお祭り騒ぎだった。

「レヴィ様のお誕生日なのに、我々の馴染みのスープをご馳走してくださるなんて……っ!!」

 感極まるコンラートが両膝をつき、レヴィに向かって拝み始める。
 真面目そうな見た目の執事だが、コンラートの奇行に慣れ始めているレヴィは、笑ってしまった。

 ウィンクラー辺境伯領に来て半年。
 本日レヴィは、無事に十七を迎えていた――。

 教会にいる時は、熱心に学んでいたものの、聖女候補としての役目を果たせてはいなかった。
 だが、今は動物の治癒をし、多くの命を救うことができたのだ。
 少しは役に立てていると思う。
 なにより、動物の飼い主からは、笑顔でありがとうと言ってもらえることが、レヴィは嬉しかった。

(支えてくれるみんなのおかげで、僕は居場所を見つけた気がするんだ――)

 レヴィがウィンクラー辺境伯領に来てから、死の森の魔物が弱体化している。
 そしてベアテルたちは力をつけ、レヴィが動物の治癒をしている間に、魔物を討伐する。
 今や、死の森に魔物の気配はない――。

 皆と力を合わせたことで、昔のように野生動物が集まる森に変わっているのだ。
 それでも皆は、レヴィがいなければ成し遂げられなかったと、口々に話してくれる。
 必要とされることが、どれほど喜ばしいことなのかを、皆が教えてくれたのだ。

 彼らに感謝しているレヴィが、スープを食卓に並べていると、ベアテルが食堂に姿を現した。
 休日でもパリッとしたシャツを着ているベアテルは、今日は一段と男前に見える。
 そして使用人たちに背を押されるベアテルが、戸惑った様子で席に着く。

(……気付いてくれるかな? ベアテル様が美味しいって言ってくれた瞬間に、僕が作ったんだぞ! って名乗り出よう)

 レヴィがお礼のスープを作ったことを、ベアテルはまだ知らない。
 内心ドキドキしているレヴィは、席にも着かずにうろうろとしていた。

「こ、こんなに美味そうなスープだったか……? 今までに見たことがない程、光り輝いている気がするんだが――」

 スープを前にしたベアテルは、スプーンを手にすることなく目を丸くする。
 そして黄金色の瞳は、使用人たちの背に隠れているレヴィを見つけ出す。

「――あなたが、これを?」

「っ、」

(ま、まだ食べてもいないのに、バレてる!?)

 もじもじとするレヴィが頷けば、ベアテルの眉間にぐっと皺が寄る。
 不機嫌そうにも見えるのだが、頬がほんのりと赤くなっていた。
 そしてベアテルがスープを口にし、目を伏せる。
 長い間、味わっているベアテルの感想を待っていたレヴィは、カッと大きな瞳を見開いた。

「あっ!? 耳っ!!」

 レヴィが指差す先には、ダークブラウンの髪の間から、ぴょこんと飛び出した茶色の耳。
 慌てた様子のベアテルが頭を隠したものの、コンラートがその手を剥ぎ取る。

「とてもお似合いでしょう? 動物をこよなく愛するレヴィ様を喜ばせようと、ベアテル様が用意していたのですよ?」

「っ……僕のために?」

 凛々しい顔立ちだというのに、頭には可愛い耳。
 そのギャップに、レヴィは胸を撃ち抜かれた。

(っ、僕ですらドキッとしちゃったんだから、ベアテル様を慕う人たちが見たら、たまらないんじゃないかなあ?)

 可愛い、と心の声が漏れてしまった瞬間。
 テディーベアのような可愛らしい耳がぴくぴくっと動き、レヴィは悶絶した。

「本物そっくりの耳です。……触ってみますか?」

「っ、いいんですか!?」

 食い気味に答えたレヴィを、まるで信じられないものを見るかのように、ベアテルがたまげている。
 どうしてかコンラートが誇らしげな顔をしているが、レヴィは気にせずじりじりと距離を詰めた。
 すると、普段は凛としているベアテルが、怯えたように身を縮こまらせる。
 きっと恥ずかしかっただろうに、レヴィの誕生日を祝うために、頭に耳をつけてくれたのだ。

(ベアテル様は、僕の好きなものを考えて用意してくれたんだ……。すごく、心がこもった贈り物だ)

 感動しているレヴィがそっと耳に手を伸ばせば、ベアテルはぶるりと震えていた。

「っ、ふわっふわだあ!!」

「…………くっ、」

 本物としか思えない触り心地のふわっふわの耳に、レヴィは瞬く間に魅力される。
 無言のベアテルは赤面しており、使用人たちから生暖かい目を向けられていることにも気付かずに、レヴィは可愛い耳を撫で回していた――。

「今は、撫でるだけにしてくれ。…………はむはむは、無しだ――」

(……はむはむ?)

 ハッとしたレヴィは、まじまじとベアテルの顔を見つめていた。
 幼い頃、レヴィと遊んでくれた無口な男の子が、同じことをしてくれた朧げな記憶が蘇る。

 ご機嫌な両親が大勢の人を邸に招待し、レヴィは毎日のように決められた挨拶をしていた。
 いろんな人たちに話しかけられ、レヴィは人形のようにニコニコとしているだけだった。
 幼かったとしても、レヴィは公爵家の人間。
 決してミスは許されないお茶会は、ただ座っているだけでも酷く疲れるものだった。

 そしていつのまにか、無口な男の子とふたりきりのお茶会に変わっていた。
 特に言葉を交わさずとも、仲が良かったと思う。
 なにせ、ふたりきりの時のレヴィは、こっそりと歳上の男の子に甘えていたのだ。
 頭に生えたぴくぴくとする耳を、満足するまで甘噛みしていたレヴィを、傷つけないようにそっと抱っこしてくれていた――。

(涎まみれになっても怒ったことなんかなくて、両親に告げ口することもなかった。僕にされるがままで、ずっとぷるぷると震えていたんだ。似ているような気もするけど……きっとあの子は、ベアテル様じゃない――)

 十年以上も前のことだ。
 名前は思い出せないが、いつもおどおどとしており、レヴィよりもおっとりとした性格だった。

「美味すぎるっ!! …………ヒッ!!」

 朧げな記憶の中の優しい男の子は、こっそりとスープを飲んだ使用人たちを、鬼の形相で睨みつけているベアテルではないことだけは、確かだった。


 その後、どうしてか真っ青になる使用人全員が、無言のベアテルの前に己のスープを差し出していた――。


 そして、レヴィが作ったスープが格別に美味しいと噂が流れることになる。
 冬の間にその噂に尾ひれがつき、フワイト王国にまで轟いていることに、生まれて初めて平和な冬を過ごしたウィンクラー辺境伯家の者たちが、知る由もなかった。















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