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第六章

128 条件が満たされていない

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 無言になる俺に、クリストファー殿下が静かに笑い出した。

 笑うところなんて一つもないのに、なんなんだと仏頂面で睨みつける。

「相手は、ギルバートだ」
「…………へ? ギルバート様?」
 
 目が点になった俺は、素っ頓狂な声が出た。

 くつくつと喉を鳴らす美丈夫は、わざと『国に忠誠を誓う者』と言ったのだとわかり、俺は盛大に舌打ちしてやった。

 肩を竦めるクリストファー殿下は、過去の例を話し出す。

「様々な文献を調べてみたが。紋章を授かる者が何百人といた中で、愛されて力が増した者は、たった三人だけだった」
「……そうなんですか」

 ただ、他の紋章を授かった人達が気付いていなかっただけかもしれないし、元々力を発揮出来ていたのならば、愛される必要がない。

 現に、俺の父様は最初から無敵だったと思う。

 ラファエルさんにも効果があるのかはわからないが、重鎮達が躍起になっているらしい。

 発揮出来る力が強ければ強い方が良いと思うし、俺も彼らの立場だったら試すべきだと賛成していただろう。

 実際、それで俺は成功しているしな。

「それでまあ、ラファエルがな……。相手が悪かったと言い始めて」
「…………なるほど」
 
 ばつの悪い顔をするクリストファー殿下の言いたいことがわかり、俺は知らぬ間に溜息がこぼれていた。

「ラファエルさんは、ジュリアス殿下がいいと話しているんですね?」
「……ああ」

 平民だったラファエルさんだが、紋章を授かれば特別な存在となる。

 身分で言えば王族がトップには変わりないが、紋章を授かる者を蔑ろにすることは出来ない。

「仕方ないですね。国のためですから……。ジュリアス殿下は、いずれ国王になるお方。ラファエルさんを拒絶することは出来ないでしょう」

 俺がぎこちなく笑うと、そっと手を握られた。

「もちろんジュリアスは拒否しているのだが、周りはそれをよしとしない。だがそうなれば、イヴが悲しむだろうと、私が代わりに務めを果たすと言ったんだが。どうしてもジュリアスがいい、と言われてな……。もう一度交渉してみるよ」
 
 安心していいとばかりに微笑むクリストファー殿下の優しさが嬉しいのに、胸が苦しくなる。

 俺の我儘で、クリストファー殿下にも迷惑をかけてしまっていると思うと、素直に頷くことが出来なかった。
 
「俺のことは気にしないでください。無理に話を進めて、クリストファー殿下の評判が落ちると、俺も悲しいから……」
「っ、イヴ……」

 湿っぽい空気を掻き消すように、俺はニカッと笑った。

「それにほら! 俺には、ランドルフ様やアデルバート様もいるんです。ジュリアス殿下がいなくなったところで、なんの問題も……ありませ、んっ」

 強がって言葉が詰まる俺を、立ち上がったクリストファー殿下が抱きしめる。

 甘やかな香りに包まれて、そっと目を伏せた。

 俺の気持ちに蓋をしたらいいだけの話だし、もしそれで二人が恋仲になるのなら、そういう運命だったのだろう。

(それに、大切な人が俺のせいで周囲からバッシングを受けるのだけは避けたい)

 いつも皆の中心で輝きを放つのが、ジュリアス殿下だ。

 二人が深い仲になる姿を見るのは辛いのかもしれないけど、それよりも、俺のせいで悪意に晒されるジュリアス殿下を見たくない。

「もう大丈夫、ありがとうございます」
「いや……だが、ランドルフもアデルバートも、今が正念場なんだ」

 俺の瞳をしっかりと見つめるクリストファー殿下は、真剣な表情だった。

 ランドルフ様が宰相になると言われているが、彼はまだ若い。

 いくらユリノクト侯爵家が宰相を輩出する有能な家門といえど、他にも宰相候補はいるそうだ。

 だが、父親の補佐をしているランドルフ様は、他者を蹴散らして最年少で宰相になるつもりらしい。

 だから今回の魔物の出現により、ランドルフ様がどう対応していくかによって、今後の未来が左右される。

 アデルバート様も、他者より頭ひとつ抜きん出ているが、今が大事な時なんだそうだ。

「エリオット様は……無理ですよね?」
「ああ。勇者と同等の力を発揮している彼には、前線で活躍してもらわねばならない」

 やはりそうだよな、と項垂れる。

 一瞬、ジュリアス殿下が俺とラファエルさんの相手をするとも考えたが、そんな暇な人ではない。

 どうしたものかと考え込むが、良い案が浮かばなかった。

「イヴさえ良ければなんだが……」
「なんです?」
「私がジュリアスの代わりになるのは、駄目だろうか……?」

 なにを言われたのか理解出来ずに、俺はぽかんと間抜け面を晒した。

 だって、俺は愛されれば愛されるほど力が増すのだが、クリストファー殿下は俺を愛してはいない。

 だから、条件が満たされていないのだ。

 それを忘れてしまったのかと、俺はなんとも言えない表情をする他ない。

「やはり嫌か?」
「え? いや、そうじゃなくて……」
 
 なんて伝えたらいいのかともごもごしていると、藍色の瞳がキラリと光った。

「別にかまわないのか?」
「えっと、だから……、条件が満たされていないというか……」
「ん?」
「そ、それに! するんですよ?! 俺と……。できるんですか?」

 言葉を濁したが、なんとなく想像してしまって、俺の顔が熱くなった。

 口許をひくりとさせるクリストファー殿下。

 何を考えているのかさっぱりわからずに、俺は視線から逃れるように俯いていた。

 大きな手が俺の頬に触れて、顔を上げさせる。

「イヴの気持ちが追いついていないのはよくわかっている。だが、私はイヴを愛おしいと思っているぞ? 弟と比べたら年月は短いが……」
「っ、それは、弟の友人として、ですよね?」
「さて。どうだろうな?」

 揶揄っているのか、本気なのか。

 なにか企みでもあるのかと疑ってしまう俺は、クリストファー殿下にじっとりとした目を向けた。

「ああ。あと、他にもロミオという案も……」
「お断りしますっ!!」
「クククッ。あいつを拒否するなんて、贅沢な男だな? あれでもかなり人気があるんだぞ?」
「…………ただの変態です」

 ロミオ副団長は、話さなければ王子様のような美貌の持ち主だが、変態には変わりない。
 
 それなら弟のレイドの方がいいと思うが、レイドも選ぶ権利はあるので、俺は口を噤んだ。

「まあ、イヴはあの色男の恋人だからな? 目が肥えているか」
「っ、別に、顔で決めたわけじゃ……」

 ない、とは言い切れずに、俺の声は消えた。

(エリオット様は通常時でも完璧なんだが、色っぽい顔なんて、口を開けて見惚れてしまうほど、美しいのだからな!)

 にたにたと笑ってしまう俺に、クリストファー殿下が口許を緩めていた。

 もしかしたら、気落ちする俺のために、ジュリアス殿下の話をさりげなく逸らして、エリオット様の話をしてくれたのかもしれない。

 思いやりのある美丈夫を見直していると、そっと手を取られた。

「別に最後までせずとも、触れ合っているだけでもいいんじゃないか? 試しにやってみたい」
 
 それなら簡単に出来そうだ。

 クリストファー殿下の提案に、俺は頷いていた。



 ジュリアス殿下にはどう話そうかと相談していると、噂をしていた人物が部屋に飛び込んで来た。

「イヴッ!!」

 さっと俺から手を離したクリストファー殿下が、立ち上がって道を開ける。

 全力疾走の美形の子犬が、すごい勢いで俺に抱きついた。

「っ、良かった……心配した……」
「ごめんな? 寝坊したわ」
「もうっ……!! ふふっ。私の可愛い人は、呆れるくらいにお寝坊さんなんだから……」

 涙声のジュリアス殿下が、俺の頬をガッチリと掴んでちゅっちゅとキスをしまくる。

 人前は恥ずかしすぎるんだが、と思いながらも受け入れている俺は、いつも通りのジュリアス殿下に少しだけ安心した。

「ん……んんっ!?」

 深く口付けて、俺のガウンをはだけさせるジュリアス殿下の手を叩く。

「やめろっ、ばかっ!」
「ふふっ、ごめん。イヴは声が大きいもんね?」
「っ……ふざけるな」

 急に俺を辱める金髪男を睨みつけていると、その背後に顔を歪めたラファエルさんが見えた。

(俺を大切に想ってくれているジュリアス殿下が、病み上がりの俺を襲うはずがない)

 わざとなのかと察した俺は、深い溜息を吐く。

 俺が引けば丸く収まる話なんだろうが、今の感じだと、ジュリアス殿下も拒否したいようだ。

 最善の道なのかはわからないが、俺を熱心に見つめる碧眼から期待するような視線を送られ、俺はさらさらとした金髪に指を通して顔を引き寄せた。

「んっ!」
「…………ジュリアス」
「っ、」

 音を立ててゆっくりと唇を啄み、コツンと額を合わせる。

「今日は特別。でも、こういうことは、ふたりきりの時にな?」
「~~~~ッ!!!!」
 
 演技だと気付いているはずのジュリアス殿下が声にならない悲鳴を上げて、悶絶し始める。

 早く仕事に戻れと言っても俺の傍にいようとするジュリアス殿下を、黙って待っているラファエルさん。

 以前まではおどおどとしていたラファエルさんだったが、今は俺を鋭い目付きで睨み付けていた。

(命懸けで治癒をしたのに、またしても嫌われ者になってしまった……)

 ジュリアス殿下にぎゅうぎゅうと抱きつかれる俺は、遠い目をしていた。
















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