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第十章

226 諦めるの? アレン

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 仕事を早めに終えて帰宅し、憂鬱な気分になっていた僕の部屋の扉が開かれる。

 薄暗い室内に、柔らかな光と焼き立てのパウンドケーキの甘い良い香りが流れ込む。

 食事が喉を通らない僕を心配してくれたアデルバート兄様が、どんよりとした空気を吹き飛ばすような無邪気な笑みを浮かべた。

 「新作を作ってみたんだけど、試食してもらえるかな?」
 「……はい」

 今は大好きな菓子でも食べたい気分ではないのだけど、料理が苦手な兄様が僕のために作ってくれたのだから、僕は断る事が出来なかった。

 それに、今は誰とも話したくないけど、本当は僕はアデル兄様に話を聞いて欲しいのだと思う。

 一緒に食べようと、パウンドケーキに合うミルクティーを用意してくれるアデルバート兄様。

 ソファーに座り、僕の隣に腰掛けた兄様の白い手には、緑色の汁が垂れていた。

 「また薬草を入れましたね?」
 「あっ……。もうバレちゃった?」
 「ふふっ、バレバレですよぉ~」

 汚れた手をハンカチで拭ってあげると、恥ずかしそうに笑ったアデル兄様。

 消化不良に効果がある薬草を入れたんだと得意気に話すアデル兄様と、パウンドケーキを一口齧る。

 「「うっ……」」

 バターの甘い香りがするのに、口の中には想像以上に苦い味が広がる。

 慌ててミルクティーを流し込み、二人で顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。

 「吐きそうっ」
 「くふふふふふっ……。逆に消化不良になったんじゃないんですか?」
 「言えてる、イヴにあげなくて良かったよ」
 
 嫌われるところだったと笑うアデル兄様に、僕は苦笑いを浮かべた。

 イヴ様は僕の大好きな女神様なんだけど、少しだけ嫉妬している気持ちがある。

 僕がこんな感情を抱くのはおこがましいことだとわかっているのに、心がモヤモヤする。

 だって、僕がずっとなりたいと思っていた憧れの癒しの聖女様になって、さらには僕の気になる人から想いを寄せられているんだ。

 イヴ様のことが、羨ましくて仕方がない……。

 落ち込む僕に寄り添ってくれるアデル兄様がミルクティーを飲み干して、俯く僕を見つめる。

 「ギルバート様と喧嘩しちゃったの?」
 「……なんでわかったんですか?」
 「ふふっ。アレンのことならなんでもわかるよ? だって私は、アレンのたった一人のお兄ちゃんだもんッ」

 可愛らしく肩を竦めるアデル兄様の笑みに、僕の胸が熱くなっていた。

 泣きそうになるのを堪えて、僕が話し出すのを待ってくれているアデル兄様に、ぎこちなく笑顔を向ける。

 「フラれちゃいました……」

 うんと頷き、優しく微笑むアデル兄様からよしよしと頭を撫でられて、涙が溢れる。

 「想いをっ、伝えることも出来なくてっ……」
 「うん」
 「バッサリ……」
 「諦めるの?」

 思わぬ言葉に、僕の目が丸くなる。

 涙が引っ込んで、真剣な表情をしているアデル兄様をまじまじと見つめた。

 「たった一度フラれたくらいで、諦めるの?」
 「っ…………迷惑だって」
 「本当にそうかな?」

 柔らかな口調のアデル兄様が、こてんと首を傾げた。

 「私とギルバート様は恋のライバルだったけど、友達だからね? 彼の考えていることはなんとなくわかるよ? 今は複雑な立場にいるギルバート様がアレンに関わって、迷惑をかけたくないから、先に釘を刺したんだと思うよ?」

 ああ見えて優しいから、と笑ったアデル兄様は、失恋した僕を慰めてくれる。

 でもギルバート様の好きなタイプは、イヴ様のような美しくて、強い人。

 ……内気で地味な僕とは正反対だ。

 見た目はどう頑張っても変えられないし、最初からうまくいくはずがなかったんだと項垂れていると、アデル兄様の指先が僕の頬をツンと押す。

 「ギルバート様のどこが好きなの?」
 「っ、どこって……」
 「私はイヴの好きなところはたくさんあるよ? 努力家で、友達を大切にするところ。真っ直ぐで、思いやりがあって、常に目標に向かって前を向いているところ。イヴといると、自分も成長出来るなって思える……。なにより、イヴと一緒にいるときの私は、いつも心から笑っているの」
 
 イヴ様の好きなところは、もっともっとあると、恋人の好きなところを話すアデル兄様は、すごく楽しそうだ。

 気付けば僕もアデル兄様に引っ張られて、ぽつりぽつりと想い人の良いところを語っていた。

 「魔物討伐に参加して、最初の危険地帯にいるときに、荷物を持ってくれたんです」
 「へぇ~、優しいね」
 「はい。僕はこんな見た目だから、重い荷物を任せられがちなんですけど、ギルバート様だけは違ったんです……。疲れてないって言っても、僕が怪我をしたらアデルバートに怒られるからって……」
 「えっ!? 私が怖い人みたいじゃないっ」

 頬を膨らませて、怒っているふりをしているアデル兄様を見て、小さく笑う。

 「人見知りだから、誰とも話せずに一人でいる時も、必ずギルバート様が話しかけてくれたんです。ギルバート様がいてくれたおかげで、僕は騎士団の方々とも仲良くなることが出来た……」
 
 慣れない環境で辛いこともあったけど、僕を揶揄いに来るギルバート様の笑顔を思い出して、胸が温かくなった。

 「どこにいても、深紅の長い髪を探す自分がいることに気が付いて……」
 「わかるっ!」

 同じ気持ちだと語るアデル兄様に、僕は恥ずかしい気持ちを堪えて、口を開く。

 「他にもたくさんあるんですけど……。ギルバート様の、細やかな気遣いが出来るところが……す、好き……です」
 「っ、きゃあッ!!」
 「~~っ、もうッ! 揶揄わないでください!」
 「まだなにも言ってないよッ!!」

 興奮するアデル兄様に、べしべしと背中を叩かれる。

 意外と力が強くて痛いんだけど、僕たちは声を上げて笑っていた。



 いつのまにか楽しくなっていた僕は、調子に乗ってギルバート様と慰め合いをしたことを話してしまい、アデル兄様の可愛らしいお顔が瞬時に歪む。

 「聞いてないっ!!」
 「うっ……ごめんなさいっ」
 「そんな大切なことを内緒にしてたなんてッ!」
 
 ギルバート様に責任を取らせると、怒り狂うアデル兄様を必死に宥めるハメになった僕は、兄様からすごく愛されていると思う。

 にこにこと頬を緩ませていたのだけど、別に無理やりされたわけでもないのに、アデル兄様の怒りはなかなか収まらなかった。

 「最近イヴと結ばれた私より、アレンの方が進んでいたんじゃないっ!!」
 「…………そこですか?」

 弟の先を歩かねばならないと、よくわからないことを気にするアデル兄様との語らいは、朝方まで続くことになる。


 ギルバート様にはフラれてしまったけど、アデル兄様に励ましてもらった僕は、もう一度想いを伝えようと心に決め、なけなしの勇気を振り絞ることにした。











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