241 / 280
第十章
226 諦めるの? アレン
しおりを挟む仕事を早めに終えて帰宅し、憂鬱な気分になっていた僕の部屋の扉が開かれる。
薄暗い室内に、柔らかな光と焼き立てのパウンドケーキの甘い良い香りが流れ込む。
食事が喉を通らない僕を心配してくれたアデルバート兄様が、どんよりとした空気を吹き飛ばすような無邪気な笑みを浮かべた。
「新作を作ってみたんだけど、試食してもらえるかな?」
「……はい」
今は大好きな菓子でも食べたい気分ではないのだけど、料理が苦手な兄様が僕のために作ってくれたのだから、僕は断る事が出来なかった。
それに、今は誰とも話したくないけど、本当は僕はアデル兄様に話を聞いて欲しいのだと思う。
一緒に食べようと、パウンドケーキに合うミルクティーを用意してくれるアデルバート兄様。
ソファーに座り、僕の隣に腰掛けた兄様の白い手には、緑色の汁が垂れていた。
「また薬草を入れましたね?」
「あっ……。もうバレちゃった?」
「ふふっ、バレバレですよぉ~」
汚れた手をハンカチで拭ってあげると、恥ずかしそうに笑ったアデル兄様。
消化不良に効果がある薬草を入れたんだと得意気に話すアデル兄様と、パウンドケーキを一口齧る。
「「うっ……」」
バターの甘い香りがするのに、口の中には想像以上に苦い味が広がる。
慌ててミルクティーを流し込み、二人で顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。
「吐きそうっ」
「くふふふふふっ……。逆に消化不良になったんじゃないんですか?」
「言えてる、イヴにあげなくて良かったよ」
嫌われるところだったと笑うアデル兄様に、僕は苦笑いを浮かべた。
イヴ様は僕の大好きな女神様なんだけど、少しだけ嫉妬している気持ちがある。
僕がこんな感情を抱くのはおこがましいことだとわかっているのに、心がモヤモヤする。
だって、僕がずっとなりたいと思っていた憧れの癒しの聖女様になって、さらには僕の気になる人から想いを寄せられているんだ。
イヴ様のことが、羨ましくて仕方がない……。
落ち込む僕に寄り添ってくれるアデル兄様がミルクティーを飲み干して、俯く僕を見つめる。
「ギルバート様と喧嘩しちゃったの?」
「……なんでわかったんですか?」
「ふふっ。アレンのことならなんでもわかるよ? だって私は、アレンのたった一人のお兄ちゃんだもんッ」
可愛らしく肩を竦めるアデル兄様の笑みに、僕の胸が熱くなっていた。
泣きそうになるのを堪えて、僕が話し出すのを待ってくれているアデル兄様に、ぎこちなく笑顔を向ける。
「フラれちゃいました……」
うんと頷き、優しく微笑むアデル兄様からよしよしと頭を撫でられて、涙が溢れる。
「想いをっ、伝えることも出来なくてっ……」
「うん」
「バッサリ……」
「諦めるの?」
思わぬ言葉に、僕の目が丸くなる。
涙が引っ込んで、真剣な表情をしているアデル兄様をまじまじと見つめた。
「たった一度フラれたくらいで、諦めるの?」
「っ…………迷惑だって」
「本当にそうかな?」
柔らかな口調のアデル兄様が、こてんと首を傾げた。
「私とギルバート様は恋のライバルだったけど、友達だからね? 彼の考えていることはなんとなくわかるよ? 今は複雑な立場にいるギルバート様がアレンに関わって、迷惑をかけたくないから、先に釘を刺したんだと思うよ?」
ああ見えて優しいから、と笑ったアデル兄様は、失恋した僕を慰めてくれる。
でもギルバート様の好きなタイプは、イヴ様のような美しくて、強い人。
……内気で地味な僕とは正反対だ。
見た目はどう頑張っても変えられないし、最初からうまくいくはずがなかったんだと項垂れていると、アデル兄様の指先が僕の頬をツンと押す。
「ギルバート様のどこが好きなの?」
「っ、どこって……」
「私はイヴの好きなところはたくさんあるよ? 努力家で、友達を大切にするところ。真っ直ぐで、思いやりがあって、常に目標に向かって前を向いているところ。イヴといると、自分も成長出来るなって思える……。なにより、イヴと一緒にいるときの私は、いつも心から笑っているの」
イヴ様の好きなところは、もっともっとあると、恋人の好きなところを話すアデル兄様は、すごく楽しそうだ。
気付けば僕もアデル兄様に引っ張られて、ぽつりぽつりと想い人の良いところを語っていた。
「魔物討伐に参加して、最初の危険地帯にいるときに、荷物を持ってくれたんです」
「へぇ~、優しいね」
「はい。僕はこんな見た目だから、重い荷物を任せられがちなんですけど、ギルバート様だけは違ったんです……。疲れてないって言っても、僕が怪我をしたらアデルバートに怒られるからって……」
「えっ!? 私が怖い人みたいじゃないっ」
頬を膨らませて、怒っているふりをしているアデル兄様を見て、小さく笑う。
「人見知りだから、誰とも話せずに一人でいる時も、必ずギルバート様が話しかけてくれたんです。ギルバート様がいてくれたおかげで、僕は騎士団の方々とも仲良くなることが出来た……」
慣れない環境で辛いこともあったけど、僕を揶揄いに来るギルバート様の笑顔を思い出して、胸が温かくなった。
「どこにいても、深紅の長い髪を探す自分がいることに気が付いて……」
「わかるっ!」
同じ気持ちだと語るアデル兄様に、僕は恥ずかしい気持ちを堪えて、口を開く。
「他にもたくさんあるんですけど……。ギルバート様の、細やかな気遣いが出来るところが……す、好き……です」
「っ、きゃあッ!!」
「~~っ、もうッ! 揶揄わないでください!」
「まだなにも言ってないよッ!!」
興奮するアデル兄様に、べしべしと背中を叩かれる。
意外と力が強くて痛いんだけど、僕たちは声を上げて笑っていた。
いつのまにか楽しくなっていた僕は、調子に乗ってギルバート様と慰め合いをしたことを話してしまい、アデル兄様の可愛らしいお顔が瞬時に歪む。
「聞いてないっ!!」
「うっ……ごめんなさいっ」
「そんな大切なことを内緒にしてたなんてッ!」
ギルバート様に責任を取らせると、怒り狂うアデル兄様を必死に宥めるハメになった僕は、兄様からすごく愛されていると思う。
にこにこと頬を緩ませていたのだけど、別に無理やりされたわけでもないのに、アデル兄様の怒りはなかなか収まらなかった。
「最近イヴと結ばれた私より、アレンの方が進んでいたんじゃないっ!!」
「…………そこですか?」
弟の先を歩かねばならないと、よくわからないことを気にするアデル兄様との語らいは、朝方まで続くことになる。
ギルバート様にはフラれてしまったけど、アデル兄様に励ましてもらった僕は、もう一度想いを伝えようと心に決め、なけなしの勇気を振り絞ることにした。
8
お気に入りに追加
4,118
あなたにおすすめの小説
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
王命を忘れた恋
須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』
そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。
強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?
そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる